5 村人たちは
「……というわけで、これからソムちゃんは、タロパさんの里子として、この村で暮らすことになりました。準備が整い次第、学校にも通います」
村の中心にある広場に面した寄り合い所。村役の大人たちを前に、ソムは村長さんからみんなに紹介されている間、タロパさんの左脇に半分めり込んで、じっと下を向いていた。
それにしてもこの村長さん、全然、村長っぽくない。
ソムが初めてタロパさんの家で目覚めた時にもいたが、たまたま居合わせたおじさんくらいにしか思っておらず、後から、そういえばエターさんが「村長さん」って言ってたな、と思い出したくらいだ。
村長でも団長でも「長」のつく人って、もっとこう、偉そうというか、イゲンというものを前面に押し出しているものだと思っていたが、この村長さんはまるで違う。さっきも、集まりの準備を率先してやっていたし、みんなにお茶を注いで回っていたし。でも、その「長」っぽくない感じが実に自然で、ますます普通の気のいいおじさんに見えてくる。
「慣れないこともたくさんあるだろうから、皆さん、何かあったら助けてあげて下さいね。じゃ、ソムちゃん、一言お願いします」
「えっ? わ、私?」
突然の指名に恥ずかしさがこみ上げてきて、もっとタロパさんにめり込んで隠れてしまいたくなったのに、急にタロパさんの体の弾力がぐっと増して、逆に外へ押し出されてしまった。
困ってタロパさんを見上げると、口パクで「ガンバレ」。こういう時に助けてくれるのが里親なんじゃないかとも思ったが、タロパさんは、可愛い子には旅をさせるタイプの親らしい。観念して、ソムは一歩前に出た。
「えっと、ソムです。タロパさんちの子になりました。よろしくお願いします」
ぺこりとおじぎをすると、大人たちの間から拍手が起こった。タロパさんが頭をポンポンとなでてから、体をもとどおり柔らかくしてくれたので、ソムはまたタロパさんに半分埋まって、恥ずかしさをこらえることができた。
その後、村の行事や村人たちの動向など、二、三の話し合いがあって、今日の寄り合いはお開きとなった。
まだお昼前、タンギとミュルは学校に行っている時間である。これからどうするのかな、と思っていると、
「祭殿へお参りに行こうか」
とタロパさんが言った。家から広場をはさんで反対方向、少し山へ入ったところに、土地神様を祀る場所があるのだという。
「そういえば、ソムは何か信心してる神様はいるの?」
タロパさんに問われて、ソムは少しばかり考え込んで、記憶をたぐり寄せた。
「えーとね、もとの町にも近所にお社があって、春と秋にお祭りがあったよ。順番にお掃除したり、お供えしたりしてた」
「ほう、ここと同じだね」
「あとね……楽団では、何かものすごく毎日お祈りしてる人たちもいたけど、私たちはそんなことしなかったし、お祭りっていったら、よその土地のお祭りに、歌いに行くばっかりだったよ」
「それなら、ここの神様にご挨拶するのには問題ないね」
「うん、ない」
「よーし、じゃ、ソムがこの村の子になったことをお知らせしに行こう」
寄り合い所から外へ出ると、他の大人たちは三々五々、それぞれの場所に散らばっていった。
広場では小さな子どもたちが走り回っている。その一角に、机やベンチを出して集まっている人たちがいた。主にお年寄りのようだ。どうやら、ノノパさんが時々出かけていく、ゲームの集まりらしい。
「やあ、タロパさん。おお、この子がソムちゃんだね」
お年寄りのひとりが声をかけてきた。タロパさんに促されて挨拶をすると、机の上の盤に向かっていた人たちが、ソムに向かって口々に、
「ほう、賢そうな子だね、ノノパさんの言うとおり」
「ノノパさんがな、孫が増えたとあんたのことをよく話してくれるんだよ」
「そうそう。前から、タンギやミュルのこともよく自慢してたけど、ソムちゃんがきてからますます増えたのよね」
「うちの子たちはもうこんなことができるとか、この間こんな面白いことを言っていたとか、孫の話になると止まらないんだよ、あの人は」
「この間も、あんたといっしょに作ったって、焼き菓子を持って来てくれてな。あれ、うまかったよ」
当のノノパさんが、今日はお店番なのでこの場にいないのをいいことに、ノノパさんの孫自慢ぶりを当のソムに嬉しそうに言いつける、じいさまばあさまたち。また恥ずかしくなってタロパさんにめり込むと、体の奥から、タロパさんの独り言が聞こえる。
「ノノパ、ほどほどにしといてって言ってるのに……」
でも、ソムは何だかこそばゆい気持ちになった。ノノパさんはいつも優しいけれど、良くない振る舞いをしたらたしなめたり、家の手伝いをしっかりしなさいなどと口すっぱく言っていたり、決して孫たちを猫かわいがりしない。そのノノパさんが、外ではこんなネタにされるほど、「孫」たちのことを話しているなんて。
「また、ノノパさんといっしょにおいで。ゲームも教えてあげるよ」
手を振るお年寄りたちに見送られ、心なしかさっきより細くなったように見えるタロパさんと連れ立って、広場を後にする。少し歩いたところで、山の方から、大きな荷物を背負った男の人がやって来た。
「こんちは、タロパさん。おっ、ソム、久しぶりだな」
この人は知っている。ソムが行き倒れていた時、タロパさんたちといっしょに助けてくれて、さらに人買いの追っ手を山道で巻いてしまった若者。薬屋の常連・アンジさんの息子のウラさんだ。
「ウラ、お疲れ様。まあ、これはまた大物だねえ」
「いやあ、手こずっちゃってさ。見つけてから仕留めるまで、丸一日かかったよ」
背負っていたのは、巨大な猪。大柄なウラさんの背丈ほどもある。
「今から広場で解体して、みんなに分けるから、ソムもしっかり食うんだぞ。猪の肉は元気が出るからな」
「う、うん、いただきます」
「それにしてもウラ、また狩りの腕を上げたね。若い人ではもう一番じゃない?」
タロパさんの誉め言葉に、ウラさんはぶんぶんと首を振る。
「いやいやいやいや、俺なんかまだ、うちのおふくろの足元にも及ばないよ」
「ああ、アンジさんはすごかったからねえ。今でも弓は百発百中だし」
一瞬、聞き間違いかと思ったが、念のためにたずねてみる。
「あの、アンジさんって、ウラさんのお母さんの、アンジさん?」
「そうだよ。うちの薬屋にもよく来てくれるでしょ」
いつも明るく気さくで、おしゃべり好きなアンジさん。その正体が、まさかの狩人、しかも凄腕の。
「ウラが小さい時も、よくウラを背負って狩りに行っては、鹿や猪を獲ってきてくれてね。村にヒョウが降りて来た時も、アンジさんが仕留めてくれたんだよ」
「今は膝を悪くしちゃったから、あんまり山には入らないけどな。若い頃にはひとりで熊と闘って、倒したこともあるんだって」
「熊……」
後に、ソムはアンジさんの家へ薬の配達に行き、その熊の毛皮が敷物として活用されているのを目の当たりにして、この話が真実だったことを知るのだが、それはもう少し先の話である。
ウラさんと別れてからしばらく歩き、祭殿へ続く道への曲がり角で、タロパさんがふと立ち止まった。
「そうだ、ノマおじさんのとこに寄っていこうか」
ノマおじさんというのは、エターさんの十歳上のお兄さんで、ソムも何度か会ったことがある。
ひとことで言うと、エターさんにそっくり。笑った時のえくぼまでいっしょなのだ。向かい合って話をしているところを見ると、年の違うエターさんがふたりいるような錯覚すら覚える。なので、ソムは密かに、ノマおじさんがうちに来るのを楽しみにしている。
玄関に入ると、ノマおじさんは土間で手仕事をしていた。
「おじさん、こんにちは。いや、近くまで来たもので」
「いらっしゃい、タロパ。おお、ソム、寄り合いの顔見せは終わったか?」
「こんにちは。うん、終わった」
三人が挨拶をしていると、
「ああら、タロパ、ソムちゃん、いらっしゃい。急ぎでなけりゃ、お茶でも飲んでいきなさいよ」
「おや、こんちは。いいところに来てくれた、タロパさん、うちの畑でな……」
家の奥から、ノマおじさんの妻、長男、長男のお嫁さん、その子どもたち、などなど家族がわらわらと出て来た。あっという間に取り巻かれ、お茶やお茶請けをすすめられる。そして、みんな、ノマおじさんにそっくりだ。血がつながっていないはずの、ノマおじさんの妻・カイラおばさんや、長男のお嫁さんも、なぜか似ている。私もそのうち似てくるんだろうか、とお茶をすすりながらソムは思う。
一気ににぎやかになった上がりがまちをニコニコながめながら、ノマおじさんは土間で、木の板をのみで削っている。
「おじさん、それ、何してるの?」
ノマおじさんは手を止めて、板をちょっと上げて見せてくれた。
「ああ、新しいタラッタを作ってるんだよ」
「タラッタ?」
「これ、これだよ、タラッタ」
ノマおじさんの長男の末っ子――ソムにとっては(義理の)はとこにあたる男の子――が、傍らにある太鼓をポンポンと叩いた。
板をひもでつなげて胴を作り、そこに動物の皮が張ってある。それを取り上げたノマおじさんは、上がりがまちに腰をかけ、股の間にそれをはさむと、両の掌で、ぴんと張った皮を軽快に叩きはじめた。
叩く場所によって微妙に音の高さが変わる。ソムが「楽団」で聞いていたリズムとは全く違うが、明るい音色とテンポは、聞いていると何だかワクワクしてくる。
「お祭りの時なんかに叩くんだよ」
村には、この他にも色々な楽器が代々伝わっていて、みんなで演奏したり、それに合わせて歌ったり踊ったりするらしい。そして、ノマおじさんは、この太鼓・タラッタの名手なのだそうだ。
「夏至の祭りの稽古がもうすぐ始まるから、ソムちゃんも、みんなといっしょにおいで」
お茶請けのお菓子をお土産にもらい、同じ顔をした一家に見送られて、ノマおじさんの家を後にする。
タロパさんはお菓子の包みを頭に乗せて、ソムと並んで歩きながら、
「祭殿にはね、トペさんという守り人がいて、神様へのお祈りもしてくれるんだけど、時々いなくなっちゃうから、念のため、先代の守り人さんのおうちに寄っていくね」
「いなくなるって……何で?」
すると、タロパさんは、ちょっと困った顔になった。
「ええとね、トペさんは、とっても信心深い人でね。神様にお仕えするために、いつも体と心を鍛えてるんだけど、ちょっと行き過ぎるところがあってね……あ、ここだよ」
祭殿へ向かう細い山道の手前、生け垣の奥にある家にタロパさんは入っていき、
「スイさん、こんにちは。タロパです」
声をかけると、小柄なおばあさんが出て来た。ノマおじさんよりもずっと年を取っているみたいだけれど、背筋がしゃきっと伸びている。
「タロパさん、いらっしゃい。その子が里子ちゃん?」
「ええ、寄り合いでの挨拶も済みましたので、お参りに来ました。ソム、先代の守り人のスイさんだよ。今も祭殿のお世話をして下さってるんだ」
「は、初めまして、ソムです」
ソムがぺこりと頭を下げると、スイさんは、しわの深い顔をほころばせた。
「まあ、まあ、初めまして。可愛い子ねえ。私はスイよ、よろしくね」
それから、さっきのタロパさんと同じく、ちょっと困ったような表情を浮かべて、
「あのね、トペなんだけど、三日ほど前から、山籠もりに入ったようなの。社殿にも帰っていないし……もしいなかったら、私が代わりにお祈りをするけど、いいかしら」
「ええ、お願いします」
「分かったわ。じゃ、ちょっと待ってね、支度をするから」
一旦奥に入って、普段着から白い長衣に着替えたスイさんといっしょに、両側を木々が生い茂る細い山道を登っていく。
一列になって、さらにタロパさんが少し縦に細くならないと通れないほどの道幅。本当に、この先に祭殿があるのだろうかと少し心細くなった頃、急に目の前が開けて、境内の先に、小ぢんまりとした社殿が見えた。
「トペ! いるの? タロパさんたちが来たから、お祈りをしてほしいんだけど」
スイさんの声が周りに響く。が、返事はない。何度か呼びかけてみたけれど、木々の葉ずれの音が聞こえるだけだ。
「仕方ないわね。タロパさん、ソムちゃん、ごめんなさいね」
「いいえ、トペさんが修行に熱心なのは分かってますから」
「熱心なのはいいけど、周りが見えなくなっちゃうのよねえ」
苦笑しながら、スイさんが社殿の扉を開ける。中に入ろうとした時、
「わあっ!!」
おばあさんとは思えない瞬発力で、後ろに飛びすさるスイさん。視線の先は、入口近くの床の上。
そこに倒れ伏す、ひとりの女性。
「あっ……ト、トペさん!!」
タロパさんとスイさんが、同時に女性へ駆け寄る。タロパさんはひょいと彼女を抱き起こし、自分のお腹の上であおむけにして、呼吸を確認した。どうやら息はあるようだ。
「トペさん、トペさん! しっかりして……あ、大丈夫?お水を持って来ようか?」
「うう……何かふわふわする……こりゃ、いよいよ彼岸に……」
「この馬鹿者! さっさと起きなさい!!」
さっきまでの穏やかな物腰からガラッと変わったスイさんの大喝に、タロパさんのお腹から飛び起きるトペさん。狩人のウラさんよりも少し年上に見えるが、長い髪はボサボサ、服は泥だらけだ。
「お、お師匠……お師匠も来ちゃったんですか」
「勝手に人を彼岸に送るんじゃないわよ。よく見なさい、周りを」
「え? あ、ああ、タロパさん、こんにちは。相変わらずフカフカですね」
「こんにちは、うん……ありがとう」
スイさんが説教交じりに聞き出したことには、やはりトペさんは修行に打ち込むあまり、三日三晩何も食べずに山の中を走っていたらしい。で、今朝ようやく祭殿に帰って来たものの、奥の自室までたどり着けず、入口付近で倒れていたのだそうだ。
タロパさんが持っていたお菓子でとりあえず空腹を満たし、きちんと身なりを整えたトペさんの、朗々と響くお祈りの声を聞きながら、ソムは思った。
この村、タロパさんたちだけじゃなくて、他の人たちも、何か変な人、多いな……。