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終末のメリッサ  作者: 咲洲ルカ
第1話 怪物の影
2/10

-2- 榊古書店


 僕は東雲さんの友人として応接スペースに通された。

 応接スペースと言っても、レジカウンター横の空間にローテーブルと革張りのソファが置かれているだけだ。


 東雲さんは紅茶を淹れにもう一度奥に引っ込んでいった。

 座るのを促された僕は、お茶を遠慮しながらもソファにかけた。対面には、やはり店主らしい中年男性が座った。


「僕は榊義昭。この古書店の店長だよ」


 男性はそう名乗った。名乗られてはこちらも名乗るほかあるまい。


「人文科学部の1年、荻山恵典です。」


 僕は簡単に自己紹介をする。


「荻山君ね。狭いところだけどゆっくりしていってよ」


 榊氏は僕に微笑みながら言った。


 こんな裏路地にある店だ。普段から客足も少ないのだろう。


 店に来た理由を掘られる前にこちらから話題を振ることにした。


「東雲さんは、ここでバイトしてるんですか」


「リサかい? リサはただのバイトってわけじゃない。なんて言えばいいのかな……」


「ただの居候です」


 紅茶を淹れて戻ってきた東雲さんが答える。

 トレーから二人分のカップを配って注いでくれる。彼女は立ったままだ。


「リサも座りなよ。君の知り合いだろう?」


 コの字型に配置されたソファの空いている席に目配せしながら榊氏が促す。


 知り合い、という言葉選びに配慮を感じる。僕と東雲さんが親しい仲ではないことは察しているらしい。


 東雲さんは渋々といった様子で席についた。彼女の綺麗な所作にしばし見とれてしまう。


「で、荻山君も淵大生なんだよね。ちょっと話をしよう」


 僕に向き直った榊氏が話し始める。


「こんな噂を聞いたことがあるかな。淵大に怪物が出るって噂」


 ――――


 榊氏の口から怪物という単語が出た。どうやら彼は怪物の噂について調査したいのだという。


「その……怪物とやらの姿は、誰かの見間違いじゃないんですか?」


 紅茶に口をつけてから僕は尋ねた。


 僕は幽霊とか宇宙人とか、非科学的なものを信じていない。ファンタジーやSFの作品は好きだが、フィクションは所詮フィクションだ。

 怪物の噂も、見間違いに尾ひれがついたに過ぎないだろう。


「僕もそうだとは思うんだけどね」


 榊氏がひと呼吸おいてから続ける。


「この手の噂は大方デマだが、稀にホンモノがいる」


 本物だって? この人は今、本物がいる(かもしれない)と言ったのか? いったいどんな頓狂を言い始めたのかと理解に苦しむ。


 怪物なんて実在するはずがない。オカルト好きの噂話か、陰謀論か。いずれにしろ虚構だ。今までの科学がそれらを否定している。


 しかし、もし怪物が実在するとしたら?

 この世界の、僕らの見えていない部分にそういった存在がいるとしたら?


 榊氏の目には、虚構だと投げ捨てるには難しい、妙な説得力があった。


 円盤状の飛行体に乗ったグレイ。

 雪山の奥地に足跡を残す巨人。

 遠い国の湖に棲む現代の恐竜。


 僕はそういった可能性をあり得ないことと信じ込み、見ないようにしていただけかもしれない。それらは遠くの出来事ではなく、すぐ近くに潜んでいるかもしれないのだ。


 瞬きのつもりで一度、目を閉じた。

 すると、瞼の裏に"ナニカ"が現れる。


 僕は想像してしまった。

 自分の通う大学の構内を闊歩する不気味な怪物を。

 2メートルを超す巨躯。ぬめりのある皮膚。獲物の血滴る鉤爪。


 怪物の前には男とも女ともつかない人間の残骸が転がっている。あの鉤爪に引き裂かれたのだろう、腹から臓物が飛び出してしまっている。僕は反射的に嫌悪感を覚えた。


 怪物は首をもたげて僕の方を覗き込むように見た。

 "ナニカ"と目が合ってしまった。


 僕は咄嗟に目を開ける。

 部屋の温度が少し低くなったような気がした。陽が落ちてきたせいだろうか。


 数秒、黙り込んでしまったのだと思う。紅茶の水面になんとか焦点を合わせたあたりで、柔らかい声が耳に届いた。


「僕はこういった"不思議なコト"を調べるのが好きなんだ」


 固まっていた僕の表情を汲み取ってか、榊氏は笑みをつくる。


 紅茶の香りが優しく鼻腔をくすぐり、僕をリラックスさせる。


 一緒に話を聞いている東雲さんは相変わらず無表情だ。

 驚いている様子はない。


「リサには家賃の代わりに、調査を手伝ってもらっている、といったところだ」


「家賃は家賃で入れてます」


「それは最近からだろ」


 東雲さんの横槍を榊氏が一蹴し、彼女が押し黙る。

 この二人の関係は実に謎だ。


「僕は学生じゃないから、気軽に構内に入れないんだよ。

 というわけで、よければ協力してもらえないかな?」


 何が"というわけ"かはわからないが、彼は僕に協力を仰いでいるようだった。見ず知らずの学生に怪現象の調査を頼むなんて、常識的とはとても思えない。


 喉の渇きを潤すために紅茶を呷ってから僕は口を開く。


「申し訳ありませんが、お断りします」


 そう答えた。

 先ほど想像した怪物を思い起こし、できれば関わりたくないと感じた。

 そもそも出会ったばかりの人間を信用する理由はない。


「うーん、つれないねえ。まあ仕方ないか」


 榊氏が残念そうに肩をすくめる。深追いはしてこなさそうだ。


「気が変わったらまた来なよ。それとも何か買っていくかい?」


「いえ、今日はこれでお暇します。おじゃましました」


 立ち上がった僕は挨拶もそこそこに店を出た。少し失礼だったかもしれない。

 外に出た瞬間に冷たい風がびゅうと頬を撫でた。


 赤くなった空を見やりながら、先ほどのことを思い出す。古書店に滞在している間、霧の中にいるような不思議な感触を覚えていた。

 その感触が拭えないまま、僕は帰路についた。


 ――――


 とある宵の刻、淵宮大学の構内を歩く女子学生が一人。

 鈴原美保は音楽棟の部屋を借り一人で吹奏楽の練習をした後、帰り道にコンビニでも寄ろうと考えながら歩いていた。


 ふと足を止める。音楽棟の裏手から何やら物音がする。

 呻る獣のような、コントラバスの音色のような。


 彼女はある噂を思い出す。たしか「音楽棟の裏で、怪物の影を見た」。


 ははーん。これが噂の怪物ってやつね。

 名探偵ミホがその真実を暴いてやろうじゃないの。


 彼女は踵を返し、音楽棟裏へと向かっていく。

 近づいていくとともに、足音が漏れないように慎重に歩くようにした。

 音の主に気づかれないように。


 怪物の正体は着ぐるみかな……なんて。


 彼女は音楽棟の角にさしかかった。

 あと少しで音の正体が見える。鼓動が早くなる。慎重に。

 向こう側から見られないように、気づかれないように。


 彼女は角の先を覗いた。

 

 ただの興味本位だった。

 噂の真相は如何ほどかと、軽い気持ちでそこを覗いた。


 月明かりと、音楽棟の窓から僅かに漏れる照明の光。

 角の先には何もいなかった。少なくとも彼女の目にはそう映った。


 彼女は裏手の広い部分へ駆け寄って辺りを見回す。


 ほのかに香る何者かの残り香。腐ったトウモロコシのような悪臭が鼻をつく。


 ばちん!


 彼女の背後で銅板が裂けるような音が響く。咄嗟に振り返る。


 月明かりが照らすは人ならざるもの。

 気づけば腕のような部位がこちらに伸ばされている。

 彼女に見えたものはそれが最後だった。


「きゃ――」


 次の瞬間、彼女は失神した。

 そして彼女の行方は知られぬものとなった。



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