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File 4 トラウマと遭遇してしまいました

 今日も今日とて私は死神の仕事に励んでいる。今日はこの辺りを徘徊していると噂になっている浮遊霊の女性の魂を回収しに来ていた。



「あ、アアアアア!」



 女性のキンキン声の叫びが耳に痛い。完全に正気を失っているようだった。


 実のところ、すんなりと捕まってくれる幽霊はあまり居ない。話を聞いてくれる幽霊は転生するのだと言うと比較的すぐに魂を回収させてくれるのだが、そもそも会話にならない幽霊の多いこと多いこと……。

 しかしそうやって手をこまねいて回収が遅れるとまた大変なことになる。死んでから時間が経てば経つほど幽霊は自我が崩壊してゆき、そして時に未練が強くなりすぎて悪霊になってしまうのだ。そうなると回収出来ても魂は歪んで淀んでいて修復が困難になったり、酷いと修復不可能になって破棄されることもある。


 ……ちなみに私の魂は貨物列車に轢かれてばらばらになっていたらしいが、こういうケースでも魂の一片でも足りなければ修復に失敗していたという。怖すぎる。無事に戻って本当によかった。



「ミンナ死ネエエエ!!」

「うわあっ!?」



 全くこちらの声が届いていない様子の幽霊がそう叫ぶと、その瞬間何やら黒い靄のようなものが体から噴き出した。それは魂を回収しようとして近付いていた私に直撃し、その衝撃で数メートル後方に吹き飛ばされる。



「おい、無事か」

「何か気持ち悪いです……」

「半分悪霊になりかけていた。恨みの念にあてられたんだろう」



 近くで待機していた先輩が近付いてくる。時々私の実力を試すようにこうして一人で仕事をさせられるのだが今回は失敗のようだ。どこかへ逃げていくように離れていく幽霊を慌てて追いかけようと体を起こそうとするのだが、すぐにくらりと目眩がして座り込んでしまう。

 もう一度力を入れて立ち上がろうとすると、その前に先輩が手で制した。



「後は俺がやる。大人しくしていろ」

「すみません」

「魂が汚染されていても困る。あれを捕まえた後一度向こうへ戻るからな」



 怒りもせずに感情の籠もらない声でそう言った先輩は、すぐに居なくなった幽霊を追いかけていつものものすごいスピードであっという間に消えていった。捕まるのも時間の問題だろう。



「……はあああ、駄目だなあ」



 そして一人取り残された私は、誰にも見ない、触れられないのをいいことに道のど真ん中で座り込んで頭を抱えた。

 死神になってから結構な時間が経ったというのにまだまだ上手く行かないことが多い。そりゃあ先輩のように何十年も死神をやっている訳ではないが、それでも足を引っ張っているのは事実で。



「足だってちょっとは早くなったような気がするんだけど……ん?」



 ぐらぐらと揺れる頭を押さえながらゆっくりと顔を上げたその時、ふと遠目に歩く人間が目に入った。見たことがあるような、と思って目を凝らすとそれは生前の友人で、私は懐かしさを覚えてゆらりと体を起こして彼女に少し近付いた。

 近付くに連れて少しずつ彼女の顔がはっきりと見える。やはり彼女は友人であった明子あきこだった。



「駅が近いし大学に行く途中かな……お、結構長生きするんだ」



 同時に見えた寿命の数値に私は少し安心した。病気に掛かると変動するのでなんとも言えないが、少なくとも現在の寿命は中々長い。



「……私の分まで長生きしてよ」



 思わず零れてしまった言葉に自分で苦笑してしまう。今の私は死神だ。明子に声を掛けても声は勿論届かない。何も気付かずにあっさりと私から離れていく彼女の背中を見守りながら、再び気分が悪くなってその場に蹲ろうとした。


 ――その直後、私の体を通り抜けるように大型のトラックが勢いよくスピードを上げて通り過ぎた。



「うわっ、びっくりした」



 危ない危ない。勿論私は実体がないので轢かれることはないが、もし生きていた時だったとしたらとぞっとする。

 しかしそこまで考えた所で私ははっと顔を上げた。トラックはそのままスピードを落とさずに進んでいる。そして交差点をその勢いのまま左折しようと――トラックの目の前、横断歩道を渡る明子の姿などまるで見えていないように――していたのだ。



「危ない!」



 咄嗟に叫びながら私は無我夢中で走った。

 明子は振り向きもしない。分かっている、死神の言葉なんて届かない。それでも必死に足を動かす。慌ててポケットを漁ってバッチを取り出そうとするが手が震えて上手く掴めない。

 知り合いに姿を見せてはいけない。一瞬だけ過ぎったそれを振り払って何とかバッチを手にする。もうトラックはすぐそこに迫っている。



「明子!」



 バッチを付ける間ももどかしくて何度も彼女の名前を呼ぶ。走りながら彼女に近付きようやくバッチを取り付け掛けたその時、カンカンカンカン、と大きな音が耳に入ってきた。


 遮断機が下りる音、それと同時に背後から近付いて来る電車の音――。



「……あ」



 頭が真っ白に塗り潰される。そして足が止まったその瞬間、友人は目の前でトラックに跳ね飛ばされていた。







 □ □ □ □ □







「あ、シュリが起きましたよ!」

「ああ良かった。シュリちゃん、具合はどうだ?」

「サナと、課長?」



 起きてすぐに目に入ってきたのは同僚と上司の姿だった。病室のような場所でベッドに寝かされていたようだが、一体何があったんだっけ。



「人間界で倒れたって聞いて心配したんだよ?」

「倒れた……?」

「幽霊に良くない念をぶつけられたんだよ。それでシンが気を失った君を連れて帰って来たんだ」



 もう治療は終わっているから魂に異常はないと言われる。そうだ、確かに幽霊に吹き飛ばされて、それで気分が悪くなって先輩を待っていた。

 そこで……あの子を、明子が――



「っ!」

「シュリちゃん!?」



 急激に迫り上がってきた吐き気に口を押さえた。



「気持ち悪いの? 大丈夫!?」

「わ、わた、私っ……!」

「落ち着くんだ、ちゃんと息を吸って」



 ガタンガタンと頭の中で絶えず電車の音が鳴り止まない。何も考える余裕がないうちにその音はどんどん私に近付いて来る。


 そして、次の瞬間言葉にならない衝撃と痛みが襲いかかった。轢き殺されたのは、誰だった――?







「おい」



 唐突に頭を襲った衝撃は、生前のあの時とは比べものにならないほど優しいものだった。


 

「いたっ!」

「寝ぼけてないで目を覚ませ」



 はっと、目の前の景色が元に戻る。顔を上げるとそこにはサナと課長……そして、腕を組んで偉そうに私を見下ろすシン先輩の姿があった。



「シン! 病人に何やってるんだ!」

「もう治療は終わっているんだろ、問題ない」

「それはそうだが……」

「ならもう寝ている必要はない。連れていくぞ」

「おいシン!」

「ちょ、先輩!?」



 課長が止めるのも無視した先輩は、さっさと私の布団を剥がすとそのまま荷物のように私を小脇に抱えて病室を出て行こうとする。扉が閉まる前に最後に見えたのはサナのぽかんとした顔だった。



「降ろして下さい!」

「断る。お前のペースで進んでいたら明日になるからな」



 じたばたと暴れてみるもののまるで腕が緩む気配がない。だんだん疲れてしまって諦めて大人しくしていると、そこで今更先ほどまでのパニックが収まっていたことに気が付いた。


 病院だと思っていたが協会本部だったらしい。外に出た先輩は迷うことなく、そして人目も気にすること無く堂々と他の死神の中を歩いて行く。抱えられているのを見て他の人が二度見してくるのがものすごく恥ずかしい。



「……先輩、どこ行くんですか」

「行けば分かる」



 簡潔に答えにならない答えを返される。そのまま先輩はいつもの高台まで私を運ぶとそのまま人間界へと飛び降りた。

 もしかしてまたこれから仕事をしろと言われるんじゃないだろうかと考えていたが、人間界に着いても先輩は鎌を出すこともなく脇目も振らずにどんどん歩いて行く。

 本当になんなんだろうと頭を上げて何とか先輩を窺おうとしていたのだが、それより先に再びガタンガタンとあの音が耳をかすめた。

 先ほどよりもずっと音は遠い。しかしそれでも私の耳はその音を拾い続けてしまう。



「ひ、」

「何だ」

「電車の、音」

「……」



 がたがたと体が震え始めると、それを止めるように先輩の腕の拘束が強くなった。そして今までまっすぐ進んでいた足がすぐさまその方向を変えた。

 あっという間にその場から離れた先輩は人が多く行き交う大通りに出る。ざわざわと騒がしい雑踏の中を先輩は人をすり抜けて進んでいく。音に溢れたここでは、もう電車の音は聞こえなくなっていた。

 ……もしかしなくても、気にしてくれたんだろうか。



「……先輩、ありがとうございます」


 

 返事は無かったが、それでもよかった。







 □ □ □ □ □







「ここは……」



 先輩が私を連れてきた場所は、今度こそ病院だった。

 すたすたと病院内を闊歩していく先輩の足に迷いはなく、入院病棟の三階に上がると手前から二番目の病室の前へ、当然ながらノックもせずにそのまま中へ入った。



「あ、」



 病室に入って真っ先に目に入って来たのは、先ほど目の前で轢かれた友人の姿だった。



「明、子」

「……知り合いだったか」



 ベッドに横たわっている明子は腕と足にギプスが付けられている。しかしお母さんらしい人とぽつぽつと話している姿を見て、私はぐったりと全身の力が抜けてしまった。

 生きていた。完全に無事とは言えなくても、死んでいなかった。



「重い」

「ぎゃあ!?」



 突然の浮遊感が全身に掛かったかと思うと、その瞬間私は病室の床に激突していた。



「急に手を放さないで下さい!」

「さっきは降ろせと言ったくせに我が儘なやつだ」

「降ろせとは言いましたけど落とせとは言ってません!」

「同じようなものだろう」



 ああ言えばこう言う。まったく、と床に転がっていた体を起こすと私は改めて明子を見た。怪我はしているが表情はそこまで暗いものではない。心配したとお母さんに怒鳴られて苦笑しているのを見て、私は安堵で大きく息を吐いた。



「先輩、どうしてここに」

「俺が戻った時、お前はバッチを握りしめたまま倒れていて、すぐ目の前で事故が起こっていた。大方助けようとして体調が悪化して倒れたんだと推測した」

「確かに体調も悪かったですけど……その」

「?」

「助けようとした時に、電車の音が聞こえて……それに気を取られていたら、明子が轢かれて」



 電車の音とトラックに轢かれた明子。それらが私が死んだときの状況とシンクロして、今まで完全に覚えていなかった最期の瞬間の記憶を呼び起こしてしまった。



「私、貨物列車に轢かれて死んだんです。痛くて怖くて、それをあの時思い出してしまって、明子が轢かれるのを止められなかった」

「……」

「明子が生きてて本当によかった。でも、私があの時止められたらあんな怪我をすることもなかったんです」



 入院するほどの怪我だ。痛かっただろうし、それに怖かっただろう。私だって同じような状況だったのだから嫌というほど分かる。分かるからこそ、止められなかったことを酷く悔やんでしまう。



「……お前は」

「先輩?」

「お前は恨むのか。自分が死んだ時に、どうして近くにいたやつらは助けてくれなかったのかと」

「……いいえ」

「何故だ」

「だってそんなのしょうがないじゃないですか。気付いても間に合わなかった人もいたかもしれないし、もしそれで助けようとして一緒に死んでしまっていたら、そっちの方が後悔します」



 それに、私は今こうして死神とはいえ“私”としてここにいる。先輩と仕事をして、お給料をもらって、友達と話して。死んでもそうしていられているからこそ、余計に死んだことを恨めしくは思っていなかった。



「……」



 私がそう言うと先輩は何か言いたげな顔で、しかし何も言わずに口を閉じた。



「――でもトラックに轢かれてそれだけの怪我で済んだのは本当に奇跡的だってお医者さんも言ってたわよ」

「うん、本当に不幸中の幸いだった。咄嗟に避けようとしたのがよかったのかも」

「あんたもそれよく動けたわね」



 先輩が黙り込むと明子達の会話がよく聞こえてくる。何気なくそれに耳を傾けていると、明子は少しだけ返答に迷うように口を閉ざした後、曖昧に笑って改めて口を開いた。



「……何か、聞こえたんだ。友達が呼ぶ声が」

「友達?」

「うん。その声ではっとして、トラックに驚いて動かなかった体が動いたような気がする……まあ、多分その声は気のせいだと思うけど」



 その声、まさか。



「私の声が、聞こえた……?」



 どうして。明子も死神が見える体質だった? いや、そんなはずはない。最初に見つけた時には結構近付いたのに気付かれなかったし、今も同じ病室で先輩と騒いでいても見向きもされない。

 ならどうしてあの時は私の声が聞こえたのか。明子の言うように気のせいだったのか。それとも……。



「死に際だったから、かな……」



 死ぬ瀬戸際になると、死神が見えるようになる人間もいる。それが正しいのなら、あの時の明子は限りなく死に近付いていたことになる。


 私が呆然と考え込んでいる間にお母さんは帰り、そして先輩も何故か同じように出て行ってしまった。

 残された明子はぼうっとしたように宙を眺めてしきりにきょろきょろと辺りを見回している。



「あの声……やっぱり朱理だったと思うんだよね」


「……うん、そうだよ。私だった」


「朱理が助けてくれたのかな。天国から危ないって言いに来てくれたのかも……なんて」


「天国じゃなくて死神界だけど、当たってるよ」



 一方的な会話だ。もう明子に私の声は届かないけど、それでいい。だってそれは、彼女がもう死にそうになっていない証拠だから。


 明子は小さな声で独り言を呟くと、包帯が巻かれていない方の手を胸に当てた。




「生きてる。……朱理、ありがと」




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