ハジカミ
ジンジャーは暗闇の中じっとし、自分を運ぶ足音を聞いていた。
三人の足音は教会の石畳の階段を降り、繁華街へと向かう。ギルドの方角で合っている。教会からギルドは近く、少しすれば着くだろう。
扉が開く音が聞こえた。ギルドの中に入ったのだ。
ジンジャーの身柄はギルドが預かるとマールは言っていた。教会で預かるよりも安全だとも言われたが、町の警備や外で暴れる魔物の討伐を生業としているギルドの方が危険ではないだろうか。
「マスター! 鬼を連れてきたぞ」
「ご苦労」
木箱がドスンと床に置かれ、運んでいた男の一人が誰かに話しかけている。
三人の男をねぎらう声が返ってきた。
「木箱の中には鬼がおる。今は大人しいが、いつ暴れ出すか分からん。三人とも部屋から出るように」
「マスターは?」
「ワシのことは問題いらん。あと、シンバがここを尋ねてきたら、ここへ通しなさい。他の者は決してここへ来させないように」
「……わかった」
足音が遠ざかる。どうやらジンジャーを教会からここまで運んできた男たちは、この部屋から離れたようだ。
足音が聞こえなくなったところで、木箱のフタが開けられる。
ジンジャーは何度も瞬きをしながら、薄暗い部屋の明かりに目を慣らす。
「ハジカミ! 無事で良かった!!」
「っ!? どうして、その名を……!」
木箱から顔を出したのは、金髪の男だった。彼がギルドマスターのようだ。
ギルドマスターは緑色の瞳を潤ませ、ジンジャーのことを『ハジカミ』と呼んだ。
ハジカミとは、ジンジャーの本当の名前である。それは鬼の隠れ里でしか使われていない。どうして、ギルドマスターがその名前を知っているんだ。
「ああ。すまない。この姿では初めて会うね」
動揺するジンジャーを見て、ギルドマスターは自身のうっかりに気づき笑っている。
記憶の糸を辿っても、ジンジャーは目の前にいる男を知らない。
男が指をパチンと鳴らした。
すると、彼の両耳が尖ったものに変わった。顔に皺がなくなり、段々若返ってゆく。
人間のような外見に、尖った耳を持つ長寿な種族、エルフである。
「エリオルさん!」
エルフの行商人、エリオルだ。
エリオルは鬼の隠れ里に度々現れ、衣類や薬品を販売する行商人だ。彼は商品を鬼たちに販売した後、空になった馬車の中に鬼たちが生産するものを詰めて去ってゆく。
まさか、エリオルが人間に姿を変え、チクタックでギルドマスターをしているとは思わなかった。
「教会から君のことを聞いたときは、心臓が飛び出そうだったよ。無事でよかった」
「あの……、僕のことはーー」
「ハジカミがシンバの代わりに【鐘突き】になった時から知っていたよ。あっちに行商に行った時、ハジカミの親父さんにも話してる」
「父さんはなんてーー」
「『あの鐘をハジカミが突くのなら心配ないな』って。だから君には声をかけず、見守っていたんだ」
ジンジャーがチクタックで人間と共に暮らしていることは、エリオルを通じて父親に伝わっていたみたいだ。
父親の対応からして、ジンジャーがチクタックの【鐘突き】となり、二年間、隠れ里に帰らなかったことについては心配していない。
あの時、シンバの代わりに【鐘突き】になると決めたジンジャーの決断は正しい事だったのだと、エリオルの伝言を聞いて、ジンジャーは思った。
「エリオルさん、迷惑をかけてごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」
「いやいや、『ハジカミの正体がバレて大騒ぎになったら、助けになってくれ』って言われてるし、向こうでオマケして貰っちゃってるからね。遂にその時が来ちゃったか―って感じよ」
「はあ……」
「積み荷と一緒に、君を隠れ里まで帰す」
積み荷を乗せた馬車は、きっとエリオルが行商で使っているものだ。彼の馬車に隠れていれば、身の安全は保証される。
痛みで理性が飛んでいたとはいえ、ジンジャーは教会で権力を持つクーヘン司教の腕を切断した。それに、自分が鬼であることはもうチクタック中に知れ渡っている。朝刊の大見出しを飾る大事件になるに違いない。
人間にとって、鬼は赤い肌を持ち、人間を食らう化け物だ。
二年前のシンバや、数日前に会ったアンバーも食われるのではないかと怯えていた。
パン屋の亭主や仕事をくれたガイアスに恐れられ、暴言を吐かれたくはない。想像が現実となる前にエリオルの力を借りて、チクタックを出て行った方がいいに決まってる。
「お願いします」
「だから、もう少しここで大人しくしておくれ」
「分かりました」
エリオルは木箱にフタをする。
再び暗闇に包まれたジンジャーは、隠れ里に帰るその時を木箱の中で待った。