42 王都、再び
最初にアウリ、ジガン、クリルを、二回目にファシオとダルガ、オルガを王都近くの目印に転移させた。ルカインはずっとプルクラの肩に乗っており、無駄に転移で往復したことになる。
「プルクラ様、魔力は大丈夫ですか?」
「ん、へいき」
休む必要はないとプルクラが言うので、全員でシャーライネンの北門へ向かって歩き出した。
「いや、転移ってすげぇな」
「レンダルのおかげ」
「確かにレンダル様の魔導具ありきですが、プルクラ様の魔力量のおかげでもあります」
プルクラは魔力量任せに一度で転移したが、大魔導でも中継地点を設けるような距離である。それを都合二往復半だ。それでも行動に支障が出ないプルクラの魔力量は、大魔導を軽く凌駕している。
「プルクラさんはそれほど魔力が多いんですか?」
「多いなんてもんじゃねぇ。化け物――ぁ痛っ!?」
プルクラがジガンの脛をげしっと蹴った。
「乙女を化け物呼ばわりは良くない」
「誰が乙女――痛ぇ!!」
反対側の脛も蹴った。
「な、クリル。容赦ねぇだろ?」
「いや、今のはジガンさんが悪いんじゃ……」
「流石クリル。よく分かってる」
「くそっ、味方がいねぇ!」
ジガンは何度も同じ地雷を踏むので、アウリは態とではないかと訝しんでいる。プルクラ様に蹴られて喜んでいるのでは……? だとしたら、一度きちんとお話せねばなりません。
「ねぇねぇ、姐御が強いのは魔力量が理由なのぉ?」
後ろを歩くファシオから問い掛けられたプルクラは首を傾げ、アウリとジガンに助けを求める目を向けた。
「魔力量は一因だが、プルクラは何と言うか……経験?」
「初めて魔獣を倒したのが二歳の時とお聞きしました」
「二歳!? 嘘でしょぉ?」
「……憶えてない」
幼少の頃から、黒竜の森に生息する魔獣を数えきれないほど狩ったプルクラだが、それは父ニーグラムによって安全が図られていた。プルクラの成長に応じて徐々に強い魔獣と対峙させ、危ない時は手を貸した。森の外では滅多に遭遇することのない魔獣とも矛を交え、その殆どを独力で倒せるまでに至った。それを“経験”と呼ぶのなら、そうなのだろう。
プルクラは、強くなるために努力した覚えがない。常人なら長年の修練が必要な身体強化は物心つく遥か前から自然と出来ていたし、魔術より強力な「竜の聲」も自然と身に付けた。黒竜の森では魔獣と戦うことが日常で、それを特別な鍛錬だと思ったことはない。
十歳から振り始めた剣も、どちらかと言うと楽しみで振っていた。強くなりたいという気持ちは持ち続けていたが、そのために努力したとは思っていないのだ。
プルクラにとって、努力とは無理して頑張ること。自分の限界に挑戦し続けること。森での楽しかった日々は努力とは縁遠い。
「私のは、ずるだから」
努力せず身に付けた身体強化と「竜の聲」。それはジガンのように努力を重ねた者から見れば卑怯、或いは幸運ではないだろうか。プルクラはそう思っている。
「プルクラ、それは違うぞ?」
頭の後ろで手を組んでぶらぶらと歩きながら、ジガンがそう口にした。
「違う?」
「お前は環境のお陰で強くなったと思ってるんだろ?」
「……ん」
「同じ環境に置かれた奴が、みんな同じ強さになると思うか?」
「?」
プルクラは体ごと傾げて疑問を表現する。
「例えば、同じ剣術道場に入った奴が、同じ期間鍛錬したらみんな同じ強さになるか?」
「……ならない」
「そうだな。才能や体の大きさもあるが、一番大事なのはそれに打ち込めるかだ」
「打ち込む?」
「なりたい自分のために、剣術が本当に必要なのか。まずそこが大事だ。そして必要なら、それを好きになれるのか。好きになったら、辛いことを辛いと思わなくなる」
「ん」
「それが“打ち込む”ってことだ。努力とは少し違う。自分が好きなことを気が済むまでやることだと俺は思ってる」
プルクラは、ジガンの言葉を反芻した。好きなことを気が済むまで……。それは黒竜の森で過ごした日々そのもののような気がした。
「お前には、滅茶苦茶強い父ちゃんにずっと守られて生きていく道もあった筈だ。でもお前は強くなることを選び、実際に強くなった。それは誰にでも出来ることじゃねぇんだ」
「そう、なの?」
「ああ。強くなることに打ち込んだ。そうじゃなきゃ、お前の強さは説明出来ねぇよ」
「…………」
「だから、もっと誇れ。お前はずるなんてしてねぇ。その強さは、お前自身で手に入れたもんだ」
「……ん。分かった」
ジガンは当たり前のことしか言っていないが、プルクラが抱いていた小さな負い目を溶かすには十分だった。
「ジガン様は稀にとても良いことをおっしゃいますね」
「稀には余計だっつーの!」
「流石ジガンさん。年の功ですね」
「これでも歳のこと気にしてんだよ……」
一番歳の近いクリルでも十一歳離れている。プルクラなど二十六歳差だ。若者たちに囲まれて、実は肩身の狭い思いをしているジガンである。
「大丈夫にゃ。ウチが一番年上にゃ!」
プルクラの肩で、ルカインが胸を張って宣言した。
「ルカ、何歳なの?」
「だいたい五百歳にゃ!」
生まれて二か月くらいの子猫に見えるルカインが五百歳超えとは。妖精とは不思議な存在だ。
「五百年生きてる割には言動が幼いな?」
「妖精はだいたいみんにゃこうにゃ!」
「ん、かわいいからいい」
「姐御、誰と喋ってるのぉ?」
プルクラたちがルカインと話していると、ファシオが問い掛けてくる。彼女たちにはルカインの姿が見えず、声も聞こえないのだ。
「妖精」
「妖精っ!? え、いるの!?」
今まで気付いていなかったのか、と逆に驚くプルクラである。
そんなことを話していると、もう王都の北門が目の前だった。入都の長い列が出来ていたので全員そこに並ぶ。プルクラが何となく前方に目を遣ると、入都審査をしている兵に見覚えがあるような気がした。
「んー?」
「プルクラ様、どうしましたか?」
「んー、あの、槍持ってる人見える?」
「えーと、赤い髪の男性ですか?」
「そう。どっかで見た気がする」
プルクラとアウリの会話を耳にして、ジガンとクリル、更に後ろに並んでいるファシオたちも背伸びしたり首を伸ばしたりして赤髪の男を見る。
「あー、ありゃお前が向こうの山まで吹っ飛ばした騎士じゃねぇか? たしか、キ、キース……」
「キースラン・レイランド近衛騎士団副団長ですね。近衛があんな所で何をしてるのでしょうか?」
王都に入る者の身分証を確認し、犯罪者や不埒な輩の入都を未然に防ぐのは、だいたいが衛兵の仕事だ。王族の護衛が主な任務である近衛騎士の仕事ではない。
入都の列が短くなっていき、あと数組でプルクラたちの番となった時。赤髪の男がプルクラの姿に気付いた。一瞬目を見開き、何かを言い掛けて口を閉じ、プルクラから目を逸らした。
……何だろう?
*****
プルクラの「フルーメン」によって、王都から約三百ケーメル離れたグレイシア山麓の森まで吹っ飛ばされたキースラン・レイランドは、共にいた騎士や走竜、歩兵たちと共に四日かけて王都に戻った。通常なら一週間程度かかる距離を四日の強行軍で帰還したキースランを待ち受けていたのは、騎士団本部庁舎前で仁王立ちする近衛騎士団長、メディオ・ガッツフォルトだった。
「レイランド副団長。任務を放棄して出奔した理由を聞かせてもらおう」
キースランはメディオの前に跪き頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません」
「詫びはいい。どこで何をしていた?」
キースランは、ブレント・リーデンシア第三王子一行が北門近くで魔獣の群れに襲撃されていると報告された所から、気付けばグレイシア山の近くに飛ばされていたことまで順を追って説明した。
「転移、なのか?」
「分かりません。しかし転移ではないように思えました」
「いずれにせよ、その少女が危険であることに変わりはない」
「おっしゃる通りです」
メディオは副団長であるキースランを信頼している。独善的で向こう見ずな所があるものの、全ては王国と王族への忠誠心の高さ故だとメディオは考えていた。そしてキースランの実力はリーデンシア王国で五指に入る。その彼を、いや彼を含めて四十名以上の騎士と歩兵、それに走竜を無力化し、遥か彼方へと移動させるなど一体どのような方法をとったと言うのか。
「魔導具だろうか?」
「……その可能性はございます」
キースランの返事は、そうは思っていないものだった。ならば消去法で魔術しか残らない。
「お前の槍を素手で受け止める魔術師か」
近接戦闘に長けた魔術師、それも未知の魔術を使う凄腕の魔術師など危険極まりない存在ではないか。
「キースラン、お前に三か月の門番勤務を命じる。お前の他、その少女の顔が分かる者を十一名選出しろ。十二名で交代しながら東西南北の門を監視せよ」
「……承知しました」
「発見したら直ちに報告しろ。私が相手する」
メディオ・ガッツフォルト、近衛騎士団団長にしてリーデンシア王国最強と謳われる武人。剣の腕で右に出る者はなく、それに加えて上級魔術師でもある。先程「危険極まりない」と考えた“近接戦闘に長けた凄腕の魔術師”、それがメディオ・ガッツフォルトその人であった。
キースランは言えなかった。あの少女と事を構えるなど考えるべきではない、と。あの少女は底知れない力を持っている、と。それだけではなく、怒らせてはいけない“父親”がいるらしい、と。
近衛騎士団に喧嘩を売った少女をこのまま放置しておくわけにはいかない。静かに闘争心を滾らせる団長に向かって、キースランが水を差すようなことを言える筈もなかった。
*****
まったく、何でまた王都に来るんだ? リーデンシア王国は広いんだぞ? 態々俺がいる王都に来ることないだろうが。
列に並ぶプルクラを見て、キースランは思わず口から出そうになった文句を呑み込んだ。努めて少女を見ないようにして、粛々と業務をこなす……ふりをした。
かねてから門兵と示し合わせていた符丁を使い、メディオ団長に報告を送るよう合図した。騎士団内で使われる、訓練された「赤茶鴉」の脚に手紙を括りつける。そこには「北門、待ち人来たる」とだけ記されている。赤茶鴉が飛び立ったことを確認して目を戻すと、すぐ前に立つ少女が自分をじぃっと見つめていた。
「……何だ?」
「身分証、見ないの?」
視線を落とすと、銅色の討採者証が提示されていた。
……こいつが銅級? 何か裏があるのか?
いや、裏があろうがなかろうが、ここで騒ぎを起こすのは拙い。と言うか、関わりたくない。団長には言えなかったが、本気でこいつに近寄りたくない。まるで火翼竜が目の前にいるような圧力を感じる。
あながちキースランの勘違いとは言えないが、今のプルクラにはキースランと戦う意思はない。ただ、「フルーメン」でぶっ飛ばされて刻まれた恐怖がプルクラを本能的に恐れているのだった。キースランがなまじ強いので、余計にそう感じるのかもしれない。
「……通って良し」
討採者証をおざなりに確認して、キースランは吐き捨てるように告げた。本音を言えば全然通って良くない。寧ろ王都以外の街に行って欲しい。そして二度と王都に入ろうとしないで欲しい。
だが、正当な理由なく入都を拒否することは出来ない。近衛騎士団や歩兵に危害を加えようとした――それも、元を正せばキースランの落ち度と言える。少女の方から先に攻撃したわけではないのだ。もしかしたら、“攻撃”すらされていないのかもしれない。
内心の苦々しさを隠そうともせず、キースランは顔を顰めながらも最後までプルクラと目を合わそうとしなかった。
しかし、悪い予感が拭えないキースランは、こっそりプルクラたち一行の跡を付けることにした。門兵に持ち場を離れることを告げ、同じ近衛騎士団の部下と共に北街区に踏み入る。自分たちの他に、別の尾行者がいることに気付いた。あれはメディオ団長のお気に入り、追跡を得意とする団員だ。キースランたちにも気付いているが、特に気にしてはいないようである。
プルクラたちは迷いなく北街区の西へ向かっていた。そちらは所謂“職人街”だ。つまり、目的地が定まっているということだろうか? そうだとしたら、キースランにとっては僥倖。さっさと用事を済ませて王都から出て行って欲しい。
一定の距離を空けて進んでいると、やがて一行は一軒の店――鍛冶屋兼武具屋に入った。そこはキースランでも知っている、王都でも腕が良いと評判の店。ただ店主の拘りが強く、気に入った相手にしか売らないらしい。キースランもその店の武具は買ったことがない。
自分も店に入るべきか迷っている間に、別の客が入ろうとしていた。その出で立ちは明らかに貴族。護衛も二人いる。団長のお気に入りと目配せしているので何らかの仕込みか。
そして、僅かな時間でその店を取り囲むように人が集まってきた。殆どが顔見知りの近衛騎士。鎧こそ着けていないが、剣や槍を持っている異様な集団。
道の向こうから、走竜に乗ったメディオ団長がやって来るのが見えた。
とてつもなく拙い予感がする。
「ミスティア・リープランドを探して言付けを頼む。大至急だ」
すぐ傍に控えていた部下に、キースランが告げた。この事態を穏便に治めることが出来そうな唯一の人物に連絡を取るため、彼の部下は全速力で走り去った。




