13 災禍の訪れ
ファルサ村から西へ約十五ケーメルの場所に、ベルサスという村がある。ファルサ村もそうだが、ベルサス村はリーデンシア王国とランレイド王国との国境に近い。両国は黒竜の森から流れ出るイージレンド大河によって南北に隔てられている。実質この河が国境線だ。
ジガンは村の男性ラレドと一緒に六つ脚驢馬が曳く荷車に乗り、このベルサス村に向かっていた。ファルサ村で収穫した野菜や果物と、ベルサス村で育てられた鶏や豚の肉を交換するためだった。ジガンはラレドと荷の護衛として同行している。ファルサとベルサスを結ぶ道は比較的安全だが、魔獣が全く出ないわけではない。と言っても今日は全く魔獣と出くわしていないので、ジガンは暇を持て余していた。
だが、ファルサ村を出発して一刻。間もなくベルサス村が見えてくるという所で、道の先から六つ脚驢馬に跨ってこちらへ向かってくる男がいた。
「おぉーい! こっちに来るな! 戻れ!」
男性の顔は青褪めていた。そして、必死に片腕を振ってジガンたちに引き返すよう叫んでいる。ジガンは荷車から降り、ベルサス方面からやって来た男を待ち構えた。
「おい、何があった?」
「もう滅茶苦茶だ! 角が生えた大男と体が腐りかけたような奴らが村に……ベルサス村に突然やって来て、村人を殺し始めたんだ……!」
男性は何度も後ろを振り返りながら話し始めた。
「大丈夫だから落ち着け。盗賊なのか?」
「分からん。兎に角近くにいる人間を殺してた……俺は怖くなって……」
「他に何かないか?」
「……そう言えば、大男が何度も叫んでた。『ゴグリュウノムズメ』って。意味は分からんが」
ジガンたちと話したことで、ベルサス村の男性は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「俺は様子を見てくる。ラレド、その男とファルサ村に戻って村長に今の話を伝えてくれ」
「分かったが……一人で大丈夫か?」
「なぁに、ちょっと見てくるだけだ。手に余りそうなら俺も逃げるさ」
ラレドは六つ脚驢馬を操って元来た道を引き返す。ベルサス村の男性は文句も言わずラレドに付いて行くようだ。今は一人になりたくないのだろう。
(角が生えた大男……特徴だけなら鬼人族だが)
鬼人族は人間より随分と大きく強い種族だが、こちらから攻撃しない限り襲ってこなかったと記憶している。元来温厚な種族なのだ。
(腐りかけって何だ? 屍鬼か?)
屍鬼は人間の遺体に悪しき魂が憑依したもので、人間に害意のある個体は“魔獣”に分類される。こちらは見た目と臭いが悍ましいだけで強くはない。ただ数が多いと脅威になる。
(まぁ見てみないことには何も分かんねぇよな)
ジガンは鞘に入った長剣を握り、身体強化十倍を発動した。これで走れば数分でベルサス村に着く。
ベルサス村の人々を救えるなら救いたい。それが出来なくても、その災禍がファルサ村に及ばないように手を打ちたい。地面を強く蹴り、ジガンは走り出した。
*****
時は丸一日遡る。
北のランレイド王国と南のリーデンシア王国は今のところ友好国で、イージレンド大河に架けられた四か所の橋によって盛んに交易が行われている。勿論、橋の両側には入国審査の検問所があり、入出国には正規の手続きが必要である。
ところが、正規の手続きを踏まずに両国を行き来する不埒者も一定数存在した。
その中で国境警備担当の兵や騎士たちを悩ませているのが「盗賊団」である。
「お頭ぁ、今回もがっぽり儲かりましたねぇ」
「アア。首尾ハ上々ダ」
リーデンシア王国側の拠点へ逃げ延びてきた「鉄鬼団」は、現在最も危険視されている盗賊団の一つ。頭目は鬼人族と人間の混血で、身体強化十倍以上の膂力を持つ。およそ五十名で構成され、下調べ、見張り、襲撃、逃走経路確保と役割を分担し、非常に統率の取れた盗賊団であった。
狙うのはランレイド王国南部全域の富裕な商人。襲撃すると若くて器量の良い女性以外は使用人から家族まで皆殺しにする。そして素早く大河を渡り、南のリーデンシア王国まで逃亡するのだ。
今回はランレイド王国南西部にあるクルサドという街で宝飾品を商う商家を襲った。鉄鬼団が二か月ほど遊んで暮らせる金と若い女二人が収穫である。
「お頭、味見が終わったら俺たちに回してくだせぇよ?」
「前の女たちはひと月もたなかったからなぁ」
「犯りたくてたまんねぇよ」
洞窟内とは思えないほど快適に整えられた空間に、男たちの下卑た声と欲が充満する。幸か不幸か二人の女は気を失ってまだ覚醒に至っていない。
「目ヲ覚マシタラヤル。シバラク待テ」
「ひっひっひ。分かってやすよ」
「お頭ぁ!!」
突然、洞窟の入口付近を見張る者が血相を変えて飛び込んできた。
「おいおい、お前たちの番はまだずっと後――」
「それどころじゃねぇっす! おかしな野郎が来て二人殺られました!」
「何ダト?」
鉄鬼団頭目ガルダントが立ち上がり、二百五十セメル(センチメートル)に迫る巨躯から怒気が放たれる。鬼人族の象徴である角こそ生えていないが、全身を覆う筋肉は正しく“鬼”だった。
傍らに立て掛けてあった刃毀れだらけの大剣を引っ掴み、巨躯に見合わない速さで洞窟の入口へと向かう。盗賊団では力こそ全て。舐められたらそこで終わりだ。鉄鬼団に喧嘩を売るということはガルダントが見縊られているのと同義。
子分を守るなどという意識は微塵もない。ただ自分を侮った相手を後悔させながら甚振り殺す。背骨を折り、手足を引き千切り、眼球を刳り貫いてから殺してやる。
ガルダントが敵の殺し方を考えながら洞窟入口に辿り着くと、そこにはかつて子分だった者たちが地面に染みを作っていた。正確な人数は分からないが、恐らく二十人は殺されたようだ。
「あがぁぁあああ……」
そして今も一人死んだ。入口から差し込む僅かな月光が侵入者の輪郭を浮かび上がらせている。侵入者は黒っぽいフード付きの外套を着込んでおり、男か女かも分からない。
珍妙なのは子分の死に様だ。侵入者がそいつに手を翳すと全身が溶け落ちた。服や装備はそのままで、肉と骨が溶けたのだ。
「魔術師カ?」
ガルダントの呟きに、侵入者がこちらを向いた。洞窟内の篝火が侵入者の目に反射する。目深に被った頭巾の奥で目が赤く光っていた。
「美味そうな怨嗟の匂いがしたからな。ここでは百人を超える女が死んだだろう?」
男とも女とも取れる侵入者の声は、耳にするだけで不快だった。
「オ前ハ何者ダ」
「中々良い素体だ。あの忌々しい黒竜の匂いが染み込んだ娘に宛がうのに丁度良い」
「何者ダト聞イテイル!」
侵入者が徐にフードを後ろへ払った。
「バ、化ケ物……」
目から上は狼、ただし赤く光る目が四つ。鼻から下は軟体動物の触手が蠢いている。ガルダントに翳した右手は人間の手。だらりと下ろした左手は昆虫の足。
「ほう、お前には私が化け物に見えるのか。この姿はお前の心の内を映しているのだよ」
抗い難い力に、ガルダントが膝を突く。侵入者が音もなく近付き、懐から紫に光る球を取り出した。それを昆虫の足でガルダントの口にこじ入れる。
「“ヌォル”の名に於いて命ずる。“異態玉”を取り込みし汝は“偽魔王格”へと至った! 南東へ行き黒竜の娘を殺せ!」
「……仰セノママニ」
立ち上がったガルダントの体は三メトル(メートル)を超え、筋肉は二回り以上太くなり、額から一本の角が生え、伸びた犬歯が口端から覗いていた。
刃毀れだらけの大剣を拾い上げ、悠々と洞窟を出て行く。その後ろを、目が血走り口から涎を垂らした子分たちが追う。
(娘が無残に死ねば、あの黒竜はどんな顔をするかな?)
ヌォルの分体は黒い霧のように消える。洞窟には、気を失ったままの女二人と、かつて人間だった溶けた肉塊だけが残された。
*****
ファルサ村に来て二週間が経つ。
「プルクラぁ、相手してくれ!」
「剣教えてよー!」
「早く、早く!」
「……仕事は終わった?」
「「「終わった!」」」
レノ、ダレン、ギータは毎日のようにジガンの家へやって来る。そして今日はジガンがいないため、三人の相手はプルクラに押し付けられた。
陽が昇り始めた早朝から昼前まで、プルクラはジガンから剣術の指導を受けていた。指導と言っても、ジガンの剣を延々と受けるだけである。身体強化を禁止され、素の力だけで受けるのが指導を受ける条件だ。
昼過ぎには男の子三人組が来る。週に二度ほどは大人の男性も何人か来る。殆どはジガンが剣を教えるのだが、最近は男の子たちの相手をプルクラが受け持つようになった。三人揃って打ち込んで来るのを、身体強化なしで捌くのである。
三人は二年ほどジガンから剣術を習っているので、腕前はそれなりだ。時折鋭い攻撃が飛んで来る。反撃せず、それを延々と受け流す。
二週間、ほぼ毎日顔を合わせるので、プルクラも三人には慣れた。
九歳のレノは遠慮なくずけずけとプルクラに迫ってくる。魔力はとても淡い緑色で、体のあちこちを跳ね回っている。
十歳のダレンは甘えん坊。淡い桃色の魔力が体内で渦を巻いている。
十一歳のギータは他の二人の面倒を見ようと思っているが、興味のあることが目の前にあると忘れてしまう。淡い黄色の魔力は動きがゆっくりだ。
ニーグラムの魔力は美しい金色。それを見ようと集中すれば目が眩む程で、絶えず物凄い速さで体を巡っている。
レンダルは濃い緑色。穏やかに体内を巡回する。アウリは綺麗な青で、体内魔力量はレンダルより多い。鼓動するように体内で収縮を繰り返している。
ジガンはレノに似た淡い緑色で、魔力量はかなり少ない。だが体の隅々まで無駄なく行き渡っている。
プルクラには、各人の魔力がそんな風に視えていた。五歳くらいまでは制御出来なかったが、七歳になる頃には意識して視ないようにも出来た。
自身の魔力は真っ白に視える。そして忙しなく全身を駆け巡っていた。もっと自然に、もっと勢いよく、父のように巡れば良いのに、と思っている。
レノたちの相手をしながらそんなことを考えていると、村の北門がざわつき出した。あれは……ジガンと一緒に隣村へ向かった、確かラレドという人だったか。彼と見覚えのない男が村長や他の村人に向かって大声で話していた。
「だから! 本当に恐ろしい奴なんだよ!」
「村長、避難も考えるべきかもしれない」
「そんな大袈裟な……」
「あっという間に五人殺されたんだぞ!? 悠長なこと言ってる場合じゃねぇんだ!」
興奮した男の声が大きくて、木剣を握ったまま様子を見に来たプルクラとアウリ、三人の男の子たちの耳にもはっきり届いた。
「ジガンが見に行ったんじゃろう?」
「手に負えなかったら戻って来ると言ってた」
「ならジガンが帰ってから考えても遅くないじゃろう」
「あの鬼、訳の分かんねぇことをずっと口走ってやがった。『ゴグリュウノムズメ』、『ゴグリュウノムズメ』って何度も。大剣を人に向かって振り下ろしながら」
プルクラはアウリと顔を見合わせた。「ゴグリュウノムズメ」……「黒竜の娘」? それなら自分のことだ。
「行ってくる。アウリ、後から来て」
言うや否や、プルクラは村の北門を飛び出した。
「プルクラ様っ、それ木剣ですよ! それにジガン様の居場所、ご存じなんですかぁ!」
プルクラの姿は既になく、アウリの叫びは届かなかった。アウリは慌ててジガンの家に戻って黒刀を掴み、身体強化十倍を発動してプルクラの後を追った。