File 15 裏方は任せてください
「シン、少しは落ち着いて……は?」
重たく厚い扉を開いたその先は、ほんの少し前に見た時とは打って変わってとんでもない惨状だった。
あの真っ黒な男を閉じ込めておいたはずの鉄格子はばらばらに砕けて大きな穴が空き、そして当の本人はというと何処にもいない。
どういうことだと一瞬思考が止まった。あいつは何処に……いや、どうやって此処を抜け出したんだ。
頭痛を覚えて米神を押さえながら破壊された鉄格子に近付く。見事なまでに大穴が空いている。こうならないように鎌を取り上げたというのに、まさかあの男、素手でぶち壊したとでも言うのだろうか。
「……いや、流石にないか」
そもそも強力な鎮静剤が入った薬も打っていたのだ。いくらシンでも流石に無理がある……無理がある、よな?
元人間としてはちょっとおかしいぐらい強いので絶対とは言えないが、少なくともこんなに派手に壊すのは難しいだろう。
「だったら尚更どうやって……ん?」
鉄格子の破片が外側ではなく内側に飛んでいる。つまり、これは外側から破壊されたのか。……だとすれば、これを壊したのはシンじゃないということになる。
だがこの鉄格子はシンのような規格外のやつじゃなければそもそも鎌でも壊すことはできない。
「……規格外」
あ、と声が漏れる。自分の零した言葉で全てを理解した。
一人だけいるじゃないか。何人もの死神に逃げられるほどのシンのスパルタに真っ向から立ち向かい、着実に力を付けている死神が。先ほどまで上司である自分に食ってかかって来た、やつのパートナーが。
「シュリちゃんならやりかねない……!」
普段から凶悪な訓練を受けているあの子ならこの鉄格子でも破壊できてしまうかもしれない。慌てて外に出て見張りの二人に尋ねてみれば案の定彼女を此処へ通したと言うじゃないか。しかもシンを宥める為に僕に指示されて来たとさらりと嘘まで吐いて。余計に頭痛が酷くなった。
まさかこの男達も、あのごく普通な見た目の女の子が自分達にも壊せない鉄格子をぶっ壊すようなクレイジーな真似をするとは微塵も思いはしなかったのだろう。
……まあ、何というか。
「そういう所まであいつに似なくていいんだよ!」
シンを探し始めるよりも、まずそれを叫びたくてたまらなかった。
□ □ □ □ □
「っくし!」
くしゃみが出た。実体化しているから埃でも吸い込んだんだろうか。
今私が居るのは爆弾が仕掛けられたショッピングモールの警備室だ。そこで多くのモニターを注意深く睨み付けながら今回の事件を起こした犯人を探しているところである。
先輩の逃走は実に上手く行った。私が何食わぬ顔で外にいる見張り二人の気を引いている間に先輩は素早く天井を伝って見張りの頭上を通り抜けた。……真っ黒な服といいまるで某Gを連想してしまい、うっかり口にして引っ叩かれたのは言うまでも無い。
そしてすぐに人間界へ降り件のショッピングモールへとやって来た訳だが、もう予告された爆破時刻までかなり余裕がなかった。ひとまずショッピングモール全体を把握する為に監視カメラの映像が集まる警備室へと向かうと、何とそこには犯人らしき若い男がモニターの前に陣取って携帯片手に寛いでいたのだ。大事件を起こしている癖に緊張感がまるでない。
「……」
「うぎゃあ!?」
無言で背後に忍び寄って実体化した先輩の手刀が犯人を直撃して崩れ落ちる。
「これで事件解決……なんてことはありませんよね」
「当たり前だ、まだ爆弾が残っている」
「ですよね」
気絶した男が持っていた携帯を拾い上げるとメッセージアプリが起動していた。何か情報はないかと画面をスクロールすれば、今回の犯行計画が出るわ出るわ……それによって大体の状況は理解できた。
今回の事件の犯人はこの男を含めて全部で五人。この男の役目は最初に警備室を乗っ取って人質である他の客が外に出たり不審な動きをしないように監視すること。そして他の四人はというと……爆破予告で周囲が混乱している間に、どさくさに紛れて売り上げや高価な商品を盗み出そうとしているらしい。
そもそもこの犯人達は件の宗教にちっとも傾倒しておらず、たまたま信者だった知人から五十年前の事件の話を聞いて模倣しようとしたらしい。同じような事件を起こせば警察から本来の目的を隠すことができると思ったのだろう。
爆破予告がいたずらだと思われないようにまずはあまり人気のない場所に置いた小規模な爆弾を爆破させ、そしてあらかじめフロアごとに人質を広い場所に集めておくように犯行声明で指示を出しておく。そうして人気の無くなった所を狙って金品を奪い、証拠隠滅の為にレジや宝石店付近を最後に爆発させる。そして爆発してパニックに陥るであろう客に紛れて外に出る。爆破時刻は夜遅くなので一度警察の包囲網から抜け出してしまえば見つかる確率はぐっと少なくなる。
『どーせ警察は信者が犯人だと思うから俺達が疑われることはないだろうしなー』
『すっげーアタマいい!』
『カンペキじゃん! 絶対失敗しないし!』
爆弾事件の計画を練っているとは到底思えないほどの緩いトーク画面のやり取りに呆れて物も言えない。
そして計画の全貌を知った私達が何をしたかというと――勿論、警察への通報である。
課長の言うことだって確かに重要だ。死神の存在が公になると沢山の人に迷惑を掛けるだろう。……つまり、要は死神だとばれなければいいのだ。
私は従業員を装って警備室の電話から警察に掛けると、『警備室に不審者が倒れていた。きっと犯人が仲間割れを起こしたのだろう』と白々しく告げて、犯人の携帯に残されていた計画や爆弾の設置場所を全てぶちまけた。ついでにトークアプリから分かった犯人達の名前から、あらかじめログインされていたSNSを辿って顔写真を入手し、犯人の携帯から画像を送りつける。
「何をしているのか分からんが便利だな」
「便利すぎて怖いですけどね」
先輩の頃とは違いあっさりと個人情報が世界に流出する時代である。だがそのおかげで犯人の顔は分かり、こうして死神とばれずに警察に情報提供できる。
しかし警察も匿名の情報をすぐさま鵜呑みにする訳ではないだろう。その間次に行ったのは、根本的な解決……犯人達の制圧である。
「先輩、三階の東側にある時計店、レジを漁っている人……犯人と同じ顔です!」
「了解した」
私が警備室のモニターで犯人を探して、通信機を通してそれを先輩に伝える。そして先輩がその場へ行って犯人を押さえる。
私が報告して一分も経たないうちにモニターに実体化した先輩がいきなり現れて背後からあっという間に犯人をぶっ飛ばす。手加減はしていると思うが一瞬にして意識を失ったようだ。
……これ映像が残ってたらまずいな。映像を削除するか……それができなければ申し訳ないがちょっと壊しておくしかない。
「完了した」
「確認してます。さっき一人やったんでこれであと二人ですね。……それにしても、やっぱりあのローブがないと一瞬先輩か分からないですね」
「……」
今の先輩はいつもの姿とは違う。彼の象徴とも言える真っ黒ローブを脱いで白いワイシャツとスラックス姿だ。あの不審者ルックだと流石に人間界で怪しまれるのと、逃げ出したと気付くであろう課長の目から少しでも長い間先輩を隠す為である。
本部を出てすぐにこの格好になったのだが面白いくらい他の死神に気付かれなかった。皆の先輩に対する認識がどこに向いているのかよく分かる。
普通の格好をすればやっぱりかっこいい人だと場違いな感想を抱きながら、私は壁に掛けられている時計に目をやった。爆破予告の時間までもうすぐだ。
「あと二人……やっぱり私達が来る前にもうお金を盗み出していたんでしょうかね」
「顔は覚えた。後はとにかく探すしかない」
近くの爆弾に巻き込まれないようにずるずると犯人を引き摺って遠くへ放った先輩は再び実体化を解いてモニターから姿を消す。バッチの持続時間があまり長くないので節約しなければならない。
「……う、」
「えっ!?」
私も犯人を探さなければとモニターを凝視していると、不意に部屋の隅で気絶していた男が小さな声を上げた。まずい、起きてしまったようだ。
逃げられると困るので、私は慌ててバッチを身につけて起き上がろうとした男に近付いた。
「な、なんだお前は!?」
「いいから大人しく――」
しろ、と言おうとした刹那、背後から強烈な熱と爆音が私に襲いかかった。
「な」
何が起こったのか分からなかった。
分からなかったのに、体は無意識のうちに動いていた。
一瞬のうちに目の前の男を抱えて扉へ向かう。しかし同時に背後からの爆風に吹き飛ばされ、男と一緒に扉を突き破らん勢いで警備室の外に転がり出た。
「っい……」
痛い。背中が熱い。
言葉にならないほどの痛みに呻きながら何とか顔を上げると、部屋の外に出た瞬間に投げ飛ばした男が離れた場所で同じように痛みに呻いていた。必死にぼろぼろの体を引き摺って傍に近付いてみると、大きな怪我はないようで思わず力が抜ける。
大丈夫かと彼に伸ばした手は空を切る。そこで私は今の爆発でバッチが外れていたことに気付いた。途中で実体化が解けたからこそ、爆発に巻き込まれてもこの程度の怪我で済んだのだろう。直撃していたらばらばらになってもおかしくはなかった。
「――おい、シュリ! 何があった!」
少し離れた場所に落ちていた通信機から先輩の声が聞こえる。死神界の物だからか然程影響を受けなかったらしいがそれを拾おうと再び体を引き摺るようにして動く。痛い、苦しい。
「返事をしろ!」
「……先輩」
「何があった!」
「……」
声を出すのが苦しくて堪らない。背中が痛い、熱い。
「すぐにそっちに――」
「……何でも、ありません! 異常なしです! 引き続き犯人を探して下さい!」
「お前」
「もうすぐ爆破時刻です、いくら人質が爆弾から離れた場所に固まっていたって、同時にいくつも爆弾が爆発すればこの建物自体がただじゃ済みません!」
「……」
「八重さんを……あの人を、助けて下さい!」
苦しい、痛い。……だけど、私の所為でシン先輩を止める訳にはいかない。先輩は今度こそ彼女を守るのだ。彼女も、それに犯人も、死なせる訳にはいかない。もう二度と先輩に人を殺させるものか。
言うだけ言って通信を切る。途端に、声を張り上げた所為か余計に痛みが増して来た。
……だけど、あの時ほどの痛みじゃない。死ぬような痛みじゃない。
私はぼろぼろの体を無理矢理動かすと、通信機の傍に転がっていたバッチを拾い上げて何とか立ち上がった。やることはまだ残っている。
「……こんなところで、転がってる、場合じゃ、ない!」




