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彼女の叫び声に乗せて

作者: アカツキ

 私の思うように、思うままに、この狭い部屋に歌声が響く。私をひきつけてやまないその声は、何かが違う。そんな違和感を残して消えた。

 暗雲のようなため息が、思わず漏れてしまった。

 すまぬ。私じゃ貴方に見合う曲は作れぬようじゃ。今日はもう寝よう。明日も仕事だ。

 ここ数年でほとんどゲームをしなくなったゲーミングPCの電源を落とす。

 また明日ね。


 目覚まし代わりの音楽に乗って、大好きな声が私の目を覚まさせた。

「おはよう」

 もう朝か、全然寝た気がしない。そのうち体壊すかもな。そんな懸念はどこか他人事だ。

 窓の外はすでに、うっすらと赤くなり始めてる。綺麗なのに、憂鬱になる。

 シャワーを浴びて、スーツを着て、パンなんてこじゃれたものを食べている暇はないので牛乳を飲んで栄養バーをかじった。

 時間がないのでメイクは最低限に。とりあえずかろうじてみられる程度でいい。早く会社に行かなくちゃ。

「行ってきます」

 もう一人の女の子が住むこの家に、ガチャリと、鍵をかけた。


 ガタンゴトン。電車に揺られること十分。その間私は、イヤホンをつけて音楽を聴きながら、ぼーっとしていられる。

「ドアが、開きまーす」

 ぷしゅ―。

 途端に荒波が生まれて、私はそれに逆らわずに流されていく。とりあえず目的地へ進もうとするよりも、その目的地へと向かう流れに乗ることがコツだ。

 誰に言われたわけでもないのに整列して、等間隔にピッと音が鳴る。

 ピッ。

 改札を潜り抜け、徒歩五分。私が働くオフィスがあるビルが、そこだ。

 自分のデスクにつくなりPCを立ち上げ仕事を始める。そうすれば、いつの間にかお昼になっている。

 昼食を食べながらスマホを開く。ちょうど、メッセージが来た。

『今日の夜、久しぶりに飲みに行かない?』

 スマホの上を指が踊る。

『いいよ。どこに行く?』

『いつもの飲み屋で』

『OK』

「須谷ぃ、この資料仕上げといてくれんかぁ?」

 やましいことをしていたわけではないのに、反射的にスマホをしまった。むしろ今は昼休みで、仕事頼むほうがおかしい。

 だから、やめてください。そう言えるわけではない。

 憤りの代わりにわいてくるのは「またか」という諦観だけだ。

「はい、わかりました」

 私は真面目腐った表情で上司のデスクに向かう。

 内心は、嫌悪感を顔に出さないように必死だ。

 わかってんだよ。気付いてないわけない。なんですか?私の胸が大きいからどうだっていうんですか?昔から、男の人はそうだ。気持ち悪い。

 渡された資料は思っていたより分厚かった。今日中に終わるかな?先約ができたので残業もできない。家に持って帰らなきゃ。

 そう考えながらキーボードをたたいていた。

「すいません須谷さん」

「ん、何?」

「ここ、自分がミスをしてしまいまして…」

 見せてくれた資料には、確かにミスがあった。で?どうしたの?

「うん、わかった。私が直しとく」

 結局こういう事でしょ?

「ありがとうございます」

 安いお礼だな。そんなことを思うのは、我ながら性格が悪い。


 やはり、定時までには終わらなかった。分かっていたことだ。今夜は徹夜かな。ため息を飲み込んで席を立つ。

「あれ?須谷ぃ。仕事を頼んでたはずだがぁ?」

「すみません。今日はこの後予定が入っていたので」

「でも仕事だからなぁ…」

 ああ。その通り。残業も仕事のうちだよ。

「すみません。明日はやめに出社して終わらせますので」

 うまくなった愛想笑い。

「そうしろよぉ」

 そう言いつつカバンを持って出口へと歩いていく上司。別段驚くことでもないな。


 暖簾をくぐり、手を振る幼馴染のを視界に収めると、自然と顔がほころんだ。

「久しぶり」

「そうでもないよ。前会ったのは一か月前だし」

「そうだっけ?」

「そうよ。大丈夫?」

「どうだろう?ダメかもしんない」

 笑ってみせる。私が甘えられる、唯一の人だ。慰めてほしくて、あざとく心配してほしそうにしても、少しくらいは仕方がない。

「頑張れ」

 頑張れる。

「うん」

「それでね、今日急に呼び出した理由なんだけど…」

 言われてもピンとこなかった。そんなに急だっただろうか?

「実は私、結婚するんだ…」

「へー、そうなんだ」

「リアクション薄くない?」

「そんなことないよ、驚いてる。やっぱり相手は春斗君?」

「うん」

 そっかぁ。中学の頃からずっと片思いだったもんね。良かった良かった。

「おめでとう。結婚式はいつ?」

「まだ、日程は決めてないんだけど、芽衣、来てくれる?」

「うん、もちろん」

 「よかった」って、安心して笑う顔は、気付いてないんだろうなぁ。私が作り笑いをしてるって。親友でも気づかないほど、うまくなったのか。

「芽衣はどうなのよ?」

「どうって?」

「彼氏とかいないの?」

 あー。その話になる?そうなるか。なるよね。やっぱり。

「今は仕事が忙しくて」

 今は。

「今度私が春斗の知り合いでも紹介してあげようか?」

「いいよ」

 面倒臭いから。

「仕事もいいけどさ、もうちょっとプライベートな時間作ってもいいんじゃない?」

「そうかもね」

 分かってるから。それ以上言わないで。

「芽衣はおっとりしてるからな~。悪い人に騙されそうで怖いわー」

「大丈夫だよー」

 高校生の時、彼氏に浮気されたことがあるのは知らないと思うけど。


 お酒が回って、私はあまり酔わないけど、親友は饒舌になった。

「それでね、春斗が―」

 笑顔で相槌を打つ。幸せそうな親友の顔に、笑顔以外を私は浮かべられない。

「春斗とー」

 幸せそうだなー。私まで嬉しよ。嬉しいのかな?嬉しいはず。嬉しいに決まってる。

「芽衣は好きな人とかもいないの―?」

 酔ってる。

「いない」

 またその話か。いいよ、もう。

「私。こんないい親友がいてさ。春斗とも結婚できて、今、幸せだな」

「私も、こんな親友がいて幸せ」

 いいって。


 気持ち悪い。


「じゃーねー」

「うん、ばいばい」

 酔ってるなぁ。迎えに来た春斗君と、苦笑いを交わす。少しずつ、二人の背中が夕やみに溶けていって、みえなくなっても、そこに突っ立ていた。

「さて、帰るか」


 誰もいないマンションの一室。暗い。冷たくなった床。ぱちぱちとスイッチを押して、暖色の電球が灯をともす。誰もいなくて。寂しくて、居心地が悪い。

 会いたい。大好きな声の少女に。かばんも、スーツも投げだした。

 ゲームのできないゲーミングPCを起動させる。

「ただいま」

 画面の向こうにいる彼女に話しかける。「おかえり」なんて言ってくれるはずもない。パソコンが動く音が、虚しく響く。

 エンターキーを押せば、音程も歌詞も外れた曲がヘッドホンを通して聞こえる。ただ、声だけが完璧だ。

『本当に削除しますか?』

 私は、自嘲気味に笑って、迷わず[はい]をクリックした。ただただ痛い。痛い奴だ。自分は。それでいいやもう。そして、他の皆は私いじょうに欠点を抱えている。それがいい。

「ふざけないで」

 私の代わりに彼女が叫んでくれる。

「すべて消えてしまえ」

 私も一緒に叫んだ。

 頭の中も空っぽになって、彼女と私がつながったような感覚を覚えた。私のストレスを、彼女がすべて吐き出してくれる。快感が、私を支配する。指先で彼女を鳴かせて、何もかも忘れて、気持ちよさにおぼれていく。

「死ねばいいのに」

「うざい」

「うるさい」

「気持ち悪い」

 誰に、何に怒っているのかさえも、あいまいになってくる。あるいは、そんなのどうでもいいのかもしれない。自分の中にある負を吐き出していく。

 いつの間にか、私は嗚咽を上げて泣いていた。「大丈夫だから。安心して」優しい歌詞を追加した。

 そんな、一種の発狂状態でも、眠気は次第にわいてきた。「お休みなさい」そのフレーズで、締めくくる。

「お休みなさい」

 画面の向こうの少女は、返事などしなかった。


 目が覚めた。いつもと変わらない、すっきりとしない目覚め。そう言えば、仕事やってなかった…。一番最初に考えたのがそれで、次は今が何時なのかということだった。スマホの長針は、すでに一周走り終えた後でした。残念。遅刻どころじゃない。

 もう、どうでもいいや。そんな気分になる。何しようか?見たい映画があったけ。久しぶりに料理してみるのも悪くない気がする。それともゲームでもしようか。

 ふと、頭に浮かんだことを、することにした。

 躊躇など塵ほどもなく、エンターキーを押す。

 私と彼女の叫び声と、ありふれた曲が、この世界に発信された。

読んでくださってありがとうございます。

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