File 19 新しい日常を過ごしています
「……死神かー」
まさか自分がそんな非現実的な存在になるなんて、と何十回目のため息を吐いた俺は前の壇上で話をする上司を見上げた。
最初は平和で充実していた仕事。しかし数年経って部署異動をした時から新しい上司からの酷いパワハラを受けるようになり、終電が過ぎても仕事が終わらない日々が続いた。
……正直、いつ死んだのか記憶に残っていない。明日も明後日も終わらない仕事仕事仕事……そんな憂鬱の中で気が付いたら“此処”に来ていた。多分死因は過労死だ。
「死んでからも仕事とかどんな拷問だよ……」
普通天国とか行って遊んで暮らすとか、地獄に行って罰を受けるとか……いや地獄よりかは遙かにいいんだが。
だったら普通に死神の仕事なんて怪しげなもの断ればよかったのだが、生まれ変わる時に何でも願いを叶えてくれると聞いて大分心が揺れてしまった。もう人間は嫌だ、俺は生まれ変わったら血統書付きの猫にでもなってのんびりひなたぼっこでもするんだ!
「それじゃあ、これから君達のパートナーとなる先輩死神を紹介する」
此処に来て最初に出会った人物――課長がそう声を掛け、一緒に研修を受けた面々が次々とパートナーと引き合わされていく。……が、俺は一向に呼ばれない。最後の一人になったところで課長がこちらへ近寄って来て、困ったような表情を浮かべて「ユキ君」と新たな俺の名前を呼んだ。
「ごめん、ちょっと一緒に来てもらってもいいかな」
「……はい?」
「実は君のパートナーになる死神が来てないみたいでね」
生前から上司や先輩に振り回されて来たがまたか。まあ慣れていると言えばそうだが、今後一緒にやっていくというのにあのパワハラ上司のようなやつだったら本気で逃げる。今度こそ逃げる。
課長と一緒に外を歩きながら、俺はその一番の不安を払拭したくて口を開いた。
「課長……俺のパートナーって一体どんな人ですか」
「んー? そうだな、簡単に言えば今いる死神の中で最も優秀な死神だ」
「え」
「魂の捕獲率は勿論、身体能力、悪霊との交戦経験、どれをとってもすごいよ」
課長の言葉を聞いて、脳内に筋骨隆々で上半身裸のおっさんが出てきた。何か悪霊をパンチ一発で倒しそうなそんなイメージである。
「あとそうだね、何より速い。僕も正確には知らないけど、最高時速で百キロぐらい出るんじゃないかな」
「それ本当に俺と同じ人類ですか」
脳内のおっさんが突然バイクに跨がって走り出した。
「まあ人類とは言っても今は死神だからねえ……あ、やっぱりここか。おーい!」
話をしていると、いつの間にか開けた場所に来ていた。そこは人間界を見渡せる広い高台で、課長が声を上げた先を見るとそこには遠目に真っ黒なものが見えた。あまり目はよくないので詳細は分からない。
「まるで昔のあいつだな」と隣の課長が小さく呟いたのが聞こえてくる。
「シュリちゃん、起きろ」
「……え?」
近寄ってみると、その黒い塊は予想していたものよりも随分と小さかった。死神と聞いてイメージするような真っ黒なローブを身に纏ったその人は深くフードを被って草の上に寝ており、課長の声に反応して寝ぼけた声を出しながら起き上がった。ローブが大きいからか起きてもまだ顔がよく見えない。
「……課長?」
「シュリちゃん、今何時だか分かっているかな」
「え、何時って……あ」
シュリと呼ばれた目の前の黒い人物はきょろきょろと辺りを見回し「あ、明るいですね……あはは」と引きつった声を出した。
「課長すみません寝坊しました!」
「時間になっても来ないから何があったかと思えば……」
「いや、夜明けちょっと前まで仕事してたんでこのまま起きてようと思って家に戻らなかったんですけど……ね、気が付いたら」
「ね、じゃない!」
夜明け前まで仕事というフレーズでちょっと生前のトラウマが呼び起こされそうになった。
「新人パートナーの初日に来ないとか、そういう所まであいつに似なくていいんだよ……」
「あの人の場合わざとじゃないですかー……それで、彼が私の新しいパートナーですか?」
「そうだ。ユキ君、紹介が遅れてすまない。この子が君のパートナーになるシュリちゃんだ」
「遅刻してごめんなさい、シュリです」
顔を隠していたフードが取られると、現れたのは二十代前半くらいの普通の女の子だった。……普通だ、どこから見ても普通の女の子にしか見えない。おっさんどこ行った。
「ホントにこの子が時速百キロですか!?」
「ちょっと課長、初対面の人に一体何を吹き込んでるんですか!」
「いやなに、シュリちゃんが死神の中で一番優秀だってね。ユキ君、この子こんな若い子に見えるけど死神歴は三十年以上だし、職歴以上に指折りの実力者だから頼りになるよ」
「三十年……」
見た目は俺よりも年下に見えるが、つまり実年齢は。
「……何か失礼なこと考えてませんか」
「ま、まさか!」
シュリちゃん……シュリさん? シュリ先輩でいいだろうか。とにかく彼女が何かを察知したようにこちらを見てきて一瞬びくっとしてしまった。そしてそんな俺を見て課長が楽しげに「やっぱりあいつに似てきたなあ」と頷いている。あいつって誰だ。
「まあとにかく、今日から二人で頑張ってね。それじゃあ僕はもう行くから」
「はい。ユキさんでしたよね、これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします、シュリ先輩」
「……先輩」
噛み締めるように俺の言葉を繰り返した彼女は、ふっと笑みを浮かべて「じゃあ任務も入っているし行きますか!」と俺の腕を掴んでそのまま人間界へ飛び降りた。
「ちょ、ま、まだ心の準備が……!」
「そんなの後からでいいですから」
いや良くないから! と言っているうちにものすごい力で引き摺りこまれて人間界へと降りる。……落下していた時間はほぼ無かったが滅茶苦茶怖かった。
「ユキさんほら、追いかけますよ!」
「はい……ってええええ!? 先輩ホントに自力で走ってますか!? 絶対エンジン付いてますよね!?」
「失礼な、自前ですよ。課長が私のパートナーにしたんだし、ユキさんもそのうちこのくらい走れるようになりますから大丈夫です」
「それは大丈夫なんですか!?」
この人絶対人間じゃなかっただろう! と叫ぶと、何故か彼女は怒るどころか少し嬉しそうに目を細めた。
□ □ □ □ □
「……暇だなあ」
久しぶりの休日。私は悲しいことにやることがなくていつもの高台から人間界をぼうっと眺めていた。
先輩が居なくなってからしばらく経って、私にも後輩ができた。最初は私に彼の先輩が務まるだろうかと不安だったが、一緒にやっていくうちに段々と打ち解けて来たと思う。まだまだ上手く行かないことも多いが何とかやれている。
「先輩、ホントにこの場所好きですよね」
「……あ、ユキ君」
膝を抱えて座り込んでいると頭の上が影ができた。少しフードをずらして顔を上げると、そこには私の新たなパートナーが私を見下ろしていた。最初はユキさんと呼んでいたのだが、先輩だし実年齢は年上だということで本人からの希望で今はユキ君と呼んでいる。
少し地味目だが穏やかな顔の彼は「隣失礼します」と言って私の隣に腰掛けた。礼儀正しい人である。
「シュリ先輩、いっつもここに居ますけど何かあるんですか?」
「うーん、何かあるっていうか……癖かなあ」
「癖?」
首を傾げるユキ君に曖昧に頷く。先輩がいつもここにいたから、私もいつの間にかここにいるのが当たり前になってしまっていた。
「そういえば先輩、俺さっき商店街でシュリ先輩の噂聞いたんですけど」
「私の噂? 何だろう……」
シン先輩でもあるまいし、そこまで噂されるようなことなんてあっただろうかと記憶を掘り返してみる。……うん、まあ死神歴も長いので色々と心当たりがないとは言えない。
「なんでも公衆の面前で大声で告白したとか」
「ぶっ」
それか。
思わず噴き出した。今何か飲み物を口に含んでいたら漫画のように綺麗に虹が出来ていた自信がある。
「……先輩顔真っ赤ですね」
「う、うるさい!」
「そんな反応するってことは噂は本当なんですね」
「……うるさい」
顔を見られないようにフードを被り直す。……まあ、相手も有名人だしあの時の話は噂になっていても仕方が無い。本当に今更だが恥ずかしさがこみ上げてきた。
「で、どうなったんですか」
「……別に、どうもなってないよ」
「え? 付き合うとか断られたとかないんですか?」
「ユキ君……そういう話好きなの?」
「というか、その先輩が告白した相手が気になります。あれですよね、多分課長とか先輩がよく話題にしてる“あの人”とか“あいつ”とかっていう人じゃないんですか」
「……鋭いね」
「先輩がことあるごとに言ってるので」
そんなに言ってただろうか。思い返しても自覚はなかった。
「……あの人は、私の前のパートナー……先輩でね、あの日は先輩が死神の任期を終える日だったの」
「え」
「その人はシン先輩って言って、私なんかより遙かにすごい人だったんだ」
「……シン先輩。確か前に他の人が話してるのを聞いたことがあるような」
「あの人は良くも悪くも有名な人だったからね」
良い噂も悪い噂もいくらでもあった。そしてその噂は、どれもこれも大体真実である。
「シン先輩はね、すっごい無茶苦茶な人なんだよ」
「ん?」
「すぐ怒るしすぐ叩くし、目付き悪いし理不尽だしいつまで経っても炊飯器使いこなせないし」
「あの、悪口しか言ってないですけど告白したんじゃ」
「けどね」
私はフードの端を引っ張って、緩む口元を隠しながら言った。
「そんなところも全部ひっくるめて、大好きだった……ううん、大好きなんだ」
□ □ □ □ □
「この間死神になったばっかりな気がするんだけどなあ」
「私もそんな感じです」
本部の最上階。普段は厳重に管理されていて決して入ることは許されないその場所に、今私と課長は居る。
先輩と別れてから、そしてユキ君がパートナーになってからまた三十年ほどが経ち……私はとうとう本来の寿命を迎え、死神としての任期を終えた。
ユキ君は十分力を付けてくれたし、協調性もあるので新人が来ても上手くやって行けるだろう。サナとクマさんは数年前に任期を終えて一足先に死神を卒業している。妹は九十近いというのに孫とひ孫に囲まれて元気そうである。
……思い残すことは、ないだろう。
「さてシュリちゃん、今まで長い間死神の仕事を頑張ってくれてありがとう。特に君は本当に多くの魂を回収してくれたし、悪霊になった魂から多く人を助けた。とても優秀な死神だったよ」
「褒めても何もでませんよ?」
「もう十分貢献してもらったからね。ユキ君が来てからはシュリちゃんも先輩としての落ち着きも出てきたし……シンと大暴れしてた頃が懐かしくもあるけど」
「そ、その節は色々とすみませんでした……」
「まあ良い思い出だよね、うん」
とてもいい笑顔の課長に思わず目が泳ぐ。先輩がやらかしたのに巻き込まれたものも多いが……その、すみませんでした。
「今まで色んな死神を見ていたけど、その中でも本当に君達は見ていて飽きない子達だったよ」
「……課長、最後だから聞きますけど」
「何かな?」
「課長って結局何者なんですか」
随分と長く生きてきたという口振り、死神課長という他の死神とは違う立ち位置、そしてあのシン先輩と同格の実力。普通に考えて私達と同じ存在だとはとても思えない。
最後の最後だからと思って尋ねてみると、課長は軽く目を瞬かせた後に「いやだなあ僕はただの死神だよ、正真正銘のね」と含むように笑みを浮かべて言った。
絶対言葉通りじゃないと思う……最後までよく分からない人だ。
「それじゃあ本題だ。シュリちゃん、君はこれから新たに転生する訳だが……願いはもう決めてあるかな」
「はい、勿論です」
最初は何も考えずに乗せられる形で死神になった。そして死神になってからも長い間願いは決まらなかった。
だが今は違う。私が願うことはもうこれしかないと決まっている。
「私の願いは――」
その言葉を最後まで言い終えた時、目の前でそれを聞いていた課長は満足げに目を細めた。




