第3話 憧れのあの人
私の名前はリタ・メディス。錬金術師の名門、メディス家の娘だ。と言っても私の家は分家で正当な後継者にはなれないけど、それなりに錬金術に関して自信がある。
何と言っても平均して20歳の入学が普通なのに、学院に17歳で入学したのだ。これには親族みんながフィー姉さんの再来だと喜んでいた。
アルスフィーラ・メディス。従姉妹のお姉さんで、本家の正当な後継者だ。貴族であるうちの家が威厳を保っているのも、フィー姉さんのおかげだ。
そしてなんと、私は姉さんのコネであの天才錬金術師であるエルウィード・ウィリスのたった一人のゼミ生になった。
学院のシステムは世間一般の大学とよく似ている。ゼミというものが存在し、そこで卒業論文を書いて卒業する。しかしここで大学と違うのは、カノヴァリア錬金術学院には単位制度はない。講義は数多く存在するも、別に授業を受ける義務はない。必要なのは卒業論文だけだ。卒論さえ書いてしまえば、すぐに卒業できる。翌年の3月の卒業式に出席し、晴れて金級の錬金術師となる。
だが実際のところ、最速で卒業したのはフィー姉さんの5年。平均して7年もかかるため、挫折する者も多い。そんな中、彗星の如く現れたエルウィード・ウィリスはたったの二年で卒業し、今年から非常勤講師として学院に身を置くことになったらしい。
「やった! これで私の苦労は……なくなる!!」
フィー姉さんが自室でそう言いながら歓喜に震えていたのはつい最近のことだ。どうやらエルウィード・ウィリスがやっと進路を決めたらしい。初めは農家を継ぐだなんて冗談を言っていたようだが……それにしてもおかしい。この学院は確かに非常勤講師として働けるだけでもすごい。常勤の講師はもっとすごい。そしてこの学院の校長であるフィー姉さんはもっとすごい。
でもそんなフィー姉さんでも白金級の錬金術師なのだ。
それに対してエルウィード・ウィリスは碧星級。この国の象徴にもなっている碧星級なのだ。つまりは姉さんよりも上。それもまだ16歳。私よりも一つ年下で、もう碧星級。はっきり言って異常で規格外だ。だというのに、非常勤講師とは一体……何故なのだろうか。
まぁそんなことはさておき、満を持して私はやってきた。
カノヴァリア錬金術学院へ。
はっきり言ってエルウィード・ウィリスのゼミ、通称エルゼミの始めの生徒として誇り高いが、心配も大きい。本当は五人くらいのゼミ生がいたはずらしいが、フィー姉さんが初めてということで一人にしたらしい。そしてエルゼミに私が選ばれた。はっきり言って、コネの要素が強いがそれでも私はなんとか食らいついてやる! そしてゆくゆくは私も碧星級に……!
そんなことを考えながら、私は桜舞うこの学院の門を通り抜けて行った。
§ § §
「うわぁ……広いなぁ……」
私がやってきたのはこの学院で一番大きな教室。学院のシステムとして、午前中から午後過ぎにかけて授業があり、午後から夜にかけてゼミでの実習や自由時間となっている。
入学初日は異例の事態で、入学式の直後になんとエルウィード・ウィリスの生講義が行われるのだ。そして座席はなんと異例の予約制。立ち見席まで予約で埋まっており、異常な人気があるのがよくわかる。
ちなみに私は最前列でフィー姉さんの隣。非常に申し訳ないが、エルウィード・ウィリスの講義をこの目に焼き付ける必要がある。
「フィー姉さん、エルウィード・ウィリスさんってどんな人なの?」
「前にも言ったけど……脳内は農作物で一杯だわ。本当、今日もうまくやれるか心配で……」
姉さんは解放されたと言っていたけれど、今の方がもっと辛そう。今日は入学式で挨拶もあってバッチリとメイクをして髪もアップにしてスーツを着ているが、それでも今の姉さんはとても難しい顔をしていた。
「え? 碧星級のエルウィード・ウィリスといえば、天才中の天才でしょ? 何か心配が? それに農作物って姉さんの冗談じゃないの?」
「冗談だったら……良かったのにね」
以前から彼の話はフィー姉さんから聞いていた。彼がどれだけすごい錬金術師で、錬金術の祖を超えるほどの天才だと。たまに出てくる農作物の話はただの冗談だと思っていた。
でも姉さんがこんなにも言うってことは何かあるのかも……?
そんなことを考えていると、エルウィード・ウィリスが入ってくる。
あぁ、あの人が私の先生になるんだぁ。エル先生って呼ぼうかなぁ……。
そんなエル先生は白金の長髪で、身長は16歳にしては高い183センチ。ビシッと決めた真っ黒のスーツは彼の髪と相まって本当に綺麗に見える。顔もまた超美形。私の主観があるかもだけど、本当にかっこいい。今日は長髪をポニーテールとまではいかないまでも、下の方で一つに結っている。
「おおおぉぉ……」
「なんと神々しい……」
「あれが世紀の大天才、エルウィード・ウィリスですか」
室内が少しざわつき始める。無理もない。今日は学院の生徒だけでなく、一般の人も予約席に入る。彼を初めて見る人も沢山いるに違いない。
「みなさん、ご静粛に……」
エル先生がそう言うと、シンと静まり返る。
あぁ……ハスキーな声も本当にかっこいい。もうこの世全ての理想を詰め込んだような人なのに、錬金術までもが天才的だなんて……。
そううっとりと浸っていると、エル先生は早速講義を始める。
「本日の講義ですが、私が提唱した元素理論を取り入れた錬金術の再構築についてのお話です。では教科書の12ページをご覧ください」
あれ? 先生ってば、教科書を見ていないのになんでページ数が?
まぁとりあえず、12ページっと。
なんと、今回の講義では全員に教科書が無料配布されている。しかもこの教科書は本年度から採用される新しいものだ。
エルウィード・ウィリスは天才だ。しかし天才たるには実績がいる。そんな彼の最も有名な実績は元素理論の提唱にある。
これまでの錬金術は錬成陣を描いて魔力を込めれば発動すると言うものだった。そのプロセスは謎で神秘的なもの、いや神からの贈り物だとされていた。だがしかし、錬金術師とは理論を突き詰めるものである。なぜ錬成陣に魔力を込めれば錬金術が発動するのか……それを研究してきた錬金術師は、錬金術200年の歴史の中で数多くいた。そしてそれにピリオドを打ったのが、エル先生だ。
学院に入学して半年、彼はある論文を公開した。
タイトルは『元素理論と錬金術の再構築について』だった。
その内容の全ては理解できないが、概要は確かこうだ。
錬成陣はこの世界に溢れている第一質料にアクセスするツールであり、魔力はそのツールを動かすエネルギーである。
ここで登場したのが第一質料。これを発見し、元素理論というものを考え、それを錬金術に応用して、これまでの錬金術の概念を180度変えてしまった。
これこそがエル先生の史上最高の天才と言われる所以だ。
「ではまず、第一質料の説明から致しましょう。第一質料とは万物の根幹に眠る粒子です。肉眼では確認できませんが、第一質料は空気のように満ちているのです。さらには、我々の身体にも。人の身体とは遺伝子、突き詰めればDNAが根幹となっているのはご存知かもしれませんが、そのDNAもまた第一質料によって構成されているのです」
先生は黒板に簡易的な図式を書いていく。
人間→DNA→第一質料
それを見て、周囲から感嘆の息が漏れる。話している内容もそうだが、初学者にも分かりやすいように噛み砕いて話しているのがよく分かる。抑揚もしっかりしていて本当に聞きやすい。これが初講義というのだから、先生は本当に天才なのだ……となぜか私が誇らしく感じてしまう。
「これを錬金術に応用するとどうなるか。既存の錬金術では、錬成陣に完全に依存していました。例えば……」
先生は黒板に五芒星の錬成陣を描くと軽く魔力を込める。
すると、ポンっと薔薇の花が生成される。これは基本的な錬金術だ。万物の生成。基本中の基本である。
「このように五芒星の錬成陣に、この文様を加えれば薔薇ができます……しかし、私が提唱した元素理論を元に構築した錬金術を用いれば……」
先生はぐっと手を握る。
あれ? 錬成陣は描かないの?
そう思っていると、エル先生の手からは溢れんばかりの薔薇が溢れ出して、ピカッと光るとそれはお店でもらうような薔薇の花束になっていた。
「え……!?」
思わず声が出る。錬成陣なしでの錬金術!!?
そんなこと出来るの!!!?
周りの人も驚愕に目を開いている。あまりにも驚きすぎて、声が出ていないようだった。
「このように錬成陣は必ずしも必要というわけではありません。必要なのは明確な心的イメージ、第一質料、そして魔力の3つです。そうすれば私のように錬成陣なしの錬金術ができるようになります。そして……」
それから先は本当に夢のような時間だった。
超最先端の錬金術の授業。きっと私は歴史のターニングポイントに立っているのだ。本当に光栄で、とてもうれしい!
でも、講義の中でたまに先生の周囲がピカッと軽く光っていたような気がする。それはなんか、野菜か果物の話をたとえ話にしていた時のような……。
まぁとりあえず、講義は無事に終わった。今年度から錬金術の世界は変わる。そんな確信を私だけでなく、ここにいた全ての人間が抱いたはずだ。
「ううううぅぅぅ。エルうううううぅぅ、よかったよおおおおお」
講義が終わり皆が拍手していると、隣でフィー姉さんが泣いていた。姉さんはエル先生の師匠だからきっと誇らしいのだろう。
そしてそれからは、記者による質問と撮影会があった。関係者以外は立ち入り禁止になったが、私はメディス家の人間かつフィー姉さんの従姉妹ということで、その場でじっと先生を見ていた。
「では終わりでーす。ウィリスさん、ありがとうございました〜」
カメラマンの人がそういうと、周囲の人間が散っていくと思いきや、先生のサインを欲しい人たちが列を作ってしまった。
なんかもう……もはやアイドルっぽい。
でも、この後はゼミだから……私と先生の二人きりになるんだぁ……なんて妄想に耽っているとサイン会が終わったのか、先生がこっちに近づいてくる。
隣にはフィー姉さんがいるけど、やっぱ緊張する!!
「リタ。あなたの先生であり、師匠になるエルウィード・ウィリスよ。挨拶なさい」
「え……と! あの! リタ・メディスと申します! エルウィード・ウィリス様にお会いできて、こ、光栄です!」
「はははは、様はやめてくれ。先生か師匠でいいよ。それに俺の方が年下だしね」
「えっとじゃあ、エル先生で……」
「あぁよろしく、リタ。君が俺の初めての生徒だ」
ひゃああああああああああ。握手してくれたああああああああああああああああああああああ!!
きっと顔は真っ赤になっているに違いない。憧れの人に触れられたのだ、もう……思い残すことはない。
「じゃあ、このまま研究室に行こうか」
「は、はひ……」
「じゃあ、エルくれぐれも……よろしくね? うちの可愛い妹をね?」
またバチっと先生の周囲が光ったが、もうそんなことは気にならなかった。そうして私は先生の後ろをついていきながら、自分の幸福を噛み締めるのだった。




