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終末のメリッサ  作者: 咲洲ルカ
第1話 怪物の影
9/10

-9- 退散の儀式


 榊さんからメッセージが届いたのは、次の日の正午だった。


 講義が終わってからでいいから今日のうちにまた来てくれ、とのことだった。きっと怪物をどうにかする方法をつかんだのだろう。


 僕はその日の講義が終わってからすぐに古書店へ向かった。というより東雲さんに捕まり、半ば強引に連れてこられた。監視でもしていたような早さだ。


 慣れた足取りで古書店の奥へ入っていく東雲さんについていき、昨日と同様に居間で鼎談するように座る。


「明け方には対策がわかっていたんだけど、寝落ちしちゃってね。おかげで風邪気味だよ。」


 ごほごほとわざとらしく咳払いをする榊さんは確かに顔色が悪い。この時期の朝方は恐ろしく冷える。居眠りなど自殺行為だ。


「ま、それは置いておいて。作戦会議に入るとしよう」


 話の要点はこうだ。

 音楽棟地下室の魔法陣に加筆をして、退散用の陣に書き換える。そして召喚の呪文を逆さに唱えて、退散の儀式を行う。


「今回は加筆するだけだから必要な血は多くない。

 淵大には生物科くらいあるだろうからそこで実験用ラットでも貰ってくればいいよ」


 魔法陣は生き血で書く必要があるんだった。グロテスクな光景を想像しないように話に集中する。


「儀式の成功率を上げるために人数は多い方がいい。本人もその気だろうし、秋山教授に参加してもらおう。これで3人だ」


「何人ですって?」


「荻山くんと、リサと、秋山教授で3人」


「なぜ榊さんが数に入っていないんですか」


「僕は大学関係者じゃないから気軽に入れないし。なんて言って入構許可をもらうんだい? "怪物退治に来ました"が通る訳ないだろう」


 適当な理由をつければ問題ない気はするが。秋山教授への面会とか。


「人数は多い方がいいんですよね?」


「ほら、風邪気味だし。ごっほごっほ」


 理由はわからないが、てこでも動く気はないらしい。


「オカルト好きな友達がいたら誘ってみればいいんじゃない? それよりも、持ち物の確認だ」


 怪物の書と魔法陣の書き換えメモは東雲さんの担当だ。

 僕の方は、呪文の写しと、懐中電灯と、ネイルハンマー。

 ネイルハンマー?


「何が起こるかわからないからね。もしかしたら怪物と相対するかもしれない」


 もしものときはこれで立ち向かえということか。


「武器として使うかはともかく、こういう工具はあるに超したことはないよ」


「懐中電灯は?」


「地下室は照明がないと暗いだろう。日没後の作業なら外でも役に立つはずだ。あとはライターと燃料なんかもあるといざってときに――」


「榊さん、さすがにそれは物騒です。今回は」


と、東雲さんが突っ込んだ。……"今回は"?


 ――――


 僕らが再び秋山教授の研究室を訪れたとき、辺りはとっくに暗くなっていた。大学構内の主要な路は外灯によって照らされている。


 果たして秋山教授は彼の研究室にいた。彼は僕らを迎え入れ、怪物対策の具合について聞いてくる。


 いますぐにでも退散の儀式をした方がよいこと、そして、こちらの準備は――実験用ラットを除けば――できていることを伝える。


「わかった。実験用ラットの方は私が手配しよう。生物科の研究室まで実験用ラットを貰いに行ってくる。暫し待っていてくれ」


 秋山教授はそう言うと部屋を出ていった。


 二人残された部屋が静寂に包まれる。今なら鼓動の音すら聞こえそうだ。


「緊張していますか」


 東雲さんが静寂を破る。


 僕は緊張しているのだろうか。

 怪物の噂から始まり、手の届く範囲で調査を行い、これからけりをつけようとしている。

 それだけ聞けば、大したことはないのだろう。

 しかしこの件は、少なからず僕の正気を犠牲にしている。怪物という超自然の存在。秋山教授の衝撃的な告白。これから行うべき退散の儀式。

 これらの冒涜的な知識の前に、僕は精神を屈せずに保ち続けられるだろうか。

 鈴原さんを見つけ、救い出すことができるのだろうか。いや、彼女のことを思えばこそ奮起せねばなるまい。

 胸が早鐘を打つ。これは決戦の前の武者震いなのだ。


「意気や良し、というところです」


「儀式は冷静に、淡々と行いましょう。気を抜かないように」


 東雲さんは明鏡止水の境地といったところだろうか。いつにも増して冷静を保っているようだ。


そうこうしているうちに、ラットのケージを携えた秋山教授が戻ってくる。


「やれやれ、やつの研究室は本当に獣臭いな」


 教授は軽口を叩くことができる程度には元気が残っているようだ。怪物退散の目途が立って気が軽くなったのだろうか。口ぶりからして生物科の教授と知己のようだから、話をすることで少しリラックスできたのかもしれない。


 かくして僕ら三名は、怪物退治のための最後の打ち合わせを始めた。


 東雲さんが主だって退散の儀式の概略を説明し、僕と秋山教授に一枚のメモを配る。受け取ったメモには英文の下にルビのようにカタカナが書かれている。


「これが呪文です。基本的には三人全員で唱えます。トラブルが起きた場合、荻山くんが率先して対処してください。懐中電灯と工具は彼の担当です。もし一人で対応しきれない場合は、必要に応じて秋山教授に指示をしてください。私はこの儀式の最中、呪文の詠唱に集中しますので、ご承知置きください」


 東雲さんが仕切り、続ける。


「終始つつがなく終わることを祈りましょう。二人とも、持ち物の準備はよろしいですね? ゆきましょう。音楽棟地下401号室へと」


 ――――


 警備室で鍵を借りた秋山教授を先頭に音楽棟の階段を地下へと下りていく。地下の廊下はセンサー式の自動照明で、伸びるように暗闇を照らしていく。401号室以外にも部屋はあるが、直近で使用された形跡はないようだ。


「いま、鍵を開けるからね」


 秋山教授が鍵を差し込み、回し、開錠する。

 そのままノブを回して扉を開ける。

 彼が慣れた手つきで照明のスイッチを切り替えると、部屋が照らされ内部を明らかにする。僕が昨日見たままの401号室だ。


 部屋に入ると、僕らは準備に取りかかる。

 秋山教授は隅の段ボールから何かを取り出す。

 僕が一人で来たときは見つけられなかったが、魔術用のナイフを取り出しているようだった。

 東雲さんは中央の布を開き、魔法陣を露わにする。


「秋山教授。血を」


「待ってね、このトレーの上でラットを切るから」


 教授がナイフで突き刺し、一匹のラットを絶命させる。不思議なことに、よく見ると血は滴っておらず、刀身に染み込んでいくように表面を朱く染めていた。

 東雲さんはそのナイフを受け取ると、古書店から持ってきた写しの通りに魔法陣を書き換える。ファミレスでハンバーグを切り分けていたように――否、それよりも器用にナイフを用い、血の線をなぞらせていた。


 彼らはさも当然のように、その行為を行っていた。犠牲になったのが実験用ラットとはいえ。僕にはそれがとても不気味に思えた。


 このとき、現状では唯一の光源である部屋の蛍光灯が、一瞬暗くなり、その後すぐに持ち直した。切れかけということもないだろうが、この一瞬の揺らぎが僕を不安にさせた。


「準備が整いました。儀式を始めましょう。皆、魔法陣の周りに集まって」


 東雲さんが音頭を取り、魔法陣を中心にして円陣を組んで座る。

 12時の方向に東雲さん、4時の方向に秋山教授、8時の方向に僕がついた。


「呪文のメモはありますね? では、私に続いて、唱えてください」


 東雲さんが率先して詠唱を始める。幻想的で美しい声が響く。

 そこに慣れた様子で続くのは秋山教授だ。伊達に何度も儀式を試したわけではないようだ。

 僕も急かされるようにして唱え始める。言い慣れない文言をたどたどしく唱える。


 呪文の文言自体はカタカナにして三十文字程度だが、十分ほど唱え続ける必要があるらしい。一節唱えるのに二十秒もかからないため、三十周ほど唱えることになる。


 三、四周して呪文のアクセントやイントネーションにも慣れてきた頃、

 奇妙な音――ばちん、だか、ばりん、といった、近くで雷が落ちたような音――が聞こえたかと思うと、地下室の蛍光灯が明滅し、消え、辺りが暗くなった。出入り口の非常灯だけがぼんやり浮かんでいる。


「停電か? 荻山くん、懐中電灯を」


 冷静に指示を出したのは秋山教授だ。東雲さんはペースを乱さず詠唱を続けている。


 僕はできるだけ詠唱を続けながら、手元の懐中電灯を点け、辺りを確認する。


 左手には東雲さん。詠唱に集中するように目を閉じている。

 右手には秋山教授。指示を出した後は詠唱を再開したが、心なしか動揺しているように見えた。


 念のため、背後や周囲を確認したが、変わった様子はない。五感を鋭く研ぎ澄ませてみても、聞こえてくるのは詠唱の声ばかり。匂いは地下特有の黴くさいコンクリートの匂いだけだ。


 蛍光灯が切れたこと以外に異常がないことを確認できた僕は、咄嗟に右手に持った懐中電灯に加え、左手にネイルハンマーを装備し、詠唱を再開しようと――


 ばちん!


 今度は右手前方にはっきりと、その音は聞こえた。

 すかさず音のした方向へ光を向けた僕は、自分の目で、それを見てしまった。


 全体としては人間と同じような、二足歩行のシルエットだった。

 しかしだらりと伸びた一対の腕は人間のそれよりも長く、その先には鋭い鉤爪のようなものが光っていた。

 頭部らしき部分には耳や鼻にあたるものはなく、眼球のない落ちくぼんだ闇のような目と、剥き出しの歯を生やした口は、にたりと嗤っているように見えた。


 怪物だ。


 全身の身の毛がよだつ感覚。胸の底を冷たい風が吹く。

 思い出したように呼吸をすると、腐乱臭のような、異質な錆のにおいのような悪臭がした。

 驚きと恐怖のあまり懐中電灯を取り落としそうになったものの、どうにか堪える。

 僕は曲がりなりにも対処をせねばと立ち上がった。とにかく状況を観察する。


 東雲さんと秋山教授からは怪物の姿は見えない角度だが、二人とも何者かの気配を感じているような様子だ。


 怪物の方はというと、懐中電灯の光に怯んだのか、一瞬後ずさるような動きを見せた。さらに様子を窺うべきか、ネイルハンマーに勢いを任せて突進すべきか逡巡する。いったい儀式はあとどのくらいで終わる?


 幸いなことに呪文の詠唱は東雲さんと秋山教授が続けてくれている。はっきりとした根拠はないが、儀式は完了へ向かっている気がする。怪物もそれを邪魔するために出てきたのだろう。


 僕が行動を決めきれずにいると、怪物に動きがあった。奴はその躯をちかちかと明滅させたかと思うと、文字通り姿を消した。


 どこにいった? 僕は懐中電灯をそこら中に向ける。

 "次元の超越者"と呼ばれしあの怪物は、自由自在に空間を移動できるとでもいうのか。

 悪臭はまだ漂っている。近くにいるに違いない。奴がいつ、どこに現れるのかわからない。背後から八つ裂きにされる可能性の恐怖に襲われる。


 もう迷っている暇はない。次に姿を現したらネイルハンマーの一撃をくれてやる。唯一の武装を利き手に持ち替えて構えると、右手後方で例の音がした。


 僕が体ごと懐中電灯をそちらへ向けると、果たしてそこに奴はいた。怪物も今度こそ光に怯む様子はなく、こちらに残忍な悪意を向けてくる。


 だがこちらの方が早かった。僕は右手のネイルハンマーを力任せに振り下ろした。攻撃は怪物の頭部に直撃し、鈍い音を立てる。


 怪物は倒れこそしなかったが、よろめいて後ずさった。

 追撃のチャンスだ。僕にはもう躊躇いはなかった。


 急所であろう頭部に向けて、渾身の一撃を浴びせる。右手に跳ね返ってくる衝撃から、与えたダメージの大きさが伝わってくる。

 奴は今度こそ倒れた。



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