41 ヴァイちゃん
まずはリーデンシア王国の王都シャーライネンに再び向かうことを決めた翌朝。
「ここから走って行くとか言わないよね……?」
ジガンが恐る恐るプルクラに尋ねた。
「転移で行きたいけど、んー……」
せっかくレンダルが転移の腕輪を作ってくれたのだから活用したい。しかし、プルクラはシャーライネンで特徴のある場所をしっかり覚えていなかった。唯一印象に残っているのは、地竜のチーちゃんと別れた北門前の広場くらいである。さすがに人通りの多い広場に転移するのは駄目だろう。
「ひとりで王都見てくる」
「駄目です。おひとりで行かせるわけには参りません」
「そうだ。お前ひとりは絶対駄目だ」
「むぅ」
アウリとジガンから反対され、少しむくれるプルクラ。自分一人だったら、王都の往復くらい半日で済むのに……。
全員でオーデンセンまで走って、そこからまた地竜車に乗る? それはそれで魅力的だ。またチーちゃんに会えるかもしれないし。
でもジガンが痩せちゃうし、もしかしたらクリルも痩せちゃうかも。
うーん、と唸りながら腕組みするプルクラが、「あっ」と小さく漏らし、ぽんと手を打った。
「ヴァイちゃん呼んでみる」
「「「ヴァイちゃん?」」にゃ?」
「プルクラ様、本当に呼ぶんですか? ここに?」
「ん。だいじょぶ。たぶん」
プルクラは背嚢から銀色の小さな細い棒を取り出した。レンダルからもらった規格外の拡張袋は腰帯につけているが、まだ使ってはいない。
「プルクラ、それは何だ?」
「笛」
ジガンの問いに端的に答えたプルクラは、小さな棒の端を銜えて思い切り息を吹き込んだ。
「……音、しませんね」
「しないな」
「人間の耳には聞こえない音なんです」
クリル、ジガンの言葉にアウリが説明した。
「ん? じゃあ誰――何に聞こえんだ? つーか、ヴァイちゃんって何?」
「気のせいでしょうか。何か強大なものがこちらに迫ってくる気配を感じます」
ジガンは剣の柄に手を掛け、クリルは少し腰を落として身構える。プルクラが「大丈夫」と言うのだから問題ないとは思うが、最後に「たぶん」と付け加えたのが気になる。
そのプルクラは東の方を見つめて動かない。ルカインも同じ方向を見ている。
アウリは額に手を当てて「やれやれ」といった風情で首を振っていた。
「姐御、おはよぉ」
「おはよう」
「おはようございます」
ファシオたち三人もやって来た。
「おはよ。こっちに来ちゃだめ」
ジガンとクリルの只ならぬ雰囲気に気付き、ファシオたちはジガンの後ろで止まった。
そしてふいに上から叩き付けられる強風。続いてなにか重いものが地面に降り立つ気配がした。しかし何も見えない。プルクラが振り返って苦笑いする。
「やられた。回り込んで来た?」
「ぐるるるる」
プルクラが空中に手を上げて見えない何かを撫でると、巨大な獣の唸り声がした。
見えないが、確実に何かがいる。
「ジガン、クリル。絶対に攻撃しないで」
「プルクラ様がいるので、攻撃さえしなければ安全です、たぶん」
ジガンとクリルの額には冷や汗が浮かんでいる。攻撃するなと言われても、体が反応してしまう。それを無理矢理抑え込んでいるのだ。プルクラの肩にいるルカインは全身の毛を逆立て、一回り大きくなっている。
ファシオたちはじりじりと後退を始めていた。彼女たちも、そこに何かがいると感じているのだ。
「ヴァイちゃん、隠蔽解いて?」
目の前に虹色がかった油膜のような物が出現し、さらさらと空中に溶けていく。その隙間から見えたのはごつごつと尖った赤黒い鱗。
「おま……それ、火翼竜、か……?」
翼を折り畳み、尾を丸めていても平屋くらいの大きさがある。黄色い眼球に細い光彩。その目はジガンとクリルに据えられていた。
「ん。ヴァイペール――火翼竜のヴァイちゃん」
それは、プルクラが七歳の時に黒竜の森で対峙した火翼竜である。小屋の近くに半ば墜落し、怒りのまま暴れていたが、結果的にニーグラムによって癒された個体だ。
火翼竜は知能が高く、自らを治癒してくれたニーグラムに恩義を感じ、その後度々小屋の近くまで鹿や猪といった捧げものを運んできた。その過程でプルクラにも懐いたのである。
プルクラが吹いた笛はレンダルが作成した魔導具だ。対となる魔導具がその火翼竜の耳付近に埋め込まれている。人間の可聴域を外れた音にプルクラの魔力を乗せると、対の魔導具が反応する仕組みだ。
「な、なぁ。火翼竜って姿を消せるのか?」
一匹で街を滅ぼすと言われる魔獣である。そんなものが高度な隠蔽能力まで持ち合わせていたら、とても人間には太刀打ちできない。
「んーん。私の知る限りではこの子だけ」
プルクラにもよく分かっていないのだが、父によるとどうもこの火翼竜は悪戯好きのようで、プルクラを驚かせたい一心で隠蔽能力を身に付けたらしい。体色を変化させる力は元々火翼竜にあるそうだが、それが進化したのではないか、という話だった。
この隠蔽能力に目を付け、魔導具の笛をレンダルが作ったのは二年程前である。いずれ森を出るプルクラにもしものことがあった時、姿を隠せる火翼竜は頼もしい味方になる筈だという思い付きだった。
頼もしいと言うか、火翼竜は過剰ではないか、とアウリは思っている。
「そいつだけなら何よりだ。それで、どうするんだ? 火翼竜でどこかの街を滅ぼすのか?」
「……滅ぼさない。ヴァイちゃんに王都の近くまで運んでもらう」
「ご安心を。ヴァイちゃんに乗れるのはプルクラ様と私だけですので」
何をどう安心しろと言っているのか分からないが、ようやくジガンにも話が飲み込めた。要するに、一人で行かせてもらえないプルクラは、姿を消せる火翼竜にアウリと乗って王都に行くと言っているのだ。そこで目印になる場所を記憶に留め、ファルサ村に戻って皆を転移させるつもりなのだ。
「アウリ、毛布と綱を――あれ?」
違和感に気付いたプルクラが、肩に乗っている、というかぎりぎり爪が引っ掛かってぶら下がっているだけのルカインを腕に抱いた。
至近距離に火翼竜が現れた驚きで、ルカインは白目を剥いて気絶していた。
火翼竜のヴァイちゃんの背に跨り、飛び去って行くプルクラとアウリを見送りながらクリルが呟く。
「……寿命が縮まりました」
「あんなに近くで火翼竜を見たの、初めてだよ」
ジガンがほっと息を吐きながら零す。
「プルクラさんには驚かされてばかりです」
腕に抱いたルカインを無意識に撫でながら、クリルが口にした。
「そうだなぁ……。ま、飽きねぇよな」
「飽きない……確かにそうです」
「プルクラがどこで暮らしてたとか、父親のことは聞いたか?」
「いいえ」
「ま、そのうち分かる。別に隠してるわけじゃないみてぇだから、単に話す機会がないだけだろう」
「そうですか……ジガンさんはどうしてプルクラさんたちと?」
「…………成り行きだな、完全に」
今思えば、あの時プルクラは黒竜の森から初めて外の世界へ出てきたのだ。つまり、ジガンは外の世界で出会った人間第一号である。
そう考えると、自分がプルクラに関わるのは当然のことに思えた。彼女を教え導くことが自分の責務に思えた。少なくとも彼女が自分を「師匠」と呼んでくれている間は。
「危なっかしくて目を離せねぇけど、いい子には違いない。アウリもな。小憎たらしいけど」
「それだけジガンさんに気を許しているのだと思います。少し羨ましいです」
「本気か? あいつ、気分で呪ったりするんだぞ?」
「……それは……嫌ですね」
クリルはまだプルクラが本気で戦っているところを見ていない。御力が通用しないから、自分より格上だろうという認識に留まっている。
それでも、出会ってまだ一週間足らずでプルクラに心酔しかけていた。白金級討採者を軽くあしらい、火翼竜を手懐ける少女。自由奔放なのに人見知り、茶目っ気があり優しい。たった十五年で形成されたとは思えない少女。プルクラを見ていると、年齢など只の数字でしかないと思える。
「ねぇ、姐御があれに乗って行ったように見えたんだけどぉ?」
火翼竜が現れてから村の南門まで後退していたファシオたちが戻ってきた。
「お前ら、まだいたんだ」
「いるわよっ!」
「消えるなら今のうちだぞ? あいつの近くにいると厄介事に巻き込まれる頻度が異常だからな」
「……いいえ、私は姐御の近くにいたいのよぉ」
「そうか。ま、それならそれでいいさ」
もう火翼竜の姿が見えなくなった空を見上げながら、ジガンはそう呟いた。
「プ、プルクラ様!? もう少しゆっくり飛ばせませんか!?」
「ん? 速過ぎる?」
「はいぃぃぃ!」
ごつごつした鱗の上に畳んだ毛布を敷き、胴体に巻き付けた綱で一応の安定を図っているのだが、火翼竜の飛行速度は尋常ではない。自分たちの前に障壁を張って風の影響を遮っているが、後ろに飛び去る風景はどうしても目に入る。
加えて、アウリは高所恐怖症であった。だからヴァイちゃんに乗るのは嫌なのだ。しかしプルクラを一人にするわけにもいかず、泣く泣く同行している。
「もうちょっとで着く。我慢出来る?」
アウリは逡巡する。速度を落として恐怖を少し抑える代わりに時間が伸びるのと、短い時間で恐怖を終わらせるのはどちらが良いだろうか。
「……我慢します」
「ん。もうちょっとだから」
ファルサ村から王都シャーライネンまで、直線距離にして約800ケーメル弱。途中に小さな森や川、山があるが空を飛んでいるので関係ない。火翼竜なら一刻半(三時間)もかからない距離である。
隠蔽を使っているので目撃される可能性は極めて低い。目撃されれば大騒動間違いなしである。王国騎士団一個大隊が出動する事態だ。そのくらいはプルクラにも分かっているので、ファルサ村を飛び立ってからすぐに隠蔽を使うように頼んだ。
ヴァイちゃんの知能がいくら高いと言っても、完全な意思の疎通が出来るわけではない。ただ、頻出する単語についてはちゃんと理解しているようだった。そうでなければ背に乗って王都を目指せない。
背中にアウリの温もりを感じつつ、腰に回された腕に入る力加減でアウリの限界が近いと理解したプルクラは、「竜の聲」を使ってこっそりヴァイちゃんに速度を上げるよう頼んだ。
「はぁ、はぁ……」
アウリにとっての恐怖の時間がようやく終わった。肉体的な疲労はないが、精神的な疲労と恐怖で立っているのも困難な程である。
「アウリ、休んでて」
「はい……」
アウリに肩を貸して木陰に座らせたプルクラは、火翼竜から毛布と綱を回収して自分の拡張袋に収納した。
「ヴァイちゃん、ありがと」
喉の辺りを少し強めに撫でると、雷鳴のようなごろごろ音がする。火翼竜の機嫌が良い時に鳴らす音。猫と似たようなものだ。
そこは王都シャーライネンの北門から、北へ二ケーメル離れた草原地帯。街道からも十分離れている。
「黒竜の森まで隠蔽して戻ってね?」
「ぐるるる」
地上で自らの体を隠蔽し、火翼竜が飛び立つ。真北に向かっているので、このまま森の棲み処へと帰るのだろう。
「ばいばい」
見えない火翼竜に向かって手を振り、プルクラはアウリの隣に腰を下ろした。
「プルクラ様、申し訳ございません」
「気にしないで」
森にいる時、何度か一緒に乗ったことはあったが、あの時はあまり高い所を飛ばなかった。だからアウリがこれ程怖がるとは思っていなかったのだ。
「ごめんね。次からは別の方法を考える」
「……恐れ入ります」
ジガンかクリルがヴァイちゃんに乗れればいいんだけど。慣れるまで時間がかかるだろうなぁ。
いやそれよりも、私が一人であちこち行くことを心配させないようにすればいい。何故心配するのかが分からないけれど。
しばらく木陰で休んでいるとアウリの顔色も良くなった。
「プルクラ様、もう大丈夫です」
「ん」
それから北門に向かって歩いて行く。王都の中より外に転移出来る場所を作った方が良い。道すがらそんな話をする。今から転移に良さそうな場所を街中で探すのが面倒だし、人が多い王都を歩き回るのも億劫だ。
北門から一ケーメルの辺り、街道から五百メトルばかり東に入った草原に、ごく小さな林があった。木は二十本くらいしか生えていない。その中心付近に直径十メトルほどの開けた場所があり、そこが丁度良く思えた。
レンダルからは自然物より構造物を目印にした方が良いと忠告された。無ければ作ればいい。
「『ペトラムルス』」
地面から幅二メトルの壁がそそり立ち、高さ三メトルほどで止まる。厚みは五十セメル(センチメートル)ほどだ。
「『ソルビアテム』」
不可視の刃が岩壁を削り取る。上辺の角を落として丸みを持たせ、真ん中を菱形に刳り貫いた。まるで何かの記念碑のようだ。自分で作ったので明確に思い浮かべるのも容易である。
「これを目印にする」
「さすがプルクラ様です」
「えへへ」
アウリから手放しで褒められてはにかむプルクラは、転移の腕輪を起動してアウリと共にファルサ村へ戻った。




