File XX 幸せな夢を見ました(前)
「何なんですか一体!?」
「俺が知るか」
今にも転びそうになりながら、私達は必死になって走り続けていた。
足を止める訳にはいかない。止めたらきっと……殺される。
ちらりと背後に視線をやると、何人もの血塗れの少年少女が、各々凶器を手にして無邪気に笑いながら私達を追いかけて来ていた。
□ □ □ □ □
事の発端は、夏休みに入った直後に行われた陸上部の合宿である。
二泊三日で行われる合宿は山奥の廃校を利用した合宿所で行われた。運動場や体育館はそのまま使い、そして教室がある校舎は宿泊施設へと作り替えられている。
合宿所へ着くとすぐに練習は始まり、相変わらず速さがおかしい先輩の走りを見ながら私も負けじと背中を追いかける。しかしひたすら先輩を追い回していると、気が付いた時には「やっぱりあの二人おかしい」と周りから遠巻きに見られていた。なんで私まで同じ扱いに……。
そして夕方に一日目の練習が終わると、皆へとへとになりながら校舎の中へ入りマネージャーが作ってくれた夕ご飯を掻き込む。
「おい、おかわり」
「自分で取って来て下さい」
しかし何故先輩は私に茶碗を差し出すんだ、亭主関白気取りか。しかも周りがやたらと「せっかくだからやってやれよ、後輩で妻だろ」とか「ホントに仲いいよね、この人外夫婦」とか囃し立てて来るので本気でやめてほしい。発言が全部突っ込みどころしかない、誰が人外で夫婦だ。……私はともかく、先輩が嫌な思いをしたらどうする。
そして少し居心地の悪い夕飯が終わると、私の試練はむしろここから始まる。宿泊施設の隣にある使われていない校舎を使って、これから肝試しをしなければならないのだ。
今時肝試しなんて時代遅れですよねー? と事前に必死に訴えたのだが「うちの部の伝統だから」とあっさりと却下された。そんな伝統切実にいらない。
肝試しは男女一組ずつで、校舎に入って一番奥にある図工室に置いておいた人形を持ち帰る、というものだ。特別脅かす役はなく、ただ暗い廃校の中を歩いて来るだけである。いや、それだけでも十分怖いもんは怖いが。
要は肝試しという名目で、気になっている人と二人になって楽しむというイベントである。その証拠に男女の組合わせはくじなどではなく自分たちで決めることになっている。
マネージャーのさくら先輩曰く、このイベントで付き合い始める人も割といるらしい。彼女もこれで彼氏を作るぞと意気込んでおり、今日のラッキーカラーやらラッキーアイテムやらを手に三年の部長に話しかけに行っている。この人はやたらと占いとか風水が好きである。
「……で、やっぱりこうなるんですね」
「何か文句でもあるのか」
「いやそもそも肝試しに文句しかないですけど」
気が付いたら先輩にとっ捕まっていた私は、よりにもよって一番に校舎に入る羽目になっていた。いや、先輩と一緒なのは別にいい。お化けよりも人間の方が怖いと言うが先輩はそれの最たる人だ。だが先輩と一緒だろうとこういう場所は苦手だし、何よりなんで一番乗りなんだ。
「いいからさっさと来い。それとも置き去りにされたいのか」
「わーいせんぱいといっしょでうれしいなー」
中々歩き出さない私に痺れを切らした先輩が脅すようにそう言うので、私は棒読みで喜びを表すように両手を上げた。……うん、多分霊的な何かが出ても先輩がいれば逃げ出すような気がする。
そうして、もういっそさっさと終わらせようと殆ど走るくらいの勢いで肝試しをする校舎へ乗り込んだ。
「うわ、すごい汚い……」
昇降口から中へ入ると、その中は随分と埃っぽくぼろぼろになっていた。学校として使われていたのがどれくらい前かは分からないが、流石にこっちの校舎はもう改修工事をしようとする気すら起きなかったのだろう。そのうち取り壊されるのではないだろうか。
けほけほと軽く咳き込みながら、視界の悪い中を先輩の背中を追いながら進む。
……しかし、どれくらいか歩いた所で今まで迷いなく進んでいた先輩の足がぴたりと止まった。
「……」
「何か、妙に……遠いですよね」
「ああ」
一番奥の図工室までは廊下を真っ直ぐ進めば辿り着く。そう聞いたのに、廊下を進めども進めども一向に終わりが見えて来ない。外が暗いのと埃で廊下の奥が見えず、一体いつになったら辿り着くのかも分からない。
……だけど、普通の学校ってこんなに廊下は長いものだろうか。
「も、もしかして……私達なんか神隠し的なものに遭ってたり……?」
「……」
「先輩否定して下さいよ!」
「否定できたらしている。おい、服を引っ張るな――」
つい先輩のシャツの裾をぐいぐいと伸ばしていると、不意にどこからかくすくすと笑い声が聞こえて来た。
「……え」
囁くような大きさで、無邪気な子供のような声がいくつも耳に入ってくる。楽しげに楽しげに笑うその声は、この場で聞くととても不気味で堪らないものだった。
くすくす、ふふふ、はは。楽しそうな声はどんどん数を増やして、そして大きなものになっていく。
「――おにいちゃんおねえちゃんあそぼぅ?」
そして、すぐ背後から聞こえた声に振り返ると……そこに居たのは、頭から血を流してにんまりと笑う、これまた血塗れの彫刻刀を振り上げた男の子だった。
「ひ、ひゃああああ!?」
反射的に振り下ろされた彫刻刀を避けると、その瞬間視界にわらわらと子供の姿が増える。
小学生くらいの何人もの男の子と女の子。その誰もが体のどこかしらから血を流し――体の一部が欠けている子もいる――手に鋏やカッターなどを持ってにっこりと私と先輩を見上げていた。
「鬼ごっこがいいなあ」
「うんそうしよう」
「じゃあ私達が鬼ね」
「捕まったら罰ゲームだよ?」
「何がいいかなあ何にしようかなあ」
口々に言いながら襲いかかって来た子供達に、私は悲鳴を上げながら、そして先輩は無言で即座に足を動かし始めた。
「まてー」
「おにいちゃん達はやいねー」
「がんばらなきゃ」
「頑張らなくていいからあああ!!」
「うるさい黙れ」
「先輩はなんでそんなに落ち着いてるんですか!?」
「叫んでもどうにもならないと言っているだけだ」
鍛えた足で走り出せばすぐに子供達から距離との距離は開く。必死に先輩の伸びた裾を掴みながら走っていると、先輩は大きく舌打ちをしながらこちらを振り返った。
「もっと早く走れないのか」
「無茶言わないで下さい! 全速力ですよ! 先輩こそあのお化けの子達どうにかできないんですか!」
「一人二人どうにかした所で他のやつにやられるだけだ」
確かに、あれだけの人数を纏めてどうにかするなんて普通に考えて無理だ。さっきも咄嗟に彫刻刀を避けたが、それだって運がよかったに過ぎない。……逃げ切るしかないのか。
「やだもう怖い、だから肝試しなんて嫌だったのに!」
「余計なことを言っている暇があればもっと早く……待て、図工室だ」
「え?」
今にも泣きそうになっていた所で先輩の声に顔を上げる。すると滲んだ視界の向こう側に廊下の終わりが見えていた。扉の上に取り付けられた壊れたプレートには「図工室」と書かれている。
何が何だか分からないが、とにかくずっと続いていた廊下に変化があったことに一縷の望みを抱く。あそこに逃げ込めば助かるかもしれない。
少しだけ軽くなった足で一気に図工室へと飛び込む。そして勢いよく扉を閉めると、直後扉の向こう側からぐちゃ、と何かがぶつかった嫌な音が響き、磨りガラスの向こう側にべったりと赤いものが貼り付いた。
「うっ……」
もはや言葉も出ずに吐き気がこみ上げる。口を押さえて蹲っていると「おい!」と先輩の焦りが滲んだ声が鼓膜を叩いた。
「わあい、つかまえたー!」
「!」
顔を上げたその瞬間、目の前には腕がおかしな方向にねじ曲がった女の子がにっこりと笑っていた。
咄嗟に逃げようと立ち上がろうとするが、背中から体を押さえつけられて仰向けに床に倒れてしまう。そしてそんな私に手を伸ばした先輩も、両足を二人の子供に押さえられてあっという間に床に倒されてしまった。
「先輩っ!」
「くそ、離せ!」
子供達を振り払おうとしても、どんどんと数を増やす子供達が沢山の小さな手で体中を押さえつけてくる。隣に倒れたはずの先輩の姿も、すぐに周囲を囲む血塗れの子供達の姿で見えなくなってしまった。
「罰ゲームだよ?」
「何にしよう?」
「絵の具が欲しいなあ」
「うん、赤い絵の具が欲しい」
「だからおねえちゃんとおにいちゃん、ちょーだい?」
ざりざりと、床を何かが引き摺るような音が聞こえてくる。そして周りを囲む一人が何かを受け取ると、天井と子供達しか見えなかった私の視界に暗闇でもぎらりと光る物が映った。
それは赤黒く刃が錆び付いた、大きなノコギリだった。
「いっ、いや……」
「どこがいいかなあ」
「首とかは?」
「うん、ぎーこぎーこ引くんだよね」
「ぎーこぎーこ」
必死に首を振って逃れようとするが、あっという間に頭を小さな手達に掴まれる。その間にノコギリは私の首を切断するように真上に来て、その両側を男の子達が掴んでにっこりと笑った。
ちくり、と尖った刃先が喉に当たるのを感じた。ノコギリが動けば、あっという間に私の喉から血が噴き出てしまうだろう。
「やめ……お願い、やめて」
「だーめ」
恐怖で頭がおかしくなる。暴れても暴れても沢山の手がそれを許さず、涙で何も見えなくなる。
助けて、という声も出せない。誰も助けになんて来ない。先輩だってきっと私と同じように殺されそうになっている。もう、このまま殺されることしかできない。
こんなところで、こんな恐怖の中で死んでいくのか。喉をノコギリで滅茶苦茶に切られて、痛みと絶望の中で死んでしまうのか。せっかくあの時、先輩に助けてもらった命なのに。
「……や、だ」
――嫌だ。そんなの、冗談じゃ無い。私は……私はこんなところで死ぬ為に生まれた訳じゃない。
私は、生きる為に。今度こそ、あの人と生きる為に。
「せーのっ」
「――死んで、たまるかあああ!!」
絶対に――今度こそ、何がなんでも生き抜いてやる!
――その瞬間、今にも喉をかっ切ろうとしていたノコギリの刃が弾け飛んだ。そしてそれと同時に、体を押さえつけていた沢山の手という手が全て千切れた。
いや、少し違う。弾け飛んだのでも千切れたのでもない。私自ら刃を叩き折り、悪霊の手を引き千切ったのだから。
「……」
耳障りな程の悪霊達の悲鳴が響き渡る中、私は立ち上がると視界の悪い懐かしい黒衣に身を包んでいた。そして隣を見ると、同じく真っ黒なローブを纏った、これまた酷く懐かしい姿があった。
思考は酷くクリアだ。もう先ほどまで感じていた恐怖など、これっぽっちも存在していない。
立ち上がった先輩が一度手のひらを見つめた後、ぎろりと鋭い目で私を見下ろす。
「……鎌は無いが、やれるな」
「当然です」
ふっと笑みを見せた直後、私達は同時に動き出した。




