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終末のメリッサ  作者: 咲洲ルカ
第1話 怪物の影
7/10

-7- 『怪物の書』


 他の学生たちより少し早く食堂についた僕は、いつもより贅沢なメニューを注文して席についた。


「お疲れ様です。予定通りですね」


 顔を上げると、東雲さんが立っていた。おそらく3限終了ギリギリまで秋山教授を監視していたのだろう。


「これからどうするんですか」


「先ほどの写真。証拠……というには弱いかもしれませんが、疑いをかける材料くらいにはなるでしょう」


「秋山教授を問い詰めるってことですか」


 正直言って僕は秋山教授が怪物騒動の黒幕であることに確信をもっていない。

 だが東雲さんにとっては容疑をかけるに十分な収穫が得られたということだろう。


「今日の講義が終わったら、秋山教授の研究室に行きましょう」


 講義を受講し単位を修めることは学生の本分だ。

 僕はその後の予定を憂いつつも、午後の講義へと向かった。


 ――――


 午後の講義を終えた僕は東雲さんと再度合流し、研究室棟にある秋山教授の研究室を訪ねた。


 部屋の扉をノックしてすぐ後に「どうぞ」と返事が返ってくる。声が若干弱々しい。


「失礼します。人文科の荻山です」


「東雲と申します。よしなに」


 僕らは挨拶しながら入室する。


 研究室は12畳ほどの大きさで、奥に教授のデスクがある。壁際の書棚には考古学関係の書籍や、教授本人の著書が並べられている。


 教授はデスクにかけたまま僕を迎え入れる。。少し挙動不審で動きがぎこちない。普段の講義の時とは様子が違うようだ。


「どんなご用かな」


 僕は音楽棟で見つけたものについて問い詰めた。


 教授は最初、しらを切るつもりだったのか知らない風を装っていたが、魔法陣の写真を見せたあたりで観念したようで、天を仰いだ。


「何があったのか話してくれますね?」


 僕は促す。


「長くなる。二人とも椅子にかけなさい」


 ――


 私は以前から考古学を専門として研究してきた。


 淵宮大学で教鞭を執ってからというのも長いものだが、この夏、大学図書館の閉架書庫を訪れた際にとある書を見つけた。英語で書かれたその書を手に取ってみると、頭の中に怪物が現れた。それは不思議な力だった。そこにいないのに、そこにいるのだ。興味が沸いた私はその書を研究してみたいと思った。当然、閉架書庫の書物は禁帯出だが、その書はなぜか目録に載っておらず、隠して持ち出せば私の行為が露見することはなかった。


 かくして私はその書の研究を始めた。その書は古典的な文法というか、迂遠な言い回しが多く使われており翻訳するのに時間がかかった。薄い冊子程度の文章量だが、概要がわかるレベルまで解読するのに2ヶ月もかかった。


 そこには禍々しい怪物について書かれていた。最初は容姿、特徴、生態などの怪物そのものの説明だった。信じがたいことだが、その怪物は次元の狭間を棲処としているようだった。


 私は怪物のことに夢中になっていた。

 怪物の姿を想像するだけでも心を躍らせていた私にとって、怪物の喚びだし方の章はとんでもなく魅惑的だった。

 無論、怪物の帰し方も記述があったが、私は大して興味を持たなかった。


 私は怪物に会いたくて会いたくて仕方が無かった。

 霜降の折、召喚の準備を始めた。君らが見た音楽棟の地下室がそうだ。

 召喚のためには魔法陣を広げられるだけの広さと、人に知られないための条件が必要だったが、音楽棟の地下室はそれらを満たしていた。


 唯一、魔法陣の用意が苦慮した部分だった。

 どんな生物でも構わないとは言え、生き血で描く必要があったのだ。仕方なく農学部の学生に「ジビエにしたい」と理由をつけて兎をもらってきた。生き物の血を抜くなど初めてだった私はだいぶ血を無駄にしたが、なんとか魔法陣を描くことに成功したのだ。


 魔力のナイフを作ることはそんなに難しいことではなかった。

 純銀の食器セットを通販で購入し、魔法陣を描くときにそのナイフに血を浸せばそれでよかった。


 後は書に記されている通りに魔力のナイフを捧げ、呪文を唱えるだけだった。

 初めてそれを実行したとき、儀式は成功しなかった。失敗する可能性もあると書に書かれていたので、私は諦めていなかった。


 次に試したとき、部屋の中に怪物が現れた。

 それは書の記述通りの特徴を持ち、書に描かれている通りの容姿であった。


 私は大層喜んだ。憧れていた怪物が喚びだされ、目の前にいることがこの上なく嬉しかった。

 怪物は最初のうち、私の言うことを聞いていた。言葉が理解できているのかはわからなかった、命令をすればそのようにした。

 暗い時間に喚びだし、その夜のうちにはもといた次元に帰っていったようだった。


しかし、数日もすると怪物の方も飽きてきたのか、言うことを聞かず私の前から姿を消すことがあった。

その際、大体は音楽棟の裏手にいた。人通りも少なく、直接誰かと遭遇することはなかったが、

きっと遠くから見られていたのだろう、その頃から学内で怪物の影の噂が広まった。


 呪文には従属の効果もある。

 何度も召喚すれば従属の効果も強くなるはずだと考え、毎日儀式を行った。

 最早私は儀式を行うことに囚われていた。


 そんな折、喚び出した怪物が部屋から消えていた。

 誰かに見られる前になんとかしようと――何かできるわけではないのだが――急いで探し、音楽棟の裏で奴を見つけた。

 奴は学生と思しき女性をその鉤爪で鷲掴みにし、そのまま次元の狭間へと消えていった。


 まずいことになったと思った。

 そのとき見たものが夢であれと願った。あるいは怪物が彼女を元の場所へ帰してくれればと望んだ。


 二日後、刑事が訪ねてきた。行方不明の女子学生を捜索しているとのことだった。彼女の写真を見せられたとき、言葉が出なかった。

 ああ、あのときに見た光景は夢などではなく、現実なのだと理解した。

 私の好奇心のためだけに、一人の学生が犠牲になったのだ。

 刑事は動揺する私を疑ったかもしれないが、その日は引き上げていった。


 以後、怪物を帰す――もしくは追い払う――ための儀式を毎日試した。書に記されている方法を何度も行った。うまくいったのか、失敗しているのかはよくわからない。

 しかし、直観が言うのだ。怪物はまだそこにいると。


 それから私は自分ではどうしようもなくなってしまった。

 事態は私の扱える範囲を超えてしまったのだ。


 私は祈るばかりだ。

 悲しき運命が再び訪れざらんことを。


 ――


 懺悔にも似た秋山教授の告白を、僕は話半分で聞いていた。

 呪文だとか、召喚だとか、魔力のナイフだとか、儀式だとか、普段耳にしない言葉が鼓膜を通過する。

 これは空想の世界の物語であるのだと信じたかった。

 だがこれがきっと真実なのだと、彼の目の下の隈が告げている。


 鈴原さんは案の定、怪物の手にかかってしまっていたようだ。

 彼女を救う術は、あるのだろうか。


 東雲さんは僕の隣でいつもの冷静な表情で黙っていた。


 ひと呼吸おいて秋山教授がデスクの鍵付き抽斗から一冊の書物を取り出し、デスクに置く。


 表紙こそ厚めの台紙が使われているが、中の頁は薄い便箋のような紙で二つ穴に紐を通して綴じただけの簡素な作りだ。

 表紙には"Dimensional Transcender"(次元の超越者)という題と、怪物と思しき絵が描いてある。


「今しがた話した、"怪物"について書かれた本だ。呼び出し方も載ってる」


 僕は一礼してその書物に触れた。いや、触れてしまった。

 触れるべきではなかったと、そのあとに気付かされた。


 正確に言うと、触れるまではよかった。音楽棟裏で感じたような悪寒がしただけで済んだ。


 しかし、頁をめくった瞬間、脳内に冒涜的な光景が流れ込んできた。想像ではなく、はっきりとした視覚情報として、目の前に怪物の姿が見えた。


 全体のシルエットとしては人間に似ているところがあった。

 胴体に頭部と四肢がついており、二足歩行をしている。

 だが、その細部は人間からはほど遠いものだった。


 頭部は歪んでいて、耳と鼻は無いように見えた。

 人間の目にあたる部分は眼球がなく落ちくぼんでいる。

 口は大きく、不規則に並んだ鋭い歯が剥き出しになっており、それを覆う唇はなかった。

 溶けたゴムのような皮膚は薄褐色で、所々から短い毛が生えている。

 だらりと伸びた腕の先にはやはりというか鉤爪がついており、凶悪さを携えていた。


 腐ったトウモロコシのようなひどい匂いがする。

 眩暈と吐き気に襲われ、僕は倒れ込んだ。


 僕は眼球のないその目にじっとりと見つめられるような感覚に陥った。

 怪物の体が切れかけの蛍光灯のように明滅したかと思うと、その姿がふっと消えて見えなくなった。


 僕の記憶はそこで途切れた。



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