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38 レスタリア遺跡、再び

 クリルが仲間になった翌日、彼は早速洗礼を受けていた。具体的には、ブルンクスまで身体強化四倍で長距離走を強いられていた。


「ひぃ、ひぃ、ちょ、お二人とも、ちょっと待って……」


 レーガインを出発して半刻ほどで、クリルが音を上げた。プルクラとアウリは足を止め、クリルが追い付くのを待つ。


「ジガンより優秀」

「そうですね。ジガン様は四分の一刻で一度倒れましたから」

「全く、クリルも不甲斐にゃいにゃ」

「お黙りなさい駄猫。プルクラ様にしがみついているだけのくせに」

「しがみつくのも大変にゃ!!」


 プルクラ、アウリ、ルカインの会話に、クリルは参加する余裕がない。地面に腰を下ろし肩で息をしている。プルクラがクリルに水筒を渡した。クリルは黙ってそれを受け取り、喉を鳴らして飲み下した。


「ちょっと休憩しよ」

「そうですね」


 まだまだ春の陽気だが、少し湿った空気に夏の気配が含まれている。通行する人や荷車の邪魔にならないよう、街道の端に並んで腰を下ろした。


「あの、お二人はいつもこんな速さで走っているのですか?」

「いつもじゃない」

「ジガン様がご一緒の時は三倍、でしたでしょうか?」

「ん」

「普通はこれほど長時間身体強化を使えないんですが」


 クリルの言葉に、プルクラとアウリが目を丸くする。


「そうなのですね……」

「……初めて知った」


 身体強化は魔術の一種だから、その使用には当然魔力を必要とする。プルクラの魔力量は人外なので置いておくとして、アウリはそこまでの魔力量を持っていない。しかし、彼女は必要な部位にのみ身体強化を掛けることで魔力を節約している。そのため長時間走ることが可能であった。アウリがプルクラと一緒に行動したい一心で身につけた技である。


「でもジガンは何も言わなかった」

「それもそうですね」

「ジガンさんという方は、とても向上心が強いのでしょう」


 クリルの言葉は割と的を射ていた。ジガンは負けず嫌いなのである。ただ最近は、プルクラの規格外っぷりを目の当たりにして、それを目指すのは早々に諦めただけだ。主に体力的な問題で。


「クリル、二倍なら行けそう?」

「……時々休憩をいただければ」

「ん、分かった」


 この後、身体強化二倍で走り始めた一行だが、ルカインも強制的に走らされることになった。半刻に一度は休憩しながら進み、夕方にブルンクスの西門に到着した。門を潜り抜けたところでルカインを抱き上げる。


「……ルカ、縮んだ?」


 元々子猫の大きさだったが、ひと回り小さくなった気がする。


「ま、魔力の使い過ぎにゃ……」


 ルカインは魔力を使い過ぎると縮むらしい。新発見である。魔力が回復すると元に戻るそうだ。


「クリルは大丈夫そう。ジガンは痩せちゃったけど」

「そうでしたね。そう言えば、クリル様はおいくつなのですか?」

「ぜぇ、ぜぇ……三十歳、です」

「ジガン様は四十一でしたか。十以上違えば体力の差は相当あるのでしょうね。あ、私は十七、プルクラ様は十五歳です」


 クリルはプルクラのことを十二~十三歳だと思っていたが、アウリの言葉に反応できなかった。疲労でそれどころではない。


「アウリ、お風呂入りたい」

「そうですね。レンダル様のお家……いえ、クリル様もいらっしゃいますから公衆浴場へ行きますか?」


 ブルンクスの街には公衆浴場がいくつかあり、プルクラもそれがどういうものか知っている。大きな浴槽があり、大勢の人が一度に入れる広い風呂だ。大勢の、知らない人が。

 そんな場所へ行くには勇気がいるが、クリルも初めて訪れるレンダルの家でいきなり風呂を借りるのは気が引けるだろう。


「……ん、そこに行こ」


 疲れ切ったクリルにこっそり「サナーティオ(癒し)」を掛け、歩調を合わせて公衆浴場へ向かった。到着する頃にはクリルも元気が出てきたようである。男性と女性に分かれた入口の前で、プルクラが困ったように立ち止まった。


「……ルカは男の子? 女の子?」

「妖精に性別はにゃいにゃ。強いて言うなら女の子寄りにゃ」

「プルクラ様。ルカインは入れないと思うのですが」


 プルクラとルカインが衝撃を受けた顔になった。公衆浴場で猫が浴槽に浸かっていたら色々と拙い。客の中にルカインが見える人がいたら、さすがに騒ぎになるだろう。


「……ルカ、一人で待てる?」

「待てるにゃ!」

「知らない人が居ない時は一緒に入るから」

「にゃ!」


 妖精に入浴は不要だが、一人だけ仲間外れは可哀想だと思ったプルクラは、機会があれば一緒に入ろうと約束した。

 プルクラがルカインを地面に降ろすと、彼女(?)は浴場の屋根に駆け上り、そこで丸くなった。


「では私も入ってまいります」


 クリルが男性の入り口へ消えていく。


「プルクラ様、大丈夫ですか?」

「ん」


 アウリの背中に隠れるようにして、プルクラも中へ入った。すぐ受付があり、番をしている女性に二人分の入浴料、大銅貨一枚をアウリが支払う。替えの服や下着、タオルなどはアウリが常に拡張袋に入れてあるので心配ない。

 脱衣所には誰もいないが、休憩所では中年の女性が二人ほど涼んでいた。プルクラは思ったより人が少なくて安堵する。


 汗を吸った服はアウリが出した布袋に入れた。後でまとめてアウリが洗濯するのだ。プルクラも洗濯くらい出来るが、人力である。「竜の聲」はあまり繊細な作業には向かない。アウリはレンダル直伝の洗濯魔法を習得している。プルクラの洗濯物を洗うことはアウリにとって喜びの一つであった。


 磨かれた石が張られた浴場の床をぺたぺたと素足で歩き、湯の出る蛇口が並んだ所へアウリと並んで座る。洗髪液で髪を洗い、整髪油を髪に馴染ませてからすすぐ。洗体石鹸をタオルに擦り付けて泡立て、体を洗った。


 ふと隣を見ると、アウリの体が目に入る。十七歳のアウリは、もう大人と言って良い体つきだ。プルクラは自分の体を見下ろす。胸は決して小さくないが、アウリのように大きくもない。お腹は板のように平らだ。


「アウリ。お胸、邪魔にならない?」

「邪魔です。晒が手放せません」


 大きな胸が女性の魅力の一つであることはプルクラも知っている。物語に登場する男性はだいたい胸の大きな女性が好きなのだ。

 プルクラは自分の胸を両手で包み、持ち上げて思案顔になる。


「んー……今くらいでいっか」

「プルクラ様は今でも十分魅力的ですよ」

「ありがと。アウリもとても綺麗」

「……ありがとうございます」


 急に恥ずかしくなったのか、アウリは自分の胸を両腕で隠して少し体をずらした。


 体に付いた泡を洗い流し、二人で浴槽に浸かる。他に浸かっているのはお婆ちゃんとその孫らしき女の子だけだ。離れた所にいるのでプルクラも気にならない。


「ふぃぃぃ~」

「ふぅ~~~」


 肩まで湯に浸かると思わず出た声が重なった。身体強化を使っても疲労はする。水圧が下半身の筋肉を程良く刺激して、疲れが湯に溶け出していくようだ。

 のぼせないうちに湯から出て、脱衣所で髪と体を拭き、清潔な下着と服を身に着けた。裸足のまま休憩所に移動し、魔導保冷庫で冷やされている果実乳を購入する。酸味と甘味が絶妙な塩梅の果実乳は、少しとろみがあって喉越しがいい。キンキンに冷えているので火照った体に嬉しかった。


 少し涼んでから、靴下とブーツを履いて浴場の外に出る。すかさずルカインが降りてきてプルクラの肩に乗った。一生懸命プルクラの髪の匂いを嗅いでいる姿は猫にしか見えない。


「ルカ、お待たせ」

「にゃ」


 すぐにクリルも出てきた。少し眠そうだが、さっきよりは元気そうだ。


「お待たせしました」

「私たちも今出てきたところですよ」

「ん」


 体と気分がすっきりしたところでレンダルの家に向かう。彼のことは、道中でクリルに説明済みだ。


「レンダル、ただいま」

「レンダル様、ただいま戻りました」


 バタバタと足音がして、レンダルが玄関で出迎えてくれた。


「おかえり、二人とも! 随分早かっ……また男を連れてきたのか?」


 レンダルはプルクラとアウリの後ろに控えた、柔和な笑顔を浮かべたクリルにじっとりした視線を向けた。前回はジガンを連れてきたので、レンダルにとっては帰って来る度に孫たちが違う男を連れてくるように感じる。


「レンダルさん、はじめまして。クリル・サーベントと申します。巡礼神官の任期を終えたところでプルクラさんたちと会い、旅の同行をお願いした次第です」

「レーガインで会った」

「クリル様は審問官も兼任されていて、実力も申し分ない方です」

「ふぅ~ん。で、プルクラとアウリ、どっちを狙っとるんじゃ?」

「「「「え?」」」」


 プルクラ、アウリ、クリル、ついでにルカインがぽかんとした顔になった。大人であるクリルが真っ先に立ち直り、レンダルに告げる。


「そのような気持ちで同行をお願いしたのではありません。純粋に、お二人と旅をしたくなったのです」

「純粋に、ねぇ。ふぅ~ん」


 レンダルは純粋とは程遠い目でクリルをねめつける。「孫はやらんぞ」と呟きながら背を向け、三人を迎え入れた。


 アウリが魔導焜炉の前に立ち料理を始める。その横にクリルも手伝いに立った。彼はずっと一人で旅をしていたので料理も得意なのだ。一人暮らしなのに料理が不得手なジガンとは大違いである。


「プルクラ。“聖化”武器は手に入ったかの?」

「ん。クリルが“聖化”してくれた。クリルは浄化魔術も使えるから百人力」


 なるほど。霊系と戦闘になったら任せるためにクリルの同行を許したのか。“お化け”が苦手なプルクラらしい理由に納得するとともに、ほっと胸を撫で下ろすレンダルである。

 ジガンは剣術を教えてもらうため。クリルはお化けの盾にするため。単純明快だ。


「あと、遺跡にも詳しい。色んな遺跡に案内してもらうつもり」

「それは楽しみじゃの」

「ん!」


 それからレンダルは魔導具作りの進捗について話した。プルクラの魔力を隠蔽する魔導具はほぼ完成して、後は実際に装備して具合を確かめるだけ。


「転移なんじゃが」

「ん」

「改造自体にそれほど時間はかからん。ただ、距離に応じて必要な魔力量が違うから、遠くへ転移した直後の戦闘は厳しいかもしれん」

「ん、気を付ける」

「目的地が遠い場合は何回かに分けて転移するのも一つの方法じゃ」

「なるほど」

「あと人数が多い場合もじゃな」

「わかった」


 プルクラと共に一度で転移出来る人数は最大六人程度。それ以上は複数回に分ける必要がある。


「あと、これが一番大事なことなんじゃが」

「ん?」

「ニーグラムには内緒にしておくれ」

「なんで?」

「知れば絶対あいつも欲しがる。黒竜があちこち転移で現れたらえらいことじゃ」


 よく意味が分からず、プルクラがこてんと首を傾げた。


「例えば、じゃ。お主がどこかの貴族と揉めたとする。その現場にニーグラムがいたら、貴族どころか領地ごと消されかねん」


 プルクラは、リーデンシア王国の王都シャーライネン近くで騎士たちと揉めたことを思い出した。もしあの時父がいて騎士の横暴に機嫌を損ねたら、王都がなくなっていたかもしれない。


「ん。内緒にする」

「うむ、頼んだ」


 そんな話をしているうちに、料理の良い匂いが漂ってきた。


「出来ました!」


 アウリとクリルが料理を運んでくれる。二人が仲良しに見えて、プルクラは少し嫉妬した。アウリは私のお姉ちゃんなのに。そんな気持ちも、美味しそうな料理が目の前に並ぶと消し飛んだ。


 赤鳥の香草焼き、金色鮭と茸のシチュー、生野菜のサラダ、ふわふわの白パン。サラダには植物油と酢、果物を使ったドレッシングがかかっている。


「「「「「いただきます」」」」にゃ!」


 四人と一匹は、お喋りをしながら美味しい夕食を楽しんだ。





 翌朝。


「もう一回レスタリア遺跡に行きたい」


 霊魔を倒したはいいが遺跡の探索は全く行っていなかった。もう一度訪れる前に、念の為“聖化”武器を手に入れたいとレーガインに向かったのである。


「行きましょう。そもそもそれが目的でしたもんね」

「ん」

「私も行ってよろしいでしょうか?」

「もちろん。クリルは絶対来るべき」

「ウチも行くにゃ」


 お化けが怖いから、とは口にしない。レンダルに行き先を告げてから再度レスタリア遺跡へと出発する。

 今回は場所も分かっているため、身体強化は二倍弱に留め、休憩も挟みながら比較的ゆっくりと向かった。


 ルカインと出会った場所を過ぎ、二匹の馬頭と遭遇した森の手前には出発から半刻で到着した。


「クリルの武器は何?」

「私はこれです」


 プルクラの問いに、クリルは握り締めた拳を見せる。彼は素手で戦うらしい。素手でお化けとやり合うなんて凄い、とプルクラは感心した。実のところ、霊系と出くわすことは滅多にないのだが。


 クリルの戦い方を見るために先頭を進んでもらう。前回来た時と同様、遭遇する魔獣や頻度におかしな点はない。ちなみにクリルは全ての魔獣を一撃で仕留めていた。体に沿って薄く障壁を張りながら戦うので、全身鎧を纏っているようなものだ。彼の武術はプルクラにとっても学ぶべき点が多いと感じた。


 そして石の円柱が並んだ場所に辿り着く。


「前はここに霊魔がいた」


 プルクラが霊魔と戦った場所を示す。前回のような異変は感じない。何か目ぼしい物がないかと周辺を探索していると、クリルが声を上げた。


「プルクラさん、これを見てください」


 それは、崩れかけた円柱の見えにくい部分に描かれた紋様だった。


「魔法陣?」

「はい。もしこれが私の知っているものなら……」


 そう言って、クリルは並んだ円柱を順番に確かめる。プルクラとアウリはその後ろを付いて行った。ルカインはプルクラの肩で大人しくしている。


「やはり五か所ありました。一部消えているのは戦闘の影響でしょう」


 プルクラたちはクリルが言葉を続けるのを待つ。


「これは“降霊”の魔法陣です。人為的に霊魔などの霊系を呼び出す魔法陣で、ごく最近描かれたものと思います」

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