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File 6 真実を知りました

 死神の仕事は色々だ。前のように課長直々に大きな任務を与えられることもあれば、寿命を迎える人を何人も見送る日もある。また、今日のように具体的な案件はなく昼と夜の半日ずつのシフトで浮遊霊を探す為に人間界を巡回する日もあった。



「あれ」



 巡回時間を終えた夕方。そろそろ向こうへ戻ろうとしていたその時、私はよく見慣れた後ろ姿を見つけて立ち止まった。



「何を止まっている。さっさと帰るぞ」

「あ……すみませんちょっと」

「なんだ」

「妹を、見つけて」



 人混みに紛れて目にした妹。死んでからは二度目に見たその姿に、私は思わず妹を凝視してしまった。

 何やら酷く思い詰めた顔をしている。生きている時にも見たことがないほどの剣幕と表情に一体何があったのか気になって仕方が無かった。



「香織、何があったんだろう」

「……姉が死んだらそうなるだろう」



 ……確かにそうかもしれない。だけど私が死んでからもう随分時間が経っているのだ。それに落ち込んでいるという感じでもなく、何かを決心したような鋭い目をしている。



「先輩、先に帰ってもらってもいいですか。ちょっとあの子が心配で」

「言っておくが、お前に出来ることはないぞ」

「それは分かってますけど……」



 姿は見せられない。だから香織に何が起ころうが私は見ていることしかできない。



「生きている者に囚われ過ぎると余計に未練が残るだけだ。下手すれば戻れなくなる」

「でも、あんな顔した妹を放っておくなんて出来ません」



 先輩は暫し睨み付けるように私を見下ろすが、ここで負ける訳にはいかない。目を逸らさずに見上げ続けると、やがて大きくため息を吐かれた。



「俺も同行する。それが条件だ」

「え?」

「仮にも指導役だ。貴様が何かしでかさないように見張る義務がある」

「……はい! 分かりました」



 先輩の言葉に大きく頷いて、私は急いで離れていく妹の背中を追いかけた。







 □ □ □ □ □







「……何か、変ですよね」

「ああ」


 

 しばらく妹の様子を窺っていたのだが、どうにも彼女の動きがおかしい。まるで私達と同じように誰かを着けているように、時に急ぎ時に立ち止まり、しかし目立たないように人混みに紛れるように行動している。



「あの子、一体何して……あ」



 どうせ傍に居てもばれないのをいいことに妹のすぐ隣で観察していると、彼女が前方にいる誰かを注意深く見ていることが分かり視線を追いかける。沢山の人がいるので分かり難いが、歩くスピードや立ち止まるタイミングを見ていると目的の人物はすぐに分かった。


「高校生?」



 香織が後を着けていたのはブレザーの制服を着た男子高校生だった。制服の真新しさから見て一年生だろうか。一人で歩く彼は妹のことにちっとも気付いている様子はなく、疲れたように肩を落とし、俯き気味に歩いている。



「も、もしかして香織、あの子のストーカーをしてるんじゃ……」



 一定の距離を保ちながら尾行する様はまさしくストーカーだ。まさかあの妹が、と信じられない気持ちはあるが、しかし思い詰めた様な鋭い雰囲気はどこか獲物に狙いを定めているように見えなくもない。


 私がおろおろと取り乱していると、先輩は私と同じように妹の視線を辿って件の男子生徒を見て、そしてぴくりと眉を動かした。



「あの子供……」

「え、先輩あの子知っているんですか?」

「……」

「何ですか教えて下さいよ」



 何やら言いたげに、しかし口を閉ざした先輩に首を傾げるものの何も言ってくれない。こういう風に言葉を濁されると気になるので聞きたいのだが、先輩は厳しい表情を浮かべて黙り込むばかりだった。


 仕方なく先輩のことは置いておき妹の観察を続行する。段々と人気が無くなっていく通りを歩く男子高校生、そしてそれを追いかける妹。……どうしよう。これ以上何もなければいいのだが、妹の表情からただあの子に微笑ましい恋心を抱いているだけとも思いがたい。

 頼むからストーカー行為が悪化しませんようにと祈っていたのだが……しかしその思いも虚しく、完全に人気もなくなり辺りも暗くなって来たところで妹はおもむろに鞄の中を漁り始めた。


 そうして鞄から出た手に握られていたのは、小さな果物ナイフだった。



「か、香織!?」



 私が驚いている間にも妹の行動は止まらない。ケースからナイフの刃を取り出した香織はそれを両手で握りしめるといきなり走り出し、声を上げながら前を歩く少年に向かってそれを振り上げたのだ。

 声に気付いた少年が振り返ってその表情を驚愕に染める。動きが止まった彼の胸へ振り下ろされようとする凶器に、私は咄嗟にそれを止めようと妹に手を伸ばした。



「ああああああっ!!」

「香織止めて!」



 しかし、その手は無情にも妹の腕を貫くようにすり抜けた。そうだ、今の私じゃあ触れられない。そんなことすら頭から抜けていた。

 このままじゃ妹がこの子を殺してしまう! どんどん少年の体に迫るナイフに思考が弾けそうになる。



「死んでよ!」







「――止めろ」



 少年の体まで、あと数センチ。そこでぎらついた光を放っていたナイフは止まった。



「な」



 固まっていた少年が腰が抜けたように地面に尻餅をつく。突然止まってしまったナイフに混乱する妹は、自分の腕を掴むその手を呆然を見る。



「先輩……」



 香織の手を掴んでぎりぎりでナイフを止めたのは先輩だった。

 初めて実体を持った彼は有無を言わさず妹の手を捻り上げてナイフを落とさせると、あっさりと地面に転がったそれを一気に踏み折る。



「な……何なのよあんた! 邪魔しないで!」

「断る」



 いきなり傍に現れたフードを被った真っ黒なローブの男に、香織は酷く困惑しながらも掴まれた腕を振り解こうとする。しかし先輩はまったく力を緩めることはなく、妹が暴れようとしても軽くいなしてしまった。



「な、なんだよいきなり! お前もこいつも一体何なんだよ!?」



 と、今まで絶句していた少年が我に返って叫ぶ。自分を殺そうとしてきた女と、明らかに不審な格好をした男に警戒心を強くした彼は必死にずりずりと距離を取ろうとしていた。



「放して! 私はこいつを殺さないと駄目なんだから!」

「お、俺が何したって」

「分からないとは言わせない! 私のお姉ちゃんを殺しておいて!」

「……え?」

「あんたなんでしょ! あんたがお姉ちゃんを線路に突き落とした!」



 私を、殺した?

 一度で言葉の意味が理解出来ずに繰り返す。私を殺した。線路に突き落とした。……この子が?

 妹の言っていることが真実なのか、それは分からない。ただ香織がそう叫んだ瞬間、途端に少年がさっと顔色を変えたのは確かだった。



「ち、ちが」

「嘘吐き、全部知ってるんだから! あの日、私はお姉ちゃんを驚かせようとしてあの駅に迎えに行った。その時にホームの方から走ってきた、制服に血が掛かったあんたとすれ違った!」

「!」

「お姉ちゃんは見つからなくて、連絡も来なくてずっと待ちぼうけて……次の日に、貨物列車に轢かれて死んだって聞いた。でも、ちっとも信じられなかった。遺体は見せられるものじゃないって言われて、余計にお姉ちゃんが死んだって実感が湧かなくて、数日後にまたあの駅に行った。そしたらそこで他の乗客が話してたのを聞いたのよ! 『あれはただの事故じゃなかった』『高校生が被害者に肩をぶつけて線路に落としたんだ』って!」

「っそれは」

「すぐにあんたのことだって分かった。だけど見たのは顔と制服だけで、あの駅を使わなくなったのか待ち伏せててもちっとも見つからなくて……ようやく、見つけたのよ。お姉ちゃんを殺した張本人を!」



 先輩に掴まれていない方の手がナイフの破片を拾い上げる。手が切れるのも構わずにそれを握りしめた香織は、再びその刃で少年を突き刺そうと腕を突き出そうとした。

 もう止めてと妹には聞こえない声で叫ぶ。先輩がまた止めてくれたものの、もう見ていられなかった。私の所為で妹が人に殺意を抱いて殺そうとしているなんて、理解したくなかった。



「なんで、お姉ちゃんにぶつかったの。まだホームが混雑するような時間じゃなかった。だったら、わざと突き落とそうとしたの? それとも近くでふざけてて暴れたりしてたの?」

「……」

「答えなさいよ! この人殺し――」

「ならお前もその“人殺し”になるつもりか」



 一方的に少年を責めていた妹の言葉が、息を呑むようにして止まった。



「お前の姉はこんなこと望んでいない」

「っ誰だか知らないけど知ったような口を聞かないで! 姉さんのこと何も知らない癖に!」

「何も知らない訳じゃない」

「嘘を……」

「シュリのことは多少なりとも知っている。それに……あの時何が起こったのかも」

「は、」

「俺も……あの日、あのホームに居たからな」


「……え?」



 先輩の言葉に香織も少年も、そして私も動きを止めた。全く予期していなかった言葉に理解が追いつかない。



「先輩、それってどういう……」

「……あの日、お前の姉以外にもう一人あのホームで人が死んでいる。九十を越えた老婆だ。そしてあの貨物列車が来る直前、その老婆は突然心臓発作を起こして倒れ、すぐ目の前に並んでいたこの少年にのしかかるように倒れた」

「それって」

「……」

「いきなり背後から人が倒れて来てこいつは当然バランスを崩した。……そして、傍に居たシュリにぶつかり線路に落ちた。それが、あの日の真実だ」



 あの時のことで覚えていることはあまり多くない。突然誰かにぶつかられて線路に落ちたこと、列車の白い光、迫ってくる音、言葉にならない衝撃。私にはそれだけしか分かっていなかった。

 けれど今それを知った。誰が悪いとかそういうことでもなく、運が悪かったとしか言いようがない事実を。



「……じゃあ、あんたなんですぐにそう言わなかったのよ!」


 

 妹は信じられないような顔をして、感情を持てあましたように声を上げた。



「言って納得したのかよ。何も聞かずに殺そうとした癖に!」

「……」

「それに、俺があの女の人を……お前のお姉さんだって人にぶつかって線路に落としたのは変わらないんだよ……」



 少年が項垂れる。片手で顔を覆うようにして、酷く苦しげな声で吐き出すように言葉を続けた。



「いきなり背後から何かがのしかかってきて、それでよろめいた勢いでぶつかった女の人が目の前で電車に轢かれた。その時、後ろを見たら今度はお婆さんまで死んでて……怖くなって、逃げた。あの駅に行こうとするだけで思い出して吐きそうになって、何度も夢に見ておかしくなりそうだった。俺の所為で死んだんだって……」

「……君の所為じゃないよ」



 届かないと分かっていても言わずにはいられない。

 妹も少年も酷く憔悴したように地面に座り込んでいる。しかしやがて、顔を上げた香織はどこか縋るように先輩を見上げた。



「あなたはあの日あのホームに……お姉ちゃんの近くに居た、のよね?」

「ああ」

「……どうして、助けてくれなかったの。なんで、お姉ちゃんが線路に落ちるのを何もせずに見ていたの!?」

「……すまない」

「先輩、」

「恨むのなら、そいつじゃなくて俺を恨め。お前の姉を助けられなかったのは俺だ」



 ……先輩が謝ることじゃない、責められる必要もない。だというのに彼ははっきりとそう言って妹に真摯に向き合った。

 香織は更に先輩を責めるように何度も口を開こうとしたが、やがてぽろぽろと涙を流しながら唇を噛み締めて俯いた。

 「なんで、どうして」と小さく呟き泣き続ける妹に思わず近付いて寄り添う。震える手に触れようとしても体温は感じられない。……私は、やっぱり何もできない。



「……何か言い残すことはあるか」



 不意に、先輩がそう言った。その言葉は間違いなく私に向けられたもので、それが分からなかった二人は訝しげに先輩を見上げる。


 言い残すこと。言ってもいいんだろうかと先輩を見ると、いつもの無表情のまま私の言葉を待つようにじっと香織に寄り添う私を見ていた。



「……」



 一瞬考えた後、私はすぐに口を開く。そしてそれに続くように、一字一句違わず私の言葉が先輩の声になった。



「『久しぶりに会って一緒に鍋をつつく』」

「……え?」



 香織がはっとしたように目を瞠った。



「『彼氏が出来たら真っ先に紹介する。成人したらバッグを買ってあげる。全部、約束を破ってごめん』」

「お、おねえちゃ」



「『お姉ちゃんは、香織の幸せを一番に願っているから』」


 

 次の瞬間、黒衣の男は妹と少年の前から掻き消えた。







 □ □ □ □ □







「あの日、死亡予定だった魂を回収する為にあの場に居た」



 帰り道、今までひたすら無言を貫いていた先輩がぽつりと話し始めた。



「回収予定だった人間が心臓発作を起こし、魂が体から離れたその時……お前が線路に落ちていくのが見えた」

「……はい」

「気付くのに遅れた、間に合わなかった。それはただの言い訳に過ぎない。お前も、俺を恨んでくれて構わない」

「私、前に恨まないって言いませんでした?」

「実際に張本人が目の前にいれば考えが変わることもあるだろう」



 そこまで言って、あとは私の言葉を待つように口を閉ざす。私はそんな先輩の表情をしばらく見つめて……それから、視界に入るように少し前を歩いて彼に頭を下げた。



「シン先輩、ありがとうございました」

「……何のつもりだ。俺はお前を見殺しにしたんだぞ」

「死ぬと分かっているのに放っておくのと、助けようとして間に合わなかったのは全然違いますよ」

「結果は変わらん」

「私は過程を重視するタイプなので。それに、まだありますよ。今日妹を止めてくれたこともそうですし、それに……ばらばらになった私の魂を残らず回収してくれたのは先輩ですよね?」

「……」



 否定しないということはそうなのだろう。あの場に居たのなら、私の魂を回収したのは先輩で間違いないのだ。



「課長が言ってました。ばらばらになった魂の一片でも足りなければ完全に修復できないって。私がこうして元気に死神の仕事が出来るのは先輩のおかげですよ?」

「俺はただ仕事をしただけだ」

「その仕事をしてくれたことに感謝しているんですってば。……もう、そこまで気にするんならじゃあ何か奢って下さい! あ、ラーメンがいいです。まだ死んでから食べてないので!」

「……安上がりな女だな」

「新人死神の薄給なめないで下さい。そんなこと言うなら追加しますよ? チャーハンとー餃子とー……って、いたっ!」

「調子に乗るな」



 いつもの調子が戻って来たらしい先輩にはたかれる。ちっとも容赦のない一撃に立ち止まって頭を押さえていると、不機嫌そうに先に足を進めていた先輩が振り返る。



「さっさと来い、奢ってやらんぞ」


「……はい先輩、今行きます!」



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