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繭結が身支度を整えて居間に戻ると、ベッドに腰掛けた晃の髪を範行がドライヤーで乾かしていた。
既にパジャマに着替え、その上から細かい縞の浴衣を着ている。
「晃、それ昔の人みたいだね。」
本来ならおかしな取り合わせだが、髪を短くしている所為か、晃が着ると昔の書生のような雰囲気になる。
「なんだか、パジャマだけじゃ寒くて ……。」
ストーブの点いた部屋なのにそう笑う。
「お前ら、遊んでて良く温まらなかったんじゃないのか?」
「そんなことないよ! オレ、ちゃんと晃の体洗ったもん!!」
範行に疑惑の目を向けられて、繭結はついムキになる。
「―― だよな? 範行はヤキモチやいてるんだよ。自分が風呂場に呼ばれなかったから ……。」
な? と、範行を見上げるから、無言で余計にガシャガシャと髪の毛を掻き回されて 「イタイイタイ」 と楽しそうに悲鳴を上げる。
「久し振りに、風呂に入れてよかったよ …… ありがとな。」
「だろ? 晃がいいって言ってるんだからいいんだよ。範ちゃんの意地悪〜!」
「なんだと? ちび助、生意気だぞ!」
礼まで言われてすっかり機嫌を直して悪態まで吐くから、範行と追いかけっこが始まってしまう。
小学5年生の繭結を半ば本気で捕まえると、プロレス技をかけてドタバタと部屋の中を転げまわる38歳。繭結も噛み付いたり応戦するから、いい遊び相手ではある。
「晃、ほら水分補給。」
降三に薄いイオン飲料を勧められて素直に口にする。
「ねぇ晃。もしも後で具合が良かったら、宿題見てよ?」
上気した顔で、範行の手を逃れてきた繭結が晃の膝に取り付いて強請るように顔を見上げる。
「…… ん。少し休んだらな ……。」
「やったぁ!」
「あ、コラ繭結! また晃にそんなこと! 後でなんて言わずに今オレが見てやるよ。」
「範ちゃんじゃヤだよ。晃がいいって言ったんだから、いいの!」
兄が健康を取り戻したと信じている繭結の無邪気な言葉に、晃は至極曖昧な顔をする。
「っとに、晃、晃なんだから。」
溜め息混じりに範行が肩を落として見せる。
「トムとジェリーみたいだよな。」
そんなことを言いながら賑やかな2人を見ていた晃だったが、ふと真面目な顔になる。
「降三 ……。」
「ん?」
「本当に、いいの?」
「何が?」
降三が普通な顔をして聞き返すから、晃も気が削がれたのか一瞬口を閉ざす。
「だって …… 俺の面倒看るって ……。」
「オレじゃ不満?」
「そういう訳じゃないけど ……。」
いくら、小康を得たといっても根本的にはなんら変わらない晃の病状だ。
繭結と2人住まいのこの家で病を養うのは、さすがに無理がある。
「マスターがこっちに同居ってのも拒否じゃ、退院も危うかったんだろ?」
範行の家に戻れば良いのだが晃は頑として否だったし、退院も強行に主張していたから、周りの皆は困り果てていた。
「…… 範行の所に戻ると、昔に戻っちゃいそうで嫌なんだ。」
誰にも言っていなかった理由をするりと話す。
一番 “壊れていた” 17〜8歳の自分に。
あの頃、世界の中心は範行だった。
しかし、既に自分の力で新しい生活を作り始めた晃に、範行が居ないと生きていられなかった時代に戻ることなど考えられない。
「俺だって成長してるんだよ。」
自分で言っておいて可笑しくなるのか、その細い肩がくすりと揺らぐ。
確かに、あの頃の晃から考えると、随分と大人になってしまったものだ。
それが寂しいのか、範行はよく 「晃がつまらない」 と零している。
「オレたちに言わせたら、そんな風に気を遣うお前が困ったもんなんだけどな。」
溜め息を吐かざるを得ない。
こういう時、晃の頭をくしゃくしゃにしたくなる範行の気持ちが分かる気がする。
「―― でもさ。そんな晃の我儘に付き合えるのは、オレくらいなもんだと思わない?」
片目を瞑ってニヤリとする降三。
彼がこの家に住み込むと名乗りを上げたお陰で、今日の退院となったのだから、いくら感謝しても足りない。
「だけど ……。」
自分の為に仕事を休む降三の気持ちに応えられる自信はない。
「オレがそうしたいんだから、勝手にさせろよ。」
降三が、長い旅行など自分都合でバイトしている範行の店を何ヶ月も休むことは今に始まったことではない。今回は、大学が休みに入るいっちんが降三の穴を埋める手筈になっているから、それでも随分とマシな方だ。
「…… ……。」
どう答えていいのか分からなくて黙り込んでしまう晃。
確かに、空気のように影のようにいつの間にか寄り添ってくれる降三は、一緒に居て負担にならない。しかし、自分の為にそこまでして貰っていいのだろうか ……。
「晃は、自分のことだけ考えて療養してればいいんだよ。」
降三が微笑むから、何も言えなくなる。
「歯痒いな ……。」
さすがに疲れたのか降三に手伝ってもらって床に就くと、トロトロとまどろむ中で晃は呟いた。




