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一部、不快な描写を含みます。軍の侵攻です。
迷いの森は、その周辺三領のどの領地でもない。
古くから不可侵の地であるという約定が領主達の間で結ばれていた。
理由は色々ある。
森の素材が貴重だからとか、森に眠るアイテムが危険だからとか、それらに安易に手を出して魔物が外にあふれ出しでもしたら手に負えないからだ、とか。
領民が森から日々の糧を得ることはあっても、領として森へは侵攻しないことを代々守り続けてきた。
数百年ぶりに森守が現れて、案内人を通じて森の奥との交流が再開した後でも、その不可侵の約定は変わらなかった。
森守がいてもいなくても、その森の不思議さや危険さを理解していない住人などいなかった。
不可侵なのは、もちろん、部外者もだ。
それなのに、自称勇者の軍勢とやらがやって来た。
より正確には、真なる勇者が手に入れるべき英雄の盾を魔の森から奪還する作戦のために派遣された正規軍、らしいのだが、森の近隣住民達にとってはそんな肩書などはどうでも良くて、ただただ迷惑なだけだった。
余計なまねをして森の魔物や森守様の機嫌を損ねたらどうするつもりだ?
冷ややかさに侮蔑や嫌悪すらも込められた目で、老若男女がその兵団を遠巻きに睨みつけていた。
住民だけではない。領の安全を守る領主達にとってはなおさら大きな問題だった。
兵団が現れたのは森の東からだったが、周辺すべての領主達が、すぐに抗議の書簡を王都へ飛ばした。
領内の繊細な問題に土足で踏みこまれて黙っているわけにはいかなかった。
それでもそれは抗議の「書簡」だった。
力ずくで強制排除できなかったのは、武装した正規兵50名というかなりの規模の武力であったことと、その軍の所属がよりにもよって王族らしいことが理由だった。
書簡を届けたのが即日であっても、それが受理されて、しかるべき誰かの手に渡って検討されて、更に上に渡って…等々するのに数日から数十日かかるのは分かっていた。
皆が苦々しい思いをする中で、その兵団は、森の奥へと入って行ってしまったのだった。
その奥に、何があるのかも理解せぬまま、入って行って、しまったのだった。
◆ ◆ ◆
縦穴。
あるいは落とし穴。
身長の倍ほどある深さのそこは、ひと一人くらいしか入れない狭い穴だった。
そして、土質が柔らかかった。
這い上ろうと手や足をかければ、そこからぼろぼろと崩れてしまう。
たかが穴、されど穴。
何度か上ろうとしては失敗して、自分が想像以上に危機的状況にあることに気が付く。
助けを呼んでも返事は無く、少し焦って、やがて必死に悲鳴を上げるが返事はおろか音も無い。帰って来るのは沈黙のみ。
…自分は、置いて行かれた……のか…?
狭い壁に手や足をかけて狂ったようにかき分けるが、崩れ落ちる土がぼろぼろと足下に積み上がっていくばかりで、むしろ状況が悪化していく。
飢えが先か生き埋めが先か、あるいはこの状況で上から魔物にでも襲われるか…考えれば考えるほど気が狂いそうなほどに不安に押しつぶされていくが、それでも他に何が出来るでもなく、それでも手を足を土壁へとかければ、口や鼻を襲うじゃりじゃりとした土の匂いと味が心と視界をさらに絶望の淵へとと埋めていき――
目が覚めて、我に返る。
何度目だろうか。
それが現実なのか幻覚なのかは分からない。
それほどまでに、彼らの足は、靴や鎧は土にまみれて、全身に疲労がまとわりついていた。
先ほどのあれは、睡魔に襲われて見た悪夢なのか、現実に起こった事故だったのか。
実際に彼らは何度も足を捕られて、穴で段差で転倒しては転げ落ち続けていた。
ただでさえ騎馬も無いのに鎧という重装備で森を進むという無謀な行為に、霧まで立ち込める視界の悪さが彼らの歩みをさらに困難なものにしていた。
道端に不自然に開いている小さな穴にビクリと震えて、必要以上に遠くにそれを避けて歩いて行く。
そんな彼らの姿を何も知らない誰かが見たなら、小さな穴に怯える小心者の騎士団とでも揶揄しただろう。
こんなはずではなかった。
兵団の指揮官と幹部達は奥歯を噛んだ。
事前の聞き取り調査はしていた。
この森に入ったことがあるという冒険者達から確認した上での行軍だったはずだが、まるで話が違っていた。
話以上に、草花や泥濘が、高低差と視界の悪さが、足を奪い続ける魔の森だった。
どういう訳か、魔物には遭遇しなかった。これも話とは逆だった。
それでもこの先も出てこないという保証は無いし、この状況で魔物が出てくれば苦戦を強いられることは間違いない。
昼は暗く、夜は明るく、霧に包まれて昼か夜かも定かではない森の中を何日目なのか分からない状況で歩き続ける。
食事と仮眠のための小休止によって時間の経過を計っていたが、仮眠程度ではまるで休まることが無いと悲鳴を上げる身体では、もう体内時計もあてにはならない。
…懐中時計は、もっとあてにならない。
全員の時計が、一つ残らず思い思いの好きな時刻をさしているからだ。
悪夢である。
危険な森で得体のしれない木の実や植物を口にはできない、というより、食べられそうな植物や飲めそうな水場がこれだけ歩いても一切見つかる気配がない。
その上で魔物にも獣にも遭遇しないこの状況は、食料調達という面では仇となった。
時間は分からない、だが、到着予定時刻はとっくに過ぎていることだけは、ただただ減り続けていく残りわずかな食料が嫌というほどに主張してくる。
そしてこれがもっとも大事なことだが……道が、分からない。
より正確には、正しいはずの進路を進んでいるのに、この状況だ。
正しい方角に進んでいるはずだからこそ、迷ったなどとは誰も言えない…認める訳にはいかない……認めてしまえば………もう、歩けなくなってしまいそうで…
村が見えた。森人の集落だ。
ボロボロだった騎士団の顔に生気が漲る。
希望が繋がった。幸運が舞い込んだ。
そして、指揮官が叫んだ。
「男は殺せ! 女は犯せ! さぁ、かかれっ!!」
耳を疑った者、狂喜するもの、混沌とした騎士達に共通した理解は、その言葉が指揮官の「命令」であることだった。
軍令違反は処罰、あるいは処刑である。
襲い掛かる元騎士団、現略奪者。
欲望のままに襲う者、襲うふりをして逃がさんとするもの、いずれにしてもそこにあるのは絶望のみで、希望は無い。
指揮官は略奪した酒をあおりながら、この「作戦成功」を自画自賛して大笑いした。
ここは敵地。ならば敵を斬りつけ、奪い穢して、恐怖を叩きこむことこそが理にかなっている。
これは戦争なのだから。我々は何も間違っていない。
世界の平和を願い、それを叶える武具を求めてこの地へ来たはずの騎士達の、その正義の決断こそが「略奪」だった。
それが彼らの正義であり、平和のための活動だった。
罪なき者達が、森の奥で理不尽に犯され、虐殺された。
何日たったか分からない。森に入って、略奪してから、どれだけ歩いたか分からない。
あの幸運で英気を養うことに成功したはずなのに、むしろ彼らは飢えていた。
特に、より多く悦しんだはずの者ほど、まるで何も口にできずに憔悴しきった病人のように頬は痩せこけ目には隈が刻まれ、動死体のようにふらつきながら歩いていた。
すでに何人脱落したかは分からない。他の誰かに意識を向ける余裕など、もう誰にも無かった。
霧の森の中、幽鬼のようにその眼光のみをぎらつかせながら黙々と、兵士達は重い体を引きずっていた。
湖に出た。
森の中に突然あらわれたその幻想的な光景も、キラキラ揺れる美しく神秘的なその水面も今の彼らにとっては、ただ喉の渇きを潤すための水場にしか見えなかった。
あるいは彼らがもっと正常な思考を保てていたなら、迷いの森にある湖などといういかにも怪しげな死地には迂闊に近づいたりはしなかっただろう。
そして、現れた。
勝手に湖面が輝いて、呼んでも無いのに登場した。
それは美麗な女の妖精。
その幻想的な美しさに彼らは武器を構えることさえも忘れてただ見惚れてしまっていた。
そんな彼らに、彼女は美しい声で問いかける。
「あなたがこの森で無くしたものは、
この金の斧『斬魔』ですか?
それともこの銀の斧『鏖魔』ですか?
…あるいは、良心の枷ですか?」
その美女と斧の輝きに目を奪われた男達。
やがて彼女が何を言っているのか理解が追いつくと、それに対する反応は再び二つに分かれてしまった。
何せ、ついさきほど略奪を楽しんだばかりの者達である。
そこに今度は、明らかに魔法の武器であろう美しい装飾の金と銀の斧、こんなご褒美があるのだろうか…!
一方で、略奪を楽しめなかった者達。
ここに明らかに禍々しい斧を持った、子供のおとぎ話にでもでてきそうなそれが現れてしまった。
…第一、その選択肢の「三択目」は一体何だ!?
この先に待つ展開は、どう考えたって……
そんな焦る思いも届くことなく、
ふらりと前に出たのは彼らの指揮官。
その姿に、彼らは、
おい、やめろ!! と心の中で叫んだが――
「わ、私が落した斧は金…いや、全部だっ!
我が騎士団はこの森で、多くの斧を失った!」
その言葉に湖の妖精は、ゆるゆると首を横に振り……そして続けた。
薄闇の中でうっすら笑う唇が奏でる、四択目。
「はたまた、まさか、この森に住む罪なき者達の未来を、その手で……無くしたりしてはいませんか?」




