第44話 ありがとう
あの不可思議な現象を経験してから、俺は色々と考えるも今はとりあえず迷宮を進むことの方が優先だ。
それにレイフの情報と異なり、二十層には何もいなかった。ただただ何もない空間。俺たちは少しだけそのことに疑問を持ちながら、さらに下へ下へと進んで行った。巨大蜘蛛への対処も慣れてきたのか、サクサクと進んでいく。本当ならばどこかで引き返す気だったが、この調子ならまだいける。それにフィーのやつも慣れてきたのか、発狂しなくなった。行くなら今しかない。そう考えて、俺たちは先に進んだ。
「次は三十層だな」
「そうね」
「何だが、緊張してきました……」
そう次はとうとう三十層だ。心してかかる必要がある。そして俺たちは階段を降りて……三十層へと到着した。
「何もいない……?」
俺はそう呟くと、ハッとして天井を見た。いつものパターンだと天井に張り付いているはずだ。だが、そこには何もない。二十層と同じ、ただただ広い空間が広がっていた。
「ねぇ、エル……あれって」
フィーがそう言うと、視線の先に巨大蜘蛛がたった一匹だけいた。じっと、何もせずにじっとこちらを見ている。
「な、何だか不気味ですね……」
「そうだな……」
モニカの意見に同意する。何だか、あの巨大蜘蛛は今までと違う気がする。今までの巨大蜘蛛はすぐに襲いかかってきた。人間を襲うのは、魔物の本能的な特性である。奴らにとって、人間は最高の食料であり、餌だ。すぐに襲いかかるのは当然のことである。
だがあの巨大蜘蛛はじっと、ただじっとこちらを見つめている。知性でもあるのだろうか。そして微動だにしないので、俺は近づいてみることにした。
すると、巨大蜘蛛はじりじりと下がって奇声を発した。
「キ、キ、キ、キァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
始まった。あいつはこちらの様子見をしてただけだろう。ただの勘違いに過ぎない。そうして、俺たちは巨大蜘蛛と戦い始めた。
「……フッ」
先手必勝。俺は身体強化をすぐに施して、一気に距離を詰める。薄羽蜉蝣をしっかりと握り、低く平行に構えながら駆けて行く。
「ハァッ!!!」
一閃。通常の個体ならば、ここで一刀両断。決着がついていたはずだ。だが、この個体は素早いのか俺の一撃をバックステップだけで躱す。
「……流石に三十層、やるな」
俺は一旦距離をとって、相手の様子を伺う。だが、奴は再びじっとして動かない。奇妙だな……。
「こっちの様子を伺っているのかしら?」
「どうでしょう……? でも、じっと見ていますね」
「ある程度知性が高い個体なのかもしれない。とりあえず、フィーとモニカは凍らせてくれ。近接は俺がやる」
「了解、いつものパターンね」
そうして俺は再び地面を駆ける。今度は先ほどよりも強化を強くしてある。そしてそのまま一直線に迫り、再び一閃。
「キィィイイイイイッ!!」
巨大蜘蛛はそう声を上げて避けるも、俺は振った刀を逆に切り返す。
殺ったッ!!
そう思ったが、巨大蜘蛛はどうにも機動性に長けているらしく、脚を1本だけ切断することしかできなかった。
「キィイイイイイイイアアアアアアッ!!」
そして次の瞬間には再生。どうやらこの個体も以前と同様に再生が使えるらしい。厄介だ。
「エルッ! 横に避けなさいっ!!」
フィーの声を聞いて、俺は咄嗟に右に避ける。するとフィーの正面からは氷の波が縦に走って行く。
「やああああッ!!」
そしてモニカもそう言うと、巨大蜘蛛の後方から同様に氷の波が縦に走る。俺は二人の意図を理解すると、巨大蜘蛛を囲むようにして氷の錬金術を発動。このまま閉じ込めて、凍らせてやる。
そして俺たち三人が錬成した氷は、巨大蜘蛛を包み込むようにして侵食し……そのまま閉じ込めた。
終わった。意外と呆気なかったな……。
そう思っていると、次の瞬間にはレジストが完了したのかパキパキとヒビが入っていき……全ての氷が塵に還ってしまう。
「あれほどの錬金術をレジストするのか……さすが三十層。伊達じゃないな……」
俺たちの錬金術は並の実力ではレジストできない。と言うのも、三者三様に錬金術の構成が微妙に異なるからだ。レジストするには相手の錬金術を完全に把握する必要がある。反射陣と違って、レジストはかなり高度な技術だ。それも、三人の錬金術を同時にレジストするとなるとそれは俺でも結構苦労する。だと言うのに、この個体はあっさりとやってのけた。
おそらく、今回の巨大蜘蛛は錬金術に特化した個体。さらには精密な錬金術が使えるのだと思う。攻撃に使ってきてはいないが、レジストは一級品だ。技量だけでいえば、白金級レベルだろう。
「……はあああああああッ!!」
俺は改めて、相手を高度な錬金術師と仮定して戦闘に臨んだ。こいつはただの巨大蜘蛛ではない。錬金術師と戦うと想定したほうがいい。そう考えて、俺は薄羽蜉蝣を振るいながら同時に錬金術を使って相手を追い詰めて行く。もちろん、フィーとモニカの増援もありきだ。
三人の氷の錬金術による攻めと、俺単身による近接攻撃。一体だけならこの戦法でどうにかなる。そう思っていたが、どうにも攻めあぐねる。俺の攻撃は紙一重でかわし続けて、そして錬金術は全てレジストしてくる。
くそッ!! この技量だけ見れば今までの比じゃない。この個体は間違いなく今までの巨大蜘蛛の中でもトップクラスに強い。
しかし解せない。なぜ、攻撃してこない? なぜ、避け続ける? なぜだ……? まさか……?
それでも今は迷っている場合ではない。今やるべきなのは、こいつを倒すことだけだ。そうだ。それだけさ……。
「キ、キ、キィイイイイイイイイイッ!!」
巨大蜘蛛がそう鳴くと、糸を吐き出した。そしてそれは前の個体と同じように転移で飛ばされる。だが、俺は絶対領域を発動している。錬金術が絡んだ攻撃ならば、完璧に避けることができる。
そして俺は死角から降り注ぐ攻撃全てを躱し切って……縦一閃。
「キ、キ、キ、キアアアアァ……ァァアアアア……キィイイ」
終わった。頭が縦にぱっくりと割れてそのまま絶命。最期は意外に呆気なかったな。スタミナでも切れたのか、どうにも動きが鈍っていた。
「エル、流石ね」
「先生っ! 終わりましたね!」
「あぁ……」
そして俺はさっと手を振るうと、死体を燃やした。だが妙な違和感があった。その死体は今でも俺をじっと見ている気がする。死んでいる。もう生命活動は終わっている。俺は絶対領域によって第一質料を把握できる。そのため、生命の死も感覚的に理解できる。そもそも生物には第一質料が宿っているからだ。
そしてあの巨大蜘蛛から第一質料が漏れ出している。これは死んでいる生物の兆候。やがて全ての第一質料を無くして、無に還る。これが死というものだ。俺は今までの実験でそれを数多く見てきた。ラットでの実験もそうだし、野菜も同様だ。
そしてこの巨大蜘蛛をじっと見ると、第一質料が漏れていきこの空気に溶けていく。俺はそれを感じていたと同時に、何か妙な感覚に陥る。
じっと、じっと見ている。こいつは初めから、そして終わりまで俺だけをじっと見ていた。
そんな気がするのだ。何かを伝えようと。何かをして欲しいのだと。
そう願っている気がした。でも、ただの魔物が人間に何を願う。一体何を欲するのだ。そもそも、人間と同様に高度な思考ができるとも思えない。
そうこれはただの、ただの勘違いだろう。
「行こう。この調子でいけば、最深部まで行ける」
「そうね」
「はいっ!!」
そうして俺たちは第三十一層へと降りていった。
「……ありがとう」
最期にそんな声が聞こえた気がしたが、それは気のせいだった。
気がついては、いけないのだ。




