第十三話 捕まえづらいポケモン
「はぁ~、疲れた」
楓はスマホを机の上に置き、ベッドに倒れ込んだ。
蛍光灯の明かりを遮るように、右手をかざして天井を見つめる。指の隙間から零れ落ちた光が網膜に残って、瞼を閉じてもまだ赤っぽく目の前をぼんやりと照らしている。
たまらず腕で隠して吐息を漏らした。
「色々あったなぁ、今日も」
楓がポケモンGOと出会ってからまだ二週間も経っていないのに、もう一か月ぐらいを経験したような気持ちがする。
ケンタ、すみこ、ゆか、キシ、ジョー……
この短い間に一気に交友関係が増え、行く場所も増えた。一人でぼんやりしていたときが嘘のように目まぐるしい毎日だ。それでも――
「少し、休みたいなぁ」
誰かと一緒にやるポケモンGOは楽しい、自分でも知らない世界を体験できるから。でも自分でも、もっと色々見つけたい、探していきたい。
こう考えたとき、楓の脳裏にはあるポケモンが浮かんでいた。
* * *
⦅なんだ、この大きな影は⦆
さかのぼること数日前。楓は天元神社以外にも行く場所を増やそうと手当たり次第に歩き回っていた。最近は夜中でも昼間と同じくらいの勢いで人通りの少ない路地裏にも行ける。何なら周りが畑だらけの道路の真ん中にポツンと一人取り残されても平気だった。
歩いていく中でよく出るポッポやビードル、コラッタといったポケモンたちは捕まえやすすぎて進化も簡単だった。大体がアメ25個くらいで進化できるので、一回の捕獲でアメ3個もらえると考えると9匹捕まえるだけでいい。ポッポに至っては12個で進化できるので4回捕まえるだけでよかった。
「ある意味、原作みたいにレベル上げで何度も野生のポケモンと戦わなくてもいいから、その点では楽っちゃらくだな」
しかし、彼らがジムバトルで使えるかというとそれは別問題だった。原作のマサラタウンでもそうだったが、最初の町、トキワシティへ行く道すがらの草むらで出てくるようなポケモンは捕まえやすい分、それほど強くはない。
実際、楓がジムバトルでほのおタイプのウィンディに対してノーマルタイプのラッタをけしかけても、まるで歯が立たなかった。ダメージが等倍で防御力が低くても、ウィンディの方が圧倒的に攻撃力が高く、かつHPも高かったのだ。
「ジムの防衛にラッタなんか使ってるやつ、見たことないもんな」
それよりも御三家の最終進化系であるフシギバナ、リザードン、カメックスの方がより強敵と言えた。他にもドラゴンタイプのカイリューや、みず・ひこうタイプのギャラドスなどはジムの防衛ポケモンとしてよく見かけるが、その進化条件はあまりにもきつかった。前者は進化前のミニリュウがそもそも見つからないし、後者はコイキングからの進化だがアメが400個もいる。
そして――同じく防衛ポケモンとして重宝されるラッキーやカビゴンは激レアすぎて、かくれているポケモンにも表示されないくらいだった。
だからだろうか、楓が最初にその影を見つけたときは見慣れないためかこんなポケモンがいるのかと思ってしまった。
(なんだ、この大きな影は)
フィールド画面右下に表示された「近くにいるポケモン」の中に突然そいつは現れた。タップして表示させると図体が異様にでかかった。なんとなく丸っこい気もするが、プリンならこんなに手足はでかくないはずだ。するとブーッとスマホのバイブレーションが鳴り、目の前にカビゴンが現れた!
「えっ!?」
しかし、タップしようとしたときには消えてしまった。来る時間が遅かったようだ。
胸の高鳴りが収まらない。あのジム防衛で最強のポケモンが目の前にいた。もうちょっとのところで捕まえられたのに! 楓はとても悔しがったが、諦めることなく何度も夜中に外へ出てはしらみつぶしにカビゴンを探し回っていた。そして今日――
* * *
いつものように夜中にポケ活をしていると、前方から自転車に乗ったおじいさんがやってきた。
「カビゴン、探してるの?」
楓がそうだと答えると、俺も影を見つけて急いで来たんだよね~と楽しそうに言う。お互い見つかるといいねと声をかけられ、楓はその先の道を右へ、おじいさんは左へと進んでいった。
すると……突然楓のスマホが鳴った。そこには探し求めていたカビゴンが!
突然のことに言葉を失う。それでもなんとかタップをするとカビゴンの捕獲画面に移った。
表示されたCPは「???」。つまり、自分の手持ちポケモンより高いCPの強敵だった。
ボールを構えると、ターゲットリングの色は赤。捕まえやすいポケモンのリングが緑だとするなら、赤は最も捕まえづらいポケモンだ。ならばとモンスターボールからハイパーボールに切り替えてみたが、それでもリングの色は赤に近いオレンジだった。
手が震えてうまく投げられない。やっと当ててもすぐにボールから飛び出してしまう。
(頼むから逃げないでくれ……)
心の中で必死に祈りながら投げるボールは、無情にもどんどん目減りしていく。それでも不思議とカビゴンは逃げなかった。
「こういう時こそ落ち着くんだ――深呼吸しんこきゅう」
暴れる心臓を鎮めるように何度か拳で胸を叩いた後、楓はスマホから目を外した。
興奮していたのか、温かくなった体は夜気に当たって少し涼しさを感じる。地方でも割と都会の方とはいえ、駅から離れてしまうと田園地帯が広がるような場所だ。今でこそ住宅が立ち並び、近くにはスーパーマーケットも出来たものの、少し前までこの辺り一帯は畑だった。
見上げた夜空に星が瞬く。
こうして見ると空はどこまでも続いていて、手を伸ばすと自分がそこへ吸い込まれていきそうな気さえする。でも実際はスマホを触っていて、ポケモンを捕まえようとしているのだ。
「ふふっ」
楓は少しだけ笑い、緊張がほぐれた。
画面に目を戻すと、このカビゴンはやんちゃなタイプなのか、何度もジャンプしていた。いわゆる威嚇の動作だが、このときに投げたボールが当たっても弾かれてしまうことは確認済みだ。
(なら、威嚇が終わったタイミングで捕まえてやる)
楓は捕まえやすいよう、ズリの実を投げた上で手持ちのハイパーボールをくるくる回し始めた。カビゴンがジャンプしてから着地するまでが勝負だ。タイミングを計るため、何度かジャンプさせた後、楓はカビゴンがジャンプの動作に入ったタイミングでボールを投げた。
楓の予想通り着地したカビゴンへ、ハイパーボールがキラキラ光りながら弧を描いて向かっていく――
画面に「Excellent!」の文字が躍り、カビゴンはボールの中に吸い込まれた。
永遠にも思える一瞬、普段よりもボールの揺れがゆっくり感じられたのは気のせいだっただろうか。
1回、2回、3回……カチッ!
黄色い星が飛び出して、ハイパーボールの揺れが収まった。
「やったーーーっっっ!!!」
楓は夜更けの道路で快哉を叫んだ。
「捕まえたんだ、本当に……!」
例えようもない歓喜が押し寄せる。誰かがいれば、この喜びを一緒に分かち合いたいくらいだ。
⦅お互い見つかるといいね⦆
「あっ、そういえばおじいさんは!?」
喜びもつかの間、ここにカビゴンがいるのだとすぐにでも教えたかった。さっきすれ違ってからそんなに時間は経っていないはずだ。
けれども楓がいくら探しても、おじいさんはとうとう見つからなかった。