第73話 そして、君と出会う
「ううぅうう……うぅう」
目が覚める。私は冷たい氷の上に投げ出されていた。そして徐々に記憶が戻って来る。そうだ、私は二十層のあの場所で転移によって……飛ばされたのだ。エルに伸ばした手が届くことはなかった。
エルはまずアリアの手を握り、そこから私に手を伸ばした。
なぜ私が後になったのか。そんなことは分かっている。アリアは一人になってしまえば死んでしまう。だからエルの判断は合理的だ。何も間違ってはいない。
「……あれ?」
気がつけば涙が流れていた。
「あれ、あれ……どうして……悲しくなんかないのに」
そう私は悲しくなんかない。エルに見捨てられたわけではないのだ。合理的な判断のもと、こうなってしまったのだ。でも私はそう納得しても涙を止めることができなかった。
それと同時に思い出していた。私が……エルと出会った時のことを。昔のエルはもっと自由奔放で明るい少年だった。いや、今もそれほど変わっていないがあの手を伸ばした時の表情。あんなあんなエルの顔は初めてみた。どこかやるせないような、悔いているような表情。
そんなエルを見るのは初めてだった。そしてそれを思い出すと、私も心が苦しくなる。そんな私がエルと出会った時はそう……もっと、別の感情があった。
そして私は過去を想起するのだった。
◇
「初めまして。エルウィード・ウィリスです」
「会うのは2回目でしょう?」
「そうでしたね。これから宜しくお願いします」
初めてあったのはそう、入試の時。それから前代未聞の満点で入試を通過した彼はめでたく学院に入学。そして私のゼミで担当することになった。今思えば、そんな大役は私には無理だと思っていたが、意外とどうにかなってしまう……でもそれでも、やっぱりエルはぶっ飛びすぎて意味不明な人間だったのは間違いなかった。
「それで、あなたは何を研究する気なの?」
「完全独立型人工知能を専攻しようかと」
「ん? なんて言った?」
「完全独立型人工知能です」
「何のために?」
「農業のためです」
「オッケー。あなたが農家出身なのは知っているわ。でも、錬金術を農家のために使うの? そんなに才能があるのに?」
「? 言っている意味が分かりかねますが。農家を継ぐために私はここにいるんですよ」
「え〜っと、それなら錬金術使わなくてもいいんじゃないの?」
「品種改良にも錬金術は有用ですよ。私はすでに錬金術による農作物の品種改良に成功しています」
「え!? それってすごくない?」
「まぁでも、まだ試作段階なので……」
「それで、どうして人工知能なの? あれはもう諦めている研究者が多いけど」
「労働力確保のために……ですかね。それに単純労働をするのに人間ではなく、AIを導入するのは有用だと思っているので。何しろ、農業はそういう作業もそれなりにあるので」
「な、なるほど……そのためにこの学院に来たのね?」
「はい。その通りです」
意味が分からない。
このカノヴァリア錬金術学院は入学するのも困難で、卒業するのも困難。そして在学しているものは例外なく、高尚な目的を持って勉学に励んでいる。だというのに、農業のために錬金術を使う? うん、意味が分からないというか……ただ疑問がふつふつと湧いてくる。
錬金術は遺伝的な要素が大きい。努力はもちろん必要だが、才能の壁が確実に存在する。だからこそ、この学院に入学してくるのは錬金術に適性の高い貴族が多いし、普通の家庭の人間もいるけど農家はただ一人として存在しない。
だというのに、おそらくこの学院始まって以来の英才が農家出身で農業のために錬金術を学ぶ? 私たち錬金術師の目的は真理探究だ。そのためにこの学院は存在し、今までその名を世界に轟かせて来た。だというのに、そんなくだらないことのために錬金術を使う? そんなこと、許されるのだろうか?
この時に抱いた感情は、失望というよりも怒りに近いものだった。なぜこんな農家の少年にこれほどの才能があるのか。才能は適切に使われてこそ、才能たりうるのではないか。
この時の私は不遜にも狭い視野でそんなことを考えていた。
「エル! エルってば!」
「あぁ……フィーか」
「もう。また泊まり?」
「すまん。研究が忙しくてな」
エルが入学して一ヶ月。最近はエルの存在も周りに認知され始めて、天才がいると騒がれているが農家出身ということで虐めまでいかないがかなり厳しく当たられているらしい。貴族はそういうのを気にするから仕方ないが、私は別段止める気にもならなかった。それは以前感じていた理不尽な怒りからではない。
この男は、イかれている。
それをこの一ヶ月で学んだからだ。入学して一週間には互いにファーストネームで呼び合うようになって、それなりに話すようになったのだがどうにも脳内には農作物のことしかないらしい。私の研究室(厳密には隣の使用していない研究室)に引きこもって、最近はずっと人工知能を実現するために篭りきりだ。
それは放っておけば永年にやるので、定期的に私が差し入れを入れたり、仮眠室を作ってあげたりなどしている。そして何よりも驚くべきはその胆力。
虐めまがいの現場を見たことがある。それは貴族の生徒がエルに水を被せようとしていたものだった。止めることもできたが、ちょっと様子を見ることにしたら驚くべきが起きた。
「ふむ……やはり足りないのは……嫌でも……ここの構成は……やはり第一質料の出力が足りていないのか? モジュール自体はしっかりとできているが……」
ブツブツと言いながら学院内の廊下を歩いているエル。右手にはペーパーを持っており、考察をしながら歩いている。そこをターゲットにされたようだ。
そして次の瞬間、エルに大量の水がかけられる。貴族連中はそれなりに錬金術の技量が高いようで、頭上に現れた錬成陣から大量の水が降り注ごうとしていた……たが、それはあっさりレジストされ錬成陣は粉々に砕け散る。
「……うーん。次はもっと別のアプローチをして見るか」
そのままエルはブツブツとつぶやきながら歩いていく。それを見ていた相手たちはポカーンと口を開ける。対象の座標を確認もせずにほぼ無意識でレジスト。それだけでもよくわかる。エルは正真正銘の天才なのだと。
そしてそれを気に、エルの評判はさらに高まることになった。
「エル、まだやっているの? って……」
「……すぅ……すぅ……」
珍しく、彼は寝ていた。いつもは噛り付いて研究しているのだが、疲れて寝てしまったようだ。そんなエルを見て、以前のような理不尽な怒りは無くなっていた。私は純粋に尊敬した。これほどまでに何かのために一生懸命になれる人間はすごい、と。私も学生時代は天才と呼ばれて飄々と振舞っていた。でもこれほど一生懸命になったことはない。ただなんとなく才能を使っていただけ。今いる地位も、流れで就いたものだ。
でもエルは違う。農業のために錬金術を学び、そして活かす。そのために毎日を懸命に生きている。そんな人間を見て、誰がバカにできるだろうか。
「ん? あぁフィーか。すまん、寝ていたようだ」
「ちょっと大丈夫なの? 最近はちょっとやりすぎじゃない? 家に帰ってしっかりと休まないと」
「もう少し……もう少しでどうにかなりそうなんだ」
「うーん。本当に?」
「あぁ。だからもうしばらくは自由にさせてくれ」
「そういうならいいけど……」
そういうエルの言葉を信じるが、私は理解していなかった。彼のこの研究が錬金術の歴史の中でも最大の功績になるのだと。そしてこれこそが、彼が碧星級になる第一歩だったのだと。




