第十六話 仙人の愛弟子
山頂付近の植田山公園から少し下ったところにある登山道の途中に、分かりづらいが二つの獣道がある。左右にそれぞれ雑草を踏みしめたような跡があり、道のように奥へと続いているのだ。
大男は山頂から見て右側の道をどんどんと進んでいく。しばらく行くと、薄暗がりの木々の合間に小さな石碑のようなものが見えてきた。朽ちて苔むした感じのあるそれは、石でできた台座の上に置かれており、縦長の石碑のようにも見えた。その裏にはごつごつとせり出した崖があり、上から柳が覆いかぶさるように雑草が生い茂っていた。
大男は台座の手前に身を屈めると、その上に乗っている石碑を横にずらした。すると――
「穴……?」
ぱっと見は分かりづらいが、草と草との隙間に崖とは別の何かがあるように見えた。楓が驚いている間に、慣れた手つきで覆いかぶさった雑草を脇に避けると
「先に入れ」
と言った。
楓が入ったのを確認した後、大男は先ほどずらした石碑を元の位置に戻し、雑草で入口を覆い隠した。
背を屈めた状態でしばらく進むと、ぼんやりとした明かりが見えてくる。急に開けたそこは左右に蝋燭が置かれ、中央にゴザが敷かれていた。暗い室内の両脇には壁に沿うように食べ物が置かれており、ゴザの上にはいくつかスマホと思しき端末が並べられていた。
「よう来たな。座りなさい」
ゴザの上で胡坐をかいていた老人が楓の姿を認めると、手振りで座るように促した。
「失礼します」
楓が座ると、大男は老人の斜め後ろに移動した。
「私が老師である。名前はまだない」
もっとも、表の世界では仙人などと呼ばれているようだがな。そう言って笑い、胸元まで伸びた白髭を指でしごいた。
「して、ここへは何しに来た」
緊張感漂う空間にたじろぎながらも、楓はここへ来た目的を告げた。
「色違いポケモンを探しに来ました。あなたであれば見つけられる、そのように聞いています」
「色違い――コイキングか」
すぐにポケモンの名前が出てくるところからして、もう話が行っているのだろう。それとも仙人だけに、そういった話はすぐに分かるのだろうか。
ブーッ!
ゴザの上に並べられたスマホの一つからバイブレーションが鳴った。仙人はおもむろにスマホを拾い上げると、画面をチェックし始めた。スワイプして、画面をタップしているようにも見える。ただ感じたのは、どうやらそれがポケモンGOではないということだった。文字でも打っているのだろうか。
「……い、し、ま、す。送信」
スマホで打っている文字と口の動きが連動している。楓が読唇術でも習得していれば、何を書いているか分かっただろうが、あいにくとそこまでの能力はなかった。
「表の入口はいつもああやって開けているんですか」
色違いの話以降、なかなか話を切り出さない仙人にしびれを切らして楓が言う。
「罰当たりじゃないですか」
それに一人で複数の携帯端末を所有している。そこには同じ画面が映っており、先ほど楓が落とした植田山公園のジムが見えていた。これは規約で禁止されている複数アカウントではないのか。しかし、対する仙人は悪びれた様子もなく、うっすらと笑みを浮かべながら言った。
「罰ならもう受けとる」
(詭弁だ)
楓は心の中で叫んだ。噂が確かなら、仙人はもっと高潔な人物として存在しているはずだった。それがこの男、堂々と違法行為をしている。
「まぁ、そう急くな。色違いについてはおいおい話すとして、まずは外へ出よう。左近、後は頼む」
* * *
駅から電車に乗り、二人がたどり着いた先は都内だった。眩しい太陽が照り付ける中、多くの人が肩が触れ合うほどの距離で忙しなく歩きながら目の前を通り過ぎていく。駅から出てすぐのところは大きな交差点になっており、横断歩道と間に中州が見えた。
「私がただのじじいかどうかは、ついてくれば分かる」
都会の雑踏にからんころんと下駄の音が響き渡る。薄い藍色をした漢方染めの着物と灰色の帯だけで羽織をしない、着流しスタイルの風貌だ。ぱっと見、書道家のようにも見えるが、実際にやっていることは歩きスマホだった。
「すげぇ……」
通りすがりの若者が呟く。仙人はスマホを片手にポケモンを捕まえながら画面を注視し、一切顔を上げることなく横断歩道を渡り切った。その間、一度も人にぶつからず、自分から体を避けもした。
(どこもすごくないってーの)
ついてこいと言われてついていくが、やっていることはダメなことばかりだ。ここまでの電車代も楓が二人分支出している。一体、これのどこに崇め奉るような要素があるのだろうか――? 楓は抑えきれない失望を感じながら、仙人とともにある寺に赴いた。
* * *
境内では何人もの人がスマホを片手にジムバトルをしていた。ここ功名寺は七福神が祀られており、本尊の一部が国の重要文化財にも指定されている由緒正しきお寺である。ある程度の広さもあるので春先には出店や屋台が軒を連ねるらしい。
「あっ、仙人だ!」
必死でスマホの画面を叩いていた子供のうちの一人がバトルを終え、仙人に気付いたのか大きな声を上げる。それを皮切りに他の仲間も相次いで仙人に近寄る。
「本当に連絡した通りに来てくれるんだね!」
連絡……? 楓は訝ったが、子供たちはそんな楓を尻目に仙人の周りに集まってわいわい騒いでいた。
「ねぇ、今日二人でこのジム倒せたよ! 仙人がバトルパーティ教えてくれたおかげだよ、ありがとう!」
「そうかそうか。それはよかったな」
目の前にスマホを突き出されながら、仙人は顔を綻ばせている。大男を横に侍らせていたときとはえらい違いだ。
「もう、バトルは終わっただろ? さぁ、ここから出ようか」
「うん!」
ジムバトルをやっていた他の大人たちの方は最初、遠巻きにちらちら様子を窺っていたが、騒々しさにうんざりしたのかジムを取り返すこともせず、その場を後にした。
結局、あの後は子供たちの相手をしただけで終わった。確かに慕われてはいるようだが、それ以上に違法行為もしているので、楓としては認める気にはなれなかった。
「それで、色違いの話は一体いつしてくれるんですか」
「焦るなあせるな。先にいったん帰ろう」
赤ん坊でもあやすような感じで言われ、楓はあまりいい心持ちがしなかった。
* * *
「老師、おかえりなさい」
植田山の洞穴に戻ると、左近が恭しくお辞儀をする。
「特に変わったことはなかったか」
「はい、いつも通りです」
「よし、もう座っていいぞ。疲れただろう」
「ありがとうございます」
楓は突然、おやつを勧められた。固辞するも、それでも食べさせようとする。
「毒は入っておらんよ。食べなさい」
「はぁ……」
個包装のクリームサンドビスケットを食べながら、仙人はおもむろに話し始めた。
「色違いについて知りたいんだったな」
「はい」
「頼ってきてくれたところ申し訳ないが、色違いは運だ」
「えっ?」
楓は耳を疑った。仙人なら何でも知っているのではなかったのだろうか。
「一定の確率が設定されておるから、出る時もあれば出ないときもある」
「500分の1だって言うんでしょ? そんなことは知っていますよ」
「ただ一つ言えるとすれば、強欲な人間には寄りつかんということだろうな」
楓は心底がっかりした。結局、仙人とは名ばかりの、ただの知識があるポケモントレーナーではないか。
「帰ります」
立ち上がって出口へと向かい始めた楓を遮るように大男が道を塞いだ。
「通してください、帰るんで」
「まだ老師の話は終わっていない。最後まで聞け」
「聞いても無駄じゃないですか。こんなんだったらネットで調べた方がまだましだ」
「お前……!」
大男は楓の胸倉を掴んで持ち上げた。喉が締め付けられ、呼吸が苦しい。
「左近、放せ」
「しかし、老師!」
「放せと言っておる」
楓の首を絞めつけていた力が弱くなり、楓はゴザの方に投げ出された。
「ごほっ」
「弟子の非礼を許して欲しい。すまなかった」
仙人は両手をゴザにつき、ゆっくりと頭を下げる。
「左近は私を慕って来てくれているのだ。ここは私に免じて許してもらえまいか」
重ねて詫びる姿に、楓は驚きを感じつつも体は自然と仙人に正対した。仙人は楓の視線をしかと受け止め、重々しく頷くと、
「左近、この客人には説明が必要だろう。私がやってもよいが……お前はどうする?」
問いかけられた言葉に、左近は返答する。
「老師がお許しいただけるなら、おれから伝えます」
「少しの間だけだ。話を聞いてくれないか」
「分かりました、お願いします」