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すずろ記  作者: 真波馨
6/10

5_詩と春


 真波が最近はまっているものの中に、「詩と短歌」があります。

 

 これは真波の読書歴を辿っていけばわかりやすいのですが、


 小学生後半~中学生→長編 (ファンタジーなど)

 大学生~二十代半ば→短編 (ミステリ)

 二十代後半→詩と短歌


 という具合に、読むことができる作品の長さがどんどん短くなっています。二十代半ばで久しぶりに『狩人の悪夢(有栖川有栖)』を読んだときは、面白かった反面どっと疲れました。「二十代にして読む体力が衰えてきているのか……」と愕然としたことを憶えています。


 前置きはこれくらいにして、ここでは「詩と短歌」の中でも「詩」をクローズアップしてお話します。

 真波が詩にはまったきっかけは、ベタですが中原中也先生でした。さらに中也先生を読もうと思ったきっかけというと、文豪関係の著作(『文豪たちの悪口本』『レジェンド文豪のありえない話』など)を読み始めたことですが、これは今回の本筋とはあまり関係がないので割愛します。


 中原中也の詩には、個人的には「ファンタジー色が強い中に、現実と自身への憂いを混ぜた」ような印象を持っています。

 彼の作品にどこか西洋的な空気を感じるのは、フランス詩に関心を持っていたり、ヨーロッパやアメリカで発生したダダイズムの影響を受けたりしているためでしょう。

 ダダイズムとは芸術思想の一種で、否定性や攻撃性・破壊性を伴った作風が特徴らしいです。言われてみれば、中原中也の詩は何かに抵抗したら反発したりするような、あるいは自分に絡まる糸を解こうとジタバタしているような、そんな印象も受けます。

 また、彼の詩の世界観には、南国のカラッとした明るい光よりも夜の街を照らす月光が似合います。発展した都会の景色やのどかな田舎の風景より、退廃した街並みを連想させます。


 かといって、そこにはジメジメどんよりとした暗さもありません。そんな詩であれば、読んでいるうちに気が滅入ってしまうでしょう。中原中也作品にそうした暗さを感じないのは、彼の内に秘められた独特の強さみたいなものが関係していそうです。中也先生の詩は「繊細な」という形容詞がぴったりなのですが、それは単にセンチメンタルさだけでなく、突風に吹かれながらもギリギリまで折れない一本の花のような強さも持ち合わせている気がします。


 中原中也はわずか三十歳という若さで世を去るのですが、その短い生涯の中でさまざまな文豪や文学者たちと交わっています。特に中也と文豪に関するエピソードは、総じて破天荒なものばかり。太宰治をイジメ抜いたり、酒の勢いで坂口安吾にケンカを吹っかけたり、女性を巡って泥沼の三角関係に陥ったり……。

 作風からは想像できないエピソードですが、ガラス細工のような弱さと荒くれ者の強さというギャップが中也先生の魅力であり、その魅力が作品にもにじみ出ているのかもしれません。


 ところで、真波が少し前に知った「燻銀(いぶしぎん)」という言葉は、中原中也の詩に出てきます。ちょっと長いですがお気に入りの詩なので、せっかくですからここで紹介したいと思います。


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春の夜



燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに

  一枝の花、桃色の花。


月光うけて失神し

  庭にはの土面(つちも)附黒子(つけぼくろ)


あゝこともなしこともなし

  樹々よはにかみ立ちまはれ。


このすゞろなる物の()ねに

  希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。


山虔(つつま)しき木工のみ、

  夢の(うち)なる隊商のその足竝もほのみゆれ。


窓の(うち)にはさはやかの、おぼろかの

  砂の色せる絹(ごろも)


かびろき胸のピアノ鳴り

  祖先はあらず、親も()ぬ。


埋みし犬の何処(いづく)にか、

  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいづる

      春の夜や。



≪青空文庫:中原中也『山羊の歌』より( https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/card894.html )≫


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※著作権の関係上、真波が持っている詩集ではなく青空文庫より引用しています。


 燻銀(いぶしぎん)自体は、「燻した銀のように、目立ちはしないけれども実力や能力を備えた人物」を意味するらしいですが、中也先生の詩では単に情景描写として使われているようです。

 にしても、何とも美しい詩ですよね。個人的には、冒頭の「燻銀~」から始まる前半部分が特にグッときます。「銀の窓枠」ではなく「燻銀」のワードを使うところに詩人らしい言葉のセンスを感じますし、「土面は附黒子」という言い回しも洒落ています。本来であればワンフレーズごとにグッとくるポイントを説明したいくらい素敵な詩なのですが、あまりにグタグダでまとまりのない話になる予感がするので、このあたりで留めておきましょう。

 ちなみに、最後のフレーズにある「蕃紅花(さふらん)色」は、山吹色をほんの少しだけ落ち着かせたような黄色のこと。サフランとは別名クロッカスとも呼ばれる、早春に咲く花です。晩秋に咲くサフランと春に咲くサフランは別物だそうでちょっとややこしいですが、春のサフランは「花サフラン」と言われているみたいです。出かけ先でサフランの花を見かけたら、中也の詩に思いを馳せてみるのも一興ですね。


 詩や短歌、俳句などは、小説よりさらに限られた字数のなかで様々な物事を表現するため、言葉選びや表現のセンスあるいは個性がより際立ちます。それらに触れて刺激や感銘を受けることは、いち創作者にとって非常に大きな学びであり、後々の財産になるだろうと個人的には思います。加えて、作品を通して改めて日本語の美しさを実感しているところです。真波はまだ詩や短歌の世界に一歩足を踏み入れたばかりの段階ですが、これからもあらゆる美しい日本語、美しい作品たちに出会えるのだと考えると心躍るような気持ちです。


 作家の有栖川有栖先生は、ある作品の中で「春の宵はやるせない」と(のたま)っています。中也の『春の夜』しかり、春は別れとともに感傷を誘うのかもしれませんね。

 一方で、春は生命の始まり、そして出会いの時でもあります。そんな季節には素敵な作品、素敵な言葉たちへ出会いに行ってみてはいかがでしょう。そこでの出会いが、人生の転換点となる可能性だってゼロではありません。

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