45 百人の騎士
ファシオの武器はアウリと同じく短刀だ。模擬戦用の短刀では全身鎧に兜まで被った相手に不利なのは明らかである。真剣ならば、関節の可動部や鎧の隙間に刃を差し入れて相手を倒すことも可能だろうが。
だから、プルクラはファシオに「出なくてもいい」と伝えた。アウリにも同じことを言った。この二人の代わりに自分が二回余分に模擬戦をすれば良いと思った。しかし、結果的に二人の闘争心を煽ってしまったようだ。「どんな手を使っても勝つわぁ」「ボコボコにいたします」と返された。
……模擬戦なのに。そんなに熱くならなくてもいいのに。巻き込んだ張本人のプルクラはそんな風に胸の内で呟いたのであった。
ファシオは二本の模造短刀を握り、その場で軽く跳躍している。対する騎士は標準的な片手剣で、左腕にダルガが着けていたような円盾を装着していた。
「前の二人はすぐにやられちゃったけどぉ。近衛騎士団、だいじょうぶぅ?」
その場で軽く跳ねるのに合わせ、二つに結んだ桃色の髪がぴょこぴょこと弾んでいる。そんなファシオが心配そうな声音で騎士を挑発した。
「ふん。あいつらは侮っていただけだ」
「あらぁ? 敵を侮るなんて騎士としてどうかと思うけどぉ、私のことも侮っていいわよぉ?」
「……全力で潰す」
兜を被っているので表情は分からないが、怒気を孕んだその声で騎士がどんな顔か察せると言うもの。その様子にファシオは「フフ」と口端を吊り上げた。
「はじめっ!」
審判の合図と共にファシオが飛び出す。対する騎士はその場で腰を落とし、円盾を前に、剣を下段に構えた。ファシオは体を左右に揺らし、突然速度を上げて右に回り込む。ギンと硬質な音がして、円盾を持った騎士の左腕が跳ね上がった。
「くっ!?」
「はぁ!」
ファシオが騎士の左側面に連撃を叩き込む。確かに当たってはいるものの、全て鎧に弾かれた。騎士が鋭い横薙ぎを放つが、ファシオは二本の短刀を交差させてそれを逸らす。
「達者なのは口だけのようだな!」
「あんたは鎧に助けられたねぇ?」
「減らず口をっ!」
円盾を前に、騎士がファシオへ向かって踏み込む。盾で視界を部分的に遮り、その死角から剣を繰り出す技。ファシオの顔面に鋭い突きが飛ぶ。首を傾げて避け、懐に潜り込んだファシオは騎士の顎に向かって短刀を突き上げた。顎を引くことで、間一髪兜に当たって攻撃が弾かれる。
「兜があって良かったねぇ?」
「はぁぁあああ!」
騎士は剣の柄をファシオの脳天に振り下ろした。後ろへ跳んで躱すと、そこに円盾が迫る。ファシオの視界が盾で一杯になり、右上から袈裟斬りが襲い掛かった。
ファシオはこの騎士の技を概ね見切っていた。左腕に円盾、右手で剣を握っている以上、ファシオから見て攻撃は左側からしか来ない。剣の攻撃は、突きか振り下ろし、または振り上げ、横薙ぎのいずれか。盾の僅かな動きでそれを読む。
盾が右下に動いたから左上から来る。それさえ分かれば躱すのは難しくない。ファシオは円盾を押し退けるように右前へ踏み出し、瞬時に騎士の後ろへ回り込んだ。
兜は頭部を守る防具だが、著しく視界が悪い。事実、騎士は一瞬ファシオの姿を見失う。
「ちょわっ!」
身体強化を十倍にしたファシオの蹴りが、騎士の後頭部へ突き刺さった。金属製の兜が凹み、騎士は声も上げずに倒れる。
「あら、やり過ぎた?」
審判が青い顔をして騎士に駆け寄り、慎重に兜を脱がせた。茶色の髪は汗に濡れて黒っぽく見える。観覧席の下から白衣を着た男性と女性が駆けてくるが、それよりも前、気付けば騎士の傍らにプルクラが膝を突いていた。
「姐御、いつの間に……」
「ん、この人はだいじょぶ。気絶してるだけ」
騎士は脳震盪を起こしたようだ。どこからも出血はなく骨に異常もない。駆け付けた白衣の男女もそれを確認し、遅れて来た四人の男性が倒れた騎士を担架で運んで行った。
「しょ、勝者ファシオ殿!」
審判が宣言するが、観覧席は静まり返っている。
「ファシオ、短刀いらなくない?」
「う……。全身鎧は、やっぱりズルいと思うのぉ」
ジガンから何度か言われた「剣、いらなくねぇ?」という言葉の意味を、プルクラも理解した。ファシオと対戦した騎士は、まさか蹴りで倒されるとは思っていなかっただろう。
「でも、ファシオはやっぱり強い」
「そ、そう? うふふ、そうでしょぉ?」
観覧席に戻るが、ファシオに向けられる視線が冷たい。
「ちっ、討採者風情が」
「騎士道精神の欠片もないな」
「短刀で戦えよ、短刀で」
そんな声の出所を、プルクラは睨み付けた。ファシオはどこ吹く風だ。
冷たい目で見られたり、戦い方に文句を言われたりする筋合いはない、とプルクラは思った。ファシオは騎士ではない。ファシオは全力で勝ちに行っただけだ。
「あんな勝ち方で嬉しいのか?」
「あんなの勝ったとは言えないだろ」
「後ろから蹴るなんて、卑怯者が」
プルクラの顔から表情が消えた。
「姐御、私は気にしないから」
プルクラはファシオを批判する騎士たちの前で仁王立ちになった。
「貴方、貴方……えーと、この辺の人。今の戦いに文句があるなら相手になる」
「ちっ」
「調子に乗るなよ、ガキが」
「殿下に助けられただけのくせに」
「団長と一対一なんて百年早いんだよ」
プルクラは、すたすたとブレント・リーデンシア第三王子の前に移動した。周囲を固める近衛騎士が気色ばむ。
「殿下。面倒臭いから、全員いっぺんに相手していい?」
遠くでジガンが両目を手で覆い、天を仰いでいた。アウリは両手を胸の前で組み、きらきらした目でプルクラを見つめている。その膝の上でルカインが欠伸をし、ジガンの隣でクリルがあわあわしていた。
「全員とは、この後の四試合ということか?」
「んーん。ここにいる騎士全員」
「…………百名以上いるが」
「全部倒したら困る?」
「貴様、ふざけるのもいい加減にしろっ!!」
メディオ・ガッツフォルト近衛騎士団長が立ち上がり、プルクラに怒鳴る。
「今、殿下と話してる」
「貴様のような下賤の者が殿下に話し掛けるなど、不敬にも程がある!」
プルクラは両手の指先を左右の耳の穴に突っ込んだ。至近距離で怒鳴られて耳が痛い。その様子に、メディオ団長の怒りが頂点に達した。その場で剣を抜きプルクラに向ける。だが、次の瞬間に剣は真っ二つに折れた。
「なっ?」
「こんな狭い場所で剣を抜いたら危ない」
身体強化五十倍で、プルクラが剣を叩き折ったのだった。そこにいる誰にも、彼女の動きは見えなかった。
「殿下、どう?」
「…………騎士全員が倒されるのは、さすがに国の沽券に関わる」
「ブレント殿下!? 我々がこの娘に負けると!?」
「負けるとは言っていない。万が一そうなったら、の話だ」
「んー。じゃ、私が負けたら騎士団に入ってあげる」
「はぁ!? 貴様などこっちからおことわ――」
「よし。では、もし其方が勝ったら?」
ブレント王子がメディオの言葉を遮った。
「ファシオを馬鹿にした人は謝って」
「……それだけか?」
「んー。あと金輪際、リーデンシア王国の騎士団は私たちに関わらないで」
「それは……善処する」
「……あと一つ。クレイリア王国から亡命したアルトレイ・クレイリアの居場所を知ってたら教えて欲しい」
「? 其方は……。まぁいい。承知した」
「ん。じゃ、やろう」
くるりと振り返ったプルクラは、そのまま演習場に下りていく。その後ろ姿を見ながら、ジガンが身を乗り出してアウリに尋ねる。
「アウリ、やばくねぇか?」
「何がですか?」
「いや、騎士を百人以上殺しちまったらさ」
「プルクラ様なら殺さずとも無力化出来ます。楽勝です」
「楽勝って……」
「黒竜の森で、鎧蟻一万匹を倒したそうです」
ジガンだけでなく、後ろのクリルと、通路を隔てた席のファシオたちも、アウリの言葉に耳を疑った。
「今、なんつった?」
「鎧蟻、一万匹、倒した。二年前に」
鎧蟻とは、小柄な男性くらいの大きさがある蟻型の魔獣だ。金属質の外殻は軽いのに非常に硬い為、上質な鎧の素材にも使われる。顎は細い立木を嚙み砕く程強靭で、六本の足先は剣のように尖っている。十匹いれば村が壊滅すると言われる魔獣だ。
黒竜の森では、特定の魔獣が異常繁殖することがある。生態系が壊れるので、ニーグラムが片手間に間引いてきたのだ。
二年前、プルクラが十三歳の時。森の南西部で鎧蟻が大量発生した。プルクラは父に許可を取り、腕試しでその殲滅を行ったのである。
「一万匹って……」
「四日かかったそうです。その間ずっと戦いっぱなし。騎士の百人くらい、どうってことないです」
「そ、そう……そうだな」
クリルとファシオたちは絶句した。もし自分がそんな大軍を前にしたら、まずは逃げることを考える。と言うか、戦うという選択肢は思い浮かばないだろう。
「その時より、今の方がずっとお強いですよ、プルクラ様は」
アウリとジガンの会話を聞くともなしに聞いていた少数の騎士は、周囲に気付かれないように観覧席から逃げ出した。そんな化け物と戦うなど、火翼竜を相手にした方がましだ。
「ねぇ。本当に、なんであいつ、俺のこと師匠って呼ぶの?」
「フフフ。それはプルクラ様にお聞きください」
演習場の真ん中にプルクラが立つと、それを取り囲むように騎士が集まり始めた。ほぼ全員が金属鎧を身に着け、半数が兜も被っている。武器は長剣に槍、少数だが大斧や大槌を持っている者もいた。三分の一ほどは円盾も装着している。
取り囲んだ輪の中からメディオ・ガッツフォルト団長が前に出て声を張り上げた。
「ここにいる騎士全員を相手にすると言ったのは貴様だ! そしてブレント殿下もそれをお許しになった!」
「ん」
「ここで死んでも文句はあるまいな?」
「私はないけど、貴方たちは?」
「戦いで死ぬは武人の誉れ! もとよりここに命を惜しむ者などおらんわ!!」
いや、こんなよく分からない戦いで死ぬのは嫌だろう、とジガンは思った。
そしてここに立っている騎士たちは、よもや自分の生殺与奪を眼前の少女が握っているなど思いもしない。ここで鮮やかに少女を倒し、騎士団長や第三王子の覚えをめでたくすることが思考を占めている。この人数を相手に、少女が無事で済むとは誰も思っていない。恐らく死ぬだろう。騎士の誰しもがそう思っていた。
「もういい?」
「……殺れぇ!!」
輪の内側、プルクラに近い場所にいる騎士たちが、一斉に武器を向けて輪の中心に攻撃を加えた。
その全てが空を切る。その場にはもうプルクラはいない。
続いて耳に届く打撃音。まるで、演習場に拳よりも大きな雹が降ってきたような、連続し過ぎて長音に聞こえる音が響く。それは武器を、鎧を、骨を砕く音。
ジガンは、騎士の群れの中を通り過ぎる白い影を見た。風のように縦横無尽に動き回る影、言うまでもなくプルクラである。
白い旋風は時折止まり、一瞬だけ少女の姿を見せるが、次の瞬間にはまた風になった。旋風が通り過ぎると、金属鎧がばたばたと倒れていく。
弱い者は幸運だ。一撃で意識を刈り取られるから。
そう多くはない強い者は不運だ。初撃では意識を失わず、痛みを堪えて立ち上がる。そして更に強烈な打撃が襲う。
何が起こっているのか分からない騎士たち。一部は混乱し、闇雲に武器を振り回している。
鳴り止まない打撃音。折り重なって倒れていく騎士たち。ジガンは思う。あれは剣がいらないんじゃない。殺さないために敢えて剣を持たないだけだ、と。事実、誰一人として死んでいない筈だ。大半がぴくりとも動かないけれど。……死んでないよな? ジガンはちょっぴり自信がなくなった。
突然打撃音が止まった。それまでずっと聞こえていた音が消え、耳鳴りがする。演習場は死屍累々といった有り様で、立っているのはメディオ団長とプルクラの二人だけ。
ここまで、僅か四十~五十呼吸(160秒~200秒)といったところか。
「何が…………貴様、どんな魔導具を使った!?」
「使ってない」
「嘘をつくなっ!」
はぁー、と溜息を洩らしながら、プルクラはゆっくりと団長に近付く。剣――先程プルクラが叩き折ったのとは別の剣を正眼に構え、団長はプルクラを睨み付ける。一挙手一投足を見逃すまいと瞬きさえしない。
無警戒に剣の間合いに入ったプルクラだが、メディオは構えたまま動かない。もう一歩近付こうと足を持ち上げた時、メディオが神速の一閃を放った。正眼からの突き。単純だが予備動作なく放たれたそれは、常人なら喉に突き刺さって絶命していただろう。
プルクラは半身になってそれを躱した。仕切り直しのため、大きく後ろに跳ぶ。速さも威力も、鋼棘蠍の方が格段に上だった。
メディオが正確にプルクラの喉を狙ったのを見て、模擬戦じゃねぇのかよ、とジガンが呆れた。今更だが、近衛騎士団長であるメディオさえも真剣を使っているのだ。プルクラは模造剣さえ持っていないと言うのに。
「疾く走れ、千の風刃よ!」
後ろに下がったプルクラに対して、上級魔術師でもあるメディオが短縮詠唱で魔術を展開する。剃刀のように細かい風の刃が無数に発生し、プルクラに迫った。
「『障壁』」
風刃が障壁に当たるたびに音もなく白い光を放つ。障壁が一面真っ白に輝くような刃の数。
「敵を呑め、業火の咢よ!」
地面と空中に炎で道が作られた。それが蛇の口のようにプルクラに迫って障壁ごと飲み込む。
「『イノランチア』」
魔力の結合を阻害し、形作られた魔術や魔法を元の魔力に還す「竜の聲」。プルクラはまだ使いこなせてはいないが、メディオが放った炎を掻き消すには十分だった。
霧散した炎を見て愕然とするメディオ。
「一体どんな魔導具を」
「使ってないけど」
「…………まさか、大魔導に匹敵する魔術師、なのか?」
「違うけど、もう好きに思えばいい」
プルクラは、腰に付けた小さな拡張袋から黒刀を取り出す。鞘をもう一度収納し、抜き身の刀を無造作に握る。
「ちょっと本気出す」
プルクラの体から白い靄が立ち昇り、周りの空間が歪んで見えた。




