第78話 第五迷宮:四十層
「何だあれは……」
「……ちょっと、気持ち悪すぎて悲鳴も出ません……」
四十層の扉を開いた先にいたのは魔物ではなかった。部屋の中には何もなかった。だが、部屋の外壁……それは氷でできているがその中には……人間がぎっしりと詰められていたのだ。それも綺麗に四肢、胴体、頭部が分けられて。
まるで一つのアートのようなものである。だが俺はこれを決して芸術と呼ぶべきものではないと思った。
入り口にあった残酷なオブジェ。それはきっとここに持ってくるもんだったのだろう。そして人をこうして冷凍保存しておく。だがその意義は何だ? この第五迷宮はどうして……。
そして俺は一つの真実にたどり着く。それと同時に天井からどこからともなく一体のドールが降りてくる。
「え!? 人!?」
「いや、ドールだ。下がっていろ……」
「はい……」
アリアを後方に下げると、ドールがガクガクと動き始める。このドールは長い黒い髪があり、しかも洋服も着ている。確かに一見すれば人に見える。だが俺の元素眼は世界を暴く。あれは人間ではない。人に存在しているはずであろう、第一質料が一切感じられないのだ。
「目標補足。行動ヲ開始シマス」
何やら片言でそういうと、そいつは両手首から刃を出してこちらに突撃してくる。
「……くるか」
薄羽蜉蝣を抜き出すと、俺は中断に構えて……来るべき攻撃に備える。そして互いの刃が交錯し、室内にキィイイイイイインという音が響き渡る。だが攻防はそれだけで終わらない。相手は両手に剣を持っているのだ。俺よりも手数が多いのは自明。その優位を知ってか、ドールは連続攻撃を仕掛けてくる。喉、胸、腹、全てが急所を狙う攻撃。だが分かってしまえばどうということはない。
俺は一つ一つに冷静に対処していると、次の瞬間ありえない部分から刃が飛び出して着た。
「うおッ……!」
首をわずかにずらして躱す。そうこの剣戟の最中に、今度は首から剣を飛ばしてきたのだ。人間にはできない芸当で思わず仰け反るが、なんとか反応。といっても今のは元素眼がなければ危なかった。ドールには第一質料がない。だから感知できないものだと思っていたが、それは実際には違う。この刃にはべっとりとこびり付いているのだ。この第一質料はおそらく人間のもの。何十人、何百人もの人間を解体して来たからこそ分かってしまう。この刃に殺されて来た人の数というものを。
多くの人間の犠牲のおかげで戦いやすくなっているのは、本当に遣る瀬無い気分になるが今はそんなことも言っていられない。
俺は交わした斬撃によってできた隙を逃しはしない。足元をすかさず、錬金術で凍らせようと試みるが……。
「錬金術感知。レジスト、ヲ行イマス」
そして俺の構成していた錬成陣がレジストされる。
なるほど……錬金術は生半可なものでは通用しないか。しかしより高度なものを作ろうとすれば、時間がかかる。そんなことをしていれば、俺もバラバラにされ兼ねない。ここはあまり得意じゃないが、接近戦による剣戟で押し切るしかないか……。
そう考えて俺たちは激しい剣戟を交わすが、相手もかなり対応してくる。というよりも……俺の方がついていけなくなりそうだった。すでに体の強化は限界まで引き上げている。反応速度も元素眼によって限りなく高めている。だというのに、このドールは全てに反応してくるどころか、上回ってくるのだ。
「……くッ!!」
わずかに頰に刃が掠る。頰からツゥーと、血が流れていくのを感じると共に俺は違和感を覚えた。
「……毒かッ!!?」
俺はすかさず、頰から紛れ込んだ毒物に標準を合わせて対物質コードを発動。
《対物質コード:逆転》
《物質=対物質コード》
《物質:逆転=第一質料》
そして、入り込んで来た毒物はその存在を第一質料へと還していく。だが解せない。今の攻撃を即死性のある毒物にしてもよかったはずだ。それでも俺はなんとか対物質コードで対処できたはずだが、それでもなぜ神経を麻痺させるだけの毒物をあの刃に仕込んでいるかは分からない。
俺はそこから先ほど導いた結論が、概ね正しいのではないかと直感した。
周囲の氷壁に埋め込まれている人間。そして殺すのではなく、麻痺性の毒物を使うドール。
導き出される答えは……おそらく、このドールは人間を生きたまま確保することを目的としている。そしてこのホムンクルスの動力源はおそらく……生きた人間の脳をそのままフルコピーして使っているのだ。
俺は人間の脳の完全な複写は考えたことがある。だが、それはあることが原因でやめた。それは、生きたまま人間の脳を解剖する必要があるからだ。死んでしまえば、その鮮度は急激に落ち人の脳は使い物にならない。だからこそ、生きたままの解剖が必須となる。俺はそれ以外の方法を模索し、脳のコピーではなく、クオリアのコピーという手段で完全独立型人工知能を実現した。しかし、このアプローチは脳機能の一部を再現しているだけで完全とはまだ言い難い。だがこのドールは、おそらく真の意味で完全だ。
完全なるホムンクルス。だがその実は、大量の人間の脳を使用していることはもはや明らかだった。非人道的な実験の末に生まれたドール。おそらくただ命令をこなすだけの人形なのだが、同情を禁じ得ない。
どうしてこんなことに……。そんなことを考えても、状況は一向に改善しない。俺にできるのはこのドールを……殺すことだけだ。
人を殺す覚悟が俺にはあるのか? そうずっと自問して来た。しかし、殺さなければならない状況で迷っていてはこちらが殺されてしまう。ならば……やるしかないのだ。それが例え、どれほど残酷なことであっても……。
「せめて、安らかに眠ってくれ……」
そして俺はドールの首を刎ねた。いくら人工知能とはいえ、まだ完璧なものではない。速さはある、だがその攻撃パターンは単調なもので少しの隙をつけばこうして首を刎ねることは造作もなかった。
くるくると飛翔する首はそのまま地面をゴロゴロと転がりそして……完全に機能を停止した。胴体の方も崩れ去るようにして、その場に倒れこむ。
「お、終わったんですか?」
「あぁ、終わったよ」
そう言って俺は薄羽蜉蝣を鞘に戻す。意外と呆気なかったな。そう思っていた。だが、瞬間俺は微かに第一質料の揺らめきを感じた。
「アリアッ!!! 危ないッ!!!」
「え?」
転がっていた胴体はまだ動いていたのだ。完全に油断していた。人形なのだから、首を切れば終わりというわけではない。もちろん、確認はするつもりだったが油断していたのは事実。そして、ドールによる凶刃は……アリアの右肩から下を綺麗に切り裂いていった。
宙に飛来するアリアの右腕。それはくるくると宙を舞い、そのままぼとりと地面に落ちる。
俺はすかさず、ドールの胴体を凍らせて固定するとそのまま心臓部にあった動力源と思われる場所もまた凍らせる。これで完全に停止したはず。だが今は先にアリアの治療をしなければならない。
だが俺がその先に見た光景は……およそ考えられないものだった。
「アリア……お前それ……」
「そんなこんな事って……」
切断されれば、血が出る。ごく当たり前のことだ。人間なら当たり前の事実だ。でも……アリアの右腕からは一滴も血が溢れていなかった。
切断面を見ると、そこにあるのは今まで幾度となく見て来た……ドールと同じ配線の数々。
「そんな……こんな、こんな事って……」
アリアは自分の切断された腕の切断面を見て震える。
「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
慟哭。
そして次の瞬間、さらに信じられないことが起きるのだった。




