File 7 ……もやもやします
今日は久しぶりの休暇だ。
「あの映画面白かったねー」
「うん、スタッフロールの後の映像見逃した人もったいないよねえ」
私は休みが重なったサナと人間界で映画を見た後死神界へ戻ってお茶をしていた。ここは基本的に娯楽がないので、多くの死神は休日になると人間界へ行って映画館に行ったりコンサートを聞きに行ったり――実体を持たずとも楽しめる娯楽を満喫しているのだという。
……タダで映画を見てしまったけどそこはもう生きていないし他の幽霊も一緒に見ていたので許して欲しい。ちなみにその浮遊霊は「これ見終わるまで待って!」と言われたので待っていたら後ですんなり捕まってくれた。休みの日だというのに働く羽目になったが厄介な霊じゃなくてよかった。
「いいなあ、俺もそれ見たかった」
そして、サナと過ごす喫茶店にはもう一人同じテーブルに着く人がいた。ちょうどこの喫茶店に来る前にばったりと遭遇した羽鳥さん……現、クマさんだ。研修を終えて無事に死神になったらしい彼は先日貰ったばかりの初任給にほくほくして商店街を歩いていた。
だが真っ先にサナをナンパしようとしたので私は鎌で牽制しながら必死にそれを阻止することになった。「お前あのおっかない先輩に似たんじゃね?」と言われたが誠に遺憾である。
「ところでシュリ……あの、ちょっと話聞いてもらいたいんだけど」
「ああうん、けどいいの? クマさんいるけど」
「うん、男の人の意見も聞きたいし……あの、私の先輩のことなんですけど」
「……それって男?」
「はい」
「なんだよ……皆してリア充かよお」
ばた、とクマさんがテーブルに突っ伏す。そんな彼を見て困った顔をしているサナに、私は気にしないでいいと軽く言って運ばれてきたアイスティーを口に含んだ。
「そういえばクマさんのパートナーってどんな人ですか?」
「元教師の熱血系おっさん」
「ああ……なんか想像が付きやすいですね」
「いや悪い人じゃないんだけどさー……なんか、こうすげえ曇りない目で見られると自分が汚れてる気がして来て……」
「あー、まあストーカー紛いなことしてましたし」
「生前の話はやめてくれ! ……で、サナちゃんの先輩の話だっけ」
「はい、コウジ先輩って言って見た目は高校生ぐらいの方なんですけど、死神歴も長い人で」
「好きなの?」
サナが恥ずかしそうにこくりと頷くと再びクマさんはテーブルに突っ伏した。
「告白したいんですけど、私なんか相手にされるかも分からないし……」
「いやいやサナちゃん可愛いよ」
「でもかなり年が離れてるんですよ。普段も何か子供みたいな扱いされる時もあって」
「うちの先輩も百歳近く離れてるけどね」
「……ん? 今そう言ったってことはシュリちゃんあの先輩のこと好きなのか?」
「は? ……え、い、いやそういうのじゃないけど!」
何気なく零した言葉をクマさんに拾われて思わず動揺しながら思い切り首をぶんぶん横に振った。
妙に焦ってしまったからか「ふーん?」と納得しているようないないような顔でじっと見られてしまう。
と、そのタイミングで背後からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「いやあ若いっていいねえ」
「……課長?」
「やあ」
声に反応して振り返るとコーヒーを飲んでいた課長がひらりと片手を上げた。優雅に飲んでいる癖に湯気で眼鏡が曇っていて非常にシュールだ。
「なんで課長がここに?」
「僕だって休暇ぐらいあるんだけどな」
ふう、と眼鏡を外して拭きながら課長が苦笑する。そして同じく彼の姿を見たクマさんが「あ!」と声を上げて勢いよく立ち上がった。
「課長! いい加減俺の名前変えて下さいよ!」
「んー? でもサクもサクマもいるからなあ……あ、名字って羽鳥だった? じゃあハトかトリで」
「どっちにしろ動物じゃないですか! そこはハトリでいいですよね!?」
「まあどっちにしろ一度付けた名前は変えられないからね。あと五、六十年くらいだし諦めてくれ」
「じゃあ今までの候補の話一体なんだったんですか!?」
ぽんぽんとテンポ良く続く会話にサナと目を合わせて笑う。しかし騒ぐクマさんを「店の中だから静かにね」と言ってさらりと流した課長は続いて私に目を向けて楽しげに笑みを浮かべた。
「それで、シュリちゃんはシンのことが好きってことでいいのかい?」
「なんでそうなる!?」
いきなり矛先が私に向いた所為で思わず敬語が吹っ飛んだ。
「だから! 先輩のことはそういうのじゃないですってば!」
「えー、残念だなあ。じゃあシュリちゃんはあいつのことどう思ってるんだ?」
「横暴スパルタ短気な鬼ですよ! そりゃあ仕事はすごいですし悪霊相手にもオーバーキルしてましたけど、人を五階から突き落とすしスポーツカーと競争させられるし全部避けろって鎌振り回して追いかけ回されるし」
「うわあ……」
「シュリっていつもそんなことしてるの……?」
クマさんとサナがどん引きしている。他の子達ってどんな風に仕事してるんだろう……?
「あの黒い人ホントにやばいな。俺も前に吹っ飛ばされたし、かなり凶悪というか」
「ま、まあでも! 本当に危ない時は助けてくれますし、服だって買ってもらいましたし……その、良いところも結構あるというか!」
「お、結構褒めるんだね」
「……私の魂回収してくれたのもあの人ですし。っていうか課長、知っててあえて私をパートナーにしましたね?」
「おや、もう知ってるんだね。シュリちゃんの魂の状態も酷かったし、ちゃんと元気になったんだよってあいつ見せてやりたかったんだよ」
思えば最初に先輩が私を見て少し驚いていたのはそういう訳だったのだ。
「で、そんなシュリちゃんはあいつに惚れたりしないの?」
「しませんってば。大体さっき言いましたけど年離れすぎです」
「実年齢と精神年齢は比例しないだろう? 僕だっておじいちゃん扱いされるのは嫌だしね」
「……ところで、課長って何歳なんですか?」
「お、サナちゃん気になる? いくつだと思う?」
「さあ……?」
「じゃあ秘密ってことで」
ふふ、と意味深に笑ってコーヒーを飲む姿は様になっていてますます年齢不詳感が際立つ。見た目通りではないことは分かるものの、全く上限が見えないので予想もつかない。
……というか課長ってそもそも私達と同じ元人間なんだろうか。何者なんだろう。
「でも、パートナー同士がくっつくっていうのはそう珍しいことじゃないよ。長いこと一緒にいるし、自然に距離は近くなるものだ。たとえかなり実年齢が離れていてもね。だからサナちゃんもそう悲観的にならなくてもいいんじゃないかな」
「あ、ありがとうございます」
「なんで俺のパートナーは男なんだよお……」
「相性ってもんがあるからね。君のパートナーを女の子にすると色々問題が起こりそうな気がしたっていうものあるけど」
「心外な!」
「前科があるからなあ。そういう訳でシュリちゃんも安心してあいつを好きになっていんだよ」
「さっきから何なんですか、その異様に強い先輩押し」
「いやあだって、あいつがここまで気に入ってる子なんて見ないからね。こんなにパートナーが続いたのは初めてだよ。もうすぐ一年だろう?」
「一年……」
気が付けばそんなにも時間が経っていた。死神になって毎日が非常に慌ただしかったのは確かだが、生きている時よりも遙かに時間の流れが早く感じる。
死神に就職して一年。学校だったら入学したり卒業したり、会社だったら新入社員が入ったり、後輩が出来たり……。
□ □ □ □ □
「先輩」
「何だ新人」
「……」
一年経ったのに、まだ新人扱いなんだよなあ……。
翌日、いつもの高台にいた先輩がそう言うと、私は小さくため息を吐いた。
「あのですね、先輩。私死神になって一年経つんですよ」
「だから何だ」
「そろそろ新人っていうの止めて欲しいっていうか……」
しかし一応駄目元でそう提案してみることにした。まあ一蹴されるだろうことは目に見えている。
『たった一年で新人から抜け出せると思っているのか、調子に乗るな』
『そう大口を叩くということはさぞかし腕に自信があるということだな。心霊スポットとして有名な山奥のトンネルにでも一人で行ってもらおうか』
ああ幻聴が聞こえる。いやー! 人柱が埋められてる噂のあるトンネルとかホントに勘弁して!!
私が密かに内心錯乱していると、目深に被った黒いフードの奥から酷く馬鹿にしたような視線が向けられた。え、また心読まれてる?
「シュリ」
「……は?」
「何だその返事は。貴様が呼べと言ったんだろうが」
ぽかん、と私は一瞬呆けてしまった。先輩が私の名前を呼んだ。いや一度呼ばれたことがあったことはあったがあの時はそれどころではなかったし、しかもわざわざ私の要望に答えてくれるとは思ってもみなかった。
「は、はいっ!」
戸惑いと共にじわじわと沸き上がって来た歓喜を隠すように叫ぶ。ついでに敬礼までしてしまっていた。
「仕事の時間だ、さっさと行くぞ」
「はい!」
さっさと人間界へ降りていく先輩を我に返って追いかける。見つけやすい黒い背中に小走りになって近付くと、私は斜め後ろから先輩を見上げた。
フードに隠された顔はあまり見えないが、やはり整っている。雰囲気と眼光で割とぶち壊しだが一般的にかっこいいと称されると思う。
「何だ」
「いえ、何でもないです」
ぎろりと鋭い視線が向けられて思わず目を逸らして俯く。……こういう怖い所もあるが、でも私の魂を助けてくれて、そして妹も止めてくれた。私が死んだのは先輩の所為じゃないのに、それでも誠意を持って謝ってくれて、恨めとも言った。
文句を言いたいことは山ほどあるけど、それでも良いところも感謝したいことも山ほどあるのだと気付かされた気がした。
「そういえば今日の仕事――うわっ」
顔を上げた瞬間、目の前が真っ暗になって顔面に何かが衝突した。どうやらいきなり立ち止まった先輩の背中にぶつかったようだ。
どうかしたのかと先輩を見上げて、そして一瞬言葉を失った。
どこか穏やかな、しかしどこか寂しげな。何とも言えない様々な感情が込められた先輩の目は、ある一点を見ていた。視線を追った先にいたのは駅の大きな時計の下で誰かを待っているらしい、茶色混じりの長い髪を持った若い女性だ。
綺麗な人だと思った。しかしその瞬間、私の胸にちりちりと嫌な感覚が沸き上がって来る。
「……先輩」
「行くぞ」
自分で立ち止まったというのにさっさとあの女性から視線を外して歩き出す先輩。私はのろのろとその後を歩きながらも、振り返って再度彼女を見た。やっぱり美人な人だ。
……ああもう、何かすっごいもやもやする!