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終末のメリッサ  作者: 咲洲ルカ
第1話 怪物の影
6/10

-6- 音楽棟の地下室


 僕を目覚めさせたのはスマートフォンの着信音だった。日曜日の午前10時。東雲さんからの着信だ。コール音が切れぬうちに通話に出る。


「もしもし、荻山です」


「荻山君、気分はどうですか」


 気分は、稍悪い。寝起きの頭がそう告げる。昨日の調査の後、碌に食事も取らず床に伏してしまった。それなのに10時まで起きないとは、寝過ぎもいいところだ。


「ぼちぼちです。ご用件は?」


「明日のことについて打ち合わせをしたいのですが。昼時に出てこられますか」


 明日のこと、と言われてもピンと来なかったが、調査の方針について話したいのだろう。淵宮駅西口のファミレスで待ち合わせを決めた。


「あと、荻山くんは一年生ですよね。今年度のシラバスを持ってきてください」


 シラバスとは授業要覧のことだ。なんでそんなものを?

 理解は及ばなかったがとにかく僕は承知して通話を切った。


 そういえば榊氏への報告もちゃんとしていないが、東雲さんから伝わっているんだろうか。


 そんなことを考えながらシャワーを浴びて身支度をする。ファミレスとはいえ女性とのランチ――しかも美人だ――なので、いつもよりお洒落に気を遣った。


 僕は部屋を出て施錠した後、待ち合わせのファミレスへ向かう。日曜日の淵宮は平日よりさらに活気がある気がする。


 目的の建物に辿り着き、二重扉を通って店内に入る。

 案内を申し出た店員に待ち合わせであることを伝えるとほぼ同時にスマートフォンにメッセージが入った。東雲さんは既に来ているようだ。

 店員に礼を告げて店内を進むと、一番奥の席に彼女は座っていた。赤を基調としたチェックシャツにデニムパンツといったカジュアルな装いだ。

 僕は必然的に席の対面側に座る。


「ごはんはまだですよね。先に食べちゃいましょう」


 東雲さんがメニューを僕に差し出す。彼女ももう一冊のメニューを開いて選び始める。なんというか、東雲さんと正面を向いて接するのは初めてなので、妙に緊張する。


「私はハンバーグのセットにします。荻山くんは?」


 東雲さんに見とれていた僕はメニューを選びそびれていたが、それがばれないように定番のドリアを単品で頼むことにした。昨晩抜いているにもかかわらず、食欲はあまりない。

 注文して料理を待っている間も会話はあまりなかった。というか僕が黙っていた。何を話せばいいかわからない。


 しばらくして注文した品が配膳された。トマトソースの香りが食欲を少しそそる。


「それじゃあ、いただきましょうか」


 いただきます、ともう一度小さく呟いてから、彼女は一口大に切ったハンバーグを口に運ぶ。上下に開かれた唇は、紅が煌めいていて魅力的だった。

 僕も彼女に続いてドリアを口にした。熱かった。


「それだけしか食べないんですか」


 ドリアの皿を見た東雲さんが言う。


「あまり食欲がなくて」


 僕の返答を聞いた彼女は一思案した後、ハンバーグを半分に切り分けてドリアの皿に乗せた。


「え?」


「そんな小食では倒れますよ。食べ盛りの男子なのに」


 気遣いはありがたいが、まるで母親のようだ。

 おかげさまで少し食欲が出てきたので、言葉に甘えていただくことにした。


「あ、会計は榊古書店の経費で落とすので気にしなくていいですよ」


 デート気分がちょっとだけ台無しになった。


 ――――


 さて、食事を終えた僕らは本題に入ることにした。


「荻山くん、シラバスを持ってきていますよね?」


 僕は言われるままにシラバスをテーブルに出す。それを東雲さんが自分の読める方向に向きを変える。頁をぱらぱらとめくり、目当ての情報を探しているようだ。


「後期の……月曜日の3限。ここが適切ですね」


 東雲さんは何かを決めていたようだった。


「あの、一体何を――」


 僕が聞こうとしたとき、ちょうど彼女が口を開いた。


「荻山くん。この時間に音楽棟、401号室に侵入して調べてください」


「侵入して……え?」


「結論から言うと、私は秋山教授が犯人だと推理しています。その証拠を押さえるために401号室を調べたいのですが、鍵は守衛室。つまり秋山教授のいない時間を狙って侵入する必要があります」


 そこまでは理解できた、ような気がした。


「そこで月曜の3限、考古学Ⅱの時間を狙います。秋山教授はこの講義の担当で、90分の間は確実にいないわけです。荻山くんはこの時間、空いてますね?」


 なんで僕の時間割を知っているんだろう。確かに空いている。


「私はこの講義を聴講して秋山教授を監視します。その間に荻山くんには401号室を調べるというわけです」


 ちょっと待ってほしい。秋山教授の隙を狙う算段はわかったが、鍵はどうするんだ?


「守衛から鍵を借りる口実は簡単です。"講義で使う資料を持ってきてほしいと秋山教授から頼まれた"と言えばいいんです」


 僕の心を読んだかのように教えてくれる。


 勇み足のような気もするが、作戦は理に適っているように思えた。秋山教授が犯人である証拠を見つけられる前提ならば。


「そういうわけで、頼みましたよ、荻山くん」


 ――――


 そういうわけで、月曜日の3限の時間、僕は音楽棟に来ているのだった。


 東雲さんからメッセージが届く。秋山教授は予定通り講義を始めたようだ。


 作戦では3限開始から10分後に守衛室で鍵を借りることになっている。一昨日と同様に音楽棟の自動ドアをくぐる。


「すみません、401号室の鍵をお願いします」


「401? 秋山教授が借りてるよ」


「秋山教授から講義で使う資料を持ってきてほしいと頼まれたのですが」


 あぁそういうことね、と独り言ちた守衛の職員は僕を疑うこともなく鍵を貸してくれた。


 僕は鍵を片手に401号室へ向かう。平日の日中は音楽棟を使う人が少ないのか、やけに静かだ。特に地下階は静まりかえっていた。

 最奥の部屋へ辿り着いた僕は、覗き窓を見た。土曜日に来たときと同様、カーテンがかかっており中は見えない。

 ここで僕は昨日調達してきた白手袋をつけた。東雲さんの提案で買ってきたものだが、雰囲気が出る。

 手に持った鍵を差し込み、回す。がちゃり、と音がして鍵が開く。


 扉を開いた。中は暗い。

 照明をつけよう。普通、扉の横にスイッチがあるものだ。予想した通りスイッチを発見した僕は、それを押した。


 中教室ほど大きさのその部屋には窓はなく、部屋の隅には一台のグランドピアノが置いてあった。

 その次に目を引いたのは、部屋の中央に置かれた布だった。キャンバス地のように見えたそれは丸められており、筒状になって転がっていた。

 気になった僕はそれを広げたくなったが、その前に写真に収めることを忘れなかった。ついでに周りに置いてある小物も写しておく。

 一通り撮影を終えたところで、改めてその布に対面した。白手袋をつけた手でそれを広げると、そこには赤黒いもので何かが描いてあった。


 広げきってみると、それは黒魔術で使う魔法陣だった。

 いや、初めて見たので厳密には正しいのかわからなかったが、そう表現して差し支えないだろう。一番大きく描かれているのは六芒星だ。六芒星の辺に沿うように文字のようなものが知らない言語で書かれている。


 このあたりで僕はインクの代わりに使われている液体の正体に検討がついた。否、ついてしまった。

 この赤黒いものの正体は恐らく、血だ。人間のものかどうかまではわからないが、生き物の血が使われたことは間違いない。


 血で描かれた魔法陣。


 僕は暫くの間、それを眺めていた。

 いや、呆としてしまっていることに気づくまでに時間がかかったのだ。


 オカルトだかファンタジーだかの作り物でしか存在しえないと思っていたものが、ここに存在する。

 それを理解した瞬間、眩暈がした。眼前が暗くなり、手足の感覚が薄くなる。尻餅をついて仰向けに倒れかけたところでそれに気づき、腕で体を支え、後頭部を床にぶつけずに済んだ。痛覚が臀部の痛みを訴えてきて、ようやく体の状態が戻ってきたことがわかる。


 細かいことは不明だが、これが怪物と関連していることは間違いないだろう。

 本当は怪物などおらず、魔法陣もただ戯れに描かれたものと信じたかった。

 だがそんな僕の"常識"を超える証拠となろうものが今、眼前にあるのだ。

 僕は崩れそうになる精神をなんとか保ち、この布地と記号を写真に収めた。


 その後、周囲のものを浚ってみたがめぼしいものは見つからなかったので、布地を元の丸めた姿に戻してから、照明を消して部屋を出た。


 幸いにも鍵を守衛に返すまでの間、想定外のことは起こらなかった。

 いや、あの魔法陣の存在自体が異常ではあるのだが。


 時計を見ると、小一時間ほど経っており、3限が終了を迎えるまでになんとか終えることができた。作戦完了の旨と収穫物を東雲さんに送信する。


 すぐに返事が来て、僕の自由は解放された。

 侵入するまでは昨日東雲さんとランチをしたときほど緊張しなかったが、魔法陣を広げた後の気分は最悪だった。


 僕は外の空気で呼吸を整えつつ、食堂へと向かった。



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