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戦闘が続きます。後編です。
そもそも森の妖精というものは、妖魔とも呼ばれている魔物である。
旅人達が森で彼ら彼女らに吸い尽くされて帰らぬ人になるおとぎ話の数々は、空想上の創作話ではなく、むしろ実話にもとづいている。
ゆえに森を、魔境を、畏れ敬え。
それが騎士達が座学の中で、老魔法使い達に必ず教わる「退屈なおとぎ話」であった。
そして、目の前のそれ。
裁きの双斧を手に語る美しい妖魔。
背中を襲う寒気と怖気。
騎士達が一斉に周囲を振り返る。
森から彼らを、その湖を取り囲むように現れた無数の眼光。
彼らが蹂躙し惨殺したはずの、森人達が、そこにいた。
「「――っ!!?」」
悲鳴すらも出せなくなった彼らに、湖の妖精が場違いな穏やかな口調で、さらに続ける。
「おや? 良かったですね。あなた達の落とし物を持ってきてくれたようですよ?」
それは錆付きボロボロになった血まみれの斧だった。
生々しい傷跡と鮮血の赤を身にまとった青白い眼光の森人達が、それぞれその手に持っているものは、斧だった。
指揮官は絶叫し、湖の妖精はおっとりと応じる。
「ちっ、違う!! 俺は何も……あれは、俺の斧じゃ無い!!」
「おやおや。そう慌てずとも、せっかく冥府からわざわざ持ってきてくれたのです、もっと近くで確認してみてはいかがでしょう?」
そう話している間にも、斧を握りしめた動死体達が彼らを押し包むように徐々にその距離をつめて来て――
「――錐形陣!! 離脱するっ!!」
それは指揮官としての本能からの叫びだった。
その号令で、騎士達は訓練通りの動きをこなす機械と化して、一点突破で動死体の群れを決死の突撃で食い破り、駆け抜けた。
この森の一連の行軍の中で、彼らが最も騎士らしく見えた瞬間だった。
遠ざかる喧騒と再び湖を包み込む静寂。
森の奥へと消えていったその集団の背中を無言で見送った後に、ふと湖の妖精が視線を戻した。
「…どうされましたか? お友達は皆、行ってしまいましたよ?」
若者二名と老兵一名。彼らはあの時、略奪しなかった者達の中の三名だった。
「おい、何やってる!? 走れ!」と小声で急かす若者の一方で、その腕を引かれながらもその場を動かないもう一方は首を振った。
「…我々は、守るべき誇りを、失った…!」
沈痛な面持ちで呻く青年。
あの時、命令に背けば死ぬのは自分だった。そして我が身かわいさに彼らを見殺しにすることしかできなかった。
…よりにもよって、この森に勇者の為の武具を求めてやって来たのに、この結果だ。
顔を歪めた青年の隣で、その友が額に手をあてながら吐き捨てた。
「…ったく、よぉ、もう、だからマジメは長生きできねぇって言ってんだろがっ!」
友の言い分はもちろん分かるが、結局それは、守れるだけの力あっての言い分だ。
今の彼らには「こっそり命令を守らない」のが限界であるという線引きだった……それでも、この友を置いたまま走り去ることのできなかった自分の判断ミスに、彼はあらためて舌打ちをした。
そして、そんな二人を見守る老兵。
「……」
軍とはそういうものであることを知っている。それが嫌なら、指揮する側を目指すしかない。
…そして、失ってはいけない者が誰であるかも知っている。それゆえに老兵は、この二人とともにこの場に残ったのだった。
三者三様、その湖にとどまった者達へ、湖の妖精が問いかけた。
「つまり?」
そして彼らは、問いに答えた。
「この森に住む民達の人生を奪ったのは、私だ」
「…あと、俺もだ。謝罪では済まなくとも、謝罪する。申し訳ない!」
「いやいや、彼らではなく我が軍です。必ずけじめは付けさせますので、今はこの老骨の首一つで見逃しては頂けまいか?」
その言葉に、湖の妖精は目を細めた。
「あなた達は正直者ですね」
その言葉にふわっと光がほころぶように、彼らを囲む動死体達の姿が消えて、三人の騎士は目を瞠った。
口を半開きにした三人の中心、跪いていた若者の手を優しく取って、彼女は告げた。
「正直者のあなた達には、おにぎりを三つ差し上げましょう」
「「……」」
手に乗った、「おにぎり」と呼ぶらしき食べ物。
白い団子状のなにかを海藻らしきもので包み込んだ、微かに磯の香りが漂う携帯食。
そんな単純な食べ物に、これまでの疲労と飢餓を思い出してしまった三人が喉を鳴らして……
――ハッと悟った。
全てが「幻術」だったことを。
あの森にあった集落も人も、彼らが略奪して口に入れていた食べ物さえも、その全ては霧の中の幻だった。
あるいはもっと前、あの落とし穴から、森に立ち込める霧さえも。
さらに言えば、この危険な迷いの森の中で魔物の一つにさえも遭遇しない、その事実も、ただの偶然とは思えない。
一体、どこからどこまで、騙されていたのか……!?
この森で初めて感じる重みと匂い。
それを放つ3つのおにぎりの輝く姿に呆然とする三人に、湖の妖精は茶目っ気たっぷりに片目をつむって笑いかけた。
「森守様のおにぎり、おいしそうでしょ?」
そう言い残して、彼女もまた湖の上の光の泡と化し、かき消えたのだった。
◆ ◆ ◆
矢蜂・危険種
矢のように飛来してきて突き刺さる蜂。独特な羽音のため、耳を澄まして身を低くすれば避けることは可能だが、複数体が同時に現れた場合は逃走は極めて困難になる。動物の皮下に卵を産む。
寡黙熊・危険種
喋る時もある熊。つまり人語を解するのだが、外見は普通の熊(?)なので厄介。高い知性を持ち、剣を前屈でかわし、拳で反撃してくる。はちみつが好き。酒も好き。
泥人・超危険種
地面にひそむ泥の魔物。動植物の屍や排泄物を食らうと言われているが詳細な生態は不明。魔境に限らず、大きな都市部の下水などでも発見が報告されている。だが討伐が報告されたことは、無い。
深緑の主・超危険種
植物の魔物。緑色の小さな球体から徐々に成長して人の身長ほどの大玉となり、群れを為す。森を犯す者を、軍を、都市や領を、根こそぎ滅ぼすという伝説とそれらに滅ぼされたという跡地がいくつも残っているが、詳しい生態は不明――
――嘘だろう、嘘だろう、嘘だろう!!!
何故、今になって、突然、大量に、次々と、埋め尽くすように、執拗に……なぜ、だぁあ!!!
だが、どんなに彼らが絶叫したところで、迫り来るそれらが消えたりはしなかった。
せめてこれが森に入ってすぐの事態であれば、即座に撤退して戦略を立て直すことも考えただろう。
地形が不利、視界が悪い、数がおかしい、魔物の強さが……狂っている。
仮に抗戦を選んだとしても、一匹倒す前に5人は屠られるのは目に見えている、逃げるしかない。
既に陣形は崩壊していたが、それでも、走り続けることしかできなかった。
四方から敵が寄せてくる。前からもだ。それでも切り払いながら、前、しかない。
足を止めたら囲まれる、囲まれたなら……囲まれるわけにはいかない、考えている場合じゃない。
這うように手で足で、とにかく前に、行かなければ……死に、至る。
追いかけてくる、囲まれる。
すでに兵団は形を失い、何人ついてきているのか、生き残っているのかも分からない。
全員が、その肩に手をかけてくる死を振り払うだけで精一杯。
まだ生きている、生き残る、その瞬間をただただ、繰り返しているだけだった。
指揮官の男が世紀の大発明でも閃いたかのように、邪悪な笑みに顔を歪めながら共に並走する兵達へ「命令」した。
「おい貴様っ!! 残って敵をくい止め…ろ……」
隣にいたのは、副官ではなく熊だった。
その熊は親しげにニチャリと笑ったようにも見えなくも無かったが、毛深い顔からその表情までは読み取れない。
きっとその「おまえまるかじり」という挨拶も、食べたくなるくらいに好きだという愛情表現なのだろう。
声にならない叫びと共に剣を投げつけ、さらに走った。
限界を超えた走りをみせた、わけではない。
武器も兜も投げ捨てて、身軽になれば速くもなった。
あとは、蠟燭は消える瞬間が最も明るいとかいうアレだった。
その兵団は、燃え尽きるまで走りきった。
◆ ◆ ◆
どうやってここまで来たのかは分からない。
周囲にいる者達は、魔物では無く兵のはず。
何人いるかは問題ではない。魔物でさえなければどうでも良い。
自分は生きている。
…他のことは後で考えればいい……他のこと? 他って、何だ?
目的を忘れかけた、その時。
突然やって来たそれは、
まばゆい光。
木々の向こうに、満ちあふれている。
やりとげた。
ついに。ついた。
もはや前に進むこと以外はできない彼らであったが、目の前に広がるそこへと、もう一度足に力を込める。
開けた視界に、あたたかな陽光と、吹き抜ける風に、陽射しの香り――
――やった、ついに、やった!!
「…あぁ~、お前さん達、やっちまったみてぇだなぁ」
◆ ◆ ◆
出られない穴からはじまり、信じてもらえそうにない規模の危険種たちに囲まれて、逃げ出てきた。
それぞれが負った大小の傷は本物で、今になって考えれば、怪我だけで済んでいることの方があり得ない。
弄ばれていたのだ、魔物に、森に。
考えるほどに他に説明のしようがない。
略奪して、殺されかけたなんて、他の誰かに知られるわけにはいかなかった。
森から出てきたその軍は、何も語らず、村人から分けられた林檎をかじり終えた後、重い体を引きずりながら、そのまま静かに帰投していったのだった……
【おにぎり】
「あーっ!! だからなんで、いつも私から盗っていくのだ!」
「しーっ、ロリーゼ! バレちゃうから静かにっ!」
湖の方に連れて行かれたのは計画外だったのだが、そこから先は湖の妖精と森守の幻術による即興劇で、その後の魔物達がいっぱい集結してきたのも想定外のできごとだった。
…でも、最初から最後まで森守が一切出て来ないまま終わったことは、計画通り。




