司教の企み
聖女が使う奇跡の力は、人の怪我や病を癒す他に人ならざる者を排除する効力を持つ事を、この時のジンジャーは分からなかった。
人であるシンバにとっては有益な光だが、人ならざる者、鬼であるジンジャーには有害なものである。
ジンジャーはその場に膝をつき、マールがシンバの治療を終えるまで歯を食いしばり、苦しみに耐える。
「……終わりましたわ」
マールがそう呟くと、ジンジャーを苦しめていた奇跡の力が消えた。
ジンジャーは深呼吸をし、眩暈と頭痛を和らげてゆく。
「マール様、ありがとうございます。私はこの日の事を忘れはしないでしょう」
シンバは松葉杖を使わず、自分の足で立ち、マールに深々と頭を下げていた。
「ジンジャー、見てくれ! 一人で歩けるようになった!!」
ジンジャーは無邪気な子供のようにその場で足踏みをし、足の怪我が完治したことを大喜びしているシンバをみた。
コホン、とクーヘンがわざとらしく咳ばらいをした。
「本日までに、六十万バリズンをここへ持ってくること。残りのお金はこの神父に”寄付”しなさい」
「司祭様、首都からマール様を連れて来て下さり、ありがとうございます。今から”寄付金”を持ってまいります」
「うむ」
クーヘンの要求にシンバは了承した。
「神父様、こちらをお返しします」
シンバは二年間愛用していた松葉杖を神父に返した。
支えもなしに、自分の足で立っているシンバを見た神父の目には涙が滲んでいる。
ジンジャーは足の不自由なシンバしか知らないので、神父ほどの感動はなかった。
シンバとジンジャーは教会を出た。
松葉杖なしで立っているシンバを見た町の人々は彼に「ようやく治ったんだな!」「おめでとう!」と拍手と歓声を送る。シンバは手を振って応えていた。
「私は家に帰って二十万バリズンを取ってくる」
「僕は――」
つい癖でシンバを背負う所だったが、直前でもう足は治ったのだとジンジャーは気づいた。
シンバは一人で歩いて家に帰れる。彼をおぶって連れて行かなくてもいい。
言葉にする前にそれに気づいたジンジャーは、別の目的をシンバに告げた。
「銀行で全額下ろしてくる」
「私のために、ありがとう。この恩は必ず返すよ」
ジンジャーは銀行に行き、四十万バリズンを教会へ持ってゆくとシンバに伝える。
シンバは感謝の言葉を告げた後、自宅の方向へ歩いて行った。彼は数歩進んだだけで町の人に囲まれ、祝いの言葉を投げられている。帰宅するまでかなり時間がかかるだろう。
ジンジャーは周りから祝福されているシンバの姿から背を向け、反対方向にある銀行に向かって走り出した。
☆
教会の一室には、”寄付金”を待つクーヘンと彼に媚びへつらう神父、マールは会話の輪に加わらず用意された紅茶の味を気に入り、二杯目を味わいながら飲んでいた。
「神父様、私、気になったことがあるのですが」
マールは疑問をクーヘンに口にした。
「ジンジャーという若者、具合が悪かったように見えました。彼に持病はありますの?」
「いえ、ありませんが……」
「そう」
神父の返事に納得したマールは、話題を終わらせる。
「……ほう」
マールの何気ない質問を耳にしたクーヘンは、頭の中である仮説を立てる。
仮説が的中すれば、自分の手柄になる。そう思いながらクーヘンは不敵な笑みを浮かべた。