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一話だけ回想です。
◆ ◆ ◆
公爵は王族に深く関わる血筋である。
ロザリーに流れる血は、それだった。
流れるその血に、耐えてきた。
もちろん、明日の食や職にも困る人々が大勢いる中で、貴族としての生を受けたロザリーは恵まれているのではあったのだろう……と、幼くとも敏い子であったロザリーは、そう自分に言い聞かせて日々を耐え忍び続けていた。
生まれた瞬間から貴族。そんな人生。
人は団結せねばならず、それらを指揮する人や仕組みもまた必要だ。
近隣の盗賊や魔物の襲撃、日照りや大雨、疫病に飢饉、個人では立ち向かえないものが沢山ある。
弱いながらも徒党を組んで、文化を育み生き残って来たのが人族である。
そして人族という天変地異やら魔物やらに圧倒的に弱い種族を導くために、あるいは導き損ねて下々の者達の手で断頭台に連行されないようにするために、貴き一族は必死になって生きていかねばならなかった。
ロザリーもそうやって、教育され続けてきた。
人では無い、装置である。
水車や風車と同じもの。
貴き血という動力によって、今日も動く。
ものごころつく頃にはロザリーは王妃や王族の予備として徹底的に教育された。
座学だけではない、食器の握り方から歩き方まで彼女に自由は許されなかった。
少しのミスで、すぐさまご指導と「ご鞭撻」が飛んできた。
そこに親子や家族の情は無く、道具として「役立たず」と言われながらも、投げだすことは許されなかった。
それでも彼女は生きるために、日々を道具として稼働し続けてきた。
…それでも心根は優しい彼女が、使用人達や下々の者達の温かみに触れてしまうたびに、道具としての生き方以外の世界もあることを薄々と悟ってしまう。
知らなくてもいいことを知ったことが、皮肉にも彼女を余計に苦しめてしまうのだった。
やがて、そんな日々も終わりを告げた。
彼女は「王族」として、養女になることが決まったのだ。
なにせ次々に暗殺されて慢性的な人手不足になっている王族だ、補充は喫緊の課題であった。
とはいえ、いま誰かを送り込んだところで再び暗殺されることは目に見えていて……それでも、試しに送り込んで様子を見るだけの価値があるのが、この国の最上位である王族という地位だった。
子だくさんとはいえ無駄弾を撃つほどの余力はない。
そこで、万が一外したところでもっともダメージが少ないであろう、ロザリーに、白羽の矢が立った。
そして、終わった。
彼女が王都に送り込まれるその道行きで、襲撃に遭った。
恐ろしいことは、襲撃自体では無く、その襲撃を「防ぐことができなかった」という事実の方だ。
これから王族になろうという者の警護がこんなにも甘いということが異常事態なのである。
道具としては役立たずと言われ続けてきたロザリーでも、そんな事情に気が付く程度の賢さはあった。
考えてみれば、この話が決まる前後から家族と呼ばれる彼らの様子がおかしかった……
…いや、家族だけでは無かった。
今思えば、自分に取引や貸し借りを持ち掛けてきていた他家の貴族や商人達も距離を置き始めていた、はずだ。
やがて王女となるであろう存在である、はずの、自分に対して……
彼らは知っていたのだ。
自分がもうじき、いなくなることを。
この襲撃によって自分が死ぬことも含めて、みんなが想定した筋書なのであろうことを、御者が断末魔の悲鳴を上げる馬車の中で、今、理解した。
そして世界が、色あせた――
――…思えば、死ぬのが怖くて生きてきた。
これ以上殴られるのが嫌だから、ただただ従順に生きてきた。
死なないために、苦しまないために、ただ苦しみに耐える日々――
――それでも。
灰色の走馬灯を見てもなお、今もまだ死にたくないと思っている自分の浅ましさに、悲しさを通り越してフッと嗤い声が出たロザリー。
そして冷え切って震える身体と、冷めきって軋む心を抱きしめて、彼女は人生で最初で最後の嫌がらせに及ぶことを決意した。
…それでも、私は。
……私が生き残ることで困る奴らのために、生きてやる!!
もはや護衛はあてにはならない。
手元にあった唯一の鈍器であるその分厚い歴史書で、外から開ける事のできない扉の窓を叩き割った。
ガラス片で服の裾を引き裂きながら、地面へと叩き落されたその身体の痛みに顔を歪めながらも、幸運にも傷つかずに済んだ手足で必死に立ち上がり、決死の思いで彼女は走り出した。
割った窓から飛び降りた直後に反対側の扉が開いたこと、馬車から飛び降り地面に転げて受け身のように着地できたこと、一連のすべてがロザリーにとって幸運であり、奇跡であった。
身体の痛みすら恐怖を打ちけす薬となって、ロザリーは足を前へと踏み出すことに成功した。
そして、極めつけの奇跡。
そこにいたのは一頭の一角獣だった。
角の折れた、角もち白馬。
魔力も価値も半減したであろう馬だったが、それでも希少な馬なのだろう。荷馬としてならそこらの馬よりはるかに速いはずの馬である。
そんな一角獣すらも飼いならしているような「高貴な襲撃者」達。
追い詰められたロザリーは、馬を相手に思わず「助けて」なんてつぶやいていた。
見つめ合う、一人と一頭。
その角折れ白馬は騎士のようにスッと跪き、「乗りな」とでも言わんばかりにその視線を後ろに振り向けた。
目を丸めたロザリーは、吸い込まれるように彼の背中に乗っていた。
一人と一頭は、風になった。
全力疾走だった。
後ろから聞こえる怒号などはもう、はるか彼方の囁きだった。
これに追いつけるものは、それこそ八足馬か風妖精のような魔物くらいのものだろう。
すべてを過去へと置き去りにして、闇の果てへと駆け飛んでいく。
乗馬が得意な訳でもないロザリーは、ただただ必死でその白馬にしがみつくことしか出来なかったのだった。
◆ ◆ ◆
そして彼女は、森に囲まれた湖のほとりで膝を抱えて座っていた。
どれだけの距離、どれだけの時間が過ぎ去っていったのかはもう分からない。今が夕暮れなのか早朝なのか、ただの曇天なのかももう、分からない。
とにかく彼女はもう、疲れ果てていた。
気づかわしげに白馬の鼻が、彼女の顔を撫で押した。
「…ありがとう。もう、大丈夫だよ?」
…なにも、何一つとして、大丈夫な要素など無いのだが。
その白馬が置いてくれたのか、彼女の側には一つの林檎が供えてあったが、彼女にはもうそれを口に入れるだけの食欲すらも残っていなかった。
それでも、と彼女は独り言を口にした。
「…やっと、自由になれたのかなぁ」
それが死の直前なのがどうかとも思うが、もしもあのまま逃げそびれたなら、あるいは襲撃されずにどこかに辿り着いたとしても、彼女の人生に自由などやって来なかっただろう。
…それでも。
自由になったところで。
飛び方を忘れた頃に、籠から出された鳥みたいだ。
何も考えずにここまで来たが、この行き止まりで私は……どうするの?
目の前には、湖。
こんなきれいな湖畔は初めて見たが……身投げでもしろということだろうか?
ほんのりと揺らめき輝くその湖面すらも、今はただ、恨めしい。
力なく投げたその石ころが、ぽちゃんと寂しい音を立てた。
……
…
.
力強い水柱とともに、ザバァンと女神(?)が現れた。
「――っ!?!?」
息を飲み瞠目したロザリーを前に、うっすら光を纏った白い長衣姿の美しい女性が、優し気な声でどこかで聞いたおとぎ話のように問いかけた。
「あなたがこの湖に落したものは、
この金の斧『斬魔』ですか?
それともこの銀の斧『鏖魔』ですか?
…あるいは、この『夢魔の尻尾』ですか?」
「ごっ、ごごご、ごめんなさい!!
石ころを投げつけたのは私ですっ!!」
驚きや恐怖よりも先に、慌ててロザリーが土下座したのは、物騒な品々を手に微笑むその女神の美しい額から、ツーっと一筋の頭血が流れていたからである。石は頭に直撃だったようだ。
その答えに満足したのか、湖から出てきた女は告げた。
「あなたは正直者ですね。
正直者のあなたには、この『斬魔』と『鏖魔』と『夢魔の尻尾』を差し上げましょう。では」
「困ります!!」
「…では、どれを選びますか?」
「どれっ!?」
ニコニコしながら不正解しかない三択問題を突きつけてくる頭血の女を前に、ロザリーは混乱した。
混乱していたがゆえに、謎の押し売りに押し負けてしまい、どれかを選ばなければいけないような気が…してしまっていた。
そんな彼女に、頭血の女はヒントにならないアドバイスを追加してきた。
「参考までに、夢魔は別名、淫魔とも言われています」
「淫っ!?」
その豆知識も衝撃的だが、そもそもそっちの『斬魔』と『鏖魔』もわけが分からない……その不吉で禍々しい造型はどう考えてもまともな斧とは思えない、一級品の魔道具や呪いの何かであろうことは武器には素人のロザリーでも見れば分かった。
それでも、それらを目を細めながらじっと見るロザリー。
見れば見るほど呪いの武器であるその金と銀の一方で、「こっちー」とばかりにピコピコ動くその尻尾の方は妙にかわいらしくも見えて…
「…じゃ、じゃぁ、尻尾で」
「エッチですね」
「違っ…!?」
正直なところ、重量的に持ち歩けない斧という選択肢はロザリーには無かったのだ。
赤面するロザリーの口に、湖の女は指を優しくそっと添えて、悪戯っぽく笑いかけた。
「案外、あなたの運命を切り拓くものは、斧では無く、それなのかもしれませんよ?」
柔らかな閃光とともに、湖の女は姿を消した。
きらきらと粉のような光の残滓が湖に舞い、ロザリーの手には……ぴこぴこ動く小さな尻尾が残されていた。
「……これ、お尻につければ良いの、かな…?」
こうして彼女は夢魔になった。
誰も居ない森の奥深くで夢魔に転職してしまったロザリー、あらためロリーゼ(=自分でつけた新しい名前)。
ようやく発見した第一村人(?)を相手に、なかば自棄気味になって本ですらも読んだことの無い「夢魔ムーブ(?)」を赤面しながらブチかましたことは、今となっては良い思い出……ではなく、恥ずかしすぎて悶絶してしまう思い出だ。
だが、その第一村人である「森守のモリィ」の心をそれは見事に射貫いてしまった。
それも含めてあの湖の女の思惑通りだったのかどうかは分からないが、偏った性癖の面接官から一発合格をロリーゼが勝ち取ってみせたことは紛れもない事実である。
そのまま迷いの森の一員となった彼女。
何も無い、自給自足の貧しいはずの森の中での日々が、あの湖の湖面のようにキラキラと輝き始めていく。
生まれ変わった彼女の人生が、見たことの無い色に染まり始める。
これまで真面目にやってきた彼女には、突然のはっちゃけたその夢魔ムーブすらも想像以上に楽しくなってきたことは内緒である。
かつてロリーゼの血肉を作ってきた、上品で香り高く味のなかった料理や紅茶の数々。
それらとは比べ物にならないほどに、瑞々しい林檎の方が遥かに甘く感じてしまったことに気付いたその時……なぜか涙が溢れてしまい、モリィと家妖精さんを狼狽させてしまったロリーゼだった。
そして、彼女の命を救ってくれた角折れ一角獣。
後日、彼女の様子を見に来てくれた彼。
どういうわけなのか「いつでも引継げます」と双角獣も一緒に連れてきてくれた理由は、ロリーゼにはよく分からなかったのだった。
【一角獣】
乙女しか乗せない。
【夢魔】
男を(あるいは女を)誘惑する魔物。
【双角獣】
乙女は乗せない。




