ルーティーン
仕事を終え、アンバーに事情を話し、シンバから給料という名のおこづかいを貰ったジンジャーはコートのフードを被り、時計塔に戻ってきた。
中に入り、落としたハンチング帽を探す。それは少し階段を駆けあがった所に落ちていた。それを拾ったジンジャーは落とさぬよう深くかぶる。
「あんた、早すぎ」
唐突に後ろから声が聞こえジンジャーは驚いたが、すぐに声の主がアンバーだと分かり、ほっとする。
後を追いかけるため、階段を駆けあがったのだろう。アンバーは階段の手すりに身体を預け、はあはあと荒い呼吸をしていた。背まである長い亜麻色の髪も乱れている。
「なにか用ですか?」
「あたしがいない間、お父さんの仕事をやってくれたことには感謝するわ。だから、家にいるのは許してあげる……、でもね!」
アンバーはびしっとジンジャーを指して、堂々とした態度で言った。
「【鐘突き】の仕事はあたしが引き継ぐんだから!!」
「……」
父親のシンバの前では大人しくするものの、ジンジャー一人の時は敵意をむき出しにするみたいだ。
【鐘突き】の仕事に就いて二年目のジンジャーはチクタックの生活になじんできている。それに、人間の町は隠れ里にはない美味しい食べ物や、面白いものに溢れている。
【鐘突き】の仕事を誰かが代わってくれるというなら、この鐘の音が毎朝鳴り続けるから、隠れ里に住む鬼たちも困らない。
チクタックを出て、隠れ里へ戻るときがもうじきやってくるのだとアンバーの発言を聞き、ジンジャーはそう思った。
「あたしはそれをあんたに伝えに来ただけ」
目的を果たし、満足したアンバーは階段を下ってゆく。
アンバーが帰ってきたことによって、生活環境が大きく変わりそうだと、ジンジャーは思った。
時計塔からハンチング帽を回収したジンジャーは、商店街へ向かった。
商店街は時計塔から、左の住宅街の通りを真っすぐ進むと着く。人通りがないときは全力疾走するのだが、今の時間帯は人通りが多いからできない。
「……」
商店街へ向かう途中、ジンジャーは背後から気配を察した。誰かに後ろからじっと見つめられる気がする。
ジンジャーはさっと後ろを振り返った。
「アンバーか……」
一瞬だが、人混みにまぎれジンジャーから姿を隠すアンバーの姿が見えた。どうやら鬼であるジンジャーの日常がどんなものか観察したいようだ。彼女の執念にジンジャーはため息をついた。
ジンジャーの脚力であれば、アンバーを振り切ることも可能だがそれは彼女が変な行動を起こしそうになったらやろう。そう決めたジンジャーは、再び商店街へ歩を進めた。
商店街は野菜や肉などの食料品が売っていたり、外国の民芸品が並んでいて、ただ歩いているだけでも新鮮な気持ちになれる場所だった。
「やあ、ジンジャー。今日は遅かったな」
「月初めだからシンバからお金を貰ってた」
「お前の好きなミルクパンはもう売り切れだ」
「……そう」
いきつけのパン屋に入ると、亭主が声をかけてきた。毎日同じパンを買いに来ているので、来店するなり彼はジンジャーが好きなパンはもうないことを告げる。
初めて時計塔の仕事をした際にシンバから貰ったパン。それがここの店のミルクパンである。
お気に入りのパンが売り切れ、ジンジャーはがっかりした。
「今、違うパンが焼きあがったんだ。そっちも生地がサクサクして美味しいはずだぞ」
「じゃあ、それを二つ」
「毎度あり!」
ジンジャーは亭主のおすすめのパンを二つ買った。
四角い形で、いつも食べているミルクパンとは生地が違う。
パン屋を出たジンジャーは買ったものを一口食べた。
サクッという食感と共に、ドロッとした甘いクリームが口の中に広がる。初めての食感にジンジャーは目を丸くした。その場で一つ平らげる。
残りはシンバにあげよう。初めて食べるパンの名前を教えてくれるだろう。
「よう、ジンジャーじゃねえか」
「おはようございます」
「シンバは元気か?」
「元気ですよ。足は全然治っていませんが……」
ガタイのいい男に声をかけられた。彼はシンバを教会へ案内してくれた一人だ。
あれ以降、シンバの体調を気にかけており、一緒に暮らしているジンジャーを見かけると必ず声をかけてくれる仲になった。名前はガイアスという。
「今、暇か?」
ガイアスはジンジャーに会うと決まってこう尋ねる。
ジンジャーは「はい、暇です」と答えた。
「荷物の配達のほうが忙しくてな。手伝ってくれねえか?」
「いいですよ」
「助かるぜ。じゃあ、こっちに来てくれ」