3
目の前にいる犬かハイエナ。
この異世界ならば、あるいは魔物とでも呼ぶべきだろうか。
夜空の下、目が光って見えるのが恐ろしい。
噛みつかれたら死ぬであろうその獣がじりじりとこちらへと距離をつめて来る中で、モリィはまだ鞘に入った剣を握りなおして、獣に対してこう告げた。
「僕はここにいない。姿も見えず、匂いもしない、体温も感じない。
そしてこの剣は肉……牛の骨付き肉だ」
そう言いながら、獣にむかって剣を投げた。
少し大げさに飛びのいた獣は、モリィは見ずに、ただその剣の様子を慎重にうかがいながら……パクリと嚙みついた。
その様子を見てホッとするモリィ。良かった、【夢幻】はちゃんと人以外にも効くようだ。
そのまま続けて、獣に向けてモリィは幻術を重ねる。
「ほら、向こうの方からいっぱい人がやって来た。軍勢だ。さぁ、どうする?」
モリィが指し示す方向を見た獣が一瞬、動きを止めた。そしてすぐ、剣を咥えたまま獣はトトっと軽やかな足取りで草原の向こうへと小走りに去って行った。
その方角とは違う方向へと歩き出したモリィ。
剣を手放したのは、なんとなく怖かったからだ。
魔法がある世界で、追跡されるきっかけになりそうなものは持ち歩きたくなかった。
足跡や証拠が残らないように気づかいながら歩き続ける。
その身一つで、草原の中へと溶け込むように足を動かし続けていく。
どこに行けば安全なのかは分からない。
すでに街道らしきものからは遠く離れた位置だった。
普通なら、木々の間を分け入って行ったりはしない。
まして夜、昼間であっても視界や足下が悪い場所なんて選ばない。
それでも進んで行ったのは、隠れ進む意図というより、ただまっすぐに進んだ結果だ。
どうせ道も方角も分からない、自棄気味になりながらモリィは直進した。
何も考えたくなかった。
頭痛と疲労、恐怖に息切れ、酸欠気味になりながら半狂乱で森を奥へとかき分けながら……やがて、意識を失った。
もう、目を覚ましたくは無かった。そのまま気を失い続けていたかった。
闇は夜を、匂いは森を、静寂は孤独を、否が応でも彼に現実を突き付けてくる。
まだ何も解決していない、起きろ。
わずかばかりの生存本能が、彼に聞きたくもない警鐘を鳴らし続けている。
…目を開く。
幻覚、かと思った。
目の前にいたのは、手のひらサイズの羽の生えた子供達……妖精だった。
「あーっ! もりもり様だぁ!」
「あーっ! 本当だぁ! もりもり様だぁ!」
目の前の二人の小さなメルヘンがとてもうれしそうに声を上げた。
…モリモリ? 良く分からないが、激戦を経た経験値によってモリィからモリモリィにレベルアップ(?)でもしたのだろうか?
二人の妖精に「こっちー」と導かれるがままに、森の奥へともりもり進んで行くモリィ。
前を塞ぐ緑をかき分けながら上ったり下ったり、近くから遠く、遠くから近くにまっすぐぐねぐね近道と遠回りを繰り返しながら、不思議な道をどんどん奥へと案内される。
途中、魔方陣みたいなものを踏みぬいて光ったり、魔法みたいなのをかけられて光ったり、ピカピカしながら別の妖精が合流したり別れたり歌ったり踊ったりしながら良く分からない冒険がどんどん森の奥へと続いて行った。
妖精達がところどころで補給してくる甘い果実の美味しさが、非現実をどんどん加速させていく。
考えてみればこの世界に来てからまだデザートしか食べていないのだが、メルヘンが違和感を麻痺させていって、良く分からない。
もっとも、ここで妖精が血の滴る生肉を差し出して来るホラー展開でもあれば、モリィは気絶していたのだが。
幸いなことに、続いて行ったのは妙に楽しいファンタジーで――
――そして、湖に出た。
森の中に突然あらわれた幻想的な光景。
キラキラ揺れる美しくも不思議なその水面は夜の静寂に光を奏でているようだった。
そんな思いを台無しにするように、妖精達が十人がかりでよいしょよいしょと運んで来たものは、斧だった。そろそろホラーの時間らしい。
「……どうしたの、それ?」
「投げるー」
「湖にこの斧を投げるのー」
「えぇー? 不法投棄ぃー?」
それはさすがにマズいでしょ? と思ったモリィであったが、妖精達が期待のまなざしでキラキラと彼を見ながら鈍く輝く銅の斧(?)を持たせてしまった。
…ここではそういうルールなのかもしれない。そう思い直したモリィは、その斧を「よいしょー!」と妖精達とかけ声を揃えて湖へと投げ落とした。
ふわっと瞬く光と共に、
白い長衣を着た美しい女性が
斧を持って登場した。
「あなたがこの湖に落したものは、
この金の斧『斬魔』ですか?
それともこの銀の斧『鏖魔』ですか?
あるいは、このなんのへんてつもない普通の斧ですか?
…って、ちょっと!?
頭をおさえながら天を仰がないで下さい、そこっ!」
この時のモリィの心情を一言でいえば「あぁ、やっちまった」であった。
そんなモリィの様子を真似っこして妖精達も一緒に天を仰いだものだから、その場の悲しさとかわいさが二割増しした。
思わぬ反応に戸惑っている彼女に、モリィが告げた。
「えっと、斧の魔女さん?」
「湖の、妖精ですっ」
モリィは知っている。
正直者が金銀の斧をもらったり、真似したやつが斧を没収されたりする、有名なあのお話だ。
だが、
「仮にですよ、『僕が妖精達に教唆、幇助されて不法投棄したものは、そのなんのへんてつもない凶器です』と答えたとして」
「言い方、トゲだらけですよ?」
「正直者のあなたにはこの金と銀の凶器もセットで差し上げましょうとか言われても、目下逃避行中の僕には物理的にも心情的にも、重すぎるのです」
「それがたとえ模範解答だったとしても、なんだか渡したく無くなって来ました」
「…それに」
モリィはため息をついて、小さく首を横に振る。
「その質問って、いじわるです」
「…意地悪? ですか?」
もしもモリィがあのおとぎ話で、今、あの男の立場だったら斧は迷わず投げる……かもしれない。
「…ぎりぎり生き残っている今、僕の帰りを待つかわいい妹のために、唯一の武器であるその斧を手放して一発逆転にかけたその欲望は、それはそんなにも悪いことなのですか?」
「…あなた、妹さんがいるのですか?」
「常に頭の中にみっしりと」
「妄想かいっ!」
「でも」
「……」
「飢えきった人の前に食べ物をちらつかせながら正直者になってみせろだなんて、いじわるです」
「!」
いま、モリィは崖っぷちだからこそ、こう思う。
「優しくなれるのは、強くて、余裕のある人だけです。
なりたくても優しくなれない人達だって……きっと、いっぱいいます」
自分を召喚したあの人達を、決して許すことはないだろう。
だけど彼らはそうまでしてでも、守りたい何かがあったのだろう。
それが今、自分がこんな目にあっている理由なのだろう。
世界は理不尽であふれている。
それでもギリギリ、女神様が色々渡してくれた僕は彼らよりは、まだマシな境遇だったのかもしれない……どうにか、そう、思いたかった。
それでも森を歩きづめで疲れ果てていた。
イラっとしていた。
だから突然現れて、何かの試練を課してきた彼女に、つい怒りをぶつけて八つ当たりをしてしまっていた。
結果、湖の妖精がホロリと泣いた。
「――ちょぉっ!?
あっ、その……ごめんなさいっ!!」
焦るモリィ。
彼女にだっていろいろ仕事(?)はあるのだろうに余計なクレームをつけてしまった!?
血の気が引いて謝るモリィに、ぽろぽろと涙をこぼしながら彼女が答えた。
「…その『答え』を知るあなた様を、ずっとずっと、待っておりました…!」
「えっ」
「この森は、追われし者達にとっての最後の楽園。
何人たりとも、その奥へと触れさせぬ、
古よりの森の守り手――森守様!
私達は、ずっとずっと、待っておりました【揺蕩う泡影】様っ!
あぁっ! 女神様は私達を、見捨ててはいなかったのです…!」
「ちょ、ちょ、ちょと待っ――」
さっぱり事情は分からないけど、なにやら大事になってしまっている。
どうやら自分はその女神様の使徒という存在で、
彼女はずっと森守(?)である自分を(?)待っていて、
さっき自分は「飢えた人にいじわるはよせ」なんて文句を言って(!)、
彼女はすっごく困ったり喜んだりしているようで――
「――ブーメラぁぁン!!」
恐るべき切れ味とともに戻って来た何かがモリィに刺さった。
口を半開きにしたまま真っ白になったそんなモリィを置き去りに、小さな方の妖精さん達がさっさと筋書を次へと進行させていく。
「こっちー」
「こっちに出発ー」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! まだ、何にも解決してないのにっ! 僕の中では!」
「またのお越しをお待ちしております!」
「そこでニッコリお別れしないで斧の人!?」
「「こっちー」」
「ちょっ!? 見た目以上に力持ちだね君達!?
待って、十分、いや三分だけ、僕になにかそれっぽい言い訳(?)とかを考える時間を、ちょっ、待っ――」
◆ ◆ ◆
やがてたどり着いてしまった、森のさらに奥にひっそり佇む一軒家。
郊外の別荘、なんて説明を受けたとしても違和感を感じないほどにきれいに整地された庭と、古めかしくもおしゃれな雰囲気を感じさせる一階建ての小さな家がモリィの来訪を待っていた。
黒魔術師、という言葉を連想させる小さな人達が四人、わちゃわちゃとこちらにやって来た。
「おぉ、本当に森守様ですな!」
「森守様が戻って来られたのですな!」
「ですな!」
「ですな!」
顔をすっぽり隠すつば広帽子と手足をまるで見えなくしているぶかぶか黒布に身を包んだ、腰より少し高いくらいの身長の彼らは、帽子人と呼ばれる魔物達であった。
彼らは日々の研究のかたわらで、この家をずっと守り続けてきたそうである。
「さぁ、お疲れでしょう森守様」
「中へどうぞ、森守様」
「事情は妖精達から聞いております」
「ささやかですが軽食も用意しております」
「えっと、待って、僕の話も聞いてくれる?」
先程の斧の人の件といい、このまま聞き手受け手に回ったままだと、トントン拍子で話が勝手に進んでしまいそうでモリィはかなり焦っていた。
それでもグイグイと家の中へと押されて行って……よいしょよいしょと無言で押しているのは帽子人達だとばかりに思っていたが、その犯人はいつの間にか増えていた帽子人よりは少し高い身長の子供メイドさん――家妖精だった。
このまま流されたらダメだ、食べたらまずい、ごはんおいしい、眠ったら終わりだベッド気持ちいいと思いつつも、疲労困憊の身体に染み渡るおいしいスープに満足したモリィの意識をふかふかベッドが奪い尽くすのにかかった時間は、秒だった。
翌朝。
穏やかな朝日の差し込む寝室からふらふらと歩み出て、とりあえず座ってみた広間の真ん中のテーブルに、そっと置かれたハーブティー。
なんか、良い匂いがする。
ゆらゆらと優しく燻るお茶の香りの向こうには、うれしそうに微笑む女の子。
妄想上の妹の上をいくその超常の存在を前にモリィは、うっかりつぶやいた。
「…もう、良いんじゃないのかな? 森守様でも」
モリィにとどめをさしたのは、家妖精さんだった。
◆ ◆ ◆
そして、二年後。
そんな彼の家の庭先で、触手魔獣と対峙する夢魔の少女の姿があった。
【湖の妖精】
突然やってきて斧を投げ込まれても避けるのが命がけで大変だが、まったく誰も来ないのはそれはそれでさみしい彼女、湖の妖精。
森守が長年不在であったこの森に、ついにやってきた彼。うっかり妖精達の手を借りて強制連行した上に高ぶる感情のまま泣いてしまった。恥ずかしい。
だけど、斧の魔女では、無いのよ?
その一方で、モリィ視点。
いろんな事件、事故の連続のあげくに何だかものすごい美人さんがものすごくカッコいい斧を二本も持ってキラキラ登場してくれば、それはそのまま「強力な斧で1ターンに二回攻撃してくる中ボス、またはラスボス」である。
つまり「斧の魔女(強そう)」は彼なりの褒め言葉。




