文学少女はイキリオタクの恋をするか?
放課後、渡り廊下の道すがら、ボサボサの黒髪を掻きながら江上理玖斗は考える。
どうしてクラスの女子たちは俺に話しかけてこないのだろう、と。
地元の高校に進学してはや半年、女子との会話は「資料集を忘れたから見せて欲しい」といったような事務的な内容がほとんどだ。
それでも、中学時代から殆ど女子と話してこなかった理玖斗にとって「う、うん……」と返事ができたことは大きな成果だった。
口数も少なく、休み時間にはスマートフォンを見てニヤニヤしているクラスでも少し浮いた存在……そのことには理玖斗自身も薄々気が付いていた。 だからこそ、彼なりに女子に話しかけられるよう努力もしてきた。
今日もゲーム仲間の山下と学校に満点堂スピッチを持ち込んで休み時間にプレーするというアウトローっぷりを見せつけたし、喧しいサッカー部の連中もプレーしているソシャゲのランクも理玖斗の方が遥かに上だ。 さらに先週は今話題のアニメ、「劇場版奇抜なハンマー」の公開初日に主人公のコスプレをして観に行った写真をSNSに投稿している。
だが、SNSのいいねは山下からしか来ていなかったし、今日もそのことについて話しかけてくる女子はいなかった。
一体、女子に話しかけられるのには何が足りないのか。 理玖斗はそんなことを考えながら渡り廊下の突き当たりを左に曲がった。 廊下の奥に図書室が見える。
普段読むものといえば漫画くらいの理玖斗にとっては夏休みの読書感想文を書く時くらいしか縁のない場所だ。
だが、廊下に突き出た「図書室」と書かれたプレートが目に留まったその時、理玖斗の脳内にある一つの名案が浮かんだ。
(普段(恐らく)読書のイメージのない俺が、休み時間に知的な本を読んでいたら……いや、最悪読んでいなくても机の上に置いておいたら、「江上くん、あんな難しそうな本を読んでてカッコいい!」って具合にクールな印象を与えられるんじゃないか? もしかしたら、興味を持った女子が話しかけてきてくれるかも……)
帰りかけた足の向きを変え、図書室に続く廊下を一直線に進む。 小さなプレートがかけられたドアの前で立ち止まり、少し息を吸ってからゆっくりとノブを回す。 しんと静まり返った室内に、扉が軋む音が響く。 なんとなく、足音を立てないように身体を滑り込ませると、少し埃っぽい空気が理玖斗を包みこんだ。 入り口の左側に設置された消毒液を手に吹きかけながら、室内をぐるりと見回す。 貸し出し用のカウンターには今は誰もいないようだ。 西日に照らされた窓際のテーブルも、埃がキラキラと舞っているだけで人の気配はない。 だが、人見知り気味の理玖斗にとってはむしろ好都合だった。 目をキョロキョロさせながら、奥に進んでみる。 辞典、百科、自然科学……分類ごとに分けられた本が天井近くまで伸びた本棚にぎっしり収まっている。
どんな本を広げとけば知的なイメージが付くだろう……理玖斗はそんなことを考えつつ、特にあてもなく背表紙を眺めながら通路を歩いてみた。
「……ん?『フョードル・ドエストフスキー』……この名前、聞いたことあるな……」
理玖斗は海外小説の棚の前で歩みを止め、一冊の本を手に取った。 勿論、これまで日本の小説すらろくに読んでこなかった理玖斗が、ロシアの作家の作品など読んだことあるはずがなかった。 では、なぜ作者の名前に見覚えがあるのかというと……
「あ、この前『LGO』に追加されたキャラの名前だ! こいつが元ネタだったのか……」
理玖斗がプレイしているソシャゲにデフォルメキャラとして登場していたからだった。 新キャラとして追加され、性能も良かったため課金してまでガチャを回したのだが、結局手に入れることは出来なかった。
なんとなく親近感を覚えた理玖斗は、その場で数ページペラペラとめくってみた。 しかし、1ページも読み切らないうちに頭痛がしてきた。 日本語に訳されてはいたが、普段活字に接していない理玖斗にとっては非常に難解で、借りてまで読み進める気にはなれなかった。
「ドエストフスキーに興味あるの?」
「えっ!?」
この空間に自分一人しかいないと思い込んでいた理玖斗は、不意に声をかけられ思わず飛び上がってしまい、 手に持った本を床に落としてしまった。 慌てて本を拾い上げ声の主の方を振り返ると、そこには眼鏡をかけた色白の少女が立っていた。 理玖斗の派手なリアクションを見て少し戸惑っている。
「ご、ごめんね。 驚かせちゃったみたい……
……江上くん、だよね?」
「そ、そうだけど……あっ、」
まだ心臓がドキドキしているが、多少落ち着きを取り戻した理玖斗は目の前の女子に見覚えがあることに気づいた。 勿論会話したことはなかったが、確か同じクラスだ。 名前は……
「あっ、私、同じクラスの白井。 白井めぐみです。 図書委員だから放課後は大体ここにいるんだけど、ここで同じクラスの人を見かけることって滅多に無いからつい声かけちゃった。 びっくりさせちゃってごめんね?」
「あ、いや、大丈夫……」
「そう? それなら良かった。 それにしても、江上くんが図書室にいるなんて珍しいね。 休み時間はゲームしてるか寝てるイメージだけど、もしかして結構本読むの?」
先程なんとか落ち着きを取り戻していた理玖斗だったが、今度は違った意味でまた心臓の鼓動が早くなっていた。 放課後に女子とお喋り、まさに理玖斗が憧れていたシチュエーションだった。
(すごい積極的に話しかけてくるな……それに、今の話を聞く感じだと結構俺のことを見てるようだ……ということは、もしかして俺に気があるのか?)
突然訪れたチャンスを前に、理玖斗は思わずにやけ顔になる。 今、彼の脳内では日頃プレーしている恋愛シミュレーションゲームの画面が表示されていた。
[図書委員の女の子]
・ステータス→文学少女、クラスメート
・好感度→60/100
憧れのシチュエーションを眼前にし興奮が渦巻く中、理玖斗は慎重に彼女からの質問に対する選択肢を選ぶ。
「あぁ、まあね」
「へ〜、そうなんだ! それならもっと図書室に来てくれてもいいのに。 飯島くんも全然来てくれないから、いつも私1人なんだぁ」
「い、飯島!?」
白井の何気ない一言に、理玖斗は動揺の声を上げた。 一瞬前の浮かれた様子はどこへやら、今はその顔色は青ざめている。
(飯島は確か同じクラスの男子だ。 何故今飯島の名が……まさか、2人は……)
「知ってるでしょ? 飯島くん。 飯島くんも図書委員なのに、いつもサボってばっかりなんだぁ。 まあ、大した仕事がある訳じゃないからいいんだけどね…………どうしたの?」
「あ、ああ、いやなんでもない、大丈夫……はぁ」
(そうか、飯島も図書委員だったのか……全く、驚かせやがって)
白井の話を聞いて、理玖斗は思わず安堵のため息をついた。 しかし、白井はそんな理玖斗の素振りには気付かなかったようで、彼が手にしている本、『未戌年(下)』をしげしげと見つめていた。
「そんなことよりさ、江上くん、ドエストフスキー好きなの?」
「………まあね、結構読んでるよ」
勿論本当は読んだことなどない。 しかし、ここがアピールのチャンスだと踏んだ理玖斗は、賭けとも思える選択肢を取った。
「へー凄いね! 私、ドエストフスキーは短編集くらいしか読んだことないや。 長編も読んでみたいんだけど敷居が高くて……」
白井は尊敬の眼差しで理玖斗を見て言った。 理玖斗はその様子を見て、自分の選択肢が合っていたことを確信した。 彼の脳内で白井からの好感度パラメータが伸びる画が浮かんだ。
「ねぇ、他には何を読んだことあるの? おすすめとかあったら教えて欲しいな」
「えっ!?」
白井からの質問に、理玖斗は驚いて目を白黒させた。 当然、他の作品など読んだことがないどころかタイトルだって分からない。 この本だって適当に取っただけだし、何ならタイトルの読みも分からない。
しかし、先程ああ言ってしまった以上、どうにかしてタイトルを上げるしかない。 でなければ嘘がバレてしまうどころか一気に嫌われてしまうかもしれない。
(クッ、こっちはバッドルートだったか!? ……いや、待てよ……)
「…………あれかな、フゾーマラカの……」
「『フゾーマラカの姉妹』?」
「! そう! それそれ!」
「あれ最後まで読んだの? 凄いなぁ……私も前に挑戦したんだけど、途中まで読んだところでお父さんを殺した犯人のネタバレを何かで見ちゃって冷めちゃってさー、結局読むのやめちゃったんだよね」
「は、はは、そうなんだ……」
白井が無念そうに言うのに対して和やかに相槌を打ちながら、理玖斗は内心胸を撫で下ろしていた。
(あ、危なかった……『LGO』のスキル名に助けられたな。 作品のタイトルが元ネタになってるって話を聞いておいて良かった……)
最大のピンチを幸運にも乗り越えた理玖斗は少し余裕が生まれ、先程よりも舌が回るようになっていた。
「いやあ、面白いから最後まで読んだ方がいいよ」
「そう? そこまで言うなら、もう一回読んでみようかな」
「でも、ドエストフスキーってテーマも難しいんだけど、文章がすっごく難しくない? それで読むのが疲れちゃうんだよね……」
「た、確かに、あんな可愛らしい見た目してるのに、書くことは凄い難しいからなんか笑っちゃうよね」
「えっ?」
「えっ?」
白井が怪訝な顔をしているのを見て、理玖斗はオウム返しに言った。 理玖斗としては何気ない返答のつもりだったので、何が白井に引っかかったのか理解できていなかった。
「可愛らしい? ドエストフスキーが? どう見たって髭面のおじさんじゃない?」
「えっ……あっ!!」
そこまで言われて、理玖斗はようやく史実のドエストフスキーが『LGO』に登場する美少女キャラとは異なることに気が付いた。 まさか先程ピンチを救われた『LGO』に今度は足元を掬われるとは。 理玖斗の背中に冷や汗が伝う。
「……ふふ、江上くんって面白いね」
「えっ……は、はは……」
白井は不思議そうな顔をしていたが、そう言うと理玖斗に笑顔を向けた。 細い黒縁の眼鏡の向こうで奥二重の瞼が細くなる。 それを見て、理玖斗は自身の顔が赤くなるのを感じた。 同時に彼の脳内で好感度のパラメータがMaxまで上昇し、ゲージがピンク色に点滅していた。 彼の中では既に一世一代のチャンスが到来していた。
「ねぇ、他にはどんな本が好き? 私はミステリが好きでよく読むんだけど……」
(す、好き!?)
緊張と興奮のあまり、理玖斗は白井の話していることなどほとんど聞いていなかった。 今彼の脳内にあるのは、たった2文字の選択肢1つだけだった。
「……日本の作家だと西野圭悟さんかな〜、この前出た短編集も……」
「す、好き……す……」
「……えっ? 何か言った?」
白井は自分が好きな作家について語っていたが、理玖斗が何か呟いているのに気付くと不思議そうに理玖斗の顔を見上げた。 理玖斗は持っていた本を棚に置くと、彼女の手をギュッと掴んだ。
「えっ!? な、なに!?」
「お、俺も、し、白石さんのことが好きです! 付き合ってください!」
2人しかいない放課後の図書室に響き渡った理玖斗の告白は、やがて本棚に所狭しと並べられた書物達が放つ静寂に吸い込まれていき、沈黙が2人を包んだ。 理玖斗は手を握ったまま、無言で彼女を見つめている。 その目は真剣そのものだった。 彼女はしばらく呆気に取られたように理玖斗を見つめていたが、やがて気を取り直すと2人の間に流れる沈黙を破った。
「え、意味分かんない。 無理です」
「……えっ?」
「なんで急に告白? どういうこと? あと私、白石じゃなくて白井です。 からかってるの? てか、放してくれない?」
白井はそう言うと、理玖斗の手を振り払って触られないよう距離をとった。 その目には恐怖と困惑の色が浮かんでいる。 予想と違う展開に、理玖斗はまだ状況を飲み込めないでいた。
「ほんとに意味分かんない……私もう帰るから、鍵だけ閉めて職員室に持ってってください。 あと、今学期はもうできるだけ図書室に来ないでほしいです……怖いから」
白井は図書室の鍵を江上に押し付けると小走りで貸し出しカウンターの側まで向かい、急いで荷物をまとめ、両手に消毒液を目一杯吹き付けてから去っていった。
太陽が沈みかけ、薄暗くなった図書室に1人残された理玖斗は図書室の鍵を握ったまましばらく呆然としていたが、やがてゆっくりと立ち上がると、とぼとぼと出入り口に向かった。
脳内では完璧だった告白の何がダメだったのか、理玖斗には分からなかった。
扉の前に立ち、手のひらと鍵穴を交互に見つめる。 理玖斗はちょっと考えると、やがて鍵を貸し出しカウンターの上にそっと放り投げた。
それから、ずっとよくなった気分で、家に帰って熱いブラックのコーヒーをいれることにした。
皆様お気付きの通り、タイトルは某有名SF小説のパロディです。
本作のリックもとい理玖斗くんの今後の幸福を共に願っていただければ幸いです。