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第一話 冒険の準備

 夕暮れの河川敷に少年たちの歓声が響く。声のする方を見ると野球をやっているらしく、誰かがヒットを打ったようだった。土手の上手側に体育座りした楓は歓声を尻目にそっと目を閉じる。遠くの鉄道橋を渡る電車の音、空を舞う烏の鳴き声や背後の道を走り抜けるランナーの息遣いなど、彼の耳には色々な音が、さっきよりも間近に聞こえてくる。


 時々こうやって土手に座り、日常の音に耳を澄ませるのが好きだった。流れていく時間に自分の体を預け、なすがままに過ごしていると何もかも忘れられる。


 そんな時だったかもしれない。

「ういっす」

 瞑想を打ち消すように声が聞こえた。肩越しに振り返ると、見知らぬ少年が笑いながら右手を上げていた。

「何してんの?」

 答えを返すべきか迷ったが、こうも考えた。少しだけ話してみようか、それからでも遅くはない。

「ちょっと考えごと」

「そっか」

 少年は小さくつぶやくと、ジャンプするように楓の真横に体を寄せた。

「俺さ、片岡健太って言うんだ。気軽にケンタって呼んでよ」

「僕は佐藤楓。日本で一番ありふれた名字に木編のかえで」

「えっ、めっちゃ丁寧に自己紹介してくれるじゃん」

「僕がそうしたいから。特に意味はないけど」

「面白いな、君」

 少しのやり取り。でも悪くはなかった。そこからぽつぽつと話し始め、仲良くなるまで時間はかからなかった。


 * * *


「これさ、見たことある?」

 楓の返答を待たず、ケンタはスマホの画面を見せつけてきた。何気なく画面を見ると、そこには見覚えのある黄色いネズミのキャラクター、そして画面の手前ではぴょんぴょんボールが跳ねている。

「何これ」

「ポケモンGOだよ。今、アメリカで流行ってるんだ」

 ちょっとボール投げてみ、と言われて強引に手首を掴まれると、ケンタの言われるままに右手の人差し指を画面の下から上へと滑らせた。すると指の動きと呼応するかのように、ボールが弧を描いてポケモンに向かっていった。が


 ポンッ、ポンポンポン……プシュン!


「あれ、消えた?」

 楓が投げたボールは画面の中心にいるポケモンから大きく外れて右の方へ飛んでいき、転がって消えた。それから何度やってみてもポケモンに嫌われたのか、一向に命中しない。

「お前、へったくそだな~!」

 笑っているケンタはしかし、散々っぱら楓に失敗させた後でいとも簡単に一投でポケモンを捕まえると自信満々に言った。

「ポケモン、ゲットだぜ!」

 普段ならそんなポーズはださいの一言で終わるのに、実際に捕まえてしまっているのだからボールを投げる実力は本物だ。楓は少し興味をそそられていた。

「俺の端末貸すから、ちょっとやってみ。だまされたと思って」

 断る暇もなく、ケンタは楓にスマホだけ押し付けて走り去っていく。


 * * *


 飽きた。

 というより、ポケモンを全然捕まえられなかった。あの後、ケンタから電話で最初のポケモンを決めろだの、まずは10匹捕まえろだの、色んなことを機関銃のようにバーッと喋りかけられたが実際問題、ポケモンを捕まえることすらできないのだ。こんなにつまらないことはなかった。やっぱり携帯電話は使い慣れたガラケーがいい。いつしか楓は借り物のスマホを触ることにも飽きて、自宅のリビングでぼんやりワイドショーを眺めていた。


『アメリカなどで爆発的にヒットし、社会現象にもなっているスマートフォン向けゲーム、ポケモンGOの日本での配信が始まりました』


 アナウンサーが興奮気味に話している。スタジオから画面が切り替わると、アメリカで人々がスマホに映ったポケモンたちに向かって必死にボールを投げていた。その画面に映った黄色いネズミのキャラクターを楓はよく知っている。子供たちに大人気のねずみポケモン、ピカチュウだ。


『今月6日からアメリカなど35ヵ国で配信が開始されていて、既にダウンロード数が1500万を超える人気となっています』


 そんなに人気なのか。ちょっと意外だった。あの小さな画面に映ったポケモンたちを捕まえること。それは子供のころに原作をプレイしている楓にとって奇妙に思えた。だってそれは本当のポケモンではないから。


 かつて梵天堂から発売されたロールプレイングゲーム、ポケットモンスター赤・緑。同時発売された作品にはそれぞれのゲームカセットでしか捕まえられないポケモンがあり、黒色の通信ケーブルを介して2台の端末間でポケモン交換ができ、ポケモン図鑑をイベントで配布されるミュウ以外、全て埋めることができたのだ。


 あれは当時、とても画期的なことだった。それまでのゲームは家で遊ぶものが多く、対戦ゲームはあるものの家で完結しがちで、誰かと外で一緒に遊べるようなゲームは少なかった。

 そこへ交換しないと図鑑を全て埋められないポケモンの登場だ。興奮しないわけがない。こんな世界があるんだと夢中になった。当時はクラスメートもやっている人はまばらで、なんなら何根暗なことやってんだと馬鹿にされることもあった。でもいつの間にかブームになり、かわいいポケモンたちはぬいぐるみになって、おもちゃ屋のショーケースに並ぶようにもなった。そんな真夏の熱波のようなひとときが楓の脳裏を掠める。


「そうか。今はもう、ポケモンたちに出会える時代なんだ」

 それまで毎年のように握りしめていた昆虫採集の網をほっぽり出し、腕組みをしたままむつかしい顔をしている母親を尻目に夜な夜な布団に潜り込んでは暗闇の中でゲームをしていた思い出とか、友達との交換で初めてゴーリキーをカイリキーに進化させられたあの喜び、オーキド博士からもらったポケモンを鍛えて仲間を増やし、強くなったポケモンたちでチャンピオンズリーグを制覇したときの達成感とか、そういったもののすべてが楓の目の前をすごい勢いで駆け抜けていった。


 もう一度やってみようかな。

 家族や友人が次々とガラパゴス携帯からスマートフォンへ乗り換えていく中、これまでずっとガラケーでやってきていたからスマホの使い方なんて知らなかった。もちろんゲームのアプリをどうやってダウンロードするかも知るわけがない。

 それでも海外でポケモンがまた流行っている様子を見ると心が震えた。あのころの楽しかった思い出が蘇ってきた。

「母さん」

 台所でのんびりしていた母親に楓は話しかける。

「スマホ、買いに行きたいんだけど」


 * * *


 3時間後、楓の右手には白く輝くスマホが握られていた。事前の調べでGPS機能があり、バッテリーの持ちが良いものを選んだ。ポケモンGOは位置情報ゲームのため、プレーヤーの位置特定に宇宙空間を飛び交う衛星との通信が必要だった。それには通常よりも多くの通信時間がかかる。必然、電池の消耗が増えてしまうのだ。


「この機種はバッテリーの急速充電が売りだけど、その分早くバッテリーが無くなるらしいな」

 となると、ゲームで遊ぶよりも充電を気にしながらの移動になってしまうだろう。家から一歩も出ずとも遊べた時代ならまだしも、現実世界にゲームに出現するポケモンを登場させるAR(拡張現実)やGPS機能を取り込んだ「歩く」位置情報ゲームを動かすために、すぐ充電が必要になってしまうのは効率が悪い。どうせ遊ぶなら時間を気にせず遊びたい。楓は値段の安さよりも性能を重視して、購入機種を吟味していったのだった。

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