二人の【鐘突き】
「僕の故郷には時計が無い。この鐘の音で一日が始まる」
「じゃあ、あんたが【鐘突き】になったのは、お父さんに同情したんじゃなくて、あんたの家族のためなの……?」
ジンジャーは頷いた。
この話を聞いていたシンバも目を丸くしていた。今まで故郷の話をしてこなかったジンジャーが突然話し始めたのだからその反応は当然だろう。
この話を聞いて、今まで黙っていたことにシンバは傷ついただろうか。ジンジャーはそれだけが不安だった。
「そうか……。君の家族のため、か」
シンバはしみじみと呟いた。
「君はずっとチクタックにいるが、ご家族は心配していないのかい」
「……わかりません」
故郷へは一度も帰っていない。父親は「好きに生きろ」という放任主義なので、ジンジャーが隠れ里からいなくなったとしても気にしていないだろう。
「君の他に鬼がいるなんて知らなかった。そこに家族がいるのだったら一度帰ってみてはどうだい?」
「……考えておきます」
隠れ里の事を話せば、ジンジャーに家族がいることをシンバに知られてしまう。そうなれば彼は里へ帰ることを勧めるだろう。
それがジンジャーにとって重荷になっていた。
一度、隠れ里へ帰れば父親に人間の町にしばらく滞在していたことがバレてしまう。「行ってない」と嘘をついたとしても、父親はジンジャーの身体に染みついている人間のニオイを嗅ぎとり判ってしまうだろう。
ジンジャーが人間と長く交流していたと知れば、父親はそれを許さない。二度と隠れ里から出してくれなくなる。そうなれば、もうシンバやチクタックの人たちと会えなくなる。
ジンジャーはこの日常が終わる時を一番恐れていた。
「別に追い出そうとしている訳じゃない。ジンジャーが”帰りたい”と思ったときでいい」
「ありがとう」
「娘も帰ってきたんだ。これからは仕事を休みたいときはいつでも言っておくれ」
「休み……」
「ジンジャーが鐘を突けないときは、娘に頼めばいい。今日からチクタックの【鐘突き】は二人になったのだから」
「二人……、そうね。あんたがやむを得ない事情があって時計塔の鐘を鳴らせなくなったら、あたしが【鐘突き】をやるわ」
シンバにおだてられ、ふてくされていたアンバーの機嫌が元に戻ってきた。
「今は代理だけど、いずれあんたの仕事を取ってやるんだから!」
アンバーはジンジャーにそう宣言し、すごい勢いで夕食を平らげた。
翌日、仕事の時間がやってきた。
時計塔へ向かおうと家を出る直前、シンバに引き留められた。
「今日は神父様に足のことで呼ばれたんだ。一緒に教会へ来てくれないかな」
「わかった。寄り道せず、家に帰ってくるよ」
シンバの家から教会までは遠く、片足が不自由なシンバにとって一人で教会に向かうのは大変なことだ。
神父に手紙で呼び出されたときは、決まってジンジャーがシンバを背負って教会へ向かうことになっている。
「娘のことも頼むね」
「わかった」
アンバーはすでに家を出ている。予備の鍵を勝手に持ち出し、先に時計塔へ向かっている。
きっと、アンバーはジンジャーより先に時計塔の頂上へ着き、ジンジャーより自分がふさわしい【鐘突き】だと胸を張りたいのだろう。
「じゃあ、行ってくる」
ジンジャーはシンバの家を飛び出した。
アンバーの思惑を知っていて、彼女の機嫌を取るには、彼女より遅く時計塔の頂上に到着したほうがいいと頭で分かっていながらも、ジンジャーは彼女に負けたくないと思った。
鬼であり、人間より体力や力がある自分が、少し早く家を出たアンバーに遅れをとるはずがない。一族のプライドがジンジャーの心に火をつけた。