File 13 事件です
「ああー!! また逃げられた!」
犬の浮遊霊をもう少しで捕まえられる所だったというのに、あと数歩まで近付いた所で逃げられた。
サク先輩のアドバイスに従ってじっと待ち構えていたのだが、最後の最後で痺れを切らして手を伸ばしてしまったのが駄目だったらしい。
「だから言っただろう。潔く追いかけ回した方が早いと」
捕まえるから少し見ていて下さい、と待たせていた先輩が呆れ顔でそう言う。サク先輩に教わったことを実践してみたかったのだが……やはり私には先輩と同じ脳筋式の方が向いているのか。
「さっさと捕まえて来い」
「はーい」
そう返事をして三分後、再び犬の姿を見つけた瞬間にダッシュで距離を詰めてあっさり捕まえた。うん、やっぱりこっちだな。
いつもと同じ浮遊霊の捜索。そうして先輩と人間界を歩いていると、いつもとは違うものがちらりと目に入った。
「……そういえば、もうすぐバレンタインデーなんですね」
たまたま傍を通った洋菓子店のガラスにバレンタインフェアの告知ポスターが貼られていて、それを見た私はようやくバレンタインが近いことを知った。……思い出したではなく、知った。
毎日毎日死神の仕事をしていると日付の感覚が全く無くなる。祝日もなく休みも不定休、勿論テレビもない為日付を正確把握している死神など殆どいないんじゃないだろうか。なんとなく春になった夏になった、と人間界に降りて思うくらいだ。実際バレンタインデーにチョコを送るなど死神になってから一度もやったことがない。
……ちなみに後で聞いたところ、サナは毎年コウジ先輩にチョコを贈っていたらしく女子力の差を思い知らされたのは余談である。
「あ、先輩バレンタインって知ってます?」
「馬鹿にしているのか貴様、名前くらいは知っている」
「つまり内容は知らないと。まあざっくり言うと女の子が好きな人やお世話になっている人にチョコレートを渡す日です。あ、チョコレートは分か」
「甘い菓子」
「……それは知っているんですね」
食い気味に答えた先輩がガラス越しに店の中に陳列されているチョコレートを指差す。見ているだけで楽しくなるような色んな種類のチョコレートが並んでいて、人間界の物は買えないと分かっていても欲しくなる。
立ち止まって見ていると「さっさと行くぞ」と先輩が先に歩き出す。それに慌てて小走りで追いつくと、私は一瞬迷った後に先輩の袖を引いた。
「先輩って、甘い物好きですか?」
「……」
ご飯ものを食べているのは見るが、甘い物を食べているのは見たことがない。嫌いなのだろうかと尋ねてみたのだが、先輩は何故か難しい顔をしてじっと黙っているだけだった。
「聞いてます?」
「聞いている。……生前は嫌いではなかった……はずだ」
「はず」
自分のことなのにかなり曖昧である。最近口にしていないからか記憶の彼方だったらしい。まあ百年前なら仕方が無い。……おにぎりの好みは即答していた辺り先輩の嗜好が分かりやすい。
「……そうですか」
「聞いておいてなんだその反応は」
「いえ、こっちの話なので……あ、浮遊霊いましたよ!」
少し機嫌が悪くなった先輩から話題を逸らすように前方に漂っていた幽霊を指差す。仲睦まじい恋人達の後ろを恨みがましく睨む男に向かって即座に先輩が走り出すのを見ながら、私は内心ほっと息を吐いた。
□ □ □ □ □
「何やってるんだろ、私……」
仕事を終えて死神界へ戻った後……再度人間界に舞い戻った私はバッチで実体化して本屋へ赴いていた。そしてバレンタインの特設コーナーでチョコレートのレシピ本を開いたところでようやく我に返り、今更そんな言葉を呟いてしまった。
手にした本には色々なレシピが特集されている。甘い物が好きな人用、苦手な人用、お酒が入った物に和風の物。……やっぱり抹茶とかが入った和風の物がいいだろうか……って、また何を考えているんだ私は。
ぶんぶんと考えを振り払うように首を振り、本を戻して店の外に出る。
なんで私は先輩にチョコを上げようとしているんだ。普段の差し入れや先輩の家でご飯を作るのとは訳が違うというのに。
「そもそも、あの人婚約者居るじゃん……」
正確に言えば居た、であるが。それでも死後も見守りたいと思うほど一途に思っていた人が、だ。無意識にため息が出た。
ついでに目の前を通り過ぎた女の人を見て、以前にすごく綺麗な人に見蕩れていたことを思い出した。そうそう確かこんな茶髪ロングの綺麗な人で――。
「きゃあっ」
「あ」
よくよく見たら本当にその人だった! と思ったのもつかの間、すぐ目の前でその女性が後ろから来た自転車に轢かれ掛けた。手に持っていた買い物袋が地面に落ち、そして彼女も一緒に倒れてしまう。
「大丈夫ですか!」
「いたた……あ、鞄が!」
「え」
「ど、泥棒!」
はっと顔を上げた彼女が走り去っていく自転車に向かって叫ぶ。今の自転車はぶつかるだけに留まらず、ひったくりまでしていたのか。
「待て!」
それが分かった瞬間、私は考えるよりも先に既に殆ど見えなくなっている自転車に向かって走り出していた。
一気にスピードを上げて自転車の隣に並ぶと、自転車を漕いでいた四十台くらいの男がぎょっとしてハンドルを切り損ねた。そのまま地面に転がり落ちそうになる男を咄嗟にキャッチすると、倒れた自転車が大きな音を立てて道路に倒れる。危ない危ない、ひったくり犯とはいえ大怪我させる訳にはいかない。
うっかりお姫様だっこしてしまった男を道路に下ろすと腰が抜けたのか座り込んだまま動かない。その隙に盗んだ鞄を取り戻していると我に返ったようにはっとした周囲の人達が慌てて男を取り押さえてくれたので、後は任せて女の人の元へと戻った。
「はい、鞄これですよ……ね」
買い物袋から飛び出た商品を拾っていた彼女が振り返る。そして鞄を差し出した所で、私は買い物袋に入ったいくつもの板チョコを見つけて一瞬言葉が詰まった。
「あ、ありがとうございます! 取り返して下さったんですね!」
「い、いえ」
気が漫ろになりながらも鞄を渡すと、彼女は驚きながらも嬉しそうに受け取って中身を確認する。
「無くなってるものもない……本当にありがとうございました。それにしてもすごく足が早いんですね」
「ま、まあ……。あの、一つ聞きたいことがあるんですけど」
「はい?」
「それ、もしかしてバレンタインの」
「? はい。チョコを作ろうと思って」
「ちなみにどなたに」
「彼氏ですけど」
「そ、そうですよね!」
何を聞いているんだ私。そしてなんでほっとしてるんだ。
「あ、ひったくりを捕まえたのはあなたですね? 少しお話を窺いたいんですが」
「げ」
自分で自分に突っ込みを入れていると、誰かが通報したのか警察が来てしまった。
まずい。色々とまずい。個人情報を尋ねられると何も答えられない。都合よく来たのが私のことを知る珍しい名前組でもなければ、そもそももうすぐ実体化出来る時間が限界だ。
「まず氏名を……」
「……あの私ただの通りすがりですのでそれでは!」
「あ、ちょっと!」
一息でそう言ってすぐさま逃げ出す。彼らが呆気に取られているうちにさっさと路地に逃げ込んでバッチを外すと、もう私を見ることができる人はいない。追いかけてきた警官がきょろきょろと辺りを見回す中をすり抜けて、私は死神界へ戻る為に足を進めた。
「あーもう、ホントに私何やってんだろ……」
□ □ □ □ □
そして時間は数日経過し、二月十三日、バレンタイン前日である。最近やたらと忙しくなってきたなと思いながら悪霊になり掛けていた浮遊霊を捕まえる。バレンタインが近いからだろう、こういう恋人がいる人達を呪うような幽霊ばっかりだ。明日はもっと多いこと間違いなしである。
「帰るぞ」
「はい」
浮き足立っている人々に釣られるように少し浮ついた気持ちになりながら先輩の背中を追いかける。帰るまでが死神の仕事だ。道中にも幽霊がいないか確認しながら、しかし意識は目の前の真っ黒なそれに向いている。
「……先輩、明日仕事終わったら家に行ってもいいですか?」
「好きにしろ。あと来るなら飯を作っておけ。最近米を食べていない」
「だから言ったじゃないですか、先輩もいい加減炊飯器の使い方覚えて下さいって」
「お前がやればいいことだろう」
「出た、この関白宣言! 今の時代は男女平等が流行りなんですよ。時代の流れに乗ってください」
「断る」
いつものように軽口を叩いているとそわそわしていた気持ちも落ち着いてくる。もう、と口先だけで怒りながら話を続けていると、何故か急に周囲がざわついたのを感じた。
それと同時に駅前ビルにある大きなスクリーンに「緊急速報です」と慌てた様子のアナウンサーの女性が写った。
「――市のショッピングモールに爆弾を仕掛けたとの犯行声明が入りました」
ぴたり、と傍を歩いていた先輩の足が止まる。
「犯人は現在詐欺容疑で拘留中の宗教団体幹部の解放を要求しており、要求を飲まない場合爆弾を爆発させると警察に訴えているようです。こちらを御覧下さい」
画面がぱっと切り替わる。どうやら爆弾が仕掛けられたというショッピングモール内の映像らしい。女性客が多いようで、皆不安そうな顔をして落ち着かない様子だ。
「この映像は現在中にいる方が撮影し送られて来たものです。モール中の人々は拘束されてはいませんが、外には出られない状況のようです。既に一度小規模な爆発も起こっているとのことで、警察は外から様子を窺っています。なお、犯人は現在特定されていません」
「……何かすごい事件みたいですね、せんぱ――っ!?」
スクリーンから視線を外して先輩を見上げようとした直前、視界の端に何か見覚えのあるものが映ったような気がして、私はもう一度スクリーンを改めて目にした。
――思わず息を呑んだ。人質になっている客の映像の中に、あの人が居たのだから。
「あの人は、この前の……!」
「……八重」
「え? あ、ちょっと先輩!?」
スクリーンに気を取られていたその時、突然先輩が踵を返して走り出した。一瞬だけ見えた表情は酷く焦燥に駆られており、私も無意識に彼を追いかけるように足を動かしていた。
「先輩! ちょっと、どこ行くんですか!」
背中に向かって声を上げてもまったく反応はない。それでも何度も走りながら先輩を呼ぶが、本気で走る彼にどんどん距離は開いていってしまう。
「先輩ってば!」
「――死神シン、止まりなさい」
引き離されて見失いそうになる直前、突然先輩の足が止まった。靴が一気にすり減りそうな程のブレーキを掛けると、立ち止まったすぐ目の前に数人の男性が前方を取り囲むように立ちはだかったのだ。
いきなり現れた、黒を基調とする服装の集団。彼らの目ははっきりと先輩を捉えており、明らかに普通の人間とはかけ離れた存在であることはすぐに分かった。
「上がお呼びです。勝手な行動は謹んでいただきます」
「邪魔だ、退け!」
「退きません。あなたは大人しく向こうへ戻らなければならない」
言うが早い、男達はすぐさまシン先輩を捕まえようと動き出す。しかしそう簡単に捕まる先輩ではない。目の前に並び立つ男達を力尽くで振り払って先に行こうとした。
しかしいくら先輩でもこうも人数がいると簡単に抜け出すことは難しい。それでも強行突破しようとしたのか先輩が鎌を取り出した所で、“その人”は唐突に視界に現れた。
「駄目だよ、シン」
先輩の背後に一瞬にして今までここに居なかった人物が現れた。私はちょうど後ろから見ていたというのに、本当にどこから来たのかも気付かせなかった彼は、先輩に声を掛けると同時に彼の背中に何かを突き立てた。
大きな注射針のようなそれが先輩に突き刺さると、途端に今まで機敏な動きを見せていた先輩がぐったりと膝をつく。
「貴、様……どういうつもりだ」
「どうもこうも。僕に気付かないくらい周りが見えていないことも自覚がないようだね。なら尚更、今のお前を好き勝手させる訳にはいかない」
いつもよりもずっと冷えた声の彼――課長が肩を竦めてそう言い終えると、膝をついていた先輩がそのままぐらりと体を傾けて倒れた。
「先輩っ!」
「こいつは本部に。鎌を取り上げて大人しくさせておくように」
呆然と立ち尽くしていた私がようやく動いた頃には、シン先輩は黒服の男達に担がれて連れて行かれてしまう。そして彼らが先輩を連れてさっさと帰って行く中一人その場に残っていた課長に、私は思わず掴み掛かるようにして叫んだ。
「課長、どういうことですか! 先輩に何したんですか!?」
「シュリちゃんか……あいつのことは気にしなくていい」
「気にしないなんてできるわけないです! なんで、先輩が何をして」
「今は何もしていない。……が」
服を掴んでいた手があっさりと引き剥がされる。そして課長は何かを思い出すかのように目を細め、疲れたように肩を落としため息交じりに呟いた。
「また、同じことを繰り返されたら困るんだ」
 




