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3 普通のこと

「あのさあ、ソムはさ、男の子? 女の子?」


 ソムがタロパさんの家に来て十日ほど経った、ある夕方。居間で学校の宿題をしていたミュルが、それを横で見ていたソムに、突然たずねた。


「えっ?」


 びっくりして聞き返すソムである。ここに来てから、誰にも確認されたことがなかったので、てっきりみんな承知の上だと思っていたからだ。でも、見た目だけでは、分かりにくいかもしれない。髪は短いし、やせっぽちだし、エターさんが用意してくれた、どちらでも着られるような上衣とズボン姿だし。


「お、女だけど」


 何か言われるかな、と少々身構えながら答えたが、ミュルはいたって屈託がない。


「へえ、そうなんだあ。おばあちゃん、知ってた?」


 居間の奥にある機織り機で布を織っているエターさんに聞く。エターさんは、手を止めることもなく、


「ええ、知ってたわよ。だって私、ソムをお風呂に入れたもの」

「知ってたのかあ。じゃ、タンギは? タンギは知ってた?」

「ううん」


機織り機の横で、エターさんを手伝うタンギが短く答える。今、家の中にいるのはこの四人だけだ。タロパさんはお店に、ノノパさんは例によってご隠居さんたちの集まりに行っている。


「タロパもノノパも知ってたのかなあ」


 どうやら、ソムの性別よりも、自分の知らないことを他の大人たちが知っていたことの方が気になりだしたらしい。でも、ソムにはお返しにぜひとも、ミュルに聞きたいことがある。


「じゃあさ、ミュルはどっちなの」


 ミュルは宿題の手を止め、目をぱちくりさせて言った。


「わたし? わたしはどっちでもないよ?」

「えっ?」


 こともなげに答えるミュルと、再び驚くソム。この子、どっちでもない、って言った?


「じ、じゃ、タンギは?」

「うん、どっちでもないよ」


 いつも通りそっけないけれど、答えはミュルと同じ。


「……。エターさん、どういうこと?」


 やっぱり手を止めることなく、規則正しい機織り機の音を響かせながら、でも少し苦笑しつつ、エターさんが言う。


「まあ、そのまんまの意味なんだけどね。タロパかノノパが帰って来たら、聞いてみなさい」




「なるほどねえ。ソムは女の子だっていうのは、私たちは母さんから聞いていたけど、そういえば、子どもたちには伝えてなかったね」

「何だ、タロパもノノパも知ってたのかあ」

「ごめんごめん。子どもたちを仲間外れにしたつもりはないんだよ。もう知ってるものだと思い込んでたものだから」


 川へ釣りに出ていた村人たちに分けてもらった、大きな魚を使ったスープに舌鼓を打つ夕食の卓で、夕方の一件の話題がのぼると、タロパさんは、まず、ミュルをなだめるところから始めた。ミュルは末っ子ながら、あまり子ども扱いされるのが好きではないらしい。


「で、ソム、タロパに聞きたいことがあるんじゃないの?」


 エターさんが水を向けてくれたので、ソムは箸を止め、隣に座るタロパさんを見上げた。


「あの、えっと……ミュルにね、聞いたんだけど」

「うん、なあに」

「その……タロパさんたちは、女でも男でも、ない、の?」

「うん、そうだよ」


 またしてもあっさりした答え。しかし、ソムの全然納得していない様子を見て、もう少し詳しく説明してくれる。


「私たちにはね、いわゆる性別というものがないんだよ。ここにいる四人ともそうだし、私たちのご先祖さまたちも、みんなそう。どうしてなのかは分からないけどね。私たちに似た生き物は、この辺りにはいないから」


 分かったような、分からないような。しかし、すぐさま別の疑問がわいてくる。


「でも、タンギとミュルは、タロパさんの子どもなんでしょ?」

「そうだよ。私はノノパの子どもだし」

「……どうやって生まれたの?」


 まだ十歳のソムだが、人間や多くの動物に雌雄があり、そこから子どもが生まれてくることは理解している。なので「性別がない」生き物が、どうやって子孫を残すのか、見当がつかないのだ。


「それはね」


 タロパさんは、食卓の丸いパンを手に取った。


「こぶがね、できるの」

「こぶ?」

「そう。体のどこかにね、こぶができるんだよ。例えば、こんなふうに」


 手にしたパンを、お腹の上あたりにくっつけてみせる。


「で、これがだんだん大きくなって、ある日、ポコッて取れるの。それが赤ちゃん」

「…………」


 にわかには信じがたい話である。こぶを取ったりくっつけたり、そんな異国の昔話を聞いたこともあるが、そのこぶが、子どもになるなんて。


「その顔は、疑ってるわね」


 ミュルのスープから、魚の骨を取ってあげながら、エターさんが笑う。


「でもねえ、本当のことなのよ。私も何度も見たことがあるし。何だったら、明日、村の人にも聞いてみなさい。みんな知ってるわよ」


 タロパさん一家をはじめ、この村の人たちは、嘘をついたり、子どもをからかったりする人じゃないらしいことは、この十日余りの間に何となく感じ取っている。ここは、まあ、信じてみてもよさそうだ。


「ふうん……じゃ、取れる時って、痛くないの?」

「うーん、痛くはないねえ。あ、もうすぐ取れるな、っていう感覚はあるけど。ノノパはどうだった?」

「私も痛みはなかったかな。ただ、タロパはだいぶ大きくなるまでくっついていたから、うっかりどこかにぶつけたりしないように、気は遣ったね」

「そう、普段出ていないところが出っ張ってるから、大変なのよねえ」


 ノノパさんとエターさんのやりとりが、ソムの心に少しばかりの混乱を生じさせた。あれ、エターさんって、見たまんま、人間の女の人と思ってたけど、ひょっとして……?


「あ、あの」

「なあに、ソム」

「えっと、その、エターさんって……」

「ええ? 私は人間よ。ソムとおんなじ」


 良かった。また話がややこしくなるところだった。でも、そうなると、またまた違う疑問が頭をもたげてくる。というか、この家に来てから、常々不思議に思っていたこと、今こそ、それを聞いてみる時なのではないか。


「だったらさ、ミュルたちは、エターさんのことを『おばあちゃん』って言うじゃない。タロパさんは『母さん』って言うし。それは何で?」


 この問いに答えたのは、エターさんの隣でもぐもぐとパンを食べている、ノノパさんだった。


「ああ、それは、エターが私の妻だからだよ」

「つ……!?」

「そう、結婚してるのよ、私たち」


 顔を見合わせ、ほほ笑み合うエターさんとノノパさん。そのまま、しばし二人の世界に入ってしまう。


「タロパが生まれた時は、私が取り上げたのよね」

「取り上げたというか、ポロっと落っこちたところを、うまく受け止めたというかね」

「いきなり落ちるから、びっくりしたわ。大きくなっていたとはいえ、まだこれっくらいだったものね。可愛かったわあ」


 エターさんが両手で作ったのは、ソムの頭くらいの大きさの丸。確かに、この大きさで、真っ白で、ぽよぽよした生き物となれば、可愛いことは間違いないだろう。


 いや、その前に。


「その、結婚って……それって、この村では、普通のことなの?」


 二人の世界から帰って来たエターさんが、大皿の炒め物を取り分けながら言う。


「そうねえ。私はこの村から出たことがないから、よその普通がどうなのかあまり知らないんだけど、少なくともここでは、別に変わったことではないと思うわよ」

「現に私にも、人間のおばあさんがいたからね。ほら、今のエターとタンギたちみたいに。親戚には、人間のおじさんもいたよ」


 ノノパさんが続ける。タロパさんはスープを飲みながらうなずいている。子どもたちは「そうなのかあ」などと言いながら、大人たちの話を聞いている。


 そうか、普通なのか。


 故郷でも、そこを追われてから流れて来た土地でも、人間以外の生き物が言葉を話したり、村に住み着いていたり、ましてや人間といっしょに暮らしているなんて、見たことも聞いたこともなかった。それが普通だと思って十年間生きてきたし、それ以外の普通があるなんて、まるで考えもつかないことだった。


 けれど、ひとまずソムは、彼らの「普通」を受け入れてみることにした。だって、現に、みんな仲良く暮らしているじゃないか。


 が、ソムは、もうひとつだけ聞いてみたいことがあった。


「あのさ」

「なあに、ソム」

「赤ちゃん、コブみたいにできるって言ったじゃない。そしたらさ、タンギとミュルは、タロパさんのどこにくっついてたの?」


 これに、いち早く反応したのがミュル。


「あのね、あのね、わたしはここだったんだよ!」


 と、自信たっぷりに、隣に座るタロパさんの、人でいうと左肩の辺りを指す。


「えっ、覚えてるの?」

「ううん、全然」


 覚えてないのかよ。ずっこけそうになるソムを尻目に「どこから生まれた」話で昔を懐かしむタロパさん一家である。


「タンギは覚えてるよね、ミュルがここにくっついてた時」

「うん。突っつくと、ちょっと動くの」

「ぴょこって動いて、可愛いんだよね。村の子どもたちに、よく突っつかれたよ」

「タンギはどこについていたんだっけ」

「ミュルとは逆でね、こっち側の、この辺りかな」


 右の脇腹辺りを示すタロパさん。隣に座るソムは、


「この辺?」


と、タロパさんが示したところを触ってみた。いつもどおり、ふわふわしっとり、なめらかな表面。「出産」の跡は少しも見当たらない。ここに、ちっちゃなタンギがくっついていたのか、と想像する。可愛いような、でも、やっぱりちょっと怖いような。


「それじゃあさ、タロパさんは、ノノパさんのどこにくっついてたの?」


 何気なく聞いてみたのだが、ふいに顔を見合わせて黙る大人三人。その様子に、きょとんとする子ども三人。しばしの沈黙の後、タロパさんの生みの親、ノノパさんが、


「それがねえ……タロパ、どういうわけか、こんなところにできちゃって」


と、苦笑しながら指さしたのは、頭のてっぺんだった。


「ええっ!?」


 びっくりの後、大爆笑に包まれる子どもたちである。


「な、何で!? 何でタロパ、そこから生まれようと思ったの?」

「いや、私も覚えてないよ、そんなこと……」

「絶対ぶつけるよね、家に入る時とか」

「そうなのよ。だから、赤ちゃんを守るために、毛糸の帽子をかぶせたり、鴨居に布を巻いたりしてねえ、大変だったのよ」

「帽子かぶせたの? ふふ、それ、ちょっと可愛いね」

「でも、ノノパの頭の上に、丸いこぶがあるわけでしょ? それって、遠くから見たら……」

「……うん、すっごく大きな人に見えるね」

「夜道で出会ったりしたら、怖いね」

「怖―い!」


 大いに盛り上がる一家の横で、ソムはふと、故郷で聞いた昔話を思い出していた。


 曰く、山奥に、真っ白で人よりもずっとずっと大きな、人の形をした怪物が住んでいる。そいつは夜になると里に下りてくるので、捕まらないように、子どもたちは日が暮れる前に、早く家へ帰りなさい、と。


 ソムは思った。


 ひょっとして、その怪物、タロパさんたちの仲間だったんじゃないか?


 ……だったら、全然怖くないから、夜、外で待っていたら、友だちになれたかもしれないな。


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