表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

小品集《子供の情景》

ローズメイデン

作者: た~にゃん

<注意>

グロ&スプラッタありのガチホラーです。

苦手な方は即刻ブラウザバック願います。


『不自然な描写』を隠してあるのですが、見つけられますでしょうか。


2020.08.16 一部改稿。ご指摘いただいた部分を直しました。

00.アングル


薄暗く埃の積もった部屋を、ソレは静かに見下ろしていた。何年も前に命を喪ったその眼には、朽ちて綿(わた)の飛び出したソファと、シャンデリアに張った蜘蛛の巣、綿埃(わたぼこり)で今や(がら)もわからぬ絨毯が映る。残念ながら、朽ち逝くことなくどっしりと構えた、彫刻のそれは見事な大理石の暖炉は、ソレには見えなかった。



**************************


01.アクイアース


聖ラグエル孤児院の朝は早い。子供たちは日が昇る前に起きだして、朝の祈りを捧げる。それから、街へ奉仕活動に赴くのだ。


アクイアースは、この国有数の人口を抱える大都市であり、国の産業を担う大工場の長い煙突が幾本も空へ屹立(きつりつ)している。煙突から吐き出される煙のせいか、アクイアースの空は常に灰色めいている。


その工場の間に、身を寄せ合うように、労働者たちの住まい――工場の壁に今にも押し潰されそうな、狭小家屋群がある。その一戸一戸を巡り、祝福を捧げる――それが、孤児たちに与えられた役割であり、日々を労働に生きるアクイアースの民への慰めであった。


早朝の務めは、冬は耳も痛くなるような辛い仕事だ。しかし、それも今日で最後だと思うと、シャロンの心は浮き立った。肌を刺す意地悪な冬の冷気でさえ、今日はシャロンを祝福している気さえする。


シャロンは明日で十二だ。


十二になった孤児の中から、シャロンたちの庇護者である公爵令嬢ミオン様にお仕えする女児が選ばれる――シャロンは見事、お眼鏡にかなったのだ。それが嬉しくて、誇らしくて堪らない。

それに、同じ孤児院育ちで姉のように慕っていたメイという親友が、この夏からミオン様にお仕えしているはずだ。半年ぶりだが、元気だろうか。


ミオン様は慈悲深いお方だ。御自らの発案で、シャロンたち孤児を救済する孤児院をお作りになられた。さらに食事や衣服、将来役に立つ学までも与えて下さる。そして、自活が難しい女児には、就職先まで斡旋して下さるのだ。シャロンをはじめ、孤児たちにとってミオン様は聖母であり、慈愛の女神に他ならない。


◆◆◆


「正しき子よ。悪に、享楽に、身を委ねてはなりませぬ。手を休めてはなりませぬ。命の尽きるその日まで、正しき道をいきなさい。さすれば神は亡骸の、灰を掬いて、天に掲げてくれましょう」


聖句を詠い、祈りの印を切る――小さな儀式が終わるや、労働者の男はシャロンの手に銅貨を押しつけた。わしゃりとシャロンの金髪をひと撫でし、慌ただしく(ねぐら)を出ていく。せかせかと表通りの雑踏へ消える背に呟いた。

「貴方に…神が微笑んでくださいますように」



アクイアースの民は寡黙だ。黙々と働き、夜の帳が降りる前に塒に帰る。延々、その繰り返し。それが天に召されるための唯一の道だから。


ゴーン ゴーン リンゴーン…


勤労開始の鐘が鳴る――


見上げた空は、工場の高く黒ずんだ壁に細長く歪に切り取られ、鬱屈とした灰色の雲が重く垂れこめていた。


◆◆◆


出立の日、浮き立つシャロンを迎えに来たのは、公爵家に仕えるルーシーというメイドだった。年は四十前後か。白い肌に霧を被ったような砂色の髪をひっつめ、厳格さ匂う硬質な(かんばせ)、瞳の色は凍てつく湖のようなペールブルー。枯葉の色に似た暗褐色の飾り気のない外套から出た黒い手袋でシャロンの顔、手のそれぞれに、顔を近づけとっくり眺めた後、無言で馬車へと促した。


ゴトゴト ゴトゴト…


石畳の道を走る振動が伝わってくる。


「あの…!」

こちらを無表情に見つめたままのルーシーに、シャロンは思いきって話しかけた。


「あ…あの、メイは元気でやっておりますでしょうか」


恐る恐る尋ねたシャロンに、ルーシーの唇だけが動く。


「亡くなりました」


「え?!」


(メイが死んだ?!え?!)


目を瞠るシャロンに表情を動かすことなく、年嵩のメイドは話は終わりだとばかりに目を閉じた。


◆◆◆


やんごとなき方々が住まう街、スーレンは遠い。アクイアースからは、月に数度、貨物船が行き交うのみだ。


やってきたのは、港。

工場のような四角く大きな壁の内側は、天井まで積み上げられた木箱が圧迫し、狭い通路を、労働者が忙しなく行き交っている。


「こちらへ」


感情のない声に呼ばれて、シャロンは少し先に佇むルーシーにトテトテと駆け寄った。まだ、親友が亡くなったことが信じられない。詳しく聞こうとするも、ルーシーは足早に歩くばかりで、取り付く島もない。


コンクリートを打ちつけた床を、細く長く切り取ったホーム。その下は濁った緑の水面が静かに波打っている――大河ウーガンだ。


シュー…ゴトトン、ゴトトン…


白波をたてながら、『船』が滑りこんできた。


それは大きな鉄の塊だった。見上げるような高さの鈍色の車体は丸みを帯びた筒型で、幾つもの頑強な鉄板を打ちつけてある。窓は、ない。


勝手知ったるかのように、さっさと乗り込むルーシー。彼女を追いかけ、シャロンが『船』のタラップを踏むと、体重で足許がグラリと揺れる。びっくりしてバランスを崩しかけたシャロンの腕を、痛いほどの強さで引かれた。


「何をしているんです!」


ルーシーに恐ろしい形相で恫喝され、シャロンはビクリと肩を震わせた。


「ご…ごめんなさい」


返答はない。

代わりに、早く来いとばかりに手を引かれ、暗くカビ臭い通路の奥へとシャロンを連れていった。



*************************


02.船


『船』の乗り心地は不思議なものだった。浮遊感と、下から伝わる確かな振動――


トプン チャプ ピチャン…


貨物船の、恐らく荷を入れる部屋の一つ。窓のないがらんとした部屋を、天井に吊されたカンテラが頼りなげに照らし出す。


メイのことをもっと聞きたかったシャロンだが、ルーシーは、木箱に背を預け、シャロンの向かいで眠っている。


退屈して、何度か船室の外へ出てみたのだが、通路にも船室にも、人っ子一人いない。厠から見た窓の外は、霧で白く濁っていて、風景などわからなかった。


(そうだ、上に行けば…)


さすがに、この船を動かしている人間はいるだろう。

思いたって、シャロンは歩き始めた。


カタ… カタカタ…カタ…


時折、天井から吊されたカンテラがゆらゆらと揺れて、狭い通路は暗くなったり明るくなったりを、不規則に繰り返す。


階段を二度ほど登り、また通路を歩いて――

ふと、通路奥の扉が少しだけ開いているのに気づく。

「?」

そっと近づき、のぞきこむと……


いた。


木箱に頬杖をつく労働者風の少年。

シャロンより二、三年上に見える。茶色の短髪にハンチング帽を被り、膝に荷物の包みを抱え、薄汚れたシャツにサスペンダー、焦げ茶のすり切れたズボンの下には革靴。彼もアクイアースから来たのだろうか。


少年が不意にこちらを向く。漆黒の瞳がシャロンを見て、ピクリと眉を跳ねあげた。


「アンタは職人……じゃあなさそうだな」

「あ…貴方もアクイアースから?」


思いがけず会話ができたことに驚くシャロンに、少年は頷いた。


「師匠がスーレンにいるんだ」

「職人さん、なの?」

「ああ」


何の職人なのかと問えば、仕立屋だと答えが返ってくる。


「私はお嬢様にお仕えにいくの。仕立屋さんなら、お遣いで会えるかもしれないね」

「かもな。俺はシアだ」

「シャロンよ」


ミオン様贔屓(ひいき)の仕立屋なら、メイのことも知っているかもしれない。


シャロンが少しだけ期待した、その時。

何の前触れもなく、カンテラの炎が消えた。


チャプン トプン ピチャン…


闇の中、やけに水音が近い。


ピチャン…


「え…」


冷たい。足を動かすと水音。

板張りの床一面を、水が浸している。


「何が起こったの…?」


あまりにも不可思議な現象――

不気味に嵩を増す水、そして、ミルクのような濃い霧までもが、船内に染みこんできた――


チャプ チャプ チャプ ザザァー…


黒から白に塗り潰された船内。

チャプチャプと水が靴を舐める。それに…

先ほどから、妙に生臭い……


突然、冷たい何かがヌルリと足首を撫でた!


「な…なに?!」


ズル…


いやな臭い――アンモニアのような、鼻をつくこの臭いは――

濡れた何かが脚に絡みつき、擦りついてくる。


「痛っ!」


不意に尖った何かがチクリとした。

(いったい、何…?魚?)


シィィィ…

  シュゥゥゥ…


空気の抜けるような音

先ほどからしつこく脚に絡みつき、不気味に蠢く何か――


チャプン… チャプ トプン…

カツ… コッコッ…


水音に、軽く硬質な音が混じる。扉の方からだ。


キィ…


軋む音。そして…

ソレは不意に姿を現した。


鼻をつく、生臭さ

溶け落ちた、赤黒い不定形

まばらに飛び出た、細い肋骨

粘土に無造作に埋め込んだかのように、肉塊に食いこむ


血走ってぎょろりとした、眼球


「きゃあッ!!」


バケモノだ!


悲鳴をあげて逃げようとしたシャロンだが、水に足を取られて淀んだ水に両手をついた。

ヌルリとしたモノが絡みつき、吐き気をもよおす臭気――腐った肉の臭い――が鼻を刺す。


「あ……」


臭気が鼻をつく。また…


背に氷を当てられたよう。

苦い胃酸が迫り上がってくる、言い得ぬ不快感――


来る…!


シィィィ…

  シュゥゥゥ…


ソレが発する、空気の抜けるような、声にならない喘鳴(ぜんめい)


「シャロン!!」


少年の鋭い声、そしてザシュッ!と、肉を切り裂く音


シャァァアーーッ!!!


甲高く、(しわが)れた断末魔が耳を(つんざ)く。

バケモノが身を捩り、濁った水面に墜落する――


急激に晴れてゆく霧。

ブクブクと泡立ち、板張りの隙間へ消えてゆく濁った水に――


一瞬、(いびつ)な姿の欠片が(よぎ)った。




気づくと、ガランとした船室。


床は濡れてさえいない。ゆらゆらとカンテラの炎が明滅する。


「シア……?」


生者の顔を見た途端、シャロンは床にへたり込んだ。

差し出された手をギュッと握り、胸に抱く。


「あったかい…」

ドクドクと、心臓が血液を吐き出す音が煩い。


(今のは…白昼夢?)


いや。

確かに、いた。

アレは一体…?


確信を裏付けるように、少年の持つ()()()()()()鋏の刃先に、ドロリとした赤褐色がこびりついていた。


「痛っ」

ホッとした途端、太腿がズキリと痛む。見れば、スカートに血が滲んでいた。あのバケモノの…恐らく骨が掠めた時に傷つけたのだろう。


「大丈夫か?」


少年に問われ、ぎこちなくスカートを見下ろす。


「ああ、()()か。よかった」


しかし、シアは気づかなかったのだろうか。シャロンの顔に触れ、両の手を掬い上げて、安堵したように彼はにっこりと笑った。



**************************


03.スーレン


スーレンの街に到着したのは、既に夜の(とばり)が降りてからだった。黒い水面に、赤や黄色の灯火が反射する。見上げれば、黒い夜闇の中に、ランタンの灯りに照らされ浮かび上がる――幻想的で絢爛な街の全貌。


「お屋敷はあの高台に」

ルーシーの指先を追えば、街を貫く緩やかな坂道の突きあたりに、黒々としたお屋敷のシルエットを見つけられた。お屋敷が街の終点なのだろう。その向こうは真っ暗な闇夜が広がっている。


「キャッ」

不意に、足に冷たい水を浴びせられ、ビクリとする。否応なしに思い出すのは、船のバケモノのことだが…


ハッハッハッハッ…


「犬…?」


怯えるシャロンの真横を、黒々とした犬が駆け抜けていった。どうやら、犬が川の水を跳ね上げたらしい。

坂道を駆けていく犬は、チラ、とシャロンを振り返った。口に白っぽいものを咥えていたが、すぐに踵を返したため、それが何だったのかはわからなかった。


◆◆◆


夜だというのに、スーレンは大勢の人々で賑わっていた。通りにひしめく店は皆煌々と明るく、朱の格子戸の向こうからは賑やかに歓談する声が漏れ聞こえてくる。メインストリートから細く枝分かれする道では、紅い提灯を下げた屋台が、食欲をそそる煙を撒き散らし、すれ違った男女は、目にも鮮やかな極彩色の絹の(ほう)を纏い、歩みに合わせてシャン、シャン、と金の鈴が軽やかな音を響かせた。


どこもかしこも煌々と明るい。


そして、色に負けないほどに、スーレンは香り漂う街だった。ジャスミン、白檀(びゃくだん)麝香(ジャコウ)…。

少し先の店先には、見事な百合を挿した七宝の大瓶(おおがめ)が飾ってある。

様々な香りが混じり合い、まるでマルシェの真ん中のようだ。


シャロンは少しだけ、安堵した。

スーレンはこれほどまでに賑わい、多くの人がひしめいているのだ。


ここは、安全だ。



**************************


04.公爵令嬢


やがて辿り着いたお屋敷は、灯りこそ灯っているものの、その光量は下の町ほどチカチカと眩しくはなく、目に優しく感じられた。


「お嬢様にご挨拶を」


屋敷で傍仕えに相応しい衣服に着替えた後、ルーシーに連れてこられたのは、石造りの母屋の裏手、緑に被われた階段を登った先、高台に設えられた庭園だった。

白や薄紅の()()()()()()()()()が、ひっそりと夜の闇に開いている。その、甘い香り漂う最奥――


蔦薔薇(つたばら)彩るアーチの向こうに、白い椅子があり、こちらへ背を向けて誰かが座っていた。


内側にレースを幾重にも重ねた、つばの広い白い帽子の下から、(からす)の濡れ羽のように艶やかでまっすぐな黒髪が滝のように流れ落ちる。髪の間に仄見えた耳は、白磁のように白い。


「ただいま帰還いたしました、お嬢様」

ルーシーが恭しく腰を折り曲げる。


「連れてきたの…?」

問うたのは、細く、風に消え入りそうな儚げな声。


この方が、ミオン様…!


「シ…シャロンと申します!ミオンお嬢様!あの…ッ、選んでいただいて、そのっ…こ…光栄です!」

「よろしくね…シャロン…。ルーシー、」


いっぱいいっぱいのシャロンを前に、涼やかな声がルーシーに何かを示した。背を向けたお嬢様の白いドレスの裾が、夜風にふわりと持ち上がる。


灯火に惹かれた一匹の蛾が、(じゃ)の目の(あで)やかな(はね)を翻し、お嬢様の周りを踊っていた。


「畏まりました。しばしの不自由をお許し下さい」


ルーシーが小声で何か言っているが、シャロンは目の前に居ますお嬢様に目が釘付けだった。


白を基調にした紗を幾重にも重ねた衣装のなんと美しいことか。差し色に入れられた青藍(せいらん)の絹の組紐(くみひも)、黒髪を控えめに彩る月の光のごとき宝玉――


何もかもが美しい。アクイアースには決して見られない彩りに、シャロンは目を奪われた。


「…ロン、シャロン!」

「ッ」

キツく名を叫ぶ声にハッと我にかえる。

ルーシーが(まなじり)を吊り上げ、別人のような恐ろしい顔でシャロンを睨んでいる。


「これを。お嬢様の大切なお品です故、決して粗末にしてはなりませんよ」

スッと冷たい感触が地肌を滑り、頭に重みを感じた。


「これは…?」

(かんざし)よ…」

鈴を振るような声が、代わりに答えた。

黄金の翅をはためかせ、()が行き過ぎては、戻ってくる。


「そんな…!勿体のうございます」

だって、この(かんざし)はとても重い。きっと宝玉を惜しげもなく使っているのだ。恐れ多いと固辞するシャロンに、白い貴婦人から儚げな笑みが零れた。コン、とお嬢様の帽子にぶつかった蛾が、フラフラと墜落する。


「私の半身なのよ…。私の代わりに、外を見せてあげて。ね?」

ルーシーが補足するように「お嬢様は身体が弱いのだ」と説明した。


そういうことなのか…。


妙に腑に落ちた。なぜ、楽園のような煌びやかな街にいて、自分のような子供を欲するのか。病弱で思うがままに外に行けないのなら。外の様子を――彼女の目となり、耳となる。それが己の役目だと、シャロンは悟った。


「精一杯、おつとめさせていただきます」

美しき主に、シャロンは深々と頭を下げた。


◆◆◆


シャロンに与えられた仕事は、ミオンお嬢様の『お遣い』だ。彼女の望んだ品を、贔屓の店から買い求め、お屋敷に持ち帰る。


煌々と明るく、様々な香りの入り混じる夜の街を歩く――


スーレンは不思議な街だ。店は皆、夜営業し、昼は窓も扉も閉め切り眠ってしまう。


「昼間は、穢らわしい川霧が街を覆う――安全のためです」

とは、ルーシーの言だが…



「試着してみようか」


ハッと我に返る。

広げられているのは、目にも鮮やかな朱の襦裙(じゅくん)(スカート)に細やかに施された金糸の刺繍は、呼吸を忘れて見入ってしまうほどに艶やかだ。そんな極上の衣服を、当然のように着付けようとする初老の店主――ヨハンに、シャロンは慌てて断った。


お嬢様のお召し物を、賤しい己が試着するなんて、恐れ多い。しかし、狼狽えるシャロンに、ヨハンは丸眼鏡の奥の瞳を優しく細めて、柔和な笑みを浮かべた。


「試着は仕事だよ。ミオン様はこの店までお越しになれない。だから、背格好が似ているシャロンを遣わして、服を誂えるんだ。必要なことだよ」


試着も仕事――魔法のような言葉だ。


店内には、シャロン以外にも数人の客がいる。煌びやかな漢服を纏った乙女たち。迷い込んできた小さな羽虫に、「キャッ」と首を竦める仕草ですら、洗練されている。ただの孤児が、彼女たちと同等のものを着ても仕事なら許されるだろうか。


「さあ、調整をするから」

すっかり職人の顔で、仕事道具――()()()()()()やら針山を取り出すヨハン。その時、


「戻りました、師匠」

店の奥から顔を出した少年に、シャロンは目を丸くした。


「シア?!」

名を呼べば、少年――シアもシャロンに気づいたらしい。「よぉ」と片手を挙げた。


「おや、弟子と知り合いかな?」

淡く笑んだヨハンに問われ、同じ船だったのだと話す。

「ヨハンさんがシアのお師匠様なんだね!」


なるほど、お嬢様が贔屓にするほど腕のいいヨハンに、弟子がいても不思議ではない。


「シアもこんな素敵な服を作るの?」

目を輝かせて朱の襦裙を示せば、シアは微かに顔を顰め、ボソリと「女の服は苦手なんだ」とぼやいた。おやおや。

「部品が多いし、フリルとレースとか縫い辛いし…」

「苦手だからと手を出さないのは良くないよ」

案の定、師匠は弟子を窘めた。俯くシア。なんだかかわいい。


「じゃ、シア!私を練習台にするといいよ!」

シアの作った服なら、例え袖の長さが左右違っていても、ぱつんぱつんでもゆるゆるでも着てやろう。シャロンはニパッと、人好きする笑みを浮かべた。


「あ…ああ、まぁ…頑張る」

一瞬目を瞠ったシアは、すぐに目を逸らすと、ぶっきらぼうに返した。茶色の髪から見えた彼の耳は、ほんのり赤らんでいた。


◆◆◆


ヨハンが漢服の丈を詰めている間、シャロンはふと思いついて尋ねた。

「あの…夏ごろにメイという娘がこっちに来ているのですが、彼女を知りませんか?」

事故死――ルーシーが渋々教えてくれた死因。けれど、それだけだ。どんな事故だったのかもわからない。


(いち傍仕えの娘だし、覚えてないかな?)

シャロンは、親友の特徴を一つ一つ説明した。


メイは、艶やかな黒髪を編み込み、色白の肌にはそばかす、愛嬌のある大きな目は、若葉のような明るいグリーンだった。面倒見がよくて、何より闊達な友。シャロンはどうしても彼女と『死』を結びつけられないのだ。


針を動かす手を休めずに、ヨハンはしばし黙考していたが、やがて「ああ」と顔をあげた。柔和な顔に、悲しげな色が浮かぶ。


「思い出しましたよ。秋頃でしたか…可哀想に病気でね」


思わず目を瞬いた。


「事故じゃないの?」


聞き返そうとヨハンを見たものの、彼は既に職人の顔に戻っており、シアから目顔で「やめておけ」と窘められた。


(どうして、違うの?)

疑念は小さな胸に燻るままとなった。


◆◆◆


屋敷に帰ると、ミオン様の元へ向かう。

お嬢様はあの薔薇園にいる。甘い甘い香りの中、ルーシーを傍らに、じっと街の方角を見つめている。


「ただいま戻りました。お嬢様」

その背に話しかけ、店から受け取った包みをルーシーを通して渡した。


()()()()()()ね、シャロン」

風に消えそうな儚げな声は心なしかはずんでいるようだった。


――と


不意に白薔薇の繁みがガサガサッと震えたかと思うと、真っ黒な犬が飛び出してきた。

グルルル…と牙を剥き出しにして、お嬢様を威嚇する。


「シッ!!」


すぐさまルーシーが鬼の形相で、犬の腹を容赦なく蹴り上げた。


「ギャワン!」


黒い体躯が跳ね、気が狂ったように繁みに突っ込んだ犬は、置かれていた()()をひっくり返し、熱さに驚いて吠え立てる。


「アオォォォーーン!!」

奇妙な遠吠えをしながら、お嬢様の周りをぐるぐると駆け回りだした。


「シッ!!」

不気味な挙動に、追い払おうシャロンは犬に向かって足を踏み出し…


()()()()()!!」

狂気じみたルーシーの怒鳴り声に、ビクリと固まった。


大声に驚いたのだろう。犬は呻りながらも、じりじりと後退り、パッと身を翻したかと思うと、繁みの向こうへ逃げていった。


「綺麗な紅…。き……つによく映えるわ。うふふ…私の新しい…」

肩で息をする使用人の後ろで、場違いに涼やかな声――お嬢様が呟く。


「ええ…本当に」

一転、落ち着きを取り戻したルーシーが同意する。()()()()()()()()()、包みを抱えて。



**************************


05.昼の街


犬のことがあったからだろうか。寝つけず、かなり早い時間に目を覚ましてしまった。窓の外に目をやれば、曇ってはいるものの、まだ明るい。


(少し、散歩しようかな…)


一度起きてしまうと、二度寝はできない――孤児院での習慣によるものだ。着替えて髪を一つに縛ると、静まり返った廊下を家人を起こさないように忍び足で進み、シャロンは外へ出た。



昼間のスーレンは、夜の喧騒が幻のように静まり返っていた。家々は窓も扉もぴっちりと閉め、誰一人起きている者はいない。ふるり、と身体を震わせる――ずいぶん寒い。


まるで、別世界――

時が停まってしまったかのような静寂。

仰々しい煌めきも、強い香りもない。


日の下では茶色がかった灰色の石畳の坂道に、シャロンの靴音だけが響く。


トン タタン トン…


軽やかに坂を下る。

曇った硝子窓、色褪せたベンガラの格子、煤けたランタン――


薄汚れた漆喰の壁を、何かが横切った。


シャロンの他に起きている住人がいるのだろうか。


と――

火の消えた大提灯の向こう、サッと黒いモノが消える。


(もしかして、黒髪?)


思い浮かんだのは親友の顔だ。


「メイ姉さん?」


(事故だとか病死だとか。

死んだなんて、嘘だよね?

本当は、生きているんだよね?)


確かに、あそこに誰かいた。


駆けだす――

慕っていた姉のような少女が、いると思って。




走って走って……足を止めた。


続く道は、淀んだ水面に消えている。


チャプン…トプン…


岸に波が打ち寄せる――


来てしまった…。大河ウーガンに。


川面には、薄らと白い靄が漂っていた。

来訪に反応したかのように、濁った川面が泡立ち、小さなさざ波が近づいてきた。


一歩、後退る。


ザザァ…


水面から、薄汚れた背骨に、ずくずくとまとわりつくように、赤黒いモノが追随する。


グチャッ クチャ… クチャ…


身を引き摺るように岸に上がってきたソレは、気味の悪い音を立てながら……形を、人型を取ろうとしているようだった。コプ…と音を立てて、露わになったのは(まだら)に汚れた骨盤だった。


グチャッ


位置取りでも迷っているのか…

薄汚れた様々な骨が、崩れた肉塊から見え隠れする。


やがて…


グチュ… ズル…


肉塊から二つの血走った眼球が浮き出て、その周りが鼻と口だと言わんばかりに僅かに隆起して、歪に………嗤った。


「!!」


途端、シャロンは脱兎のごとく駆けだした。

石畳の坂道を駆け上がり、一目散に屋敷を目指す。


ピチャッ パシャン


全速力で走るシャロンの靴が水を跳ね飛ばす。


「!?嘘…!」

驚愕に目を見開く。足元の道が水浸しなのだ。あるはずもない川の水が道を覆う――船の時と同じ!


(早く 早く 早く!)


(お屋敷に帰りさえすれば…!)

必死に走るシャロンを嘲笑うかのように、ミルクのような濃い霧が、行く手を阻む。


(霧の中にはバケモノがいる…!)


無我夢中で霧のない路地へ駆けこむ。


迫る霧、悍ましい気配、


カッカッカッカッカッ


(追ってくる!)


走りながら振り返った瞬間、霧の中から白骨が身を踊らせる。

「ひッ!」

伸ばされた白い腕がシャロンを捉えようと伸ばされ…


シュッ


捕らえることは敵わず、手首から先のない腕がダラリと落ちる。


「え?」


一瞬、見えた全貌は、



両の手も、首から上の頭蓋も無かった。



本来なら眼窩(がんか)に収まっているはずの眼球が、なぜか細い(あばら)の内側でころころと転がっていた。




『走って!』




「!」


不意に耳に響いたのは、懐かしい友の声。


「メイ姉さん!」


(やっぱり、生きているんだ!)

走りながら彼女の名前を呼ぶ。声が聞こえたのだ。近くに…


励まされ、己を奮い立たせ、ひた走る。

霧でけぶる塀の向こうにお屋敷が見えてきた。塀の影に、小さな人影……


「メイ姉さん!」


(あの闊達としたメイ姉さんが亡くなるはずないじゃない。

あそこで待ってくれてる!)


パシャ! パシャ! パシャ!


靴が水を跳ね飛ばす。

あと、数メートル…


近づくにつれ、視界が鮮明になる。佇む人影に駆け寄り


「メイ姉さ」


言葉は半ばで喉に引っかかった。一歩、二歩と後退る。

だって…そこにいたのは…


確かに『人型』だった。

でも…



首が、なかった。

皮膚も。



「あ…」

バクバクと心臓が暴れている。

血なまぐさい臭いに、鼻と口を覆う。


パシャン…


シャロンへ、一歩踏み出す人型の肉塊

シィィ…シィィ…と、空気の抜ける喘鳴

鼻をつく、臭気


手首から先のない腕がシャロンへ…


「きゃあああ!!!」


踵を返し、無我夢中で逃げる。

路地を駆け抜け階段を駆け上がり、霧で霞む屋敷の前庭を通り過ぎ…


気づくと、いつもお嬢様がいる庭園に来ていた。


「逃げきった…?」

霧は、街の中ほど濃くはない。水も来ていない。

さり、と足許で乾いた音が鳴る――枯葉だ。


「枯葉?」


薔薇園の花々は()()()()()()()()()。枯葉の時期では…


そこで思い至った。


今は、()だ。薔薇が咲き誇るはずがない。


恐る恐る顔をあげる。立ち枯れた薔薇が、霧を纏い佇む、その向こう。干涸らびた蔦薔薇の残骸が、アイアンレースのアーチを寒々しく飾る、その先に――


白い椅子に腰かける貴婦人がいる。


「ミオン…お嬢様?」

恐る恐る名を呼ぶ。なぜ、真冬の昼間、外に…

靴に踏まれた枯葉が、シャリ、と音を立てる。

咲いていないはずの薔薇の香りが鼻腔をくすぐった。


「あら…シャロン」

儚げな声が応えた。


(よかった…ミオン様は生きた人間)

なぜ昼間外にいるのかはわからないが、少なくとも目の前の彼女は、シャロンの知るミオン様だ。


「よかった…ちゃんと、帰ってきたのね」

儚げな声に安堵が滲む。


「私を()()()行ってしまったから…」


尚も言葉を紡ぐお嬢様に、シャロンは近づいた。外は寒い。屋敷へ入るよう、おすすめしよう、と。

いつもは後ろから声をかけるシャロンだが、何の気なしにお嬢様の正面に回り…


「え…」


初めて見るはずの(かんばせ)は…


「メイ…姉さん?」


いつも編み込んでいた髪は、ハーフアップにした残りを垂らしているけれど。

愛嬌のある顔に、そばかすはないけれど…


でも。

間違いなく、見知った顔がそこにあった。


「メイ姉さん!ここで何を!?」

思わず駆け寄って、彼女の肩を揺さぶり、気づいた。


片方の眼球がない。

空っぽの眼窩は、真っ黒な(うつ)ろ。


黒髪が一房、ふぁさ…と抜け落ち、シャロンの腕を滑り、音もなく地に散った。



(嗚呼…『彼女』には…)



呆然と見上げたその時。

頭に強い衝撃を受け、シャロンの身体はふらりと傾いで、枯葉の上に崩れ落ちた。



**************************


06.偽り


紅い夕焼けが夜の紫紺に塗り潰される頃。

スーレンの街に、ぽつり、ぽつりと灯りが灯り始める。


スーレン――夜の街


パタパタと行き交う足音に、シャロンの意識が徐々に浮上する。薄ら目を開けると、見慣れた天井がある。屋敷に与えられたシャロンの寝室だ。


「おや?目が覚めたかい?」

年老いた声――見れば、医者らしき老爺がベッドの傍らに座っている。


「え…?」

目を瞬くシャロンに、


「寝ている間にベッドから落ちて、頭をぶつけたのですよ」

きつい声音でルーシーが言った。


「え?!」

がばりと起き上がる。

敷布が滑り落ち、白い寝間着の上衣が露わになる。

(着替えたはず…なのに)


「私、着替えたんじゃ…?」

俄には信じられず呟くと、


「何をわけのわからないことを。ベッドから、落ちて、頭を、ぶつけたのですよ!」

苛立たしげなルーシーに即座に否定された。


(そんな…。

アレが夢だったって言うの?

でも…)


「お医者様の見立てでは、頭を打ったが()()()別状はないとのことです。起きたのなら着替えなさい」

追い立てられるようにベッドから降りて、ノロノロと着替えていると。


トントン


ノックに次いで、

「ヨハンの弟子のシアと申します」

見知った声が聞こえた。


「え?!シア?!」

驚くシャロンを余所に、ルーシーは彼を部屋に招き入れ、シャロンと行動を共にするよう言いつけるや、用は済んだとばかりに部屋を出ていった。彼女に続いて、医師の老爺も仕事鞄を手に出ていく。


呆然とするシャロンと仕立屋の弟子だけが部屋に残された。


「まあ、来いよ」 

「う、うん…」

頷いて、髪すら結っていないことに気づく。外出する際は、女性は髪を結うのがマナーだ。お遣いの時は、いつもルーシーが髪を結い、(かんざし)を挿してくれる。


「シア、ちょっと待って。私、髪を…ふぇ?」

「ああ、俺がやるよ」

まだ少年の細い指が、シャロンの金髪を梳く。

「いい艶だ」

穏やかな声が耳にくすぐったい。器用な指が、サッサッと髪を纏めて、ルーシーとは違うアップスタイルにしてくれた。(かんざし)は挿さなかった。


「し…シアは器用だね」

「ん」

頬に集まる熱を誤魔化すように、世間話を振りながら、シアとヨハンの店へと向かう、その途中――


「ズーハン老師に肖像画の依頼を。それから…」

部屋の中から淡々と指示を出すルーシーの声が聞こえた。


◆◆◆


もうすっかり馴染みとなったヨハンの店。

訪れた客に、店員が目にも鮮やかな翡翠色の反物を広げている。

いつも試着をした後は、ヨハンの作業をシアと並んで見守るのだが、今日はシアも仕事があるのだという。


「良かったら食っていけよ。兎だから」

「兎?」

首を傾げるシャロンを手招きするシア。

ついていってみると、店の奥の作業場に兎の死骸が横たえてあった。どうやらシアが捌いて料理をするらしい。


「すごい!シア、料理できるの?!」

意外な特技だ。

「まあな」


照れくさそうにしながら、道具を用意するシア。

死骸に切り込みを入れ、慎重に慎重に捌いてゆく。鋏やナイフを代わる代わる使い、真剣な眼差しで作業を進める。

瞬く間に、市場で見かけるような兎肉が取り分けられ、シャロンは見事な手際に感心した。


あらかたの作業が終わると、一度手を洗い、捌いた兎肉を一口大に切って、数種の野菜と香辛料を合わせて、一緒に鍋に放りこむ。


「時々混ぜてくれ」

火傷に気をつけろよ?とひと言注意して、再び兎に向き合うシア。(可食部)を切り取った兎に、これ以上何をするのだろう。


「シア、進みはどうだい」

ちょうどそこに、ヨハンが入ってきた。


そして、鍋をかき回すシャロンを見て「おやおや」と眉を下げた。

「お客様に料理などさせてはいけないよ」

弟子をやんわりと窘めて、シャロンの手からヘラを取りあげた。

「え…でも…」

「いいから。君の手に火傷でもこさえたら大変だ」

にこりと笑んで、シャロンに座るよう促すヨハン。小さな丸眼鏡が、鍋の湯気で白く雲ってしまった。


シアはというと、大きな麻袋をドンッと作業台の前に置いたところだった。袋の口からサラサラと茶色い物が零れ落ちる。


「おが屑?」


何に使うのだろう、と首を傾げていると。


「シアは剥製を作っているんだよ」

練習だがね、とヨハンが鍋をかき回しながら教えてくれた。


「やんごとなき方々は、狩りで立派な獲物が獲れると、剥製にして残したいと思われる。仕立屋の副業だね」

「へ~ぇ」


剥製なら、お屋敷にもそれは立派な大鹿の剥製が大理石の暖炉の上の壁に飾られている。なるほど。あれは狩りの獲物だったのか。


「肉や臓腑は欠片でも残しておくと腐敗や抜け毛の原因になるからね。全部取り除く。骨も手指や頭蓋以外は捨ててしまうけど、」

骨はいい出汁が取れるからね、と茶目っ気のある笑みを浮かべ、ヨハンが教えてくれた。

曰く、おが屑は腐敗を防ぐための詰め物らしい。


「まだ見習いだから、おが屑だけど…」

作業を続けながらシアが言った。


「修業して…いずれは師匠みたいに最高級の綿を扱えるようになりたいんだ」

どうやら、剥製にもランクというものがあるらしい。へぇ、と頷く。


「ああ…そういえば」

アクを掬っていたヨハンが不意にシャロンを振り返った。


「シャロンさんの知り合いの子だけど…私が思い違いをしていてね。彼女は病死ではなく事故で亡くなったんだ。似たような容姿の別の子と勘違いしていて、混乱させたろう」

悪かったね、と眉を下げた。


「……。」


(事故……)


「シャロンさん?」


シャロンはしばし黙考し、やがて決意した様子で顔をあげた。

「事故の場所を教えていただけませんか?親友に花を手向けたいのです」


◆◆◆


ヨハンとルーシーのどちらかが嘘をついている――


シャロンはそう睨んでいた。あくまでも二人の様子から、勘であるが。

その後早々に屋敷へと戻ったシャロンは、何くわぬ顔で、衣装の包みを薔薇園で待つ主の元へ届けに向かった。


高台に設えられた薔薇園。青々とした葉が繁り、白や濃淡も様々な紅の花弁が夜空に開いている。むせかえるような甘い香りの中、ルーシーに付き添われて、ミオン様はいつもと変わらずこちらに背を向け、椅子に腰かけていらっしゃった。


「ミオン様、ただいま戻りました」

シャロンをみとめるや、ルーシーが睨むような眼差しを送ってきたが、努めて静かにそう告げた。


「フフ…シャロン、今度は()()()服?」

儚げな声が穏やかに応える。


今日のミオン様は、いつものつばの広い白い帽子ではなく、青い薔薇を(かたど)った大小の絹の造花をあしらった、とても華やかなヘッドドレスで、艶やかな御髪を飾っていらした。纏うお召し物も、濃淡のブルーの紗を幾重にも重ね、裙に銀の細緻な刺繍を施した、それは見事な御衣装だった。


「ミオン様、薔薇を一輪いただいても?」

ざっと薔薇園を見渡す。瑞々しく花弁を開く花は、ざっと見ただけでも百は下らないだろう。


「よくてよ…。好きな物をもっていっていいわ」

「ありがたき、幸せ」

すぐそばの繁みから、大輪の一輪を折り取った。ほんのりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「お嬢様の薔薇を、いったいどうしようと言うのです」

とげとげしい問いはルーシーからだ。

「メイが亡くなった…ヒガンの脇道に手向けようと思います」

押し殺した声で応えれば、ルーシーは眉を微かに動かし、こう言った。

「よい、心がけです。無念の死を遂げた彼女が安らぐよう、祈ってきなさい」

こくりと頷いて、静かに踵を返す。



嘘をついていたのは、ルーシー。



ヨハンから聞いた事故の場所は、街の入口にある料理屋の前。わざと違う場所を口にしたが、ルーシーは否定しなかったのだ。


なぜ、たかだか孤児出身の傍仕えの女児ごときの死に、嘘などつくのだろう。


(メイ姉さん、必ず貴女を見つけるから)

恐らく、彼女はどこかで生きている。

(必ず、助けだすから)

決意を新たに、シャロンは薔薇園を後にした。



**************************


07.肖像画


皆が寝静まった、昼間――


シャロンはむくりと起き上がった。物音を立てないよう慎重に着替え、窓辺を振り返った。大輪の薔薇は、見るも無残に枯れ落ちている。乾いてくるりと巻いた茶色の葉は、シャロンが軽く触れただけでぼろぼろと崩れてしまった。


気配を忍ばせ、枕の下から『武器』を取り出す。先日の作業中、シアが目を離した隙に彼の仕事道具――()()()()()()()()()()()()()()()を、悪いとは思いつつ失敬してきたのだ。ポケットに忍ばせ、そっと部屋を出た。


◆◆◆


親友はどこかに幽閉されているのではないか。


皆が寝静まった今なら、怪しげな場所を探索できる。シャロンに与えられた仕事は、ミオン様のお遣いのみ。孤児という身の上には不相応なほど、楽をしているのだ。掃除も洗濯も、皿洗いの必要もなし。正しく外回りのみだ。

だから、屋敷の内部は知らないことばかりだ。ルーシーからは勝手に動き回るな、と釘も刺されている。


(大丈夫…いざとなったら、これで)

自分を勇気づけるようにポケットの中の武器に触れる。ひんやりとした手触りが心を落ち着かせてくれる。


朱の絨毯を敷いた板張りの廊下を歩く。


(女の子を隠すとしたら、どこに…?)

鍵のかかる所、自分と大差ない女の子を隠すなら、部屋に限らず例えば階段下の物置や、厨房の食料庫、クローゼット…


キィ…


微かな物音に、慌てて近くの物陰に逃げこむ。息を殺し、しばらく。どっしりとした彫刻も見事な椅子の背もたれから、ひょこりと顔を覗かせ、辺りを窺う。


――何もいない。


ふと見れば、廊下の突きあたりの部屋の扉が薄く開いている。つまり、鍵はかかっていないようだ。シャロンは、足音を忍ばせ、そうっとそうっと扉に近づいた。


◆◆◆


その部屋は、黒檀の黒々として艶やかな腰板に囲まれた、ギャラリーだった。床には見事な手仕事の絨毯が敷かれ、壁には等間隔に燭台が設えられている。象牙色の壁には、所狭しと額縁が飾られ、家具の少ない部屋を彩っている。無論、室内は無人だった。


どの額縁にも、少女の肖像画が納められている。皆、それぞれに髪の色も、顔つきも違う。纏う衣装も、また然り。

ただ――


(みんな…紅い瞳?)


緩く巻いた栗色の髪をお団子に結いあげた少女も、零れんばかりに大きな目にぷっくりした唇の赤毛の少女も、うりざね顔にうねる豊かな黒髪の少女も、皆共通して紅目――


「あっ!」

見つけた肖像画に、呼吸が止まった。


艶やかな黒髪を耳の後ろでお団子にして。白いレースをふんだんにあしらったつばの広い帽子を被っていたのは――


「メイ姉さん!」


なぜ、一孤児が肖像画になっているのだろう。彼女の目も、シャロンが知る若葉色ではなく、燃えるような紅目で。


そこで、気づいた。

額縁の隙間に、小さな紙片が挟んであることに。


震える手でそれを抜き取り広げると。乱れてはいるものの、確かに友の筆跡――全体に丸っこくて、Sの尻尾を跳ね上げる癖がある――だ。間違いなく、友の書いたものだ。



『逃げ て (かんざし)は』



殴り書きの文字を見た瞬間――

早送りのように脳裏に彼女の過去がフラッシュバックした。



華やかな街にはしゃぐ黒髪の少女。

薔薇園の中のミオン様は、小麦色の髪をサイドで編み込んで垂らしていた。

街で、ヨハンの店で美しい衣装に袖を通し、憧れに頬を染める、少女。

シャロンの慕う、底抜けに明るい友の姿――


しかし。


ある日、夢のような日々は突如として終わる。

ルーシーと使用人らしき大人の男に押さえつけられる、少女。恐怖で泣き叫ぶ彼女は、心臓をひと突きされて、呆気なく息絶えた。



映像は()()



息絶えた少女の身体に、鋏が、ナイフが――


やがて、出刃包丁のようなもので、少女の両手首が切り落とされ、同じく首も落とされた。


そして――


小さな小刀が少しずつ、彼女の遺体の皮を剥いて…



握りしめた両手がぶるぶると震える。

肖像画の少女は、皆、ミオン――幾人もの少女の皮を被ったバケモノだ。友人もまた、凄惨な方法で犠牲になった…!


なんて非道い!なんて非道いことを!!


全身の皮と、両の手先と頭部の骨を抜き取られた、あまりにも無惨な遺体は、ゴミのように麻袋に詰められ、大河ウーガンに捨てられた。


なんと…悍ましい…

カタカタと歯がぶつかる。


ようやく、わかった。

己が、何のためにスーレン(ここ)に呼ばれたのか。



ミオンの『身体』になるため



『逃げ て (かんざし)は』


これは、亡き友からの警告だ。

殺される前に逃げろと。



「そこで何をしている!!」

振り返れば、怒りの形相を浮かべたルーシーが、扉の前に立ち塞がっている。


泣き叫ぶ友の顔がフラッシュバックする。


(殺される!!)


歯の根が合わない。

逃げたいのに、足がカクカクと震えて動けない。


「さあ!来るんだ!!」

恫喝に、シャロンは無我夢中で暴れた。

「いやだ!いやだ!殺されたくない!!」

しかし、大人の力に敵うはずがない。羽交い締めにされ、扉まで引きずられる――


と。微かな舌打ちを耳が拾う。扉が閉まっていたのだ。ルーシーは片手でドアノブを捻ろうとして――


「うわああっ!!」

夢中だった。

一瞬拘束が緩んだ隙に、ポケットに隠し持っていた鋏を取り出し、シャロンはめちゃくちゃに振り回した。


「ギャアアッ」


踞るメイドの横をすり抜けて、シャロンは無人の廊下を走る――



**************************


08.ローズメイデン


(殺される!私も…あんな風に皮を剥がれて…!)

走って走って…


お屋敷を出れば、待ち受けたように白く濁った霧が迫ってくる。堪らず、シャロンは上へ――枯れ草の絡まる階段を駆け上がった。


枯葉色の薔薇園に、錆びついたアイアンレースのうら寂しいアーチ。


霧が四方から迫ってくる!

あの生臭い臭いも。


「誰か!誰か助けて!!」


視線の先に、シャロンのよく知る背の高い人物が佇んでいる。


「ヨハンさん!」


堪らず名前を呼ぶ。穏和な彼の人柄はよく知っている。

彼なら――


むせ返るような甘ったるい薔薇の香りの中。


「助けて!!」

必死の叫びに、彼が振り返り、優しく目を細めた。


(よかった…。ヨハンさんに頼んで外に)


「子供は…」


穏やかな声が言葉を紡ぐ。


「眠る時間だよ」

「ッ」


(かんざし)で首を貫かれ、ゴボリと大量の血を吐く少女。おびただしい量の鮮血が、バタバタと零れて、枯葉を濡らす。


(な…ん、で…?)


みるみる白く、血の気が引いていく少女の眼が、初めて『ソレ』に――ヨハンの隣に腰かける貴婦人に気づいた。


見目鮮やかな青藍の襦裙。艶のないサラサラした黒髪が乾いた風に遊ぶ――


無表情な(かんばせ)。かつて血が通い、艶やかだった肌は、虫食い穴や茶色いシミがいくつもある。唇はカサカサで、真っ赤な紅が沈着していた。枯れた皮に対して、ギラギラした光を湛える真っ赤な目――相変わらず片方しかない――がじっとシャロンを見つめていた。


普段は微動だにしない脚が、軋みながら動こうとしている。


「シャロン…私の新しい…」

儚げに聞こえた声は、すっかり(しわが)れて。

酷く、愉しげだった。


(嗚呼…そうか)

今さらながらに気づく。甘い薔薇の香りの中に、微かな異臭――死臭があることに。きっと、薔薇園にいるのは、その中でさらに香炉まで焚くのは、この臭いを誤魔化すためだ。



「少し早いけれど、始めようか」

出刃包丁をぶら下げ、酷く穏やかな声で。痙攣(けいれん)するシャロンを跨いで、鳶色のズボンが膝をつく。そして、無造作に、ヨハンは先ほど少女を刺した(かんざし)の絹花に埋め込まれていた()()を外して――ミオンに嵌め込んだ。


「まずは首を」


鈍く光る刃が、霞みゆく視界を(よぎ)る――



「あああ……ミオンお嬢様…ミオンお嬢様…」


そこへ。

赤黒い液体が溢れ続ける腹を押さえながら、蒼白な顔のメイドがフラフラとやってきた。

シャロンに顔も斬りつけられ、溢れた血で彼女――ルーシーの視界は紅く塗り潰されていた。


「ミオン様!ああ…どちらです?どちらにおられるのです!」


どこかに引っ掛けたのか、ひっつめ髪が解けて、砂色のバサバサした髪を振り乱し、錯乱したメイドは、目の前に主が居ることも知らず、よろよろと歩き、蹌踉(よろ)けて近くの香炉を蹴飛ばした。オレンジ色の炎が弧を描き、近くの枯葉に――


「お嬢様…どこです…」

血塗れの両の手を彷徨わせ、主を探すメイドは、己の服を炎が舐め始めたのにも気づかない――


炎は枯葉を伝って、命尽きかけた少女の衣服にも燃え移ろうとする。


「ダメだ!彼女(素材)に燃え移る!」

叫んだヨハンだが、その言葉はさらにメイドを錯乱させた。


「火が!火が!お嬢様が燃えてしまう!」

悲壮な声をあげ、デタラメに振り回した手が、椅子から動けない剥製の頭部を叩いた。


乾いた音

そして……


ミオンの首が半ばからちぎれて、枯葉の上を転がった。青藍の華やかな絹花をあしらったヘッドドレスが、頭皮ごともげた。


既に遺体は、ボロボロだったのだ。


切断された首から、茶色く変色した綿――詰め物が音もなく零れ落ち、皮を内側から補強していた蝋が歪に崩れ落ちる。


「おお…神よ!お嬢様を…!」

忠義者のメイドは、見えぬ目で必死に主を火から遠ざけようとするが、無情にも火は彼女の大切な『人形』にも食指を伸ばす――


剥製の詰め物は、おが屑と脱脂綿。おまけに、死臭を誤魔化し、薬品を使わず遺体を維持するために、長らく薔薇園で燻されていた『人形』はすっかり乾燥していた。


あっという間に火だるまになるミオン。そこに縋りついていたメイド。そして、

「いけない!燃えてしまうッ!」

メイドを引き剥がそうとした仕立屋(人形師)もまた…


折り重なり、炎に包まれた。


ギャアアアア!!!


ごうごうと燃える炎に、嗄れた断末魔が一つ――


やがて。


静かになった。




枯れた薔薇園をオレンジ色の焔が侵蝕してゆく――


(熱い。熱いよ…メイ姉さん…)


「私の…作品、私の…」

全身に炎を纏ったオバケが迫ってくる。

(誰か助けて…!)


――と。

火だるまのオバケが赤黒いナニカに突き飛ばされた。ひやりとしたモノが視界を覆う。


(見えないけど、確かに運ばれている。感じるの)

やがて――


視界が開け、焦げたナニカが目の前に崩れ落ちた。コロコロと眼球が転がる。すっかり濁ってしまった虹彩は、かつては若葉のような明るいグリーンだったに違いない、うすらぼけた緑色だった。



**************************


01'.自由(リベルテ)


大勢の人々で賑わう駅に、真っ黒な鉄塊――大きな蒸気機関車が滑りこんだ。白い蒸気が吐き出され、狭い扉から大勢の乗客がぞろぞろとおりて、砂をばら撒いたように広がり、各々の方向へ散っていった。


大都市――リベルテ。


若者たちが笑いながら行き過ぎる華やかな表通り。そこから離れた薄暗い路地を、小柄な少年が縫うように歩いて行く。


辿り着いたのは、バラックのような粗末な小屋。日雇いの仕事の束の間の休息だ。安い黒パンを囓り、また仕事に向かう。

出しなに、茶髪にハンチング帽の少年は、鈍い銀色に光る空豆に似た形状の皿――膿盆(のうぼん)へ視線を投げた。


「俺の、練習台……やっと手に入れた」


クク…と喉を鳴らし、少年――シアは唇を歪ませた。


◆◆◆


少年が出ていった薄暗い小屋の中。

膿盆の上――透明感を湛えた二つの()()に、壁の隙間から午後の陽射しが反射する。



嗚呼…この薄暗い部屋の中で。

ただ壁と天井を見るしかない日々。

何も(さわ)れない、何も聞こえない。

においも味もわからない。動くことすらできない。


()()()()なんて、虚しいよ…


ねぇ…


はやく……

身体が欲しいなぁ…




【お題:眠る子供】


シューマンの《子供の情景》第十二曲より着想を得て

シューマン先生、ごめんなさい。

設定資料

 アクイアース:英語で『黙従』の意

 スーレン:中国語で『死人』

 ウーガン:中国語で『無縁墓地』の『無縁』


 ミオン:魅音(物の怪という意味もある名前)

 シャロン以外は中国人名

  ※ルーシー(ルォシー)、ヨハン(ィユハン)


〔不自然な描写回答編〕は、ネタバレ&怖さ半減要素ありのため、昔の割烹(2020.8.13)に移しました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 短編にしては少し長めでしたが、読み応え充分だったので一気に読めました。 淡々とホラー、スプラッター描写を書いてく感じが また怖くもあり、物語に深くのめり込まされました。 こういう作品を書け…
[良い点] 先が気になり読み進めたのですが、最後になんとも言えぬ重たいものが胸に満ちました。最後の最後、衝撃でした…… (ラブ要員だと思ってたのに!!) とても面白かったです。 [一言] とても読み…
[良い点] 完璧な西洋風スプラッタホラーですね。 じわじわと種明かしされる、凄惨な所業に、 迫りくる恐怖。終盤に至っては、 テキサスチェーンソーを彷彿とさせる、 生々しく、痛々しい描写で、 とても良く…
2020/09/26 17:52 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ