シンバの昔話
二年前、シンバは【鐘突き】で生計を立てていた。
朝七時前、シンバは時計塔の頂上で鐘を鳴らすその時を待っていた。
娘のアンバーは時計職人となるため、チクタックを出てから一年が経つ。
修行を終えたらアンバーはすぐに仕事に就くのだろうか。それとも、修行先で恋人ができ、チクタックに帰らずに、その彼と同棲を始めてしまうのだろうか。
「もう、結婚出来る年齢だしな……。心の準備をしておかないと」
アンバーはいつか誰かを好きになり、結婚し、シンバの手から離れてゆく。
その”いつか”はもうじき訪れる。
シンバは娘の将来を想像し、ざわつく心を深呼吸で落ち着かせ、耳栓をし、紐を持った。
朝七時。シンバは紐を引っ張り、時計塔の鐘を鳴らした。
仕事を終え、時計塔から出たシンバは町の中心部へ向かって歩く。
時計塔の鐘が鳴ると、チクタックの人々は家から出てそれぞれの仕事を始める。中心部へ向かうと、その様子がよく分かる。【鐘突き】の仕事が誰かの役に立っていると実感するので、シンバはよくここへ寄り道をしていた。
無意識に歩いていると、昔働いていたギルドの前を通る。
ここを通ると、若くして亡くなった妻の事を思い出す。それは妻がギルドの受付嬢だったからだ。
「シンバか。仕事おつかれさん」
「ギルドマスター。おはようございます」
ギルドの前に突っ立ち、昔の思い出に浸っていると、エリオルがいた。彼の顔の皺はもちろん、骨ばった手を見ると、シンバがギルドを去ってから十六年経ったのだと実感させられる。だが、エリオルは六十歳とは思えぬ軽やかな足取りで階段を上り、ギルドの扉に手をかける。
「ここで会ったのもなにかの縁じゃ。中に入って話でもせんか?」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
「それと、ワシのことはエリオルと呼べと何度言ったら分かるのじゃ」
「す、すみません」
エリオルに誘われ、シンバはギルドの中へ入る。
ギルドの内装は、辞めたときとあまり変わっていない。変わったところと言えば、受付嬢の制服がいまどきのものになったところか。
客室へ招かれる間に、シンバはエリオルに小言を言われた。
若造だったシンバを一人前の戦士に育ててくれた師匠を名前で呼べと言われても、彼を”ギルドマスター”と呼ぶことが身体に染みついてしまっており、それは十六年経っても変えられない。
客室に入り、シンバとエリオルは向かい合う形で座る。
「……アンバーがチクタックを出て、一年が経つな」
「はい」
「一人暮らしには慣れたか?」
「まあ……」
雑談は世間話から始まった。話題は娘のアンバーの事だ。彼女の事を直接エリオルに話していないが、ギルドの元同僚には話した。その話がエリオルのほうに流れているのだろう。
「一人で家にいるのは退屈じゃろう」
「そうですね。何か趣味を見つけようと思っています」
「なら、ギルドの仕事を再開せんか?」
「へ!? 私はもう戦えませんよ! 剣なんてしばらく握ってません」
「お主に頼むのは討伐の仕事ではない。運搬の仕事じゃ」
「運搬?」
ギルドの仕事と言ったらシンバが真っ先に思い浮かぶのは、外で作物を荒らす魔物の討伐だ。ギルドを辞めて以降、育児に専念していたシンバは、剣の扱い方や戦いの感覚が衰えており、討伐の仕事を再開するのは難しいとエリオルに告げた。
シンバの勘違いにエリオルは笑った。
「ワシが個人でやっている仕事じゃが、誰かに任せようと思っての」
「それは、ギルドの人間に任せたらいいのでは?」
「いや、これはワシが信頼する人間に任せたいのじゃ」
「信頼する……」
「口が堅く、これから知る事実を素直に受け入れてくれる者」
「それが私だと?」
「うむ。お主はぼんやりとした性格じゃったが、予定外のことが起こっても現状を受け入れ、臨機応変に対応する柔軟性があったからのう。それにアンジェと交際し、結婚するまでギルドの皆に誰にも話さなかった。当時、美人で言い寄る男が山ほどいたアンジェと交際しておったのにじゃぞ? 普通の輩であれば、自慢しておったろうに。口の堅い男じゃとワシは思ったよ」
変わった理由でエリオルに信頼されているのだと、彼の話を聞き、シンバは目を丸くした。
「それで、荷運びは翌日の【鐘突き】には間に合いますか?」
「うむ。夕方に出発して、夜中にはチクタックに戻れるぞ」
「それは毎日ですか?」
「いいや、半月に一度でよい」
夜中までかかる仕事を毎日するのであれば、シンバはエリオルが持ち掛けた仕事を断ろうと思っていた。しかし、仕事の頻度は半月に一度だという。
アンバーの仕送りもあるし、臨時収入が手に入るのであれば受けてもいいかもしれない。
「分かりました。受けましょう」
「では、早速仕事をお願いしようかの」
「え? 今日、荷物を運ぶんですか!?」
てっきり後日予定を合わせるものだと思っていたのに、今日その仕事をするのか。
「まあ、先方に急かされておってのう。早速、荷を運ぶ場所を教える。じゃが、決してこの場所を他のものに明かしてはならんぞ」
「……分かりました」
シンバはエリオルから荷物を運ぶ場所を教えてもらう。
そこは、誰も立ち寄らない森の中であり、近くに人が暮らす集落はない。果たして、そこに荷物を受け取る相手が待っているのかとシンバは疑問に思った。
誰にも告げてはいけない秘密の仕事。
先ほどエリオルがシンバを選んだ理由として、”口が堅い”ことをあげた。
もしや、違法な商品をその場所で秘密裏に取引しているのだろうか。
エリオルが道順の説明を終えたところで、シンバは疑問を口にした。
「あの、運ぶ荷物は違法な商品なのでしょうか?」
「そうであったら……、お主はどうする」
「エリオル様が私を信頼して仕事を斡旋してくれたのです。運ぶ荷物が違法なものだったとしても、私は引き受けます」
「はっは、荷物は衣類と薬じゃ。疑うのであれば、馬車に乗った際、木箱を開けて確認せい」
犯罪に巻き込まれなくて済んだ、とシンバは安堵のため息をついた。




