39 自重をかなぐり捨てた男
人為的に“お化け”を呼び出す? それは聞き捨てならない。
「つまり、誰かがあの霊魔を呼び出した?」
「そういうことです」
態々霊系を呼び出すなんて信じ難い。その誰かは頭がおかしいのではないだろうか。
「何の目的でそんなことをするんでしょう?」
「この魔法陣の痕跡だけでは目的までは分かりません。ただ……」
「ただ?」
途中で言葉を切ったクリルは、考えを纏めるかのように少しの間口を噤む。
「あくまでも私が受けた印象ですが、これは“実験”或いは“練習”の気がします」
レスタリア遺跡に限らず、遺跡というのは他の場所よりも霊系の出現率が高い場所である。大きな街にある墓地にも出現することはあるが、長い間人々から忘れ去られていた遺跡の方が出現しやすい。
各地に点在する遺跡は、クリルによれば神殿の跡らしい。討採者たちにとっては、遺跡とは過去の遺物が見つかる可能性のある場所だ。遺物には、希少な文献や装飾品の他、ごく稀に魔導具などもある。そういった遺物は高値で取引されるため、討採者の中には遺跡探索を主にしている者もいる。
レスタリア遺跡については、プルクラたちにももう分かっていることだが、過去に探索し尽くされて何も残っていないようだった。そのため訪れる討採者も殆どいない。だが、誰も訪れる者がいなくなると魔獣が住み着き、やがて近くの集落に被害を齎す可能性がある。そういったことを未然に防ぐため、討採組合や領主の私兵が年に一度くらいは遺跡を巡回しているのだ。
プルクラたちが受託した討採組合の依頼は、この巡回時に異変が感じられた結果出されたものだった。結局、その異変とは“霊魔”だったわけである。
「実験か練習……どうしてそう思うのですか?」
「魔法陣の効力を発揮させるための魔石が、どれも低品質です。全て魔力が失われています。これでは、プルクラさんが倒した霊魔を一体呼び出すのが精一杯でしょう」
このような人里離れた場所で森の魔獣に襲われる危険を負いながら、呼び出したのが霊魔一体では効率が悪過ぎる、とクリルは言う。
「そもそも、何で霊魔を呼び出したりするの?」
「“降霊”の魔法陣は、もともと戦争で使われていたものです。誰か個人を狙うようなものではなく、大きな都市の壊滅が目的です」
「都市の壊滅……」
霊系がうじゃうじゃと大挙して街に押し寄せる場面を想像して、プルクラがぶるりと全身を震わせた。その震えに気付いて「ぅにゃ?」とルカインが目を覚ます。プルクラは思わず隣にいるアウリの服の裾を掴んだ。
「お化けがいっぱい……」
「大丈夫ですよ、プルクラ様。ここにはいませんから」
涙目になってぷるぷると震えるプルクラを、アウリが優しく抱きしめて慰める。アウリの体温を感じて、プルクラの震えが治まった。
「つまり、この魔法陣は夥しい数の霊魔を呼び出せるようなものではない。だから、誰かが実験に使ったのではないか。クリル様はそうおっしゃっているわけですね?」
「そうです。実験……或いは練習だと思います」
練習……お化けをいっぱい呼び出す練習? 震えが治まったプルクラは徐々に怒りが込み上げてくる。お化けをいっぱい呼び出すなど言語道断である。
「……許すまじ」
このレスタリア遺跡で“降霊”の魔法陣を使ったのが誰にせよ、その目的が何にせよ、この世界がお化けで溢れるのは断固としてお断りである。そのような暴挙は許容出来ない。もちろん心の安寧のためだ。
「討採組合に報告して、討採者に注意を促してもらいましょう。特に遺跡を訪れる討採者に対して。運が良ければ犯人を捕縛出来るかもしれません」
「ん、それがいい」
それから三日間、プルクラたちはブルンクスの街でゆったりと過ごした。プルクラとアウリとルカインはレンダルの家で、クリルは遠慮して街の宿に寝泊まりした。
討採組合には“降霊”の魔法陣について知らせ、注意喚起を進言した。その後はレンダルが作っているプルクラの魔力を覆い隠す魔導具の試験をしたり、討採組合で日帰り出来る範囲で依頼を受託したり、プルクラとクリルで模擬戦をしたりして過ごした。
そして四日目。
「完成じゃ!」
早朝、レンダルの大声に何事かとプルクラたちが起きてくる。後ろからはのそのそとルカインも付いてきた。
「レンダル、おはよ」
「おはようございます、レンダル様」
「おはよーにゃ」
こちらを振り返ったレンダルの目の下には濃い隈が出来ていた。徹夜したらしい。
「プルクラ、完成したぞ!」
「……レンダル。無理しないでって言ったのに」
「むむむ無理なんてしとらんし」
ぷくっと頬を膨らませたプルクラから、レンダルはすぅっと視線を逸らす。プルクラはそっとレンダルの隣に座り「サナーティオ」と唱えた。レンダルの隈が消え、青白かった顔色に血の気が戻る。
「レンダルには元気でいてほしい」
「う、うむ。心配かけてすまんかったの」
「ん。それで、出来たの?」
「そうなんじゃ!」
レンダルが二つの魔導具を示した。
「この首飾りが魔力覆いの魔導具じゃ」
それは、細く華奢な鎖の先にプルクラの髪と同じ色の小さな石球があしらわれた首飾りだった。よく見ると、蜂蜜色の石球の下に、芥子粒のような大きさの黒い石球が半ばまで埋まっていた。
「蜂蜜色の石球の中に魔法陣を刻んでおる。黒い粒はニーグラムがお主を探せるように仕込んだものじゃ」
「かわいい。レンダル、着けて?」
そう言ってプルクラがレンダルに背を向ける。動きを邪魔しないよう、それでいて息苦しくないように長さを調節し、レンダルが着けてくれた。
「ずっと着けてていいの?」
「うむ。寝る時も風呂に入る時も着けてて大丈夫じゃ」
「分かった。レンダル、ありがと!」
プルクラが、蕾が開いたような笑顔をレンダルに向けた。自分が作った首飾り(魔導具)を孫が大層喜んでくれて、おじいちゃん冥利に尽きるレンダル。
「コ、コホン! で、転移の腕輪じゃ」
「……あんまり変わってない?」
「うむ。こっちの釦を小さくして二つに増やしたんじゃ。黒い方が森の小屋、白い方がこの家じゃ」
「ん」
「反対側の赤い釦が、行き先が決まっておらんやつじゃ。良いか、その場所をはっきりと頭に思い浮かべることが重要じゃ」
「ん」
「慣れるまでは何か目印を覚えておくといい。変わった形の建物とか」
「変な木、とか?」
「いや、木は成長して形が変わったり、何かで折れたりするかもしれん。なるべく形が変わらんものがいい」
「分かった。ありがと!」
転移の腕輪も左手首にはめてもらい、プルクラはレンダルに抱き着いた。可愛い孫が喜んでくれて、レンダルの感情は振り切れそうである。
「ゥゴ、ゴホンッ! それからこれは、プルクラとアウリ、二人にじゃ」
卓の下から、包みに入った物を二つ取り出す。それは腰帯に付ける小物入れのように見える。固い革の横長長方形で、プルクラが明るい茶色、アウリが落ち着いた青。蓋は留め金でしっかり閉じることが出来る。
「拡大袋じゃ。儂がこれまで蓄積した技術を全て詰め込んだ。容量は山二つ分くらいある」
「「山っ!?」」
「蓋を開いて、収納したい物に近付ければ自動で収納する。中に手を入れれば、入っている物が頭に思い浮かぶ。取り出したい物を思い浮かべれば出てくる。でかい物は出す時に注意するんじゃぞ?」
「「すごいっ!!」」
大魔導レンダル・グリーガンが自重をかなぐり捨てて作り出した逸品。大陸のどこを探しても、これ程の性能を持つ拡張袋は存在しない。ちなみに使用者制限付き。愛する二人の孫が喜んでくれるのならば、戦略級軍需物資を作り出すことに躊躇はない。それがレンダル・グリーガンという男の生き様であった。
「レンダル!」
「レンダル様!」
孫に左右から抱き着かれて、レンダルは夢心地である。悦びの余り興奮し過ぎて遥か高みへと昇ってしまわないか心配だ。
一頻り至福の時間を堪能し、アウリによって用意された朝食を摂った後、孫たちの強い勧めでレンダルはひと眠りすることになった。
魔導具が完成した二日後。徹夜続きだったレンダルもすっかり元気を取り戻したので、プルクラたちは出発することにした。まずはジガンと合流するためにファルサ村へ行く。作ってもらった「転移の腕輪」を試す良い機会だ。レンダルにはなるべく頻繁に顔を出すと約束し、一時の別れを告げた。
家の裏手に移動して、プルクラはファルサ村で借りた家を思い出す。アウリと共に三週間近く暮らした。土間が広く、部屋が三つあり、二人で寝起きするには広すぎる家だった。プルクラが黒竜の森以外で初めて寝起きした家。領都オーデンセンに向かってファルサ村を発ってから、まだひと月も経っていない。
「転移する。近くに寄って」
アウリとクリルがプルクラを挟んで密着した。ルカインは定位置である肩の上だ。
プルクラは、アウリと暮らした家の土間を明確に思い描いた。腕輪の赤い釦を押して魔力を通せば、足元に複雑な文様が浮き上がる。
次にその魔法陣に魔力を流すと、青白い光の柱が立った。そして一瞬の浮遊感の後、先程思い描いた土間に移動していた。ただ、窓や扉を閉め切っているため暗い。
「にゃ、にゃ、真っ暗にゃ!?」
最も夜目が利きそうなルカインが一番動揺していた。プルクラたちは慌てずに瞼を閉じ、暗闇に目を慣らす。
ぼんやりと物の形が分かるようになると、プルクラが玄関に当たる扉を開いた。アウリは窓の木戸を開けていく。
左手にはジガンの家が見える。無事に転移出来て、プルクラはほっと息を吐いた。安心したのも束の間、少し広くなったジガンの家の前で、桃色の髪をした少女がジガンに縋っているのが見えた。
「ねぇ、お願い!」
「だから断ってるだろうが」
そんな二人の声が聞こえてきた。プルクラはルカインを肩に乗せたまま家から出てそちらの方へ歩いていく。
「ジガン、彼女できた?」
「プ、プルクラ!? 冗談でもそういうこと言うのやめろ!」
「むっ」
「……お前、どこから出てきた?」
「お家」
プルクラとアウリが借りている家から、アウリとクリルが出てきた。
「八日ぶりですね、ジガン様」
「あー、元気そうで何より。ところでその男は? どこで拾ってきたんだ?」
ルカインと同様、クリルもどこかで拾ってきたとジガンは思っているらしい。
「ジガンさん、はじめまして。クリル・サーベントと申します。縁あって、プルクラさんたちと旅を同行したく付いて参りました」
「これはご丁寧に。ジガン・シェイカーだ。えーと、一応プルクラに剣を教えてる」
ジガンが自己紹介すると、桃髪の女が吼えた。
「何よそれっ!? 私には教えてくれないのに、プルクラって子には教えてるわけ!? そんなのずるいじゃない!!」
そう言いながらジガンの腕に縋りつく。ジガンはとても酸っぱい物を無理矢理口に詰め込まれたような、嫌そうな顔になっていた。
「あのなぁ。何遍も言ってるが、俺が誰に剣を教えるかは俺が決めるの! お前が決めるんじゃねぇっつーの!」
「ジガンは私のししょー。でも独り占めするつもりはない」
「お前、そこは嘘でも『私の師匠はあげない』って言えよ……」
「ほらほら! その子も言ってるじゃない!」
「……ジガンは私のししょー。私のししょーはあげない」
棒読みではあるが、どうやらジガンが本気で嫌がっているようなので、プルクラは一応言われた通りに言ってみた。棒読みではあるが。
「ジガン様、モテモテですね?」
「ちげーよっ!?」
アウリもちょっかいを出し始め、場が混沌としてきた。
「あーもう! じゃあ、私がこの子を倒せば剣を教えてくれるわね?」
「何でそうなるのかさっぱり分からん」
「ししょーは渡さない」
「あれ? プルクラ、こいつとやる気か?」
「ん。弟子として、困ってるししょーは見逃せな……間違えた、見過ごせない」
「お前、楽しんでるよねっ!?」
アウリとクリルの後ろに、いつの間にか紫髪の大男と魔術師帽の女が立っていた。その四人が顔を背けて肩を震わせている。
「お前らも、笑いを堪えてんのが見え見えなんだよ!」
ジガンが顔を真っ赤にして喚き散らす。
「ジガン、大人げにゃいにゃ」
「むきーーーっ!」
「ジガン、落ち着いて。大丈夫、誰がジガンの弟子に相応しいか、この人に分からせてあげるから」
プルクラの言葉に、桃髪の女――ファシオの目が剣呑な光を帯びた。
「やっぱり生意気ね。いいわ、分からせてやる!」
ファシオが二本の短刀を抜いて、いきなりプルクラに襲い掛かった。




