44 騎士団との模擬戦
どうしてこうなっちゃったの?
騎士団の広大な演習場、その真ん中にぽつんと立たされたオルガは内心でそう呟いた。
いつも魔術師帽を目深に被っているオルガは、見た目通りの魔術師ではない。
現在十六歳のオルガだが、幼少の頃は病弱だった。三歳年上のダルガは、そんなオルガをいつも守ってくれていた。同じ村に住み、ダルガと同い年のファシオはオルガを実の妹のように可愛がった。親同士の仲が良かったのと、歳の近い子供が他に殆どいなかったのが理由だろう。
ファシオの両親は村の防衛を二人で担う元討採者で、彼女は正しく両親からその血と気性を受け継いだ活発な少女だった。ファシオに引っ張り出されたオルガが熱を出し、ダルガが看病し、ファシオが泣きながら謝るということが数えきれないほどあった。
オルガとダルガの両親も元討採者だったが、オルガが三歳の頃に他界していた。流行り病だったらしい。そしてオルガが六歳の時、ファシオの両親も亡くなった。襲来した魔獣から村を守り、それが原因で命を落としたのだった。
それまでは、オルガとダルガの面倒はファシオの両親が見てくれていた。その両親が亡くなった後、村で三人の孤児の面倒を見る者はいなかった。村は貧しく、肉親ではない子供に食べさせるのが難しいというのもあった。
だが一番の理由は、オルガとダルガが他の者と違ったからである。
村人の態度にファシオは憤慨し、生来の気性によるものか、兄妹を強引に引っ張って共に村を出た。
九歳の男女と六歳の少女が村を出て、一体何が出来ると言うのだろう? ファシオの後先考えない性格は今もそれ程変わっていない。
三人は一路東へ向かった。そちらにケットネス領の領都メスティフがあるのは、ファシオの両親から聞いて知っていたからだ。ただ、子供の足ではひと月以上かかるし、道中では獣や魔獣が出ることは知らなかった。いや、薄々は分かっていたが、それは考えないようにした。まるで考えてしまったら、それが現実に起きてしまうかのように。
二晩は何も起こらなかった。だが、三日目の晩に魔獣に襲われた。
三頭の尾黒狼。狼系魔獣の中では最弱と言っても良い。それでも、体高は大人の胸の高さくらいある。それはファシオたちにとっては敵う筈のない化け物だった。
魔獣に対する恐怖と、激しい後悔とでファシオは大声を上げて泣いた。オルガとダルガを自分が連れ出さなければ、こんな場所で襲われることもなかったのに。自分のせいで、兄妹は魔獣に殺されるのだ。ごめん、本当にごめんなさい。
そんなファシオの姿に胸を打たれたのか、自らの命の危機に触発されたのか。恐らく両方が原因だろう。オルガはその時に覚醒した。
オルガとダルガは大陸北方の纏狐族である。纏狐族は獣人族の中でも珍しい種族で、自分の意思によって能力を引き出すことが出来、それに伴って姿も変わる。
ダルガは九歳にしてはかなり大柄な男児で、姿を変えずとも力が強かった。オルガは病弱で小柄、食料を得るための狩りさえ未経験だった。ただ、纏狐族としての能力はオルガの方が兄より遥かに強かった。その力で尾黒狼を易々と倒したのである。
兄のダルガは筋力特化。敏捷性はあまり優れていないものの、素手で岩を砕く膂力と肉体の頑丈さを持つ。対して妹のオルガは魔法特化。“魔術”ではない。術式を必要としない“魔法”である。その代わり筋力が常人より劣るのは、十六歳になった今でも変わらない。
九歳と六歳の三人が子供だけで生き残れたのは、兄妹が纏狐族だったからである。領都メスティフに到着するまで何度となく魔獣や獣に襲われたが、悉く退けた。そして結果的に道中の食料にも事欠かなかった。メスティフに到着した直後、ダルガは討採者に登録した。本来十二歳以上と制限されている討採者だが、大柄なダルガが年齢を偽って登録したのである。
そして直ぐに結果を出した。領都への道中、多くの魔獣を倒してきた兄妹である。子供三人が生きていくだけの報酬を得るのもそれ程難しくはなかった。
しかしその後は……。今はこの話は良いだろう。とにかくファシオが色々と拗らせていくのだが、それはまた別の話である。
騎士団の演習場は広い。右手には雛壇になった観覧席まである。だだっ広い演習場の真ん中付近に立ち、オルガは両手をもじもじと捏ねていた。少し離れた所には、銀色の全身鎧を纏った騎士。今から彼と模擬戦を行うのだ。
オルガは強いが、戦いを好んでいるわけではない。仕事なら仕方ないと割り切れるが、これは仕事ではないのだ。プルクラに巻き込まれただけである。
だが、プルクラが悪いとは思わない。悪いのは、プルクラに罪を着せようとした近衛騎士団長であろう。
姉と慕うファシオが付いて行くと言うから付いて来ただけなのに。何で騎士さんと模擬戦することになっちゃったんだろう? 何で私、断らなかったんだろう?
「オルガーっ! 本気で行けーっ!」
観覧席からファシオの声が届く。少し楽しそうな声なのが癪に障る。
「武器は要らないのか?」
もう一人、審判役の男性が近付いて来て、オルガに尋ねた。対戦する騎士は刃を潰した金属製の剣を持っている。当たれば大怪我、下手をすれば命に関わるだろう。
「要らない、です」
「そうか。双方前へ! どちらかが降参するか、戦闘不能になったら終了とする。では……はじめっ!」
騎士は合図と同時にオルガに向かって走り出す。魔術師に対する基本的な戦い方、魔術の詠唱が完了する前に倒すべし。
それは中級以下の魔術師に対応する場合は概ね正しい。概ね、と言ったのは、中級以下でも戦闘に入る前に詠唱を完了している魔術師もいるからだ。
ただ、オルガは見た目通りの魔術師ではない。
「うがっ!?」
オルガとの間合いを詰めようとした騎士の体がビクッと痙攣し、勢いもそのまま前のめりに倒れた。審判を務める男性が倒れた騎士の様子をうかがうが、騎士は倒れたまま痙攣して起き上がる素振りがない。
「し、勝者オルガ殿!」
審判がオルガの勝利を宣言すると、観覧席がどよめいた。大きな魔術師帽に体全体を覆うローブを纏ったオルガだが、それでも小さく見える。実際、背の高さはプルクラと同じくらいだし、ローブで隠した体は非常に華奢だ。つまり、強者の雰囲気は全くないのだ。
それが、選抜された騎士を一歩も動かずに倒した。しかも、どのような方法で倒したのか、それが理解できたのはオルガ本人とダルガ、ファシオ、そしてプルクラ以外にいなかった。プルクラもまだ正確に把握しているわけではなかったが。
オルガが俯きながらとてとてと小走りでプルクラたちの方へ戻ってくる。とてもたった今屈強な騎士を倒した者には見えない。寧ろ何かから追われて逃げる小動物のようである。
「プルクラ、オルガが何したか見えたか?」
プルクラの後ろの席に座るジガンが身を乗り出し、耳元で問うた。プルクラは体を捩じって半身になり、それに小声で答える。
「少しだけ。あの騎士の前に小さな魔法をばら撒いた」
「魔法? 魔術じゃなく?」
「ん。魔術とは魔力の動き方が違う」
プルクラが視たのは、小さな光の玉だった。恐らく小指の爪より小さな玉。それが騎士の進路上に十個ほど空中に浮いていた。騎士がそれに触れた途端、体の自由が利かなくなって倒れた。
小さな玉は青白い光を発していたが、雲一つない晴天の今、一瞬だけ現れたその光はかなり見えにくいものだっただろう。
観覧席を上がってくるオルガは注目されるのが嫌なのか、魔術師帽で顔を殆ど隠し体も縮こまらせていた。座っていたダルガが立ち上がって労うようにオルガの肩を叩いて、入れ替わりで演習場に下りていく。オルガはファシオの隣にぽすっと座った。
「さっすがオルガ! 楽勝だったねぇ」
ファシオが自分のことのように、オルガの勝利を喜んでいた。プルクラは、さっきまでダルガが座っていた席に移動してオルガに尋ねる。
「オルガ、お願いしてもいい?」
「な、何でしょう、プルクラちゃん」
「さっきの、後で私にもやって?」
オルガとファシオがポカンとする。
「あんな魔法初めて見た。どんなのか知りたい」
続いたプルクラの台詞に、今度は二人が目を見開く。初見であれを“魔法”と断言したのはプルクラが初めてだ。
「で、でも、危ないですよ?」
「だいじょぶ。ちょっぴり触ってみるだけ」
「姉御ぉ、あれに触れるとビリビリ痺れるのよぉ?」
「ビリビリ?」
「そう。さっきくらいの小さな奴でも、大の男が動けなくなるんだからぁ」
「…………だいじょぶ、たぶん」
多くの魔獣と戦って様々な怪我を負った経験のあるプルクラだが、これまで「ビリビリ」したことはない。それがどんな感覚なのか分からなくて少しだけ自信がなくなった。
「か、雷の赤ちゃんなんです。『雷玉』って呼んでます」
「雷の赤ちゃん……」
少し怖いけれど益々興味が湧く。後で体験させてもらう約束を取り付け、プルクラは元の席に戻った。もうダルガの番が始まるところだ。
「プルクラ様。ダルガ様は盾しか持たないようです」
「ほんとだ。どうやって戦うんだろ」
眼下では、左腕に円盾を着けたダルガが騎士と対峙していた。騎士はやはり全身鎧で、手には長槍を持っている。槍と言っても模擬戦用で、穂の部分に小さめの鉄球が付いている。
「はじめっ!」
審判が開始を合図したが、先程と違って騎士はダルガを睨んで動かない。オルガ戦を見て警戒しているのだろう。相手が動かないと見たダルガが前に出る。反射的に騎士が槍を突き出す。ダルガはそれを円盾で弾くが、騎士は鋭い突きを連続で繰り出す。
顔面や頭部は守っているが、その他の部分に何発も突きが当たっている。しかしそれに怯む様子もなく、ダルガはじりじりと騎士に近付く。間合いが近くなり過ぎるのを嫌い、騎士も少しずつ後退している。
何度も打ち据えているのに痛みを感じる素振りのないダルガに、騎士は恐怖を感じた。あれは痛みを堪えているのではない。痛みを感じていないのだ。自分の攻撃が通用しないという恐怖から、騎士は渾身の一撃を加えようとする。そしてそれは、今までで最も力の乗った突きだった。まともに受ければ円盾でさえ砕けそうな一撃。
必要以上に力が入った攻撃というのは、その分攻撃の前後の隙が大きくなる。
騎士が一歩後ろに下がり、前に飛び込むように踏み込んだのをダルガは見逃さなかった。相手が踏み込んだ分、自分も大きく前に踏み込む。槍を持つ腕が伸びきる前に円盾を斜めにしてそれを逸らした。
体重が前に乗っていた分、騎士の体勢が揺らぐ。前につんのめるのを防ぐように、重心を後ろ足に移そうとした。その膝をダルガの右腕が掬い上げると、騎士の体が宙に浮く。
その顔面をダルガの左手が覆い、後頭部から地面に叩きつけ――る寸前に、右手で胸部の鎧を掴み、ふわりと地面に寝かせた。
「し、勝負あり! 勝者、ダルガ殿!」
ダルガは倒れた騎士に手を差し出し、騎士はその手を借りて立ち上がった。観覧席から拍手が沸き起こる。ダルガは拍手に答えるように手を挙げ、堂々と観覧席に戻ってくる。
ファシオが待ちきれないような落ち着きのない様子で演習場に下りていく。途中、ダルガと擦れ違う際に高く挙げた手の平を打ち合わせた。
オルガの隣に座ったダルガは、大きく息を吐いて眉間に深い皺を刻む。
「兄さん、大丈夫?」
「問題ない。骨は折れていない」
小声で交わされた兄妹の会話が耳に入り、プルクラがそっと近付いてダルガに「サナーティオ」を掛けた。二人に気付かれる前に元の席に戻る。悪戯が成功したかのように、プルクラはアウリに向けてにっと笑った。
演習場では、ファシオの模擬戦が始まろうとしていた。




