第62話 代償
「エル!? 大丈夫なの!?」
「俺は一体……」
ついさっき意識を失ったと思っていた。だがしかし、状況は全く変わっていない。つまりは俺の意識はほんの数分間だけ飛んでいただけなのか? でも、体感的にはもっと時間が経過しているような気もするが……。
「……フィー。俺はどのくらい意識を失っていた?」
「2、3分ぐらいだけど……でも、意識が戻ってよかった」
「その程度か。しかし……血が止まらないな」
先ほどから右目の血が止まらない。ぼたぼたと流れ出るそれは、際限なく氷上に血だまりを作っていく。痛みはないが、やはり目に異常があるのだろう。いやもしかすれば、脳に問題があるのかもしれない。
だがどうあれ、先ほど発動した能力が関係しているのは間違いなかった。
「……エル、お主先ほど何をした」
いつもふざけてるマリーだが、今回はかなり真剣な表情をしている。
「生物にあるコードを利用して、存在を掻き消した。いや消したというよりは還した……という方が適切かもしれない。だが、とっさのことだ。はっきりと理論的にわかっているわけじゃない」
「うーむ。本能的な行動なのかの?」
「本能……というよりは、何か降りてきた……とっさに閃いたと言った方が正しいかもしれない」
閃き。そう形容するのが正しいと思った。いや微かに何かが流れ込んできたような感覚があったが……今はそう言うとしっくりきた。
なぜ生物に存在するコードを理解できたのか。そしてそれを利用して生物の存在を世界に還すことができたのか。
物質コードと対物質コード。
それは生物の根幹に眠る真理だ。なぜそれがとっさに理解できて、それを応用さえも出来たのか。そしてわずかにだが……これは初めてではない気がした。デジャブ……と言えばいいのか。どこか既視感があった。
でもそう考えると、ますます自分の存在が分からなくなる。
俺の出自は謎に包まれている。両親の話では引き取ったというが、俺の本当の意味での両親はどこにいるのか? そして俺の両親はやはり……魔法と関連があるのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
「……エル、痛みはないのか?」
レイフがそう尋ねてくるも、実際のところ痛みは全くなかった。
「痛みはない……だが、目を開けている状態だと能力が発動したままになるみたいだ……右目だけだが……どうやらまだ制御下に置けていないみたいだ」
「ふむ……これでどうにかなるかの」
そういうとマリーはどこからともなく、眼帯のようなものを錬成した。
「これは?」
「能力を抑え込む作用を組み込んだ眼帯じゃ。昔我が能力を暴走させた時に生み出したもんじゃ」
「……有り難くいただく」
マリーにもらった眼帯をつけるとスーッと右目にあった熱が引いていく。そして血もピタリと止まった。
「ほらの」
「おお。これは助かるが……しばらくは眼帯生活か」
「エル、私がサポートしてあげるから」
「すまないフィー」
そして俺たちは船に戻って、マリーのやつが俺の作り出した氷を全て溶かすとそのまま船は王国へと進んでいくのだった。
◇
「おおお! ここがカノヴァリア王国! 我、参上! がはははは!!!」
あれから無事に王国の港へ着くと、俺たちはそのまま船を降りて王国内へと戻って行った。
「なんだかものすごく久しぶりな気がするなぁ……」
「何言ってるの、エル。まだ一週間も経っていないでしょ」
「そうだけど……っと、俺は明日の授業準備でもするか」
「私はマリーをどうにかするわ。明日にでも協会の適性試験を受けれるようね」
「そうか。じゃあ、また明日会おう」
「えぇ」
そしてフィーとマリーと別れるとレイフがじっと俺の方を見つめていた。
「レイフはどうするんだ?」
「……お前の家に厄介になってもいいか? 金には困っていないが、今後のために節約はしておきたいしな」
「あぁ。それなら構わない。このまま俺の家に向かうつもりだが、いいか?」
「構わない」
そして二人で歩き始めると、レイフが思わぬことを口にした。
「……殺気立っていないか?」
「そうか? いつも通りだと思うが……」
「いや気のせいかもしれない」
そう話していると、目の前に見知った顔が通りがかった。
それはフレッドとセレーナだった。二人には工房の立ち上げを手伝ってもらって以来、あまり会えていない。期間にしてはそれほど長くはないが、かなり久しぶりな感じがした。
「フレッド、セレーナ! 久しぶりだな!」
「エル!?」
「師匠!? ご無沙汰しております!!」
二人とも俺の存在に全く気がついていなかったようだ。それもそのはずで、どうにも急いでるというか……焦っているようだったからだ。
「仕事か?」
「えぇ、ちょっと急な仕事で……」
「申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
そう言って二人は足早に去って行った。
「……王国で何か起こっているのか?」
「いや……俺が出発する前には何もなかったが……」
「ま、俺の気のせいだろう。行こうぜ」
「……そうだな」
だがこれは予兆。それを俺はのちに知ることになる。
◇
「ふぅ……」
自宅に戻ってきた俺は湯船に浸かっていた。レイフのやつは一人で飲み屋に行ってくると言って今はいない。そして俺は右目の眼帯をそーっと外して見ることにしたが……。
「……ぐっ!!」
突如、激し痛みに襲われる。視界が白く光り輝くと同時に、眼球に鋭い痛みが走った。
「はぁ……はぁ……はぁ……まだ、ダメか」
元素眼。それは俺の手に入れたこの世界を暴く特異能力だ。生物だけでなく、第一質料を宿る全ての物質に対応できる能力。そして生物の場合は、第一質料が二重のコードの中に絡み合うようにして保存されている事がわかった。
現状として、これを二重コード理論として論文に纏めたいと思うが……俺がこの目をどうにかしないことにはそれも無理だと思った。
「はぁ……先が思いやられるな」
突如の覚醒。だがその代償として俺は右目を失ってしまった。永久的なものでは無いだろうが、今後の迷宮攻略には支障が出てしまうかもしれない。
そんなことを考えながら俺は浴室を後にした。
「……」
「先生、どうしたんですか?」
「なんでお前がここにいるんだ?」
「いたら悪いですか?」
「今日はレイフが泊まるんだ。アリスを泊めるわけにはいかないな」
「えー」
「えーじゃ無い」
浴室を出ると同時にインターホンが鳴ったので、出て見るとそこにはニコニコとした様子でアリスが立っていた。話を聞くとフィーとマリーに会ったようで、俺が戻ってきたのを知ったらしい。
「それにしてもそれ、おしゃれですか?」
「ちょ! やめろッ!!」
アリスが俺の眼帯を外そうとして、少しだけ眼帯の位置がずれる。そして再び俺の目には鋭い痛みが走る。
「ぐッ! ぐうううううううううッ!!」
「せ、先生!? 大丈夫ですか!!?」
「あぁ……なんとか、な」
「ご、ごめんなさい! その、こんなことになると思ってなかったので……」
「はぁ……はぁ……はぁ……いや、大丈夫だ」
この痛みに慣れてきたのか、今回はすぐに収まった。だがアリスのやつがもの凄く落ち込んだ表情をしているので、俺はポンと頭に手を置いてこう言った。
「はぁ、全く。これからは気をつけろよ?」
「はい……それで、どうしたんですか? 怪我ですか?」
「いや怪我というべきか……なんというべきか……」
そして俺は肝心な部分は省いて、アリスに事のあらましを伝えた。
「え、それって大丈夫なんですか?」
「分からん。もしかしたら右目は一生使い物にならんかもしれない」
「そんな……」
「お前が俺以上にショックを受けてどうするんだ。大丈夫、どうにかするさ。錬金術関連のことなら、どうにかできる。伊達に天才と呼ばれていないからな」
「普段は天才って呼ばれるの嫌いなくせに、こんな時ばっかり調子いいんですから」
それから他愛のないことを話していると、ドアが開いた音がした。おそらくレイフが戻ってきたのだろう。
「帰ってきたぜ〜。いやぁ〜、やっぱ王国の酒は美味いな! ん?」
少しだけ酔って上機嫌なレイフが戻ってきたはいいが、なぜかアリスが俺の膝の上に乗っていた。俺の認知よりも素早く動けるアリスはもしかしたら、すごいやつなのでは? と思ったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「……おっと、邪魔したな。そりゃ男だもんな。女を抱きたい時もあるってもんだ。俺は今日はどっかに泊まってくるわ」
「ま、待ってくれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
誤解を解くのにそんなに時間はかからなかったが、アリスのやつがテキトーなことばかり言うので俺は妙に疲れてしまうのだった。




