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第九話 カーブボールとエクセレントスロー

 ジョーたちは駅の方まで来ていた。ポケモンGOに新規実装されたというモーモー牧場を試すためだ。

「錠くんも好きだね、こんなところまで」

 ジョーから見て右側にいる白髪頭の老人が独り言ちた。

「まー新規実装ですからね、試してみないと!」

 朗らかな感じのジョーは笑いながら言う。

「たかがミニゲームだろ。やってもやらんでも変わらん」

「まーまー、そう言わずに行ってみましょうよ、岸さん。ほんのちょっと、お時間をいただくだけですから」

「ふん、どうだか」


 駅の周辺ではポケモンGOをやっていると思しき人たちが、思い思いの格好で投球に興じていた。休日とはいえ、ちょっとしたイベント状態だ。

「どこか腰を落ち着けられるところ……あった、あそことかどうですか?」

 ジョーはキシに尋ねる。

 指さした先にはイソギンチャクが取り付いていそうな岩の形をしたベンチがあった。

「そこでいい、座ろう」

 本当はもうちょっとちゃんとしたベンチに腰を落ち着けたかったのだが、もう随分歩いてきていたし、膝もそろそろ悲鳴を上げ始めていた。

「岸さんはちょっとここで待っていてください。僕、あそこのワックで飲み物を買ってきます」

 キシの不機嫌さを感じ取ったのか、ジョーは彼をベンチに座らせてコーヒーを買いに行った。


 * * *


「よっこらしょっと」

 やっとのことでベンチに腰を落ち着ける。

 やや斜め気味のベンチは体を預けられそうな背もたれもなく、少し心許ない。騒々しい周囲を尻目にキシはスマホの画面を開く。

「ふん」

 ポケモンボックスとどうぐを交互に見ながら、捕まえたポケモンを眺めていた。ポケモンをタップしながら左右にスワイプすると、ポケモンの全体像が見える。不思議なもので捕まえたポケモンたちには愛着があった。これだけ捕まえたのだという自負もある。老人が盆栽を愛でるような気持ちとでもいうのだろうか。


 孫から教わったポケモンGOは彼の目を外の世界へと向けさせた。実際に連れ出したのはジョーだ。彼におだてられてつい外へ出てきてしまったものの、行動範囲はさほど広くはない。せいぜい日課に近所の散歩が追加された、それくらいのものだ。

 キシは何かに気付いたのか時折、窺うように周囲を見回す。足早に過ぎ去っていく人ごみの中、探しものをしているようでもあった。ふと、とある二人に目を留めた。


「すみません、遅れまして」

 ジョーがホットのコーヒーをキシに手渡そうとする。それに目を向けず、キシの目はずっと遠くを見ていた。

「何かありました?」

 少し覗き込むような形でジョーは背を屈める。

「あそこの二人……」

「えっ? あぁ」

 青年と少女が何やら揉めていた。

 青年がベンチに腰掛け、その近くで少女が立ったまま何かを言っている。声はあまり聞こえないが身振りは大きい。何度か首を振る仕草も見せた。

「ちょっと行ってみましょうか。多分、例のアレです」


 * * *


 楓たちはミニゲームが始まってからというもの、エサをボールの代わりに投げ続けていたのだが、いかんせん牧場から脱走しようとするミルタンクの数が多かった。ぱっと見でも数十匹はいるだろうか。さらに分の悪いことにこれには30分という時間制限が設けられており、その時間内に全てのミルタンクを牧場に戻さなければこの作業は徒労に終わり、報酬ももらえないのである。


 一体、どうすればいいのか――


 戸惑っていた二人のスマホ画面に突如現れた「Special Offer!!!」の文字。

 表示された情報によると全てのミルタンクを一気に牧場へと返せる裏技が存在し、その裏技を使うことでタスククリアとなり報酬ももらえるとのことだった。その方法とは


『カーブボールのエクセレントスローを1回投げること』


 カーブボールとは通常のまっすぐ投げる投球方法とは違い、ボールをくるくる回しながら投げる投球方法だ。その分、追加でボーナスももらえるが、大抵の初心者はこの投げ方が上手くいかずにつまづいてしまう。続いてエクセレントスロー、これはポケモンを捕まえるときに表示されるターゲットリング(円)が一番大きいときにボールをポケモンに当てると『Nice』、少し小さくなったときは『Great』、そして一番小さくなったときが『Excellent』になる。このエクセレントスローは達成が難しく、円の大きさが針の穴ほどの小ささなので、文字通り「針に糸を通すような」繊細な投球が求められる。


「あ~、違うってば! もうちょっと下」

「した?」

「そこからくるくるって」

 楓たちは苦戦していた。そう、カーブボールである。くるくるボールを回して投げるだけ。文字にすると一言だが、これが実に難しい。ましてや楓はストレートボールでさえ投げるのに苦戦していた。ゆかはなんなく物にすることができたが、教えるのに苦戦していた。

「何かお困りですか」

 ふと見上げると、見たことのない男が楓たちの前に立っていた。隣には不機嫌そうな表情の小柄な老人がついている。

「あっ、はい。トレーナーさんですか?」

 ゆかが聞くと、ジョーは頷いた。

井狩錠いかりじょうです、よろしく。こちらのご老人は岸さんです」

 握手をするために片手を差し出す。アメリカンな挨拶に戸惑いつつも、楓たちはジョーと握手を交わし、自己紹介をした。

「カーブボールに苦戦しているみたいだね」

「私はできたんですけど、この人が」

「ふむ、ちょっと見せて」

 ジョーがスマホを覗き込むと、楓は慣れない手つきでカーブボールを投げ……た?

「これは――投げてないね」

「はい、そうなんです」

 ゆかは困ったように呟くと、肩を落とした。

 カーブボールを投げるときにはボールがグルグルと回って、その周りにキラキラが夜空の星のように瞬くはずだった。ところが楓のボール(今はエサだが)にはそういったエフェクトが全くない。とどのつまり、彼はただ左右に指を振っているだけに過ぎなかった。それに加えて

「あともうひとつ、変なクセがあるね」

 ジョーが指摘した楓の変な癖。それはエサを投げる前に指を離すというものだった。

「どうしてだろう。楓くんはどう思ってる?」

「なんなんですかね。自分ではきちんと投げてるつもりなんですけど……指がすっぽ抜けるというか」


 ――確かにこれは修正するのに苦労しそうだな――


 ジョーはそう思ったが、段階を踏んでさえ行けば何とかなるのではないかとも思っていた。本人の思い込みから来るやり方は矯正するのが難しい。けれども一度コツを掴んでしまえばもっとうまくできるようになる。

 彼はいつもやっているようにズボンのポケットから文庫本を取り出した。古びた表紙で何度も読まれた中古品だ。

「楓くん、ちょっとこっちに来てくれるかな。あそこのベンチにでも」

「あ、はい」

 ジョーに導かれるように座ったベンチで、楓は膝の上に文庫本を置かれた。

「これは……?」

 何の変哲もない古びた本だった。ただ違うのはそれが表紙ではなく、裏表紙であるということ。その真ん中には黒い丸が描かれてあった。

「この本の真ん中に黒い丸があるよね。それをこれから投げるエサだと思って欲しいんだ」

 言われた通りに楓は黒い丸に人差し指を置く。

「普段投げてるように指を動かしてみて」

 楓は先ほどと同じように黒い丸を中心として、左右に人差し指を振り出した。

「ストップ、OK。じゃあ今度は本の上で、人差し指を使って丸を書いてくれないか」

「丸……ですか?」

「そう。学校の先生が答案で丸をつけることがあるだろ? それと同じように、普段楓くんがボールペンで丸を書くように人差し指を動かしてみて欲しいんだ」

 それなら簡単だ。楓はいつものように時計回りで本の上に丸を書いた。その人差し指は綺麗な円を描く。

「それだよ、楓くん!」

 ぱちぱちと手を叩きながらジョーは楓を褒めた。

「その要領でこのエサも投げられるよ」

「……ですかね」

「できるとも。じゃあ今度は真ん中の黒い丸を押さえてみて」

「はい」

「そしたら数字の9を書くようにエサを動かしてみよう」

「数字の9……」

 すると楓が最初に描いた円のように、するりとイメージしたエサが下の方へと飛んで行った。

「できたね! じゃあ次は人差し指を何回かくるくる回してみようか」

「はい」


 * * *


 ここまでで楓は一切スマホの画面を触っていない。しかし、本の上で描く軌跡は確実にカーブボールを投げるときのそれに近づいていた。

「くる、くる、ぽん!」

 ジョーの手拍子に合わせて楓の人差し指は本の上で円を描く。ポケモンを捕まえるために、最後のぽん!で指を斜め45度の方向に放してやるのがポイントだ。


「いよいよ、だね……」

 緊張した面持ちでジョーが呟く。楓はもとより、傍で見ているゆかや、離れたベンチから様子を見ているキシにもその緊張は伝わっていた。

「楓くん、スマホの画面を」

「はい」

 ジョーに促されるようにして、楓はスリープ状態になったスマホの画面をパターン入力して解除する。牧場の風景が広がり、ミルタンクが目の前に現れた。

(くる、くる、ぽん……!)

 エサを掴んだ楓の人差し指は練習のときと同じように綺麗な円を描いた。そして


 しゅっ


(よし、タイミングぴったりだ!)

 綺麗な円を描いたエサはキラキラと光りながらミルタンクへと向かう! 当初懸念されていた直前の指放しもなかった。

「おおっ、すごい! エクセレント!!!」

 ジョーの声が辺りに響いた。

 比較的大きな円で狙いやすいミルタンクではあったが、そのエサは吸い込まれるように小さくなった円の中心へ向かう。文句の言いようのないエクセレントスローだった。


⦅いいか、楓くん。君は途中で指を離してしまう癖がある。そこは我慢だ、我慢するんだ……!⦆


「ジョーさん、ありがとうございます」

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