第三話 ポケモンを捕獲する
楓がヒトカゲを最初のポケモンにすべくタップすると、吸い込まれるように画面が近くなり、メッセージが表示された。
『現実世界を背景にしてみましょう!』
これがいわゆる拡張現実と呼ばれるAR機能の設定に関わる選択肢だったのだが、そのときの楓は知る由もない。何か面白いことがありそうだと「はい」ボタンをタップした。すると――
「あっ、画面が変わった」
それまで3Dのマップだったのが、画面が暗転して自宅の部屋が映し出された。ポケモンの鳴き声が聞こえ、画面の中央にヒトカゲが出現している。手前で跳ねているボール、モンスターボールをタップすると、ポケモンを中心にした緑色の輪っかが表示された。この中にモンスターボールを投げ込んで捕まえるんだな。ケンタが最初に教えてくれたときの様子を思い浮かべる。確かあのときはピカチュウを捕まえようとしていたはずだ。
「右手の人差し指を下から上に~シャッ」
しかし勢いが付きすぎたのかボールは飛ばす、指だけが画面の外へ勢いよく飛んだ。
「なるほどね」
ならばと、小さくボールを放ってやるとポケモンに届くことなく、目の前に落ちてしまう。その後も続けて試してみるが当たらない。どうも投げ方が違うようだ。
「ダメだな、煮詰まってきた」
外へ出て気晴らしでもしよう。
「いってきま~す」
夕飯前には戻ることを母親に告げて、楓は外へ出た。
* * *
ミーンミンミンミン……
始まったばかりの夏はまだまだ終わりそうにもない。右手でひさしを作りながら空を見上げると、抜けるような青空に太陽が眩しい。心なしか熱を持ち始めたスマホをズボンのポケットにしまい、うだるような暑さの中とぼとぼと歩き始めた。
エアコンもなく、無風。そんなことは分かり切っているのに、誰か他にポケモンをやってる人はいないかと目を凝らす。
「そんな都合よくいるわけないよなぁ~」
かといってケンタにこの悩みは言えなかった。あいつのことだ、すぐに馬鹿にしてくるに違いない。目を閉じれば浮かんでくる、あいつのにやついた顔……
かぶりを振りつつ、涼を求めてコンビニの方に足を向けようとすると、向こう側からスマホを片手にこちらへ歩いてくる母娘らしき姿があった。コンビニの帰りかと思いきや、二人とも何かを買っている様子はない。もしかして――
「あの、すみません」
「は、はい」
二人いるうちの母親と思しき女性が少し驚いたように答える。楓は申し訳なさそうに頭を下げながら尋ねた。
「間違っていたらすみません、もしかしてポケモンGOをやられている方ですか」
「あ、はい。そうですけど……」
「すみません、ポケモンってもう捕まえました?」
「ポケモン?」
「そうです、最初起動したら3匹出てきて選ぶ画面があると思うんですけど……」
「あー」
突然の質問に戸惑ったのかすぐに答えが出てこない。すると助け舟を出すように隣にいた少女がそっと耳打ちした。
「ママ、多分最初のポケモンを選ぶ画面だよ。ほら、フシギダネとかが出てくる」
「あっ、そうね、思い出した」
「ちょっとポケモンが捕まえられなくて……」
「ここじゃなんだから、ちょっと場所を移しましょうか。車もたくさん来てて危ないし」
確かに母親の言う通りだった。駅周辺に比べると車の数は少ないものの、見通しが良いこの辺りはそれなりに車が飛ばしてくる。
「どこかよさそうな場所、ありますか」
「この辺りなら三角公園とかどうかしら」
「さんかくこうえん?」
聞いたことのない公園だった。
「うん、ここからちょっと歩いたところにあるの。そこなら広いから、ベンチに腰掛けて色々教えられると思うな」
ぴょこんと少女の顔が母親の横から飛び出す。
それもいいかもな――
運良くポケモントレーナーに出会えたことに感謝しつつ、楓はこれから何度も足を運ぶであろう、三角公園へと向かった。
* * *
程よく広がった砂地に、砂場やら滑り台やらブランコやらが点在している。近所の子供たちがよく来るのだろう、ところどころに地面に描いた落書きや、土が付いた小石などが落ちていた。よくある住宅地の片隅にある公園といった感じで、ぱっと見、日陰はなさそうだった。
「あそこに座りましょう」
母親が指さしたのは、背もたれのないプラスチック製のベンチだった。
「ポケモンが捕まえられないのよね」
「あ、そうです」
「それならゆかに聞いた方が早いわ。私もこの子から教わったの」
その言葉ににっこり笑いながらVサインを作ってみせる娘、ゆか。母親の名前はすみこだというのはもっと後に教えてもらうことになるのだが。
「じゃあまず、君のやり方を見せてくれないかな」
心なしか手がわきわきしているように見えるのは気のせいだろうか。多分、早く教えたいんだな。困ったように苦笑いすると、楓はポケモンGOを起動させた。地図を簡略化したフィールド画面が表示され、三匹のポケモンが姿を見せる。
楓は小さくうなずくと、ヒトカゲをタップして捕獲画面に入った。人差し指でモンスターボールを固定して、勢いよく画面の上に指を滑らせる、が
「あぁー、まただ」
力が入ったのかボールは微動だにせず、指だけが画面の外へ飛んでしまう。
「なるほどね。じゃあ今度は力を抜いてやってみて」
ゆかの言葉に今度はそっとなぞるようにボールをタップして放ってやる。力が弱いのかヒトカゲには届かず、ポケモンのはるか手前でポンポンと跳ねて消えた。
「いつもこうなっちゃうんだよなー」
楓は不満顔だ。その様子を隣で見ていたゆかはぷっくり頬を膨らませると、言った。
「多分ね、君は最初にボールを投げるとき、力が入りすぎているんだと思う」
「そうなのかな」
「絶対そうだよ! だって気付いてないと思うけど、すっごい力が入ってるよ、指に」
「うーん……」
「でも力を抜くと、さっきみたいにソフトタッチになっちゃうんだよね?」
「そう、だね」
経験者だと一目見ただけでここまで分かってしまうものなのか。でもゆかの言葉を聞くに、直すのに時間がかかりそうな癖だった。
「ちょっとさ、いったん画面から目を離して、私のスマホの画面を見てくれる?」
実演してくれるということなのだろうか。藁にも縋る思いで、楓はゆかのスマホの画面を食い入るように見つめる。
「ここ、モンスターボールのところを見て」
「うん」
「人差し指は力を入れないで、普通に乗っけるの」
ゆかの指が軽く添えられるようにモンスターボールの上に置かれる。
「大体画面の真ん中くらいかな。ここまで行って、離す感じ」
すーっ、ぽうん。
ゆかが放ったボールは山なりに飛んでいき、ポケモンに当たった。Nice! の文字が表示され、モンスターボールが3回揺れてポケモンが捕まった。このあたりは大体原作通りの仕様のようだ。
「じゃあ次、やってみる?」
小さくうなずくと、楓はもう一度ヒトカゲに向かい合う。つぶらな瞳のこいつは、まだ僕のことを待ってくれている。そろそろ捕まえてあげなくちゃ。
「モンスターボールを掴んで、画面の真ん中くらいで……離す!」
すると奇跡が起こった。
モンスターボールがゆかと同じように山なりに飛んでいき、ヒトカゲに当たったのだ!
「わっ、当たったよ、すごい!」
しかし、まだここで終わりではない。きちんとモンスターボールが3回揺れてくれなければ、ゲットとはならないのだ。
緊張の一瞬。
1回、2回、3回……カチッ!
黄色い星が飛び出して、モンスターボールの揺れが収まった。ヒトカゲを無事捕獲できたのだ。
「あぁ、やっと捕獲できた! ありがとうございます」
「無事捕まえられてよかったね。じゃあ、私たちはそろそろ行くから」
「あっ、ごめんなさい。待たせてしまって」
ゆかに教えてもらっている間中、すみこを待たせてしまっていた。でも楓にとってその時間はあっという間だ。
「だいじょうぶ。最初の頃って、なかなか捕まえづらいわよね」
申し訳なさに苦笑いしつつも、すみこの言葉に少しほっとする自分がいた。
この人たちと、もう一度会えるといいな。
楓は彼女たちを見送りながら、微笑んでいた。