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すずろ記  作者: 真波馨
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9_三十一音に愛をこめて


 こちらでの活動は停滞気味ですが、今年は地元の二つの文学賞に作品を応募する予定です。

 その中のひとつは短歌とミステリーを絡めた話を書くつもりで、最近は短歌をちょこちょこ勉強しています。勉強といっても、歌集をいくつか買って読んだり、短歌入門の本を買ったりしているぐらいですが。


 短歌は、三十一字を五・七・五・七・七の文字数で区切って作る歌です。これだけの説明だと「百人一首や万葉集の作品も短歌なのか」と思いますが、正確には違うようです。三十一字から成る歌のうち、近代以前に作られたものは「和歌」、近代以降の作品は「短歌」と区別されるそうな。つまり、百人一首や万葉集は和歌に区分されるのです。

 こんな初歩的な知識さえも実は最近知ったのですが、和歌や短歌の世界は、その歴史まで含めると奥深いなんてものではないでしょう。和歌の世界のすべてを知ることは、宇宙を知ることに等しい――そんなふう思えます。


 真波が文学賞の作品執筆にあたってなぜ短歌を取り上げることにしたのか、その辺の事情はさておき。恥ずかしながら、歌集を本格的に読んだのはつい最近のことです。初めて手にした歌集は、与謝野晶子の『みだれ髪』でした。

 実は、歌集を買う以前に、たまたまネット上で見てずっと気に入っていた歌がありまして、その作者を調べたらどうやら与謝野晶子らしい。けれど、どの歌集に掲載されているかまでは判らない。ならばとりあえず、代表作から購入してみよう……『みだれ髪』と対面したのはそんな経緯でした。そのお気に入りの歌というのが、こちら(下記)です。



 金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に


≪青空文庫:与謝野晶子『恋衣』より(https://www.aozora.gr.jp/cards/000318/card2086.html)≫



 与謝野晶子の作品には恋歌が非常に多いのですが、私は今のところ上記の歌が一番好きですね。夕日と銀杏の組み合わせがとっても鮮やかですし、銀杏を「ちひさき鳥」と表現したところも好みです。難しい言葉も使わずシンプルな表現で、ここまでありありと光景が浮かぶところに、与謝野先生の手腕が光ります。

 ちなみに、上記の歌は『みだれ髪』には掲載されておらず追加で歌集を買うことになりました。


 歌集を初めて購入したと書きましたが、和歌でいえば百人一首は学生の頃から好きでした。そのときからずっと考えていたのですが、和歌や短歌ってすごいですよね。これは俳句も同じですが、たったの数十文字でさまざまな景色や人の心模様を表現するのです。時には、長い長い時間の流れまで歌にしちゃいますからね。たとえば、下記の俳句。


 

 夏草や (つわもの)どもが 夢の跡


≪松尾芭蕉『おくの細道』(1702年刊)より≫


 かつて武士(上記の句でいう「兵」)たちが栄華を誇ったこの地も、今では夏草ばかりが生えすっかり過去となってしまった。まるで夢のように。

 現代語に訳するとこんな感じでしょうか。ここでいう兵とは、源平時代の源一族や藤原一族を指すようです。その時代から芭蕉の生きた時代まで、五百年以上もの歳月をたった十七文字で表しているのが上記の句です。この句を知ったのはたしか中学生の国語の教科書でしたが、そのとき以来、俳句といえば真っ先に芭蕉先生の「夏草や」が浮かびます。真波の中ではひときわ印象深い一句なのです。


 執筆活動をはじめて五年以上経ちますが、活動を続けていて感じたことのひとつに「字数を削ることの大変さ」があります。

 正直、「小説家になろう」だけで活動していたらあまり実感が湧かなかったかもしれませんが、多くの公募の賞には字数制限が設けられています。どんなに溢れる思いやアイデアがあっても、それを上手く文字にできたとしても、規定の字数を一文字でも超えてしまえばその時点で選考落ちするでしょう。実際、下読みの方たちが応募者にアドバイスをするサイトで、「まずは応募規定をしっかり守ること。それすらできていない作品が多い」というコメントを見かけました。

 意気揚々と書き上げた後、身を削る思いで文字数を減らしていく。時には「これは気に入っていたのに……」という表現や場面を泣く泣くカットする、そんな経験をした創作者もいらっしゃることでしょう。


 ただし、極限まで削りに削った作品にこそときに文学作品としての美しさが宿ることがあります。その代表が、俳句や和歌、短歌ではないでしょうか。それ以上文字数が減ると、作品として意味が成立しなくなる。そのラインが、俳句の十七音や短歌の三十一音だと思います。センスを研ぎ澄ませ、吟味に吟味を重ねて言葉を選び抜く。その言葉たちを、さまざまな順番で組み合わせてみる。そうして完成した数十字の作品が、数百年の時を越えて語り継がれていくなんて素敵ですよね。


 真波はまだ自作の短歌を公表できるほど修業を積んでいませんが、今年の文学賞に出す作品には、三十一音にありったけの愛を込めた歌を綴ることができたらと思います。

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