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2 一家の一日

 天井の高い、タロパさんの家で目覚めてから三日が経ち、ソムはようやく床を離れることができた。


 寝込んでいた三日間は、昼夜となく眠っては少し起きるのを繰り返す状態だったが、目が覚めると、必ず誰かが気がついて「お水飲む?」「トイレは?」「何か食べてみる?」と声をかけてくれる。


 この家は、大きな広間ひとつでできていて、玄関横に台所、中央が居間兼食卓、奥の壁にベッドがいくつかある構造なので、部屋のどこにいても全体の様子を見渡すことができるようだ。


 困ったのは、例の白くて丸い生き物たちのうち、大きい方の二人――タロパさんと「親」のノノパさんの区別が全くつかないことだった。どこかに見分ける方法がないものか、どちらかが世話をしてくれるたびに注意しているうち、向こうの方でも何かを察したのか、


「重湯を少し飲んでみるかね。ああ、私はノノパだよ」


と自己申告してくれるようになった。おかげで「しゃべり方がゆっくりで、少し年寄りっぽい口調なのがノノパさん」という点だけは何とかつかんだ。が、外見の見分け方は、まだ発見できずにいる。


 意識を失っている間に、ボロボロだった服は清潔な寝間着に替えられ、埃まみれの顔や体も拭いてもらっていたようだが、少し起きていられるようになった頃、この家で唯一の人間、エターさんが風呂に入れてくれた。お湯で体を洗うなんて、いつ以来だろう。さっぱりといい気分のソムの体を拭きながら、そのあちこちに残る傷跡を見て、エターさんは少し顔を曇らせたが、何も言わなかった。


 子どもたちふたりはというと、小さい方のミュルは、大人たちにくっついて、やれお水だ、やれ着替えだと、何かと世話を焼きたがる。家にやって来た人間の子どもに興味津々なのだ。隙あらば何か話しかけようと寄ってくるので、そのうちエターさんに「あんた、そんなにうるさくしてちゃ、ソムがゆっくり休めないでしょう」と叱られていた。


 大きい方の子ども、タンギは、もともと口数が少ない性格のようだが、他の人たちと比べると、少しソムに対して距離を取っているようにも見える。ソムの世話も、基本、大人たちに頼まれたことしかしない。が、ある時、ソムが自分で身を起こそうと難儀しているのを見つけて、


「……トイレ行く?」


ソムがうなずくと、タンギはとことことベッドまでやって来て、起き上がるのを手伝うと、やおら背を向け、


「ここに乗りなよ」


と、細いのようなもので自分の頭を指した。どうやら、まだ小さいので、タロパさんのようにソムを抱き上げられないらしい。それで、ソムは言われたとおり、タンギの丸い後頭部に覆いかぶさって、トイレまで連れていってもらった。タンギの頭にソムの体がめり込んで、一体骨はどこにあるんだろうと少しドキドキしたが、乗り心地は快適だった。


 このように、何くれと世話になっているとはいえ、この不思議な一家に慣れたわけでは決してない。何せ、皆でくつろいでいる姿は、巨大な白い球がふたつに、中くらいがひとつ、小さいのがひとつ、そこに人間の女性がひとり加わっているのだ。その前に、ソムは未だこの変な生き物――タロパさんたちの素性、というか生態について、何一つ説明を受けていない。果たしてこのまま、何となく慣れていってしまっていいものなのだろうか。


 ベッドから起き上がり、朝食の輪に加わったソムに、


「少しずつでいいから、食べられるものを食べなさい」


とタロパさんが言った。小麦のパンに、卵と山菜の炒め物、野菜と肉と麦の入ったスープ。床に就いていた時も、重湯や薬湯のようなもの、穀物のお粥などを食べさせてもらっていたが、ちゃんとした食事は初めてだ。試しに、スープを一口飲んでみる。あっさりと素朴な味わいで、おいしい。二口、三口と匙を動かしているうち、急にお腹が空いてきた。


「おお、食欲が出て来たみたいだね、良かった良かった」

「あんまり急ぐとむせるよ……ほら、言わんこっちゃない、これで拭きなさい」

「あのね、パンに卵を乗っけるとおいしいんだよ」


 見渡すと、タロパさんたちは、箸や匙を器用に使い、ソムと同じものを小さな口でもぐもぐ食べている。未知の食べ物は見当たらない。エターさんも同じものを食べているので、食生活は人間と同じようだ。


 賑やかな朝食を終えると、まだソムと話をしたそうなミュルをなだめて支度をさせ、カバンを手にしたタンギが、


「いってきまあす」


と元気よく玄関を出ていった。


「どこに行くの?」


ソムが聞くと、タロパさんから、


「学校だよ」


の返事。あるのか、学校。それで、あの子たちも行くのか、学校。人間の子どもに混じって勉強するんだろうか。あの小さい方、ミュルもちゃんと読み書きとかできるんだろうか。試しに二人の年を聞いてみると、タンギは十三、ミュルは七つとのこと。


「そういえば、ソムはいくつなの」


 台所にあった焼き菓子を包みながら、ノノパさんが聞く。


「十歳」


 多分、年の割に小さいとか言われるんだろうな、と思ったが、ノノパさんは、


「そうか、そんなら、ちょうどうちの子たちの間だね」


と言っただけだった。


 しばらくして、ノノパさんはお菓子の包みを頭に乗せ(手で持つよりも楽らしい)、出かけていった。近所のお年寄りたちと、村の広場で碁のようなゲームをするのだそうだ。タロパさんも、くわをかついで呼びに来た村人と一緒に、畑へ出て行った。


 家族を送り出したエターさんは、よし、と腰に手をやり、



「じゃ、そろそろお店を開けますか」


と言った。


「お店?」

「そうよ。うちは薬屋なの」


 台所の、かまどの横にある勝手口を開けると、奥はたくさんの棚に囲まれた店になっている。壁の一面を占める雨戸を全部開け放つと、なるほど、ごちゃごちゃした一室が、道に面した店先に変身した。棚には、薬草や丸薬、粉薬の入った瓶が所狭しと並び、乾燥した草花が天井からいくつも吊るされている。


 エターさんは、軒先にベンチと机を出すと、火鉢に火をおこし、お茶の用意をし始めた。ほどなく、


「おはよう、エターさん。今日はいい天気ね」

「あら、アンジさん、おはよう。膝の調子はどう?」


顔なじみらしい、エターさんと同じくらいの年の女性が、籠を携えてやって来た。軒先のベンチに腰かけると、笑顔で膝をさすった。


「ここ何日かは痛みもないわね。薬が効いているし、暖かくなってきたから」

「ああ、それは何よりね……今、タロパが畑に行ってるの。じきに戻ってくるけど」

「それなら、ちょっと待たせてもらおうかしら」

「悪いわね。先に薬を作っておくから。お茶はどう?」

「頂くわ」


 てきぱきと手を動かしながらお客さんと話すエターさんをぼんやり眺めていたら、そのお客さんと目が合った。


「おや、あなた、この間、山で倒れていた子ね。もう起きられるの?」


 ソムが黙ったままでいると、エターさんが、


「今日、やっと床離れできたのよ。でも、まだ体力が戻っていないから、しばらくうちで休むことになってるの」

「あら、そうなの。元気になって良かったわねえ。あなた、ここで一緒にお茶を飲まない?」


まだ少し警戒中のソムに、エターさんが口添えをする。


「この人はアンジさんといって、ほら、あなたが助けられた時に一緒にいた若い男の人、あの子のお母さんなのよ。うちで食べる卵は、こちらのお宅から頂いてるの」


 ああ、あの、人買いの追手を、獣道で巻いた人のお母さんか。


 人買いが雇っている者たちが、元兵隊だったり、どこかの隠密だったりと、戦闘や追跡のプロであることをソムは知っている。土地勘の有無はあるにせよ、そのプロたちの目をくらませるとは、お宅の息子さん、一体何者なんですか、と聞いてみたい気持ちをひとまず納めつつ、誘われるままに店先へ出る。柔らかい日差し。今日も目の前では「七本鰭の山」が青空に映えている。


 程なくエターさんが、お茶の用意と薬の入った包みを手に、店先へ出てきた。香ばしい風味のお茶を飲みながら、後からやって来た数人の村人たちを交えた世間話を聞いていると、店の前から小麦畑と小さな集落へ続く道を、白い大きな姿がぽてぽてと歩いて来るのが見えた。あれはどちらだろうとソムが目をこらす横で、


「あら、タロパ、おかえり」


エターさんが声をかけた。何で分かるんだ、という思いが顔に出たのか、一緒にお茶を飲んでいた年配の女性が、ソムを見てほほ笑んだ。


「タロパさんとノノパさんの見分け方はね、タロパさんの方が少しだけ大きいのよ」

「そうそう。それに、ノノパさんの方が少し細いんだよ」


 いや、それにしたって、ふたりが並んでいないと分からないだろう、とは思ったが、やはり、常日頃からふたりに接しているうちに、分かるようになるのかもしれない。でも、まだ、分かるようになる気が全然しない。


「母さん、ただいま。皆さん、お待たせしましたね」

「タロパ、まず、アンジさんの膝を包んであげてくれる? 今日は調子がいいらしいんだけど、念のためにね」

「分かった。そしたらアンジさん、脚を出して」


 タロパさんは、ベンチに座っているアンジさんの横に来て、多分、人でいうと「しゃがんだ」状態――つまり、おまんじゅうを上からぎゅっと押したように、思い切り縮んだ。


 いっそう球に近い形になったタロパさんのお腹辺りに、アンジさんが、靴を脱いだ右脚を伸ばすと、お腹が平たく伸びて、脚全体をくるりと包み込んだ。


 確かに、これは「包む」という言い方がぴったりだ。が、ふつう、生き物にこんなことができるものだろうか。というか、自分もこんな風に包まれていたのか。少々及び腰のソムを尻目に、包まれているアンジさんは、


「ああ、気持ちいいねえ。あったかくて。これでまた楽になるわ」


ひとしきり包んでもらってから、籠いっぱいの卵と引き換えに薬を受け取り、上機嫌で帰っていった。入れ替わるように他の村人たちが、次は腰を、私は肩をとタロパさんに次々と包まれていき、その間にもエターさんは、薬を調合したり、お茶をいれたりと立ち働きながら、楽しそうにおしゃべりを続けている。


 村人たちはソムの存在を知っていて、起き上がれるほどに回復したことを一様に喜んでくれたにもかかわらず、不思議なことに、どこから来たとか、家族はどうしたとか、詮索するようなことはしなかった。


 午前中はそうして店先で過ごしたが、昼食の頃にはすっかり疲れてしまい、午後は少しベッドで眠り、そのまま横になりながら、学校から帰ってきたミュルのおしゃべりに付き合った。家族総出の夕食作りを手伝って一緒に食卓を囲んだ後、早々に床に就いた。




 爆音。巻き起こる砂煙。飛び交う石つぶて。矢。弾丸。悲鳴と怒号。


「手を離すんじゃないぞ、ソム」


 いちばん上の兄が叫ぶ。右に兄の大きな手、左に妹の小さな手。母は、まだ赤ん坊の弟を背負い、二番目の兄と一緒に先を走っている。


 目の端に、道端で倒れたまま動かない人が幾人も映る。多分、知った人もいる。でも、確かめている暇はない。


 ソムたちと同じように逃げ惑う人たちにぶつかり、押しのけられ、間をすり抜けながら、兄に半ば引きずられるようにして走る。妹は泣きながら、それでも懸命にソムの手を握り返してくる。


「伏せろ!!」


 誰かが叫ぶ間もなく、ソムの体は大きく宙へ跳ね飛ばされた。地面でしたたか背中を打ち、息が詰まる。顔に小石がバラバラと当たる。


 ソムにつまずいた人が転んだ拍子に、さらに何人かが折り重なるように倒れ込んでくる。人の山から何とかはいずり出し、ふと気づく。


 両手が空だ。


 慌てて辺りを探すが、家族の姿はもはや人の波に飲まれ、また響く爆発音に揺れ動く波がソムを翻弄する。


 手を離すな、と言われていたのに。


 容赦なくぶつかってくる人々。怒鳴り声。崩れる土壁。また爆音……。




「お母さん!! お兄ちゃんっ……」


 自分の大声に、ソムははっと目を覚ました。


 土の天井。暖かい布団に、広い部屋。天窓から差す月光、そこに浮かび上がる白い影。


「ソム? どうしたの」


 近づいてくるのは、声から察するに多分、タロパさん。ソムのベッド同様、壁の穴を利用した他のベッドから、家族たちもこちらをうかがっているのが分かる。


 タロパさんは、ソムのベッドの脇まで来ると、体を縮めて、ソムをのぞき込んだ。


「あ……」


 そう、こちらが現実だ。そして、夢に見たものも現実。ただし、三年前の。もう何度、この夢を見てうなされただろう。泣くまいと思っても、また頬を涙が伝う。


 タロパさんは何も言わず、腕を伸ばしてソムの額をなでていたが、心配そうに集まって来た家族を振り返り、こう言った。


「久しぶりに、みんなで雑魚寝しようか」

「賛成! じゃ、お布団持ってくるね」


 真っ先に声を上げたのは、末っ子のミュル。早速、自分のベッドへ跳ねていく。


「そうだね、今夜は少し冷えるし」


 うなずきながら、ノノパさんも布団を取りに引き返す。


「おばあちゃん、タロパの布団も持ってくる?」


 部屋の真ん中のテーブルをいち早く片づけたタンギが、エターさんに聞く。


「そうね、持ってきてちょうだい。ああ、ミュル、ぬいぐるみは置いてきなさい」


 みんなの持ち寄った布団を手際よく床に敷きながら、エターさんが子どもたちに指示を出す。広い部屋の真ん中に、即席の大きな寝床が出来上がった。


「ソムも行く?」


 タロパさんは、ソムの額に手をやったまま、静かに聞いた。ソムは無言でうなずいた。


 タロパさんは少し目を細めると、ソムを抱えあげて寝床まで連れて行き、そのまま横になった。


 ソムの敷布団と掛け布団、両方をタロパさんが担当しているかたち、つまり、体全体をタロパさんが包んでいる。その横に、エターさんとノノパさん、反対側にはタンギが寝転がり、掛け布団をかぶった。最後にミュルが、ソムを包んでいるタロパさんの上にぴょんと飛び乗った。


「おやすみ、ソム」


 タロパさん越しに、みんなの声が聞こえた。ソムの涙はタロパさんの体に染みこんで、やがて消えた。悪夢にこわばっていた体が、少しずつほどけていく。「掛け布団」が少し軽くなり、小さな声がした。多分、ミュルがタロパさんから転がり落ちたのだろう。


 タロパさんの柔らかな感触に誘われて、ソムは深い深い眠りに落ちていった。今度は、夢を見ることもなく。




 卵を焼く、いい匂いがする。まぶたの外が明るい。もう朝? 抑えた話し声が聞こえる。食器の音。そうだ、手伝わなくちゃ。ソムは目を開け、起き上がろうとして、


「うわあああああああ!!」


そこは、ベッドの上でも、夜中にみんなで雑魚寝をした床でもなかった。台所、それも、ソムの背丈よりも高い所。目の前には食器棚。下から、少し焦った声がする。


「あらら、ソム、起きた? ちょ、ちょっと待ってね。今、卵を焼いてるところだから」


 そう、タロパさんは、眠るソムを頭に乗せたまま、朝食を作っていたのである。


「ごめんね、あまりにもぐっすり寝てるものだから、起こすのがかわいそうで」


 タロパさんたちが、頭を上手に利用して生活していることは、よく分かった。でも、だからって、わざわざ人を頭の上で寝かしておくことはないだろう、と脱力するソムを見かねてか、タンギがやって来てソムを見上げ、ひょいと自分の頭を指した。


「ここから降りなよ」


 タンギに手伝ってもらい、無事に着地したソムに、ミュルが元気よくまとわりつく。


「おはよう! もうすぐご飯だよ。お腹空いた?」


 タロパさんの横では、エターさんがスープの鍋をかき混ぜ、食卓では、ノノパさんがパンを取り分けている。


 これが現実。今までとは違う、ちょっと不思議な、でも居心地は悪くない現実。


「おはよう……うん、お腹空いた」


 タロパさんが付きっきりだった卵料理はうまくできたらしい。みんなに促され、ソムは朝食の卓についた。


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