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終末のメリッサ  作者: 咲洲ルカ
第1話 怪物の影
3/10

-3- 行方不明事件


 榊古書店を訪れてから三日。

 僕はいつも通りに通学していた。


 怪物の噂は流行が去りつつも消えずに残っているようだった。時折耳に入ってくる。

 その都度、あの古書店が脳裏によぎってしまうことが小さな悩みだった。


 ある日の放課後、大学の門に軽い人だかりができていた。


 サークルの集まりでも開かれているのかと思ったが、そうではないらしい。

 学生がいくつかの小集団をつくり、情報交換をしている風であった。


「ちょっとそこの君、少し時間いいかな」


 門を通り過ぎようとしたとき、スーツ姿の若い男性に声をかけられた。

 彼は僕を制止するように手を掲げ、近寄ってくる。


 グレーのスーツに身を包み、短髪を整髪料で固めた若い男性だ。真っ赤なネクタイから前衛的な印象を受ける。


 周りの学生たちからも、ちらと視線を投げられる。

 僕は注目を集める経験があまりないため、鼓動が早くなってしまう。


「淵宮署の五十嵐(いがらし)です。捜査にご協力ねがいます」


 男性は二つ折りの身分証のようなものをこちらに見せてくる。これが警察手帳というものか。顔写真と氏名が印刷されている。階級なども書いてあるのだろうがよくわからなかった。


「捜査って、何か事件でもあったんですか」


 僕は人だかりができていた理由に検討がついた。野次馬だ。


「事件かどうかはまだわからないんですがね」と前置きしてから刑事さんは続ける。


「この女性を知っていますか? 数日、家に帰っていないらしいんですが」


 そういって手帳――こちらは普通の手帳だ――に挟んでいた写真を取り出し、僕に見せる。


 写真に写っているのは一人の女性だ。というより、誰かと一緒に撮影した写真が加工されていて、他方は顔にぼかしが入っている。


 写真の女性は僕の知っている人だった。


「人文科の鈴原さんですね」


 お知り合いですか、との問いに僕は顔見知り程度ですと答える。


「確かに今日は見てないですね。月曜日にはいたと思うんですけど」


 月曜日というのは榊古書店を訪れた日で、今日は木曜日だ。


「ええ、月曜の夜は家に帰っていたようです。火曜の朝、大学に出かけてから帰ってこないと」


 僕はそれを聞いて頭を絞る。火曜日も同じ講義を受けていたはずだ。

 一昨日、彼女が来ていたかどうかを思い出す。


「一昨日の午後の講義でも見ました」


「それは本当か? だとしたら火曜の夕から夜の間に消えたことになる」


 新情報、といった様子で刑事さんは手帳に書き殴る。


「家に帰ってないって、外泊とかじゃないんですか」


 僕は至って常識的な質問を投げかける。


「両親とは仲が良かったようでね、外泊の時は必ず連絡が来るんだと。一日はそういうこともあるだろうと気を長くしていたみたいだが、さすがに二日連続で連絡無しとなるとそうもいかないらしい」


 つまり失踪届が出されたのは今日なのか。警察にしてはなかなかどうして行動が早い。


 最後に連絡先を交換して――といっても僕の方は名前と所属を伝えただけだが――解放された。


 刑事は聞き込みの場所を変えるようで、守衛に断りを入れて学内へ入っていった。野次馬たちも三々五々に散ったようだ。僕も門を出て歩き出す。


 しかし、短い間に変わった出来事が重なるものだ。

 怪物の噂、消えた女子学生。

 僕はその2件をなんとなく並べながら、榊古書店をまた脳裏に浮かべていた。


 ――――


「お。荻山君だっけ。奇遇だね」


 駅前のカフェテリアの前で、古書店の怪しき店主――榊氏とばったり出くわした。

 前回、逃げるように立ち去ってしまったので少し気まずかったが、向こうは気にしていないようだった。


「せっかくだから少し話をしよう。そこのカフェテリアでいいかな? 奢るよ」


 いきなりの提案に反応が遅れてしまった。

 空っ風で落ち葉が舞う。もう日が短くなってきていて風が冷たい。

 僕ははっきりとした返事をしないまま、店に入った榊氏に流されるようについていった。

 店内に入ると珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。


 榊氏がカウンターで注文を入れる。僕はお言葉に甘えてココアを頼んだ。


 僕らは品物を受け取った後、二人がけのテーブル席にかけた。


「さて」


 ホットコーヒーの香りを楽しみながら、榊氏が切り出す。


「淵大の女子学生が一人、行方不明になっているのは知っているかな」


「同じ人文科の一年生です」


「どうやら君も知っているようだ」


 彼はコーヒーを冷ましながら、一口啜る。

 一介の古書店店主にしては耳が早い。僕の驚くような顔を見てか、「いろいろと伝手があってね……」と補足が入れられた。


「単刀直入に言うと、怪物騒動と行方不明事件は関連していると睨んでいる。

 そこで改めて調査の協力をお願いしたい」


 榊氏は真剣な目で訴えるように僕に頼んできた。


 本当に怪物騒動と行方不明事件が繋がっているのだとすれば実際に被害者が出たことになる。彼が真剣になるのも頷ける。


「……警察に任せればいいじゃないですか」


「行方不明事件だけならね。怪物騒動の方はそうもいかない」


 同感だ。怪物などという空想に警察は付き合っていられない。通報したところで笑い飛ばされるのが落ちだろう。現に僕も似たようなものだった。


「関連があると踏んだ根拠はなんですか」


「実を言うと勘だが、強いて挙げるならタイミングだ」


 逆に言うとそれ以外にないわけだが、仕方のないことだろう。

 怪物騒動も調査が進んでおらず、行方不明者についても消えた時刻程度しか検討がついていない。

 今回の場合は時期が近いというだけでも十分な理由になる。


 正直なところ、僕の心持ちは古書店での邂逅から少し変わっていた。


 協力の申し出を一度断ってしまったという罪悪感からか、身近に被害が出ているかもしれないことへの使命感からか。隠さずに言えば、ミステリアスな美女とお近づきになれるかもしれないという下心もあっただろう。


 少し間を置きたくて、ココアに口をつけた。温かさが体に染み渡る。


「ここで君と会ったのも何かの縁だと思うんだ。手伝ってもらえないかな」


 たしかにタイミングとしては運命めいたものを感じなくは無い。


 意を決して意思を伝える。


「わかりました。手伝います。ただ――」


 僕は最後に付け加えた。


「僕が証明するのは"怪物など存在しない"という事実の方です」


 これは僕にとって僕なりの常識を守るための戦いだ。


 沈みかけの夕日が向かいのビルの窓に反射して僕らを照らす。榊氏は表情を緩めながらホットコーヒーを啜った。


「それでかまわないよ」



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