File 1 衣装チェンジしました
「服を変えて来い」
死神として着任してから初めての仕事を終えた翌日、再び顔を合わせた先輩は開口一番にそう言った。
昨日も真っ先に同じことを言われたなと思い出しながら、確かにこのスーツだとこの先輩のスパルタ教育には厳しいと実感する。当然ながら就活用のタイトスカートとパンプスは走るのに適していない。というかバイクと同スピードで走れなんてあんな無茶苦茶な指導がまずどうかと思うが。
ちなみに昨日のバイク男は先輩が私を引き摺ったまま捕まえた。バイクの背後から時速百キロくらいありそうなスピードで追いかける先輩に幽霊の方がびびっていたのは余談だ。生前に聞いた車をものすごい早さで追いかける妖怪が頭を過ぎった。
「ターボば」
「何か言ったか」
「すみません何でもないです」
何度でも言うが本当に人間じゃない。いや死神でもないと思う。
「というか今更ですけど、ここって服とか売ってる所あるんですか」
「そんなことも知らんのか」
「だって死神になるって言った瞬間研修所に放り込まれて缶詰でしたし」
そもそも私達はもう生きていないので生きている人のように服を変えるという発想がなかった。衣装チェンジする幽霊って話も聞かないし……。
「協会本部の傍に地上の町を模して整備された一角がある。商店街のようになっているから死神は主にその場所で自分に合った服を調達する」
「……じゃあ先輩はその真っ黒スタイルをあえて選んで着てるんですね。へー……って無言で手を振り上げないで下さい! パワハラで訴えますよ! 慰謝料請求します!」
「生憎商店街はあっても裁判所はない」
「マジですか」
「罪を裁くのは地獄だからな。余計なこと喋っている暇があったらとっとと行くぞ」
叩かれそうになった頭を庇って先輩から距離を取っていると、心底蔑んだような目で見下ろされた後くるりと踵を返して先輩が歩き出す。
……ん? これって先輩と一緒に行く流れなのか?
□ □ □ □ □
そういう訳で先輩と共に町へ向かった訳だが。
「……どうでしょう?」
「知らん」
試着室を出た所で手持ち無沙汰に待っていた先輩に着ている服を見せると、彼は一応見るだけ見てばっさり切り捨てた。私のスーツにけち付けたから変えたというのに失礼な男である。
服はスカートから動きやすいパンツスタイルに変えた。上はさりげなくフリルがついた可愛い白のブラウスと、一応仕事着という意識からフォーマルに見えるジャケットを羽織っている。そして靴もパンプスから走りやすい物に変えた。
「けどやっぱり、何か地味というかあんまり明るい色の服って置いてないんですね」
改めて店の中をぐるりと見回してみるが全体的に落ち着いた色合いが多い。オシャレなデザインのものもあるが、それだって色はモノトーンだ。
「……死神のイメージに関わるからな」
「イメージって、別に見える人間だって早々居ないじゃないですか?」
「人間じゃない。他の転生協会のやつらや天使達のことだ」
「……て、天使?」
またおかしな単語が出てきた。……と思ったのだが、よくよく思い出せば昨日人間界で天使のようなものを見たような気がした。
「回収した魂の中から時折天使候補の魂を引っ張り出して行く。正直気に食わんやつらだ」
「はあ……?」
「とにかくそういう天使や協会のやつらは死神のイメージに煩い。死に携わる者としての意識がどうのこうのと一々……別に仕事に支障なければいいだろうに」
シン先輩が苛立ったように舌を打った。棘のある物言いといい、何か前にその人達に嫌なことでも言われたんだろうか。
ちなみに後日課長にちらっとこのことを零してしまった時にその答えを知ることとなった。
「ああ、その話ね。実は何十年くらい前に新しく入った上層部のやつがいたんだけど、当時のあいつの服を滅茶苦茶怒られて」
「そんな派手な服だったんですか?」
「いいや? 死んだ時に着ていた普通の服でちっとも変な格好じゃなかったんだけど、割合明るい色だったんだよ。んで、言われたことに腹を立てたあいつは次の日にわざわざあんないかにもコスプレみたいな死神の格好で上司の現れたってわけ」
「へー、あの格好にそんな理由が」
「『これで死神らしいだろう。満足か』って言いながら上司の首に鎌……当時は今の形じゃなくて本物の鎌を向けてね……あの時はおもしろ、いや大変だった」
「今面白いって言いましたよね」
……シン先輩もだが課長も大概な人である。
「そういえばこの服っていくら……あ」
気に入ったので値札を見ようと思ったその瞬間、私は時間が止まったようにぴたりと動きを止めた。
「何だ」
「……あの、先輩。今更なんですけど……その」
「さっさと言え」
「初任給まだなんでお金なかったなーって……あはは」
どうして今まで思い出せなかったんだ私! 普通買い物に来るのにお金持っていかないなんてことあるわけないでしょうが!
……いや、ちょっと言い訳させてほしい。ここに来てからというものお金に触れたこともなく、そもそもそういう物を売っている場所があることさえ知らなかったのだ。地上と同じようにお金で流通が行われているという意識が吹っ飛んでいた。
ちらりと服に付いている値札を見ながら誤魔化すように乾いた笑いを浮かべていると、先輩は心底馬鹿にしたような目をした。
「馬鹿か貴様は」
「重々承知です……」
「金がないことぐらい分かっている。だからわざわざ着いて来てやったんだろうが」
「……え?」
「おい店員、こいつの着てるもの全部買う。いくらだ」
「先輩!?」
まさか買ってくれるのか!? この先輩が?
まだ二日目にして色々厳しいと理解してしまっているあの先輩が、私が驚いている間にささっと店員にお金を払ってしまっている。
呆然とその光景を見ていると、私の驚愕の視線に気付いたのか先輩が鬱陶しそうな表情を浮かべた。
「……何ぼうっとしている。帰るぞ」
「せ、先輩、ありがとうございます!」
「ただの先行投資だ。走りにくいなんて理由で魂を逃されたら堪ったもんじゃないからな」
淡々と感情の籠もらない声でそう言った先輩はすぐに背を向けて店から出ようとして……その前に思い出したかのように振り返って言葉を付け足した。
「その代わり、その服が擦り切れてぼろぼろになるまでこき使ってやるから覚悟しろ」
「え……それはちょっとご遠慮したいというか」
「遠慮はいらん」
……給料入ったら速攻で返そうと心に誓った。
□ □ □ □ □
「結構色んなお店があるんですね」
服屋を後にして周りの店をきょろきょろと見回しながら商店街を歩く。町を模して作られたというだけあって本当に生前の商店街となんら変わりない。歩く人々の服はやたら黒っぽい服の人ばかりだが。
歩いているといい匂いが漂ってきた。釣られるように顔を向けると前方に屋台が集まっている一角があった。
「食べ物も売ってるんだ……」
「別に食べる必要性はないがな」
死神はものを食べなくても問題なく活動できるが、別に食べても死なない。いやもう死んでるけど……。とにかく、死神にとって食べ物は嗜好品なのである。
しかしながらこうもいい匂いを嗅ぐとお腹は空かなくても食べたくなってくる。だが今の私は無一文である。三途の川も渡れない。
……今更だが私はちゃんと三途の川を渡ったのだろうか。死んでから次の記憶は課長の前だったので何も覚えていない。
「あれ、シュリだ」
段々思考が逸れながら考えを巡らせていると、不意に誰かが私の名前を呼んだ。
「……あ、サナ」
「研修が終わった途端に居なくなって驚いたんだよ?」
呼ばれた声の方へ振り返ると、そこに居たのは私と一緒に死神としての研修を受けた同期の一人のサナだった。長い髪を後ろで緩くまとめた少しおっとり系の彼女は私よりも一つ年下だった子で、本名は早苗だったと聞いている。死神に名字はないため、先に同じ名前の死神がいると少し名前を変えなければいけないのだ。
ちなみに死因は通り魔に刺されたからだという。研修中の同期との会話に死因談義という普通ではありえない話題があったのは勿論この仕事特有である。
「サナ? 知り合いか?」
「コウジ先輩。はい、私と一緒に死神になったシュリです」
サナの隣には彼女よりも少し年下の、生きていれば高校生くらいの少年がいた。この子がサナのパートナーなのだろう。見た目とは裏腹に先輩と呼んでいるのがちょっと不思議な感じに思える。
コウジ先輩と呼ばれた彼は私を見ると「はじめまして、新人君」と朗らかに笑った。見るからに優しそうな人だと思わず隣の先輩と見比べてしまった。
「何だその目は」
「いえ、別に……あ、サナ。こっちの人はシン先輩って言って」
「え、シン!?」
先輩を紹介しようとしたその時、私の声を掻き消す勢いで声を上げたのはコウジ先輩だった。彼はとても驚いた顔でシン先輩をまじまじと見つめると、すぐに興奮したように先輩に詰め寄った。
「シンって、あのシンさんですか!?」
「確かに俺はシンだが」
「やっぱり! 俺あなたに憧れているんです!」
「……」
「うわあ、本物だ! 真っ黒なローブを着てるって聞きましたけど本当だったんですね!」
捲し立てるように殆ど一方的に話し掛けて来る少年に、シン先輩は珍しく押された様子で少し困ったように眉を潜めている。
……先輩って有名なんだろうか。確かに人外じみた人だけれども。
「シュリの先輩って有名な人なの?」
「さあ……あ、でも死神歴が百年近いって聞いた」
「ええ? ……本当に人間だったの?」
「それ私も思ったし本人に言った」
「いや言っちゃ駄目でしょ……」
咄嗟に口から出てしまったんだからしょうがない。
「おい新人! とっとと戻るぞ」
「はい! ……あ」
キラキラとした目を向けて来るコウジ先輩を辟易としながら振り払ったシン先輩は、私にそう声を掛けて逃げるように背を向けて歩き出した。私も慌ててそれを追い掛けようとしたのだが、ちょうどその時ポケットに入れていた通信機がピピピ、と音を立てたのだ。
そしてそれは私だけではない。一度に四つの電子音が同時に鳴り響き、途端にシン先輩がぴくりと肩を揺らした。
「先輩、仕事です」
「……分かっている」
振り返った先輩は非常に嫌そうな顔をしていた。
通信機に目を落とすと、新たに入ってきた仕事は複数の死神によって合同で行うものだった。
□ □ □ □ □
今回の仕事の内容は山奥にある廃校となった場所に集まっている幽霊を一斉に捕らえることだ。数が多いので複数のチームで行うことになったらしく、案の定一緒に仕事の依頼が来たサナとコウジ先輩とも一緒である。
「まさか一緒に仕事まで出来るなんて光栄です!」
「……」
犬のように懐く外見男子高校生を黙殺するシン先輩。不良が動物に懐かれているのを想像してちょっと好感度が上がり掛けたが、何を察したのかその瞬間にぎろりと睨まれた。やっぱり心読んでると思う。
こそこそサナにそう言ってみると「シュリがそうやって微笑ましげな顔してるからだと思うけど……」と少し呆れた顔をされた。そんな顔してたのか。
「それではこれより一斉検挙に入る。魂を一つたりとも残すことがないように……それでは任務開始とする!」
「うわあっ!」
始まりの合図と共に腕がぐん、と引かれる。またか! と思っていると背後から「流石シンさん早い!」と感動しているらしい声が聞こえて来た。
一番乗りで廃校の中に入る。真っ暗であちこちが壊れたその廊下には……探すまでもなくそこかしこに幽霊の姿があった。
頭から血を流しながらケタケタ笑う女の子、けんけん歩きで私に駆け寄って来ようとする片足がない男の子。長い髪を引き摺って床を這いずり回る女の子、カミソリを持って手首から大量に血を滴らせた男の子、以下略。
「ひ、ひやああああっ!! お化け怖いお化け怖いお化け怖い!」
「騒がしいぞ貴様」
「だ、だって」
「死神が幽霊を怖がってどうする」
「怖いもんは怖いの察して!?」
恐怖で敬語がログアウトする。今までの魂が安らかに眠ったおじいちゃんだったりハイテンションなバイク野郎だったりしただけに、いきなりこんなの来られたらホントに無理だ。ホラー映画とかは怖い物みたさで見ていたが実物になると怖さの度合いが全然違う。子供だと余計に怖い。
「悪霊退散……」
「それをするのがお前の仕事だ。そもそも死者という面で見ればお前だって同類だろうが」
「それ言わないで下さい!」
「無駄口を叩いてないでさっさと魂を捕らえろ」
「うう……」
私が叫んでいる中、シン先輩は煩そうに眉間に皺を寄せながらけんけん歩きの男の子の魂を鎌で捕らえている。私も鎌を出して、びくびくしながらケタケタ笑いの女の子を意を決して捕らえた。この鎌の柄もっと長くならないかな。
耳につく笑い声が止むと少しだけ気が安らぐ。が、すぐに床を這っていた女の子がものすごいスピードで匍匐前進のまま近寄って来たので思わず悲鳴を上げた。
「おねえちゃああああああ!」
「ぎゃああああ!!?」
「どっちが化け物か分からんな」
私の悲鳴に淡々とそう言った先輩は見ているだけで助けてくれない。女の子が足にしがみついて来て、ぬるりとした感触が伝わって来た。泣きたい。
「お、ねえちゃ」
「あああああ! う、うちの妹は一人だけだから!!」
生前の妹を思い出して発狂しかけた心を何とか保った私はがむしゃらに鎌を振り回して女の子の魂を掬い上げて協会に送りつけた。
「ぼさっとするな、次はあいつだ」
「先輩の鬼!」
「まだ口答えする元気はあるんだな。やれ」
直後、首元を掴まれて私は大歓迎状態の幽霊の集団の中に投げ込まれた。
□ □ □ □ □
「あああ……トラウマが蘇る」
「たかだかあれくらいで何を言ってるんだお前は」
仕事終了後、私達は本部に報告を終えて再び傍の商店街を歩いていた。
任務は無事に完了した。廃校に彷徨っていた魂は残らず協会へ送られ、一番多くの魂を回収した私達は課長や他の死神に賞賛された。
……が、私の精神が無事だとは言っていない。あの後も色々と更に容赦ないことをされたのだ。
「四階から突き落とすとかホントに殺す気ですか」
「もう死んでるだろう」
「私も言ってからちょっとそれ思いましたけど」
「大体人間界に向かう時の方が遙かに高い所から落ちてるだろうが」
「あれは実際あの距離を落ちてる訳じゃないでしょうが!」
確かに人間界は遙か下にあるが、私達が行く時は飛び降りたすぐ先にあるゲートを通っているだけであの飛行機が飛ぶような高さから降りている訳ではない。
「でも無事だっただろうが」
「滅茶苦茶足痛かったんですけど」
「そもそも死神は本来人間よりも遙かに身体能力が高い。人間だった時の意識が抜けていないからあの程度落ちただけで痛いと思うしとろとろ走るんだ」
「……じゃあ先輩みたいにバイク並のスピードで走るのも死神だったら誰でも出来るんですか?」
「理論上はそうなる。さっさと出来るようになれ」
「うわあ……」
正直あんなありえない早さで走れるようにはなりたくない。そんなことを考えていると、またどこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。
「あったかい肉まんありますよー、いかがですかー」
食欲を刺激するジューシーな匂いの正体は肉まんだった。ほっかほかな湯気が立ち上りもちもちしているのが見て分かる肉まんは滅茶苦茶美味しそうで、私だけではなく周りの死神もちらちらと気にしているのが分かる。
あー、食べたい。今ものっすごい肉まん食べたい。
「……おい、それをひとつ貰う」
「ありがとうございます!」
と、おもむろに先輩が屋台に近付いて肉まんを注文した。えっ、と驚いていると、彼は買ってきたあったかそうな肉まんを持って私の元へと戻ってくる。
「え、先輩まさか」
私が欲しそうにしていたから買ってくれたのか。
しかしそう思った瞬間、先輩は無表情で肉まんをもぐもぐと食べ始めた。
「ああああ!」
「何だうるさい」
「さっき食べる必要ないって言ってた癖に!」
「食べないと言った記憶はないな」
「鬼! 悪魔!」
「死神だ」
給料入ったら絶対買ってやる!