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マッチングバトルQ&A

作者: ナナダイク

 1



莉子(りこ)さん、僕と結婚してください!」


 天高く馬も肥ゆる秋空に、悲鳴にも似た絶叫がこだまする。


 横浜にある赤レンガ倉庫群。その広場に設けられた特設会場では、群衆が若者の岐路を固唾を飲んで見守っていた。


 海から吹きつける風はまだ肌に心地よく、地面から溢れ出る熱もさほど不快には感じない。

 野外イベントにはうってつけの季節である。

 

 だが、男の顔は紅潮し、吹き出す汗が頬を伝い滴り落ちている。


 それは群衆の熱視線に晒されているせいなのか、それともプロポーズの緊張からなのか。


 いや、第三の可能性も捨てきれない。


 男は晴天にも眩しい白のタキシードに身を包んでいた。

 会場に設置されたLEDビジョンには胸から上だけが映し出されている。


 きっと、この日のために用意したのであろう。着慣れていない感が誰の目にも明らかだった。


 しかし、下半身はどうなっているのだろうか。


 おそらく鋭利な折り目のついた白ズボンであろうことは想像に難くない。


 だが、実際に胸から下に見えるのは、鉄パイプの肋骨に鋼の筋肉が剥き出しの無骨な重機ボディ。

 黒い革靴の代わりは泥にまみれた醜い履帯である。


 機体からの排熱と照りつける陽の光に晒され続け、色男も焼肉になった気分だろう。


 それでも意中の女性に想いを伝えようと、健気にも灼熱地獄に耐えているのだ。


 花束を掲げる腕はショベルカーのアームを二枚貼り合わせたような姿をしており、その先にある指もまたクレーンゲームでよく目にする三本指の巨大版。


 ロマンチックとはえらくかけ離れた光景であるが、それでも人々は熱狂し、彼女は瞳を潤ませているのだから世の中わからない。


「⋯⋯はい」


 会場のスピーカーから彼女からの返事が響くと同時に、割れんばかりの拍手が重機の彼氏に浴びせられる。


 司会進行役のこなれたトークが拍手と重なり、狂乱の賑わいは次第に収束していった。



 *



「悪くはないんだけどね。ただもうちょっと目新しさ、斬新さが欲しいかな」

 つまみ上げた猪口の中で光が踊る。


 月明かりに濡れる庭が一望できる料亭の一室で、五人の男たちが酒を酌み交わしていた。

 

 上座中央に陣取り、片膝を立てて猪口を弄ぶ男。

 上着を脱いでネクタイを緩めているが、だらしなさは全く感じられない。

 それが生来の気品から来るものなのか、衣服が高額なせいなのかは不明だが、おそらく両方だろう。


 彼は五人の中でもっとも若く見えるが、足を崩しているのはこの男だけである。


「こっちはさ、少子化対策だけじゃなくて、メイド・イン・ジャパンの復権も担ってるわけよ」

 クイっと酒をあおり、空になった器をテーブルに置く。


 すぐさま向かいに座った安スーツの灰色頭が身を乗り出して酒器を満たす。


 もちろん若い男は礼など言わない。彼にとってはそれが当たり前なのだから。


「せめて二足歩行。あと腕も体もアニメに登場するロボットのようにカッコよくして欲しいね。今のは見栄えが悪いよ」

「はぁ」

 三人の老輩たちが揃って苦笑いとも愛想笑いともつかない表情を浮かべた。


 それが男には気に食わなかったらしい。

 チッと小さく舌打ちすると、おもむろに立ち上がる。酩酊した様子はない。


「こっちから言える要望はそれくらいだから、善処してちょうだい。じゃ、よろしく」


 隣に座る老齢の秘書に離席を促すと、そのまま部屋を後にする。

 一時間にも満たない短い会合であった。


 玄関から聞こえてくる慌ただしい女将の声を確認すると、三人は正座していた足を速やかに解いた。


「ったく、相変わらず無礼な若造だ。年長者に対する敬いってもんが足りやしねえ」

「そうは言っても、世話になってるし強くも言えんよ」

「緊急政策特命大臣  照尼覇那(てにはな)(りょう)といやあ次期首相と目される今一番勢いのある政治家だ。尻尾を振っておいて損はないさ」


「⋯⋯だな」

 三人は顔を見合わせニヤリと笑う。


「しかし、アニメみたいなロボットか」

「そいつをクリアしたら、今度は空を飛べるようにしろとか言われそうだな」

「はははっ! 違いねぇ」



 **



「ありゃもうダメだな」

 帰路に着く大臣専用車両の中で照尼覇那が呟く。


「しかし、彼らなしに今日(こんにち)のマッチングバトルはあり得ませんでしょう」

 運転席に座る老齢の秘書がバックミラー超しに応じる。


「⋯⋯そうだな、言い直そう。彼らは役目を終えた。速やかに退場を願って次のフェーズに移行しよう」

  

 車窓を流れる煌びやかな街の灯に視線を向ける照尼覇那。

 その様子をミラーで確認し、秘書は視線を前方に戻す。


「仰せのままに」



 2



 札幌市にある『物産展だよ!北海道夢(ドーム)(ネーミングライツによる命名)』は大勢の観客で賑わっていた。


 彼らのお目当ては野球でもサッカーでもなく、ましてやアイドルのコンサートでもない。

 新モードの会場で開催される恋の鞘当て、恋愛バトルである。


 バトルマシンが撒き散らす排熱もエンジンの轟音さえも、観客の声援と熱気に飲み込まれ、霞んでいた。

 それほどまでにマッチングバトルというイベントは、日本国民に受け入れられているのである。


 この日も地方自治体から大勢の関係者が視察に訪れ、四階スイートシートルームは満員御礼となっていた。


「北海道にはバトルマシンを製造するテグスネ機工の本社がありますから、国内はもちろん海外からも多くの観光客や視察団が訪れています。これらによる経済効果はバブル期を遥かに凌駕するという試算が出てまして、夕張市にマッチングバトルのテーマパークを建設しようという動きも」


 景気の良い話は北海道に限った事ではない。


 バトル会場として施設を提供している道県、バトルマシン製造企業、動画配信会社などが軒並み好景気に沸いているのだ。


 政府主導の泥舟だと思っていたものが、実は金銀財宝が過積載気味の宝船だった、と嗅ぎつけた連中の動きは素早かった。それが今のスイートシートの有様なのである。


「おっと、いよいよ勝敗が決しますぞ」

「私は赤ボディの彼を推したいね。騎士道精神に則った見事な戦い方だ。戦略もいい」

「いやいや、青ボディの彼こそ彼女に相応しいと思うね。不器用だががむしゃらなところに好感が持てる」


 文字通りの上から目線で会場を見下ろす。


 スイートシートからではバトルマシンも小さなクモがケンカしてるようにしか見えない。

 彼らが液晶モニターで実際に見ているもの、それは拳戟(けんげき)に沸く観客の姿である。


「いいですね」

「ええ。これなら市民も喜んで金を払ってくれるでしょう。パンとサーカスのサーカスがいかに大事か、改めて思い知らされました」

「無計画に太陽光発電パネルを設置したせいで荒れた原野を復元したいから森林環境税を払え、と言うよりずっと知性的です」

「照尼覇那大臣に感謝ですな」


 スイートシートが下卑た笑いで溢れる。


 と、同時にドームが揺れた。

 

 バトルに新展開があったのだ。


 煙幕と共に出現した三機目のマシン。

 黄色と黒のツートーンを基調とした機体は、従来機とは大きく異なる姿をしていた。



 3



「なんだ、あれは」

「三機目?」

「どこから出てきた?」


 観客が口々に放つ不安の言葉が、大きなうねりとなってドーム全体を揺るがす。


 数多の視線のその先に立つは、黄色で塗装された謎ロボット。


 他の二機と大きく異なるそのスタイリングに観客の目は釘付けだ。


 人間と遜色のない軽快な二足歩行。野球選手を彷彿とさせる可動域の広い肩。長くしなやかな腕。

 従来なら心臓の位置にいるはずの操縦者は見えない。


 その箇所にあるのはコクピットハッチらしき厚い鋼板と、黒いペンキで殴り書きしたような『Vint!』の文字。

 黄色いボディカラーと相まって、見る者に鮮烈な印象を与えていた。


 そして、首の上には顔のない頭。

 

 ジョルジョ・デ・キリコの絵画『不安を与えるミューズたち』を思い起こさせる姿だが、作者にその意図があったかは不明である。


 この頭を見た観客の多くは、そのカラーリングから『蜂』や『昆虫』を想像したらしい。


「着ぐるみ?」

「バカ。あんなデカい人間いるかよ!」


 ドームを震わせる不安の声は、いつしか好奇のそれへとシームレスに変化する。


『どこの誰だか知らないが、神聖なる決闘を邪魔するのであれば容赦はしないよ』


 昭和の少女漫画、もしくはそれを茶化したギャグ漫画に登場しそうな長髪イケメンが軽やかに宣言する。

 その風貌に違和感を覚えるとすれば、口にバラの花を咥えていないせいだろう。


『おう、俺も協力するぜぇ! 愛を賭けて交える拳に割って入るなぞ日本男児のする事じゃねぇ!!』


 四角い顔が吠える。

 勝手な印象だが、カレーライスを飲み物と言ってそうだ。


 そんな対照的な二人がタッグを組んだ。

 青と赤だった二機のボディカラーが紫へと変化する。


 客席から歓声が上がる。

 変な機能が凝っていた。


『くたばれ!!』


 紫色の二機が同時に襲いかかった。



 *



 紫色の二機は即席タッグとは思えない連携攻撃を仕掛けていった。


 一機が黄色を正面から襲い、もう一機が死角から攻撃する。


 マッチングバトルの予選では、しばしば見られる戦法である。


 従来機ではひとたまりもない必勝パターンも黄色には効果がなかった。


 黄色は用意した発煙筒を活用し、素早い動きで白煙の中に身を隠す。


 紫組は当然その姿を追うわけだが、黄色い頭があると思しき高さで視線を薙いでも全くヒットしないのだ。


 ——消えた!? そんなバカな!!


 長髪イケメンが心の中で叫ぶ。


『うわぁ!!』


 ほぼ同時に操縦席のスピーカーが四角顔の悲鳴を吐き出す。


 その声に彼の手足は素早く反応した。

 片側の履帯の後退させ、同じ速度でもう一方を前進させる。いわゆる超信地旋回をやってのけたのである。


 Gによって機体の外に投げ出されそうになる身体を腕力だけで押さえ込む。

 流れる視界が停止すると、白煙の中に散る火花と黒煙が見えた。


「大丈夫か!」

 

 スピーカーに返事はなかった。

 代わりに耳障りなノイズがずっと流れている。


 マイクが故障したのだろう。

 男はそう考えた。


 どちらにしろ第三者の乱入により今回のバトルは無効になるのだ。

 これ以上、窮屈で暑くて鈍重な重機に乗り続ける意味もない。


 それに、この煙幕。これも黄色が姿をくらますための算段だろう。

 マッチングバトルには多くの関係者と大きな思惑、そして多額の金が動いている。


 捕まれば当然タダでは済まない。

 

 煙の奥にのそりと動く影が認められた。


 険しかった長髪男の顔が少しほころぶ。

 

 ——間抜けな四角顔面を回収したら、こっちも退散するか


 シートベルトを外そうとバックルに手を添えた時、スピーカーからノイズとは異なる音がした。


『⋯⋯奴はまだ闘う気だ。油断するな』


 視線の外で何かが動いた。


 その動きで煙が払われ、正体があらわとなる。


 人間に似た両手を床につき、身を低く構えた黄色の怪物。

 ヒグマの戦闘姿勢に似ているのは偶然だろうか。


 その背後には腕を折られ、仰向けに転がされた重機が見える。


 ——アレをその細腕で倒したのか!? ウソだろう!!


 身構える暇もなく視界が暗転する。


 男の悲鳴が場内にこだました。



 **



 耳を(つんざ)く衝撃音が轟いたかと思うと、目も眩む閃光が瞬き、場内をモノクロに描き出す。


 黒板を引っ掻く音、ガラスの擦れる音、そんな逆ASMRが会場全体に反響する。


 観客席の至る所で上がる悲鳴。

 場内に満ちるケミカル臭と白煙。音を立て機体から噴き上がる火花。


 そこへ非常ベルが鳴り響く。誰かがボタンを押したらしい。


 パニックを引き起こした集団が、怒声と悲鳴を纏う肉塊モンスターとなって通路を埋める。

 スタッフの制止を促す懸命な声もモンスターに打ち消され、誰の耳にも届かない。


 ——このままでは死傷者が出てしまう!


 スタッフが青ざめた時、奇跡は起きた。


 突如、場内に響き渡る甲高いハウリング。それが出口に殺到する人々の耳を塞ぎ、足を止めさせる。

 

 死に物狂いで出口へと向かっていた観客の一部は、ゲートを目前にして絶望の表情を貼りつかせた。


 ゲートの前に立つ黄色の巨人。どうやらこれがハウリングの発生源であるらしい。

 

 つい先ほどまで新モードという名の地下闘技場で、死闘を繰り広げていた巨人がなぜここにいるのか。


 それを説明できる者はこの場にいない。

 いないが、群衆を外に逃す気がないのは確かなようだ。


 人々は息を呑んだ。


 この巨人に闘いを挑んだ、二つの重機と同じ目に遭わされるのではないかと怯えているのだ。


 分厚い鉄扉の開く音がした。

 巨人の胸にあるコクピットハッチがゆっくりと開く。


 中から現れたのは鳩のマスクを被った小柄な人影だった。


 ——なんで鳩?


 誰しもがそう思った。

 

 しかし、それを口にする者はいない。


 小柄で滑稽だが彼は凶悪なテロリストかもしれないのだ。

 もし、その姿を笑おうものなら、いったいどんな酷い目に遭わされるのか。


 群衆は気が気でなかった。


 鳩仮面が水色の作業服を纏った上半身を僅かに機体から乗り出し、群衆に向かって声を放つ。


「は、走らないでください。慌てないで、ゆっくりと移動してください⋯⋯あぶないですから」


 消えそうなまでに小さな声だった。



 4



「見たよ、今朝のニュースで」


 大臣専用車両の後部座席。

 足を組んだ照尼覇那が楽しげな口ぶりでスマホに語りかけている。


「なかなか派手にやってくれたじゃない。まぁ、死傷者が出なくて何よりだ。マッチングバトルは安全快適がモットーだからね」


 ハンドルを握る老齢の秘書がチラチラとバックミラーに視線を送る。

 それに気づいて照尼覇那が小さく肩をすくめた。


「ああ、そうそう。鳩仮面にもよろしく伝えておいて。え? うん。わかった。ああ、あと、アレの種明かしをしてよ。瞬間移動のやつ。⋯⋯二台用意しただけ? 鳩のは予備機? いやあ、うん。ちょっとがっかり。ははは⋯⋯またこっちから連絡するよ。はい、じゃあ、また」

 

 スマホを顔から離し、小さく息を吐く。


「⋯⋯例の件、ですか?」

 

 秘書の問いに気怠げな声で応じる照尼覇那。


「そう。ネットもテレビも謎のバトルマシンの話題で持ちきりだって伝えたら喜んでた。これで少子化のスピードが落ちて、出生率が上向きになるといいんだけど」


「ぼっちゃ⋯⋯いえ、涼先生の持論がついに花開くのですな」


「⋯⋯身内以外がいる場所で”ぼっちゃん”なんて呼ぶなよ。絶対に」

「心得ております」


「なーんか信用できないんだよなぁ」

「哀しいことを言わんでください」

「冗談だよ」


 バックミラーに映る照尼覇那がおどけてみせる。


 そして、視線を車窓に移す。


「戦後百年⋯⋯か。綱渡りのような外交努力で手にしてきたのは、蜃気楼みたいに美しくも儚げな平和。そのかけがえのない、尊すぎる平和に蝕まれ、二千年超の歴史を自滅という形で幕を閉じようとしてる国、日本。らしいちゃらしいけど、それじゃあダメなんだよなぁ」


「なにかおっしゃいましたか?」


「うんにゃ。ちょっとこの国を憂いてただけ」


「平和すぎて国が滅びそうになるなら平和を壊してしまえばいい。そのためのマッチングバトル、そのためのバトルマシン⋯⋯初めて聞いた時は驚きましたが、ぼっち、あ、いや、先生の言葉通りになってまいりましたね」


「誰がぼっちだ! 気を悪くするぞ! なんてね。さっきの電話の相手のところに自称ジャーナリストが取材に訪れるらしい。なかなかスムーズにはいかないものさ」


「楽しくなってきましたな」


「いや、まったく」


 国の命運を左右する密談を載せ、つつがなく疾走する自動車であった。



 5



 沖縄県北谷町(ちゃたんちょう)


 浄水場前バス停に若い女性が降り立った。

 

 薄いリネンの白ブラウスに朱色の七分丈ワイドドレープパンツ。そして、目元には濃いめのサングラス。


 観光客らしい服装ではあるが、日傘ではなく、つばが大きいベースボールキャップ。足には馴染んだスニーカー。それに、ボルゾイの成犬がすっぽりと収まりそうな肩掛けバッグが、バカンス客にはないオーラを放っていた。


 彼女の名は式部(しきべ)紫音(しおん)。フリージャーナリストである。

 

 『何者にも縛られない自由自在な報道を』を旨として、政治、経済、国際関係など幅広い分野で活躍しており、世界からも注目される日本人のひとりなのだ。

 

 そんな彼女が動いたとなれば、たいていの企業は『たたかう』『にげる』『ごまかす』の選択を迫られる。


 ——果たして、ここの社長殿はどれを選択するのかしらね


 サングラスに勇者の砦が映し出される。

 

 浄水場跡地に(そび)える巨大な豆腐、に見える建物が1ー14(ワン・フォーティーン)の本社だ。 


 紫音は眩しそうに一瞥すると、敷地の中に足を踏み入れた。


 株式会社1ー14。

 沖縄を代表する新興企業である。


 自動車やバイクの自動運転システムを開発するため、わずか三人で立ち上げた会社だが、五年あまりで二千人超の従業員を抱える大企業へと成長。社長は時代の寵児ともてはやされ、日本経済の若き救世主とみなされた。


 現在は世界各地に支社を置き、自動運転のノウハウを活かしたロボットの製造を行っている。

 

 ちなみに、この奇妙な社名は社長が当時所属していた高校野球部の、甲子園大会第一回戦のスコアが由来となっている。

 得点は社長が放ったホームランの一点のみ。ボロ負けだったのだ。


 そして、その野球部に照尼覇那(てにはな)(りょう)も所属していた。


 奇妙な符号の数々。頭の中で巨大なジグソーパズルが組み上がっていく錯覚に、紫音は囚われていた。

 そこに描かれた絵は、自分にとっても、世界にとっても、喜ばしくないもののように思えてならなかった。



 *



「お待たせしました」


 応接室に大柄な男が入ってきた。

 雑誌等でよく目にする1ー14社長とは別の人物だ。


「広報課の矢田部と申します。社長は急な案件で渡米することになりまして⋯⋯申し訳ありません。取材で式部様がいらっしゃることは伺っております。社長もお会いできる日を待ち望んでおりましたが」


「そうですか⋯⋯残念ですが、お忙しい身の上はよく存じておりますゆえ、仕方ありませんね」


 ——逃げられたか!


 内心で舌打ちはしたものの、それを表情に出すヘマはしない。


「早く連絡を入れるべきでした⋯⋯無駄足を踏ませてしまい申し訳ありません」

「いえ、お気遣いなく」

「お詫びに、と言ってはアレなんですけど、最先端開発室を覗いて行かれませんか? 社長の許可も取ってありますので」


「最先端開発室?」


 初耳の体を装ってはいるが、実は調査済みである。


 1ー14躍進の影に最先端開発室あり! と、業界内で噂されるほど、その存在は広く知られていた。

 

 ただ具体的に、どんな人物がいて、何をやっているか、は誰も知らないのである。


 こんなチャンスはまたとない。紫音は食いついた。


「よろしいのですか?」


「ええ、もちろん! 式部紫音様といえば、大手メディアに入社された年にスクープを連発。地に落ちたマスコミへの信頼をおひとりで回復なさったと称される有名人ですからね。かく言う私も大ファンでして、あとで一緒に写真など撮らせていただけたら、と」


 ——お安い御用だ!

 

 もちろん、口には出さない。


 こうして、彼女は疑念の核心へと一歩近づいた。


 そこが『事象の地平線』より内側だとも知らずに。



 6



 東京都千代田区紀尾井町。


 大型複合商業施設の中に照尼覇那はいた。


 ここはかつてデジタルメディア庁が入居していた部屋だ。

 だが、就任する大臣が次々と不祥事で永田町を去り、ついには省庁の統廃合で組織そのものが消滅。


 一等地にも関わらず縁起を担ぐ老議員らに毛嫌いされ、めでたく緊急政策特命本部となったわけである。


「これで式部という香車が鳩の仮面を被った飛車を取りに行く、と」


 パチンという乾いた音が鳴った。


 窓際の応接セット。大きな窓から入る日差しがテーブルの上の将棋盤を照らしている。


「取れますかね?」


 照尼覇那と向かい合う老齢の秘書が問う。


「取るさ。なんたって、あの式部紫音だぞ」

「飛車のあの子も、なかなかの曲者と聞き及んでおりますが」


「あれはちょっとしたバケモノだよ。人間が頭の中で考えたことや感情が、鳩クンには明瞭な情報として認識できるんだそうだ。一度会ったことがあるけど、目を合わせただけで全てを見抜かれた気がした。おそらく、こっちの計画もお見通しだろうね」


「それで平和の象徴である鳩ですか⋯⋯」

「それは知らんけど」

 

 パチン、パチンと盤面に小気味よい音が響く。


「来月の頭には横田に1ー14のロボットを積んだ輸送機が到着する予定だ。名目上は沖縄で行われる最終試験演習への参加だがな。おっと、そうきたか」


「札幌で暴れた黄色いロボットですか」


「その量産モデルだよ。完全な軍事用だ。銃火器も使用できるらしい」


 二人は目線を将棋盤に落としたまま会話を続ける。


「身近に迫る『リアルな死』を意識させ、遺伝子を紡ごうとする本能を呼び覚まさせる⋯⋯」


「ああ、『日本人よ、産めよ増えよ地に満ちよ』だ」


「ここまでしないと子供を産まないっていうのは、種として終わってる気もしますが」


「俺もそう思うよ。ニッポニア・ニッポンが日本人と日本国そのものを呼び表す言葉になるとは、なんとも皮肉な話じゃないか」


「先生、王手です」


「んんんん!?」


 照尼覇那は詰んだ盤面を睨みつけ、頭を掻いた。



 7



 日本人よ、産めよ増えよ地に満ちよ。


 照尼覇那が言ったとされる言葉は、望まぬ形で現実となった。


「日本国民に対し、種の存続への危機感、絶望感を与えよ!」


 そう命じられた顔のない機械たちは、容赦のない攻撃を昼夜を問わず続けたのである。


 その結果、地は死骸で満ち、国を捨てる者が増え、子を産み育てる時間さえもなくしてしまった。


 日本人がレッドデータブックに記載される日も遠くないだろう。


 そんな中、立ち上がる者たちもいた。


 AMMA(アーマ)と呼ばれる反マッチングバトルマシン組織がそれである。

 

 ジャーナリストの式部紫音を筆頭にマッチングバトルマシンの技術者らが集結し、殺戮機械に殺戮機械で(あらが)い始めたのだ。


 彼らの機体色は目にも鮮やかな黄色と黒のツートーン。


 昆虫がその身に纏う警告色だ。


 そして胸にはフランス語で「彼が来た」を意味する『Vint!』の文字。


「鳩くん! お願い!」


「了解」


 残像が尾を引き、単機で群れへと突入する。


 その姿はまるで、群舞の中にあっても見る者すべての視線を惹きつけるプリンシパルそのもの。


 あらゆる(げき)を巧みに避け、傷を負うことなく相手を屠る。


「鳩のマスクは相手の思考や気持ちを必要以上に読まないため⋯⋯とか言ってましたっけ。脱ぐとどうなっちまうんでしょうね」


「さぁ。想像したくもないわ」


 避難民が集まる公園の片隅で、しばしの歓談を楽しむ紫音だった。



 了


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