File 0 死神に就職しました(後)
「ところで……一体何だその格好は」
「え? 何って死んだ時のやつですけど」
シン先輩が不機嫌そうに私を睨み付けてくる。この人怒っているのがデフォルトなんだろうか。
しかし私も別におかしな格好をしている訳ではない。着ているのは死んだ時のリクルートスーツなのだ。むしろ一般的な感性で言えば先輩の真っ黒スタイルの方が余程変な格好である。
「……」
「な、何も言ってませんよ!?」
だがそんなことを考えていたら睨み付ける視線が強くなった。この人心読んでないよね?
「そんな格好で死神の仕事が出来ると思っているのか貴様。……まあ、今日は時間もないからそれでいい。仕事が入ったから通信機を見ろ」
「あ、はい」
早速仕事が入ったらしい。支給されている端末……簡単に言えばほぼスマホのようなものを取り出してみると、確かに新着の仕事が一件表示されていた。内容はというと、御年88歳になるお爺さんの魂を迎えに行けとのことだ。
「死神の仕事について、やることは分かっているな」
「ええと、死期を迎えた人間の魂を回収して、協会に持ち帰ることです」
「他にも色々とあるが今日の仕事はその認識でいい。これから人間界に降りる。“鎌”を出せ」
「はい!」
何度も研修中に練習した通りに自分の手元に意識を集中させる。すると何もなかったはずの手にいつの間にか“鎌”が握られていた。最初にこれが出来た時は魔法みたいで酷く感動したのを覚えている。
「……いっつも思いますけど、鎌っていうか鎌じゃないですよね」
とはいえ手元に現れたそれは鎌という形状ではない。一番近いのは虫取り網とラクロスのラケットの中間、という表現だと思う。棒状のものの上部に網のようなものが付けられており、しかしただの虫取り網よりも遙かに頑丈な作りになっている。
どうしてこれを“鎌”と称するのか一度研修時に尋ねたことがある。以前は実際に普通の人間が想像する死神の鎌だったというが、しかし人や魂を傷付けることがないようにという配慮とより魂を捕まえやすい形状にするべくこうなったらしい。だが今までずっと“鎌”と呼ばれていたため、現在も名前は“鎌”のままになっているという。今のこれに上手いこと名前が付かないという理由もあるみたいだが、やっぱりややこしい。
私に続いて先輩も鎌を取り出す。一瞬で現れたそれは私のものよりも遙かに年期が入っていて、しかしよく手入れをされているらしく壊れそうな印象はない。むしろ歴戦の戦士のような風格を纏っている。……自分で言っておきながら何を言っているのか分からない。
「着いてこい」
「……はい!」
眼下に広がる人間界へ目掛けて飛び降りる先輩に続いて、私も緊張しながらも目を瞑って空中に身を投げ出した。研修中に何度もこの練習のためにひたすらバンジージャンプをさせられたおかげで然程怖くない。練習中のことはもう二度と思い出したくはないが。
ふわりと浮遊感がしたと思えば、数秒経たないうちに足が固い地面に衝撃もなく着地した。そして目を開けてみれば、そこは三ヶ月ぶりの見慣れた地上の姿だった。
「帰って来た……」
「さっさと行くぞ」
久しぶりの人間界に感動していたというのに冷めた声が邪魔をする。不満に思って先輩を見上げるが彼は既にすたすたと歩き出しており、慌ててその後を追いかけた。
小走りに真っ黒な背中を追いながらも視線はあちこちへ飛ぶ。ごく普通の町並み、行き交う人々、どれも以前と変わらな……く、なかった。
「魂が見える……」
「死神なんだから当たり前だろう」
目をこすってみるまでもなく生前とは少し違う世界が広がっていた。信号待ちをするサラリーマン、ベビーカーを押すお母さん、チラシを配る若い男性。その全ての人々の胸には丸く光るものがあった。その輝きはそれぞれの人で異なり、目の前を横切ったお爺さんは随分光が弱まっている。これが人には見えない魂なのである。
そして更に言えば、その魂には60.35などと数字が書かれている。これはあと寿命が60年と35日という表記である。
「本当に寿命とかって見えるんですね」
「見えなければ仕事がしにくい。回収する魂の把握が難しくなる」
「確かにそうですよね」
話し掛けてみると意外にも普通に言葉を返してくれた。もしかしてそこまで怖い人じゃないのかも、と考えながら目を慣らすために歩きながら人々の流れを目で追いかける。
「は?」
しかしすれ違った高校生くらいの少年の魂を見た瞬間、私は一瞬思考が停止した。
「せ、せ、先輩! あの子寿命おかしいですよ! 300年ってあり得ないでしょ!? 長生きってレベルじゃないんですけどっ!」
「騒がしいな……」
「いやだってあの子!」
思わず黒いコートを思い切り引っ張ると、シン先輩は煩わしそうな顔で振り返り渋々私が指差す方に顔を向けた。
「……あれは鬼だな」
「は?」
「吸血鬼の血が流れている、だから普通の人間よりも寿命が長い。それだけだ」
「それだけって!? え、そんな普通に吸血鬼とかいるんですか!?」
「そこら辺にいる」
「そこら辺!?」
あまりにもさらりと告げられてきょろきょろと辺りを見回す。……改めてよく観察してみると今見た高校生を越えるありえない数値を持つ金髪の美形カップルや、濁って歪んでいる変な魂を持つ人もいる。思わず遠い目になって空を仰ぐと、上空に白い翼の生えた小さな男の子が飛んでいた。
この世界って……。
「……ちなみに先輩も何か人外だったり?」
「違うが」
「じゃあやっぱり新人類……ってだから叩かないで下さいって!」
□ □ □ □ □
回収予定の魂を追って端末に表示されていた病院へ向かうと、とある病室で沢山の家族に囲まれてベッドに横たわるお爺さんが居た。
「回収予定の魂で間違いない、ですね」
「ああ。最初の仕事だ、お前がやってみろ」
お爺さんの魂は光っていることも分からないくらいで、見える数字は0。もういつ息を引き取ってもおかしくなかった。
「おじいちゃん死なないで!」
「すまんなあ……人はいつか死ぬもんだ。わしはそれがもうすぐというだけだよ、分かってくれ」
泣いてお爺さんに縋る孫らしき女の子の頭を枯れ木のような手が震えながら撫でる。
もうすぐお爺さんは死ぬ。そして私はそれを今か今かと待っている。そういう仕事だとはいえ人の死を望んでいるような今の状態がどうにも気分が悪かった。
「……おや」
罪悪感で俯こうとした瞬間、少し驚いたようなお爺さんの声が聞こえた。
「え」
反射的に顔を上げると、何故かお爺さんとばっちりと目が合ってしまった。もしや見えているのかと固まった私に、少し離れた場所に居た先輩が「死ぬ寸前になると死神が見えるようになる人間もいる。そんなことも習わなかったのか」と呆れた顔をした。
……そういえばそんなこと聞いたような、聞かなかったような。
「ああ、可愛いおなごの死神様が迎えに来たらしい」
「お父さんまたそんなこと言って!」
「お迎えが来たんなら安心して婆さんの元へ行けるなあ……よかったよかった」
「おじいちゃん……」
お爺さんが私を見て力が抜けたように弱々しい笑みを浮かべる。そしてそのまま全身の力が無くなったように女の子の頭を撫でていた手がするりと下へ落ち、まるで眠るように自然と目を閉じた。
「おじいちゃん!」
女の子の涙混じりの叫びと共に、お爺さんの胸からふわりと光を失った魂が浮き上がって来る。
「今だ、回収しろ」
「……はい!」
先輩の冷静な声にはっと我に返る。そして私はゆっくりと漂う魂を鎌の先でしっかりと捕まえてみせた。網を通った魂はその場から消え、そして協会へと自動的に送られる。
これで、仕事は終了だ。
「終わった……」
少しだけほっとしたのもつかの間、その瞬間お爺さんに繋がれていた機械がピー、と無情な音を立て始め、いくつものすすり泣く声が病室内を支配した。
……私も釣られて少し泣いてしまう。
「仕事は終了した。帰るぞ」
「……先輩」
「さっさとその情けない顔をどうにかしろ。仕事するたびに一々泣いていたらキリがないぞ」
私を見下ろす先輩の表情は冷たい。そんな言い方しなくてもいいのに、と少し反抗心が湧きそうになる。人の死を悲しんで何が悪いのだ。
先に病室を出て行った先輩をとぼとぼと追いかけながらぶつぶつ文句を並べていると、不意に背中を向けていた先輩が怖い顔で後ろを――私を振り返った。
「死神の仕事はなんだ」
「……死期を迎えた魂を回収して、協会に運ぶこと」
「そうだ。そうして運ばれた魂は無事に転生を果たす。そうでない魂は地上を彷徨い、成仏も転生もできずにそのまま。だから死神の仕事はなくてはならないものだ」
「……分かってます」
だから今行った仕事だって何も間違っていない。お爺さんだって安らかな顔をしていた。
しかしそれを改めて言葉にされてると、悲しんでいた心が少しずつ和らいでいくような気がした。
腕でごしごしと涙を拭って前を向くと、先輩は不機嫌な顔をしていたものの、まだ近くで立ち止まって待っていてくれていた。
「……先輩、もしかして今の慰めてくれて――」
ドガシャーン! と何ががぶつかるような凄まじい音がしたのはその時だった。
「は?」
「事故だ! バイクと車が正面衝突した」
「早く担架を回せ!」
急に病院が騒がしくなる。その瞬間消えるような早さで窓から外に出て行った先輩を私も慌てて後を追いかけた。
そして何とか外に出て先輩の背中を見つけたその瞬間、私の目の前を耳をつんざくようなバイクのエンジン音と元気の良い笑い声がものすごい勢いで通り過ぎた。
「え」
「あいつを追え、今事故で死んだ幽霊だ」
「ええ!?」
「事故で死んだ魂は協会で把握できない。だから見つけ次第捕らえろ」
バイクに乗っていたのは一瞬だけ見えたが若い青年のようだった。あんなに元気に笑っていた人がもう死んでいたなんて信じられない。
咄嗟にバイクの男を目で追いかけると、彼は道路に飛び出して沢山の車をすり抜けてエンジンを唸らせてどんどん遠くへ行ってしまっていた。
「ぼさっとするな! 早く追え!」
「そんな無茶な!」
バイクにどうやって追いつけって言うんだ! しかしそう抗議しようとした瞬間、舌打ちを聞くと共にぐいっといきなり強い力で腕を掴まれた。
直後、私の体は宙に浮いていた。
「うわああっ!?」
バイクに負けず劣らず、本当にそのくらいのスピードで走り出した先輩に引っ張られた結果、私の体は地面にほぼ水平になって鯉のぼりのように空中を泳いでいた。
そのまま先輩はあっという間にバイクとの距離を詰めていくが、バイクごと霊体になっている幽霊は他の車両をものともせずまったくスピードを落とさない。
「すげー! 俺今風になってるぜー!」
「あんた風じゃなくて幽霊になってるから!!」
むしろ風になっているのは私の方である。自分が死んだことに気付いていないらしい彼に風圧に負けじと声を上げていると、苛立った様子の先輩がちらりと私を振り返った。
「重い。とっととこれくらい走れるようになれ」
「無茶言いすぎだこの人!! やっぱり人間じゃないでしょ!」
……死神の仕事は、思った以上に大変なものらしい。